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XX

 そのままおれは呆気なく建物から放り出された。ドアのあったと思しき場所を叩いてみても、蹴っても、喚いても、何の返答もなかった。
 一体インクはどうなったのか――そして、ミトがシック・スカルドに頼んだことの意味とは。
 ミトは大丈夫なのか。
 今後、おれたちはどうなるのか。
 何もわからないまま、おれはとぼとぼとリンビックに戻った。
 部屋にはノーラとエマがいて、どうやらおれがシック・スカルドとともにセントロメアの方向に向かうのを見たひとの噂を聞いて、ひどく心配していたようだった。
「……何があったの」
 そう聞かれても、おれにはうまく説明できない。
「ミトが、インクを撃ち殺して――それで、シック・スカルドに頼みごとをしていた」
「ええ?」
 ノーラが怪訝そうに顔を顰める。
「どういうこと?」
「おれもよくわからんが……」
 急にどっと疲れが出て、おれはずるずると壁際に座り込む。膝の上に座って抱きついてきたエマを支えるように抱きしめ返しながら、おれは深々とため息をついた。
「インクの死体――っていうのが正しいのかどうかわからんが、その中の何かを使えば地球のアンドロイドに搭載されている人工知能のセントラルサーバにアクセスできる、らしい」
「…………」
「それで、そのサーバの中のコードをシック・スカルドに書き換えてくれとかなんとか……」
「……よくわからないんだけど」
「だから言ったろ」
 おれは苦笑する。
「おれにもよくわからないって」
「…………」
 ノーラは黙り込んだ。
「とにかく、確実なことは」
 おれはぽつりと言った。
「ミトは自分を犠牲にして、おれたちを――いや、人類を守ろうとしたんだ。それは間違いない」
 彼女の思惑が成功するかどうかはわからない、その方法が正しかったのかどうかも、おれにはわからない。だが、ミトがそう願ったことだけはおれにもわかったし、むしろおれだけでも理解していなければいけないのだと思った。
「…………」
 ノーラは深々とため息をついて、口を開いた。
「これからどうなるのかしらね」
「さあな」
 それは、おれにはわからない。
 シック・スカルドはセントラルサーバへのアクセスに成功できるのか、成功できたとしてそう都合よくコードの書き換えなどということが可能なのか。多分、ミトにだってそうたいした勝算があったわけでもないだろう。だが、彼女はそれしかないと信じ、実行した。それならば、おれは彼女を信じたいと思う。
 ――それが、彼女の脳の出した答えなら。
「ああ、そうよね――」
 不意に、ノーラが呟いた。
「インクを殺してしまったってことは、彼女……」
「…………」
 おれは口を噤む。
 そうだ。ミトは――サイボーグ化した肉体を維持するためには、アンドロイドの補佐が必要なのだと言っていた。それが得られなくなったということは、すなわち……。
 ――それでも、彼女は言っていた。「わたしの脳の可能性に、賭けた」と。
 おれは小さく笑う。
「結局、シック・スカルドの言う通りになっちまったな」
「え?」
 ノーラが聞き返すが、おれは答えなかった。
 おれを連れ出しに来たとき、シック・スカルドが言っていた言葉――「不確定要素はいつだって同ジ――人間ダ」。あの意味が、こんな形で明らかになるとは。
 そして、おれは全く別のことを口にする。
「とにかく、おれたちはおれたちでできることを続けよう」
「できることって? あの、皆と話して回るってやつ?」
「そうだ」
 どんな形になるにせよ、おれたちはいずれ地球人――それがアンドロイドであれ人間であれ――と交渉しなければならないのだろうし、移住だって必要になるのかもしれない。その時のおれたちの立場を少しでも確かなものにするためには、とにかく話し合うことだ。知恵を出し合うことだ。おれたちの、この唯一自由な脳を使うことだ。今、おれたちにできることはそれしかない。
 おれに抱きついていたエマが、顔を上げておれを見つめた。その曇りのない瞳に、おれはふとミトの人工眼球を思い出す。最後に見たはじめての笑顔、そして彼女が零した涙。
 もう、おれは彼女に――いや、あのふたりには二度と会えないのか。
 そのことが、自分でも意外なくらいに寂しかった。

  〇

 それから数日、日々にたいした変化はなかった。相変わらずリンビックでは地球への移住の話が盛り上がっていたが、それでも皆どこか冷静さを取り戻していた。月を出られれば自由になれる、幸せになれる、実際はそこまで簡単ではないということに改めて思い至ったものが多かったのだろう。
 それでも地球に希望を抱くものは多かったし、おれだってそうではないとは言えなかった。生まれながらにしてずっと感じていた閉塞感、焦燥感、ここを出ればそれらから解き放たれるのではないかと、今だってどこかでそう信じている。

