instagram

Chapter.I – 8

 赤い砂の世界では、変わらない日々が続いていく。昨日と同じ今日、今日と同じ明日。否、明日のことは誰にもわからない。そのはずだった。本当に明日が来るかどうかすら定かではなく、だが誰もが信じている――疑うことが罪であるかのように、俯いたまま立ち止まっている。この集落と同じように、砂に埋もれゆくのを待っているのだ。
「なあ、シエ」
 メロはシャベルを手にして、彼女を見下ろした。二人の目の前には半ばまで砂で満たされたバケツがふたつ。
「おれたちって、なんなんだろうなあ」
「なんのこと?」
 シエはバケツの傍らにうずくまったまま赤い土にまみれた手をかざし、メロを見上げた。少年はいつになくかたい顔つきで、赤い空を見つめている。
「砂に囲まれてで生まれて、砂を食って生きて、最期は死んで砂にかえる。おれたちって砂でできてんのかな」
「……そうかもね」
 否定する要素は何もない。シエは薄く笑って首を左右に振った。メロは眉を下げる。
「砂……砂かあ」
「メロは砂が嫌い?」
シエはその赤いつぶを白い指先ですくいあげた。
「おまえは好きなのかよ?」
 反問され、シエはきょとりと首を傾げた。
「好きも嫌いも……砂は砂だもん」
「砂以外の景色を見てえなあ、おれは」
 メロはため息をつく。そして、ひっそりとつぶやいた。
「……『ニルヴァアナ』には、あるのかな」
 ――楽園の名を冠するその場所には、ここにはない景色が広がっているのだろうか。きっと、そうに違いない。メロの口調には憧憬の響きがあった。
「メロは」
シエの目は、砂よりももっと鮮やかな色を秘めて煌めいている。シエは、きっと砂にはならない。メロはぼんやりとそう思った。
「もしそこに行くことができたとしたら……、何がしたい?」
「……んー」
 メロは言葉に詰まった。しばらく俯いて考え、そして苦い笑いを浮かべる。
「わかんね。……ただ、逃げ出したいだけなのかも」
 この砂、この集落、変わらない日常を形作る退屈なもの全てから。何もかもを捨てて、逃げ出してしまいたい。新しい場所、新しい生活、新しい自分。
「メロは、変わりたいの?」
「……さあ」
 変わりたい、気もする。変わった世界を見てみたいという欲求は、確かにある。しかし――。
「よく、わかんねえよ」
メロは立ち上がり、荒々しくざくざくと砂をバケツに詰め込む。溢れるのも気に止めず、ざくざく、ざくざくと。
「…………」
 その苛立ちに突き動かされ、いつか銃を手にとるのだろう。そして、ヨルの得体の知れない憎悪に巻き込まれ、「ニルヴァアナ」の者たちの命を奪いに行くのだろう。そして――そして?
「…………」
 シエは己の腿を締め付ける古いベルトと、そこに取り付けられているずっしりとした銃身を思った。――わたしが銃を向けるとしたら、それは……。
 思い浮かんだ面影に、シエは知らず甘く微笑んだ。
「なんでお前にこんな話をしたんだろう」
 メロはつぶやく。
「こんなこと、誰にも言ったことなかったのに」
「それは――」
 シエは赤い空を見上げる。
「わたしが外から来たから、でしょ」
 ふわふわと、彼女は笑う。
「……たしかに」
 メロは俯いた。こんな話、他の人にはできない。きっと怒られるか、白い目で見られるか――どちらにしたっておもしろくない結末が待っているのに決まっている。
「きっと、おまえは……」
「ん?」
 シエがうながしても、メロはそれ以上何も言わない。――おまえは、いつかここからいなくなるんだろ。メロは音にならないその言葉を砂に埋めるように、シャベルを砂に突き立てた。おれたちは取り残されるんだ……きっと。
 シエはふわりと首を傾げる。その表情から目を背け、メロはほう、と小さくため息をついた。

