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Chapter.I – 5

 シエの存在は、集落の中で明らかに異質だった。この閉ざされた世界に住む者たちは、明らかに彼女を警戒している。彼女とともに暮らしているナオですら、それは同じだった。嫌悪ではない。敵視しているわけでもない。ただ、「違う」のだということ。それは動かしようのない事実として、常に彼らの中にある。
 もし、そうでないものがいるとすれば――それはヨルだ。彼もまた、どこかここでは異質なものなのだ。そのことを彼自身は気付いているのだろうか。
 ここでシエが暮らすようになってからしばらくの間、彼女はヨルとナオ以外の誰とも言葉を交わさなかった。誰も彼女に声を掛けようとはしなかったし、彼女から話し掛けることもしなかったから。シエは、ナオが彼女の側を離れている間、一人きりで過ごすことに何の苦痛も感じなかった。
 そんな彼女に、ある日ひとりの少年が声を掛けた。
「おい、おまえ」
「…………」
 いつものように無言でバケツに砂を詰め込んでいたシエは、ちらりと少年に視線を向けた。ナオはいない。きっと、そのタイミングを見計らって声を掛けてきたのだろう。
 少年は、シエより少し年上のように見えた。二メートル程の距離をあけて、佇んでいる。辺りに彼ら以外の人影はない。
「名前、何ていうんだ」
「……シエ」
 シエはしゃがんだまま小さく答えた。だが聞き返されなかったところを見ると、彼にはちゃんと声が届いたものとみえる。
「おまえ、『ニルヴァアナ』の奴らのところから来たって、ほんとうか?」
「『ニルヴァアナ』ってなに?」
 シエは立ち上がった。少年は、何故か怯んだように一歩下がる。赤い風が、彼のまとう白く短いマントを激しく煽った。シエの銀髪も、同様に翻る。
「それが敵の名前?」
 少年は眉を寄せた。
「本当に知らねえのか? それとも、しらばっくれてんのか?」
「本当に知らないのよ。記憶がないんだもの」
 シエは静かに言う。
「ヨルに、確かめてくれてもいい」
「…………」
 ヨル。その名に、少年は体を強張らせた。怖いのだろうか、彼のことが。シエはぼんやりと思った。
「『ニルヴァアナ』ってのは……」
 少年は、ゆるゆると語り始めた。
「裏切り者たちだ。戦争から逃れて、身を隠して――世界を、おれたちを見殺しにした」
「……どういうこと?」
 シエは聞き返した。少年の口調は言葉を借りてきたように辿々しいが、それでも揺らぐことはなかった。自分は聞いたことがあるというだけではなく、ちゃんと知っているのだと、そう言いたげであった。
「ずっと昔、世界はこんな風に赤い砂だらけなんかじゃなかった。砂から作った人工食物なんかじゃなくて、ちゃんとした食べ物があって、水があって、植物があった。世界は綺麗だったんだ……戦争が起こるまでは」
 まるで見てきたかのように、少年は語る。
「戦争が起こって、全部滅びちゃった。跡形もなく、砂に埋もれてしまった……。でも、その原因を作った奴らはおれたちの祖先を見捨てて真っ先にシェルターに逃げ込んだんだ。自分たちだけが生き延びるために、あからじめ用意していた場所――『ニルヴァアナ』に」
「…………」
 シエは、ヨルのぎらつくような憎悪を思い出す。あれは、そんな過去の恨みに基づくものなんかじゃない。あの怒りは、彼自身から湧き出しているものだ。もっと個人的な、何か……。
「随分昔のことなのね」
 シエのつぶやきに、少年はむっとしたようだった。
「そんなこと関係ないよ。やつらは敵だ」
「…………」
 シエは目を細めた。敵、敵、敵。敵と呼ばれる彼らは、何故その「ニルヴァアナ」から出てくるのだろう。そんな楽園のような場所があるのなら、わざわざこんな、赤く錆びついた砂の世界に出てくる必要などないのではないだろうか……。
 少年は、突然怯えたように後ずさった。その視線は、シエの背後を見つめている。シエは振り返ることなく、少年に尋ねた。
