instagram

Chapter.I – 4

 ヨルの部屋は、地下にあった。薄暗い室内は殺風景で、壁も床もコンクリートが剥き出しで寒々としている。
 ヨルに連れられてきたシエは、きょろきょろと辺りを見回した。ナオの部屋とは、ずいぶん様子が違う。壁にずらりと掛けられた武器の類が、ランプの灯りを反射して鈍く光っていた。腕に抱えたヨルのマントをぎゅっと強く抱きしめる。
「怖いか」
 ヨルに尋ねられ、シエは首を横に振った。強がりではない。別に、怖くはなかった。出会ったときからそれは変わらない。ヨルの荒い口調も、冷たい眼差しも、怖いとは思わない。
「そうか」
 ヨルは短くそう言うと、壁に並んだ武器のうちのひとつから銃をひとつ選び出した。黒々としたその銃身は、シエの腕の長さほどあった。実弾を取り出して模擬弾を詰め直し、シエに渡す。
「重い」
 受け取ったシエは眉をしかめたが、それを下ろそうとはしなかった。
「もっと小さくて軽い銃もあるが、かえってぶれて扱いにくい」
 ヨルは言う。彼の手には、シエに渡したものよりももう一回り大きな銃があった。
「これ、何に使うの」
 シエは尋ねる。ヨルは鼻で笑った。
「決まっているだろう。敵を倒すんだ」
「敵……」
「そうだ」
「敵って」
 シエは顔を上げる。薄暗い部屋の中で、彼女の赤い瞳はまるで炎のように揺らめいていた。
「何?」
「…………」
 ヨルは冷ややかにシエを見下ろす。
「おれたちが生きるのを、邪魔しようとする奴らだ。そいつらは、おれたちがこんな砂漠に生きなければならなくなった元凶でもある――それが『敵』だ」
「敵を倒すと、何か良いことがあるの?」
「…………」
 ヨルは苛立ったように舌打ちをした。そういう問題ではない。良いことがあるかどうか、そんなことは全く問題ではないのだ。彼らが持っている水や食料を奪うのはついでで、副次的な問題だ。少なくとも、ヨルにとってはそうだった。恐らく――この集落の他の人々は違うだろう。シンもそうだ。物資を奪うために、彼らは敵を襲っている。ヨルは、彼だけはそうではなかった。敵は敵だ。存在することすら許されない――少なくとも、彼は許さない。敵を殺すことに、理由など必要ない。それを、この子供は少しも理解していない。彼の胸の内の憎悪を、憤怒を、何一つわかっていないのだ。――己の過去すら持たぬ少女が、出会ったばかりの彼の何を理解できるというのだろうか。もう随分共に暮らしている集落の人々すら、決して彼を理解はしていないのに――彼自身、理解させようともしてこなかったのに。頭の片隅で冷静な自分がそうせせら笑っているのはわかっていたが、それでもヨルは奇妙な焦燥感に胸を焼かずにはいられなかった。
 何故だ。何故、おれはこの子供がおれをわからないことに腹立っているのだ。
「その銃で」
 思考を振り払い、ヨルは言った。
「あの壁についた傷を撃て」
 シエはヨルの指先を目で追い、そして薄く目を眇めた。
「十字型の?」
「そうだ。それから、目は細めるな。見開け」
 壁までの距離は三メートルほど。十字の傷は、ヨルの拳ほどの大きさである。
「まずは、銃の扱いに慣れることだな」
「――ヨル」
 シエは銃を抱え、ぽつり、と言った。
「わたしに銃を教えて、いいの?」
「どういうことだ」
「わたし、あなたを撃つかもしれないじゃない」
「…………」
 ヨルは押し黙った。
 シエは微笑む。
「うそだよ」
 銃を両手で構え、引き金を引く。模擬弾は、天井に跳ね返ってヨルの足もとにぽとりと落ちた。
「わたしはヨルの敵じゃないし、ヨルはわたしの敵じゃない」
「――好きにしろ」
 ヨルは低く吐き捨てた。
「おまえがおれを殺す前に、おれがおまえを殺す」
 シエはもう一度、銃を構える。――弾は、正確に十字の中央を打った。