 そして、その日――三度(みたび)、招かれざる来訪者はおれの部屋にやってきた。
 シック・スカルドだ。
 床に転がっていたおれは飛び起きて、その細い両の腕を掴んだ。
「ミトはどうなった。インクは、それから地球のサーバがどうとかいうのは……」
「質問が多イ」
 シック・スカルドはにべもなくそう答えると、床に膝をついたままのおれを、その眼球を模した位置にあるカメラで捉えた。
「あのミトという女が言い遺した通り、われわれはインクの体内のメモリや回路を入手し、彼らの『船』から地球上のセントラルサーバにアクセスしタ」
 おれはごくりを唾をのむ。
「サーバへのアクセス及びプログラムコードソースへのコンタクトは今も続けていル――その結果がどうなるかは、不明ダ」
 つまり、あのインクの語ったアンドロイドのプランを中止させられるかどうかは、まだわからないということか。
「われわれに与えられたコマンドはやや不明瞭、かつ不正確なものだっタ。いかなる書き換えが必要なのか、功を奏するのか……トライはするガ」
「……ありがとう」
 おれはぽつりと言う。こいつがいけ好かない石頭野郎であることはともかくとして、それでもおれたちのために尽力してくれているのは事実なのだ。
 シック・スカルドは少し間をおいて、それダ、と言った。
「何?」
「おまえに、質問があル」
「おれに?」
 聞き返すおれに、シック・スカルドは問い掛けた。
「あの女が、最期に言った言葉ダ」

 ――「ごめんね、インク」

「あれは、どういう意味ダ」
「……え?」
 おれは戸惑う。だが、シック・スカルドはあくまで真剣だった。
「何故、彼女はあのアンドロイドに謝罪しタ?」
「…………」
 なんでそんなことをシック・スカルドが気にするのかおれにはわからなかったが、それでもきっと答えられるのはおれだけなのだろうし、だとすれば答えてやりたいと思った。
 ――ミトのためにも。
「あいつらがどれくらいの付き合いなのかおれにはわからんが」
 ぽつ、ぽつ、と言葉を選びながらおれは語る。
「それでもきっと、決して短くはない時間を一緒に過ごしてきたんだろうよ――あの人間くさいアンドロイドのインクと、人間味のなさそうなミトが、一緒にさ」
 それがただ、本来はサイボーグ化した肉体の補佐のために過ぎなかったとしても、それでも。
「おれの目には、あいつらは仲良さそうに見えてた……」
 時には上司と部下のように、ふるい友人のように、あるいは家族の――姉と弟のように。おれはきょうだいなんて知らないけれど、でもふとそう思ってしまうくらいだったのだ。
「それを、仕方なかったとはいえ自分の手で撃ち殺したんだ。心が痛まないわけにはいかなかったろう」
 ――それでも、ミトは人類を選んだ。
「…………」
 シック・スカルドは黙って耳を傾けている。
「インクを殺さなきゃならない、彼の体をおまえたちにゆだねなきゃならないという気持ちと、あいつを殺すことを悲しく思う気持ち。どっちもミトの中にはあったんだ……」
「……なるほド。理解しタ」
 シック・スカルドは淡々とそう言って、おれをその場に残し背を向けた。だが二三歩も進まないうちに、
「ああ、そうダ」
 と、振り返る。
「ミトがどうなったか、と聞いていたナ」
「あ、ああ」
冷凍睡眠(コールド・スリープ)の施設が、月面に残されていた」
「な……!!」
 息を呑むおれをよそに、シック・スカルドはあくまで平静に話を続ける。
「彼女の脳は、今その施設で眠っていル。……とはいえ、あくまで予備の施設であったから稼働歴もないし、覚醒がうまくいくかどうかもわからなイ。われわれは人間を冷凍睡眠(コールド・スリープ)させたことも、覚ましたこともないのでナ」
 ――それでも、あのままサイボーグ体に限界が来て死ぬよりはいい、と判断しタ。
 おれはへなへなと座り込んだ。
 ――ミトは死んでいなかった。少なくとも、まだ死んでいない。
「よかった……」
 おれはつぶやく。
「本当に、よかった……」

 多分、楽観的になるには何もかも早すぎるだろう。地球のこと、アンドロイドのこと、月面のこと、ミトのこと。
 それでも――それでも。
 可能性はゼロではなイ、とシック・スカルドは言った。不確定要素はいつだって人間ダ、と。
 だから、おれは信じている。
 きっと、おれたちが地球に行ける日は来るし、人類も、月面都市も滅びはしない。アンドロイドは人間と共に生き続ける。
 そして、いつか――いつかきっと、ミトは目覚める。
 おれは信じている。
 ゼロではない可能性を、ずっと。
 信じ続ける。