 ある日の夕刻。
「あれの中身を見る方法がわかった」
 突然、シエの前に現れたヨル。いつものことだった。前触れもなくシエを攫っていく黒い影。シエはその闇を見上げ、きらりと微笑む。
「そう、よかった」
「行くぞ」
 ヨルはそう言ってシエを促す。彼女は首を傾げた。
「どこに?」
「衛生基地に決まっている。あそこでしか見られない」
 その答えに、シエは意外そうに口を開いく。
「まだ見ていないの?」
「…………」
 ヨルはちらりとシエを見下ろしたが、何も言わずに先に立って歩いた。うっすらと形良く筋肉のついた背中は、何も語らない。
「待って」
 シエは足早に歩むヨルに追いつき、その腕を両手で捉えた。
「いっしょにいく」
「…………」
 ヨルの口元が小さく動く。――当然だ、と見えたのは気のせいだろうか。シエは彼の腕に頬を寄せた。そのかたい感触が、心地よい。
「――ヨル」
 彼の歩みを、シエの良く知る声が留めた。
「ナオ?」
「…………」
 その名を呼んだのは、シエだった。ヨルは黙って立ち止まっている。ナオはシエを見ることなく、腕組みをしてヨルを睨みつけている。
「何か、」
「最近おかしいんじゃない?」
「……おれが?」
 ヨルはゆっくりと瞬いた。
「おかしいって?」
 口元に浮かぶ、奇妙な笑み。
「なにを、いまさら」
「な……」
 ナオの顔に、悲しみとも怒りともつかない表情が浮かんだ。腰のあたりで握りしめられた小さな拳を、シエは見るともなしに眺める。
「たしかにあんたは前から変わっていた。でも、最近は特にひどい。わたしたちを無視して、衛星基地にこもりきりで――出てきたと思ったらその子供ばかり構って」
「子供?」
 ヨルは軽い調子で聞き返し、やがてああ、とつぶやいた。
「シエのことか?」
「そうよ」
 ナオの視線がシエに向けられ、やがてその眼はすっと細められる。――どうやらわたしは嫌われているんだな、とシエはまるで他人事のように思った。胸は痛まない。ナオのことは、どちらかといえば好きだった。ここにきてすぐの頃には、本当に良くしてもらったと感謝しているから。けれど、好意は好意でもって必ず返ってくると期待するほど、彼女は子供ではない。
「おまえたち、いや――おまえは」
 ヨルは話すとき、ほとんど唇を動かさない。今もそうだ。抑揚のない低い声は、まるで砂の上に長く伸びる影のようだ。
「おれに何を期待しているんだ?」
「期待……?」
 ナオの瞳が揺らめいた。
「違う。あたしは、ただ」
 ――ヨルに、打ち解けて欲しいだけ。
「いつまでもよそものだなんて顔をして欲しくないの。ここであたしたちといっしょに生きていくんでしょう? そうよね?」
 あたしは――本当は「ニルヴァアナ」のことなんてどうだっていい。ただ、あたしたちはここで生きていくの。それがくだらない砂に塗れた日々であっても、それは仕方のないこと。あたしたちはここで生きるよりほかない。
 ナオの真っ直ぐな瞳は、シエの目にひどく美しいものに見えた。だが、彼女の胸は動かない。ああ、きれいだ、と思ったに過ぎない。彼女と自分とは違う。きっと、根のところから違っているのだ。
「だからもう、『ニルヴァアナ』から来る人を殺しに行くのだってやめてしまえばいい。みんな、どこかでそう思ってる。ほんとうよ――」
「…………」
 ヨルの手が、唐突にシエの指先を探った。シエははっと息を呑む。
「おれは」
 ヨルはつぶやく。痛いほどに握りしめられる、手。
「おれは――」
「シエ」
 ナオが不意に、その名を呼んだ。シエは顔を上げる。ナオは冷たく、彼女を見つめていた。その視線に、少しだけ悲しくなった。
「あんたのせいよ。あんたが来てから、ヨルはおかしくなった」
「そう、なのかな」
 シエは聞き返し、そしてじっとナオを見つめ返した。悲しみは、もう、ない。
「だとしたら――うれしい」
「あ……あんた」
 ナオの顔が引きつる。シエは知らない顔でヨルの手を引いた。
「行こう、ヨル」
「…………」
 ヨルは数歩進んだところで、少しだけ足を止めた。口を開く。
「出て行けというのなら、いつでも出て行く。いつでも、な」
「ヨル、」
「ただ、こいつは」
 不意に、ヨルは笑みを浮かべた。
「連れて行くが」
「…………」
 ヨルはそのまま、シエの手を引いて歩いていく。
 夕日はもう、地平線のかなたに姿を消していた。

 暗がりの衛生基地の中で、ヨルは例の銀色の円盤を手にした。シエにはよくわからないボタンやら何やらを彼がいじると、円盤は機械の中に吸い込まれていった。同時にぱっ、と点灯するディスプレイ。
「…………」
 ヨルは無言でその画面を見つめている。シエは、彼の横顔を眺めていた。――「ニルヴァアナ」につながるものには何をさておいても一番に飛びつくはずなのに、なぜヨルはディスクの中身をすぐに見ようとはしなかったのだろう。シエに見せてやろうと思った? いや、違う。むしろ、ひとりでは、見たくなかった――だとしたら、なぜ?
 じじ、と画面が揺れた。しばらくして、そこに映し出されたのは――。
「え?」
 それが誰の声であったか、わからなかった。ただ、間違いようのないことがひとつ。
 
 そこには――がいた。