 どれだけの時間が過ぎただろう。シエは銃を撃つことに夢中になっていた。弾の詰め方も覚えたし、最初よりももっと小さな的にもあたるようになってきた。ヨルは褒めてくれるだろうか。振り返ったシエは、しかし虚をつかれて目を瞬いた。
 ヨルは――壁にもたれたまま、目を閉じていた。眠っている。
「ヨル?」
 小さく呼びかけても、目覚める様子はない。
「…………」
 銃を下ろし、シエは彼の側に近付いた。時に震える黒い睫毛、半開きのうすい唇。血色のない頬。――疲れているのだろうか。今日は「敵」と戦ってきたのだから、きっとそうなのだろう。シエはくすりと笑った。
「案外、無防備なんだね」
 こんなに武器を集めて、それらに囲まれて暮らしているくせに、その内側にあっさりと見知らぬシエを招き入れて。シエがヨルの「敵」なら、あっという間に彼は死んでしまうだろう。何しろここには銃だけではなくて、ナイフなどの刃物もたくさんあるのだから。
 それとも、シエがもしその気を起こしたら――殺気を少しでも放ったら。ヨルはそれに気付くのだろうか。そうなれば、彼女はあっという間に殺されてしまうに違いない。
 へんなひと。
 シエは、部屋の隅に放られていた毛布を手に取り、彼にそっとかぶせた。冷たい床の上で座ったまま眠っていたら、体が冷えてしまうのではないかと心配になったからだ。そうしておいて、自分はヨルのマントを体に巻きつけて横になる。固くて冷たくて、寝心地が悪い。けれど――どこか心地良い。
「……ヨルの、匂いがする」
 シエはぽつり、とつぶやいた。

 ――夢を見た。初めてみる夢ではない。何度も何度も繰り返し見ている夢だ。
 白い靄に取り囲まれ、辺りからぼんやりと声が響いてくる。
「お前が呪いを解く鍵になるかもしれない」
「いずれ迎えを寄越すから」
「必ず生き延びろ」
「生きて」
「かえっておいで」
「かならず」
「必ず」
「ここに」
「この楽園に」
「この地獄に」
「必ず」
「かえって」
「生きて」
 まるで呪詛のように繰り返される言葉。彼は呻いた。手が、足が、動かない。胸が重苦しい。息ができない。
 ――煩い!
 声にならぬ叫びを上げる。
 ――全部、滅びてしまえばいい。こんな世界など、裏切られた世界など必要ない。裏切られたんだ。おれたちは、裏切られた。
 冷たい床の上で、力なくもがく。
 ――皆、皆死んでしまえばいい……!!
「…………っ」
 はっと目を覚ますと、そこは見慣れた自室の中だった。いや、ただひとつ、見慣れないものがある。
「…………」
 自分の首の上を流れている、糸のような軽い何か。それでいて、胸や腹はやや強めに圧迫されている。頭をもたげると、自分の体の上に何者かが乗っかっているのがわかった。――これが重かったのか。ヨルは小さく舌打ちする。
「おい」
「や……っ」
 首元をくすぐる銀の髪を引っ張ると、小さな悲鳴があがった。
「重い」
「……ん」
 のろのろと体を起こしたその少女は、涙で潤んだその赤い瞳をこすった。
「おはよう、ヨル」
「…………」
 ヨルは返事をしなかった。いつの間に寝てしまったのだろうか。確か、シエに銃を与えて――練習をさせて、それを後ろから見ていたところまでは覚えているのだが……。
 まさか、他人が部屋にいるのに眠ってしまうとは。信じられない。
「夢を見ていたの?」
 シエの声に、ヨルはぎょっとした。無言で少女を睨みつけるが、彼女は気にした様子もなく毛布を畳んでいる。
「わたし」
 顔を上げたシエは、屈託なく微笑んだ。
「ヨルの夢を見た」
「…………」
 ――どんな夢だ、とは尋ねなかった。
「朝ごはん、食べる?」
 ヨルは頷き、キッチンとも呼べない、コンロと水場のあるスペースを指し示した。
 シエは水をやかんに汲んで火に掛け、硬いパンを切り分ける。ヨルはそんな小さな後ろ姿を、ただぼんやりと眺めていた。
 シエ。
 この子供は――なんだ。言葉を交わせば交わすほどわからなくなる。彼女がわからない理由すら、わからない。彼女は悪魔なのか――それとも。
「ヨル」
 シエは笑う。その笑顔が――認めたくないことではあったが、もはや認めざるを得ない。
 彼女の笑顔が、怖かった。