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Chapter.I – 3

 その日、日の出前から集落は騒然としていた。中心部にある空地に十頭を超える馬と数台の馬車が集められ、男たちが武器を積み込んで出発の準備をしている。
 女子供はそれを遠巻きに見守っていて、その中にナオとシエもいた。
「みんな、どこに行くの?」
 シエが尋ねると、ナオは少し言い淀んでから、短く答えた。
「敵のところ」
「敵?」
「そう」
 シエの視線が、全身に黒を纏った男を捕えた。――ヨルだ。彼はちらりとシエを見たようだったが、すぐに目を逸らしてしまった。フードと首元に巻いたストールのせいで、その表情はわからない。
 ナオは続けてぽつり、と言った。
「あなたが最初にいたのも、敵の中だったの」
「…………」
 シエはじっとヨルを見つめている。ナオはそのことに気付き、苦笑した。
「あんたはヨルばっかりね。あいつが好きなの?」
「すき……?」
 シエはつぶやき、首を横に振った。
「すきって、なに? わからない」
 ナオの見ている限り、シエは二言目にはヨル、である。彼を見かければすぐに近寄っていって、邪険に扱われても全く気にする様子はない。明らかに独りを好み、他人を近づけまいとしている彼に、シエはしつこくまとわりついていくのだった。何故、ヨルなのか。シエは理由を語らない。
 一方のヨルも、本気でシエを避けているわけではないのだろう。本当に邪魔だと思っているなら、シエは二度と彼に近付けないような目にあわされているはずだ。無愛想で、粗暴で、短気なヨル。彼は彼なりにシエの存在を許容しているのかもしれないが、そのこともまたナオには不可解だった。何故、ヨルは彼女を特別扱いするのだろうか。「敵」の中から生かして連れ出し、自分に近づくことを許し――何故なのだろう。
「もしかして、ヨルが衛星基地で探しているのって」
 顔を上げたシエに、ナオは頷いてみせた。
「そう。ヨルは敵を探しているの」
「どうして敵を探すの? 何か悪いことをするから?」
 シエの質問に、ナオは冷笑を浮かべた。
「そういう問題じゃないのよ、シエ。やつらはね……」
 ――はじめから、あたしたちを裏切っているんだから。
 シエにはその言葉の意味がわからなかったのだろう。首を傾げ、問いを重ねる。
「敵のところに行って、何をするの?」
 ナオはかぶりを振った。――子供に教える話ではない。
「おいおい、ゆっくり教えてあげる」
「…………」
 馬たちが嘶く。逞しい脚が砂を蹴立て、空が一際赤く染まる。彼らの出発を見守りながら、シエはじっと立ち尽くしていた。

 太陽が頭上に昇った頃、「敵」の集落が見つかった。ヨルの号令を合図に、彼らはそれを一気に踏み躙った。
 相手が反撃する余裕など与えない。無差別に機関銃を掃射し、物資を略奪した後に建物を焼き払う。みるみるうちに死体が辺りに散乱し、血臭が辺りにたち込めた。ほとんどの死体が、ヨルよりも年上の男ばかりである。こいつらは何を目的にここに現れたのだろうか――ヨルは苛立たしげに舌打ちをした。何であろうが関係ない。皆殺しにするまでだ。
「相変わらず容赦ないねえ、ヨル」
 話し掛けてきたのは、彼と同い年くらいの青年だった。名をシンという。赤銅色の髪を風に靡かせ、ヨルの傍らに立った。
「交渉もしないであっという間に皆殺し。人違いだったら洒落にならないよ」
「間違うことはありえない」
 ヨルは即答した。
「そのための衛星だ」
 シンは肩をすくめ、手にした大きな皮袋を見遣った。
「まあ、こいつらいいモノ持ってるし? ヨルのやり方に反対するわけじゃないけどね」
 皮袋の中には、奪い取った食料が入っている。砂から工場で作った人工食料ではない、本物の干し肉やドライフルーツ。他の者は水も残さず奪い取っているはずだ。
 ヨルはまた一発、銃を撃った。シンはその軌跡を見送り、その先でひとり倒れたのを見て小さく口笛を吹いた。本当に、おまえの射撃の腕は常人離れしているね、とシンは言った。
「ところでさ、最近、おまえの周りにいるあのちっさい子、誰?」
「知らん」
「知らないことはないでしょう、あの長い白髪の子だよ? 結構可愛いよね、数年経ったらストライクゾーンだな」
「…………」
 ふざけた口調のシンを睨み、ヨルは歩き出した。シンは駆け足で彼を追ってくる。
「っていうのは冗談だけど……ヨルがあの子を殺さなくって良かった」
「何故だ?」
 小さく尋ねたヨルに、シンは肩をすくめてみせた。
「おまえにも人の心があるんだって、安心したの。さすがにあんなちっさい子、もし『ニルヴァアナ』から来たんだとしても」
「違う」
 ヨルはきっぱりと言った。
「もしあいつが奴らの仲間なら、おれはあいつを殺す」
「おい、ヨル……」
「あいつは牢に閉じ込められていたんだ。仲間とは思えない。だから殺さなかった」
「……どっちにしたって、あの子に罪はないだろうに」
 つぶやいたシンを、ヨルは冷ややかに睨んだ。
「罪は『ニルヴァアナ』にある。いつか探し出して――」
 唇を笑みに似た形に歪める。
「滅ぼしてやる」
「…………」
 そう語るヨルの横顔を、シンはまるで憐れむような表情で眺めていた。

 ヨルらが集落に帰ってきたのは、夜遅くのことだった。シエはどうしても出迎えに行きたいと駄々をこねて、ナオを困らせた。シエがわがままを言うのは珍しく、たいていそれはヨル絡みのことなのだった。
「あんたって不思議な子よねえ」
 ナオはシエに上着を着せてやりながらひとりごちた。
「子供っぽいんだか大人びてるんだか、よくわからないわ」
「…………」
 シエの赤い瞳がひとつ瞬き、彼女はぱっと外へと走り出した。
「あ、こら、シエ!」
 ナオは慌てて追い掛ける。シエの長い髪が夜闇の中で翻った。目指すのは、一台の馬車の傍ら。
「ヨル!」
 シエは一目散に、黒い男の元へ駆けて行った。
「おかえりなさい」
 集落の皆の驚きの視線をものともせず、シエは武器を携えたままのヨルの側で足を止めた。息を切らせ、じっと見上げる。
「…………」
 ヨルは無表情にため息をついた。
「子供は寝ている時間だろう」
「……ごめんなさい」
 素直に頭を下げるが、シエはヨルのマントの裾を掴んで離さない。ヨルは眉を寄せてその手を見遣ったが、敢えて振り解こうとはしなかった。
「愛されてんね、ヨル」
「おまえは黙ってろ」
 混ぜ返す隣の男――シエが彼を見ると、にっこりと笑って、おれはシンだよ、と名乗ってくれた――を睨み、ヨルは更に深いため息をつく。
 やがて、ヨルは何かを思いついたように口元を歪めた。
「来い」
 シエはぱっと顔を輝かせた。ヨルは、彼女の背後で困惑した表情を浮かべているナオに視線を投げる。
「借りるぞ」
「あ、ああ、うん」
 表情はそのままに、ナオはかくかくと首を縦に振る。
「持て」
 地面に脱ぎ捨てたマントを指し示すと、シエはおとなしくそれを拾い、ヨルの後に続いた。
「おれが、おまえを」
 ヨルはシエを見下ろした。
「最高の殺人者にしてやる」
「…………」
 シエは黙ってヨルを見上げる。その赤い瞳は、何も語ろうとはしなかった。