「教えてくれてありがとう。……なまえは?」
 彼は徐々にシエから離れながら、鋭く叫んだ。
「メロだ!」
 メロ。その名を記憶して、シエはゆっくりと振り返る。そこには、やはり……。
「来い」
 彼女を冷たく見下ろす、見慣れた長身があった。シエはうなずく。いつだって、彼に逆らう理由はない。差し出した彼女の手は握られることはなかったが、代わりにその手首を大きな手が掴んだ。その体温が、熱い。
 ヨルは、気まぐれにシエをかまう。銃を与えてみたり、ときにこうして呼びつけてみたり。だからといって、決して彼は優しくもあたたかくもない。それでも、シエにとって彼ははじめからずっと特別だった。それが何故なのか、シエ自身にもよくわからない。ヨルにとっての自分の存在がどういったものなのかも、それと同じくらいわからなかった。
「どこに行くの?」
 尋ねるシエに、ヨルは低く答えた。
「衛星基地」
 敵を――「ニルヴァアナ」からやってくる者たちを探し出すための、衛星。
 何故、彼らは「ニルヴァアナ」から出てくるのだろう。出てくれば、ヨルらによって殺戮されてしまうのに。シエは疑問を抱きながら、ヨルの険しい横顔を見上げた。

 衛星基地は、いつもながらに薄暗い。シエはヨルに渡された気の抜けた炭酸水を飲みながら、部屋の片隅に置かれた埃っぽいソファに座った。
 ヨルは、自分で連れてきたくせにシエのことはすっかり放ったらかしで、ディスプレイをじっと睨んでいる。
「ヨル」
 シエの声にも、彼は振り向かない。
「また、敵を探しているの?」
「ああ」
 短いが、返事はかえってきた。
「敵は……何が目的?」
「知らん」
「話をしたことはないの?」
「ない」
 敵を見つけさえすれば、手当り次第に殺しているのだ。シエはそう知って、驚いた。
「じゃあ、ほうっておけばいいのに」
「何故だ?」
 ヨルが少し体をねじり、横目で彼女を見遣った。
「奴らが手にしていいものなど、この世界には砂一粒たりとも存在しない。この世を破滅に導いた血が流れているのだから」
「そんなの、昔のことじゃない?」
 ぽつりといったシエに、ヨルは目を細めた。
「奴らの肩を持つのか? なら、ここを出て行け」
「そういうつもりじゃないよ。……ただ」
 シエは、ソファの上に立ち上がった。薄暗い部屋の中に、埃がまるで光のように舞う。
「わからないだけ。敵のことも、ヨルのことも。……わたし自身のことも」
 徐々に勢いを失ったシエの声。ヨルはそんな彼女を静かに見つめていた。
「『ニルヴァアナ』のやつらの罪は聞いたのだろう? メロか?」
「……うん」
 シエはうなずく。ナオは、その点については何故かなかなか語ろうとしなかったのだ。
「あれは決して昔話じゃない。何故ならやつらは」
 ――今も「楽園」に閉じこもり、おれたちを裏切り続けているのだから。
 その証拠に、やつらはおれたちには決して手に入らないものを――たとえば本物の食物だとか、フィルタに掛けてもいないのに透き通った水だとか――そんなものを持って、この世界に現れる。
 シエは首を傾げた。
「それなら、どうして『外』に出てくるのかな? 何が目的なんだろう?」
「――さあな」
 ヨルは言い、彼女に背を向けた。
「知ったことか」
「…………」
 そういえば、自分は「ニルヴァアナ」からきた者たちによって檻に入れられていたらしい。一体何があったのだろう。何故、自分は閉じ込められていたのだろう。何を忘れてしまったのだろう。――何を、捜しに来たのだろう……。
 何を、捜しに?
 シエは膝を抱えて、ヨルの背中を見つめる。手を伸ばしてみても、届くはずもない距離。
「わたし」
 シエは小さくつぶやいた。
「きっと、……」
 ヨルは振り返らない。それでも、彼はきっと彼女の気配を感じている。意識している。だからこそ、彼は自分をここに呼んだのだ。
 わたし、少しは特別扱いされているのかな。シエはそのことに満足して、立てた膝の間に顎を埋めた。