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XVIII

 それから数日間、おれはせっせと街に繰り出してはいろんなやつと話をした。無論、地球への移住に関することが話題の中心だ。中には茶化して話にならないようなやつもいた――そういうやつに時間を割くことはしない。そいつの生き方に、おれは干渉する気はない。だが、大多数の人間はそうではなかった。このままリンビックでアウト・スカートとして生きることに不満を持ち、地球を新天地と考えて期待を抱くもの。あるいは、見知らぬ土地に移住することへの不安を口にするもの。シック・スカルドの意向を気にするもの。唐突な地球側の申し出に不信を持つもの。皆自分なりに考え、悩んでいた。
 無論、ちょっとばかり話をしたからといって何かが変わるわけではない。期待は期待のまま、不安は不安のまま、不信は不信のままかもしれない。そうだとしても、口に出して他人と共有することは決して無意味だとは思えない。あれこれ議論――というほどの議論でもないが――した後、どいつも少しばかりすっきりした顔になる。たとえ何も解決されないとしても、自分の話をして、相手の話を聞くことにはそれだけの効果があるのだろう。
 おれたちは今まであまりにもばらばらだった。それはシック・スカルドがそう仕向けたことかもしれないが、それにしたってあまりに為されるがままだった。フィラーどもはともかくとしても、アウト・スカート同士、何の結束もそこにはなかった。助け合うとか、譲り合うとか、話し合うとか――そういったこととあまりに無縁だったのだ、おれたちは。
 だから、何かとおれに話し掛けてくるノーラのような存在は特殊だったし、エマが彼女に拾われたのは本当に幸運なことだったと思う。子供がひとりきりでふらふらしていたって、見て見ぬふりするやつの方がずっと多いだろうから――正直に言えば、もしかするとおれだってそちら側の人間だったかもしれない。今となってはぞっとする仮定だが。

 さて実際にミトらが――いや、もはやインク主導といったほうがいいのかもしれないが――地球に移住するものを募集したとして、実際どの程度の人間が名乗りを上げるだろうか。誰も行かない、ということはきっとないだろう。だが前回の交渉で、シック・スカルドは条件をつけていた。プリオンについてのリスクを十分説明したうえで、それでもチャレンジする意志のあるものに限ること。万が一地球上でプリオンを発症してしまった場合は、救命のためにサイボーグ化の施術を受けさせること。希望に応じて月面への帰還を許すこと。月面と連絡の取れる状況下に置くこと。
 彼らがその条件を飲むだろうか。サイボーグ化施術は受けさせるに違いないけれど、月面との連絡やこちら側への帰還は――むしろ、サイボーグ化施術前のプリオン発症者を月面に侵入させられて感染が広がったら……そうなったらここは終わりだ。すべては地球側の人工知能の思うままになってしまう。まあ、生殖細胞を守るためにそこまではしないかもしれないけれど。
「…………」
 おれはまだ、シック・スカルドにインクの思惑を話していない。話すべきなのかどうなのか、よくわからない。うまく伝えられるかどうか、そもそもたったひとりのアウト・スカートに過ぎないおれの話を信じてくれるのかどうか。それに、かつてはあんなに反抗しておいて、結局シック・スカルドを頼るのかというちっぽけなプライド。それらがぐるぐるとおれの頭を巡って、どうにも結論が出なかった。
 ミトらは二回目の交渉を既にシック・スカルドとおこなったのだろうか――気にはなっていたが、おれは例のブラックボックスを訪ねようとはしなかった。それもよくわからない、意地のようなものだったかもしれない。
 だが、その意地をあっさりと覆してくれたのは――やはりシック・スカルドそれ自身であった。

  〇

 それはまた、前触れもなくおれの部屋に現れた。半球の頭に円筒形の胴、細い手足。床に寝転がっていたおれを見下ろし、たった一言声を出す。
「来イ」
「は?」
 おれはそれを見上げたままぽかんと口を開けた。
「なんで?」
「用があるからダ」
「来い……ってこの前の場所にか」
「そうダ」
 おれは体を起こして床に座り、そいつを見上げる。この前会った個体と同じやつかどうかはわからないが、どうせ意識は――人工知能に「意識」というものがあるのかどうかは知らないが――共有しているのだろう。
 おれは顔を顰める。
「何の用だよ……ここじゃ駄目か」
「ここでは駄目ダ」
「なんで」
「彼らが来ル」
「彼ら?」
 鸚鵡返しに聞き返しつつも、おれは察していた。この場合の「彼ら」という言葉が指すものはひとつしかない。
「あいつらが……?」
「そうダ。地球人たちが来ル」
「…………」
 おれは少し黙り込んだあと、ぼそりと言った。
「なんで、わざわざおれを呼びに来た?」
「交渉には人間が必要だと判断しタ」
 シック・スカルドは即座に返答する。いつもながら、その言葉に迷いは一切ない。
「人間が?」
「そうダ。おまえには月面人類の立場で交渉に立ち会うことを求めル」
「なんで、おれなんだよ」
「おまえが最初にあの地球人たちと接触したのだろウ? 彼らのことを一番よく知っているのはおまえダ」
「……そりゃ全部たまたまだ」
 漏れ出した声は、自分でも意外に思ったほど弱々しいものだった。
「別に、あいつらはおれを選んで声を掛けてきたわけじゃない……たまたま場末の賭場でひとり、馬鹿な理由で撃たれて瀕死だったのがおれだった、それだけのことだ」
 そう――別におれでなければならない理由などどこにもなかった。他にもっと適任者はいるはずなのだ。頭の回る、知恵を持ったやつが。
「なんか、他にいないのか。良さそうなやつは」
 投げやりに尋ねると、シック・スカルドはわずかに首を回した――ひとでいう、首を傾げたというやつなのかもしれない。
「おまえ以上の適任はいなイ」
「…………」
 多分、おれのいう意味は伝わっていなさそうだ。まあ、おれもここまで来た以上肝を据えた方がいいのかもしれない。
「……わかった。行くのはいいが、先に話しておきたいことがある」
「ふム」
 おれは一度大きく深呼吸した後、覚悟を決めて口を開いた。
「数日前、ミトとインクがここに来た――」

 おれは語った。
 ミトの語った、もうひとつの地球の危機――サイボーグ化された人類が脳の寿命を迎えた後、補佐役であったはずのアンドロイドの人工知能により、その肉体は乗っ取られてしまうということ。そして、その後に明らかになった、人工知能たちの本当の思惑。
 シック・スカルドはただ黙って耳を傾けていた。当然表情も全く変わらないから、こいつが今何を考えているのかはわからない。こいつにおれの感じた焦燥や絶望が伝わっているのかどうか。わからない。
 それでもおれは話すしかない。そうやってしか、こいつに伝える方法はないからだ。
 口の中がからからになりながらも、何とか語り終えて――そして、おれは口を閉じた。
 一体これを聞いてこいつは何をどう考えるのか、どう判断するのか。想像もつかなかった。
「…………」
 シック・スカルドはそのまましばらく身じろぎもしなかった。
 おれが口渇に耐えかねて水を一気に飲み干したあと、それはようやく音声を発する。
「われわれの使命は、月面人類の維持――」
「ああ、そういやそんなこと言ってたな」
「それが人類として系譜を維持するこト――どのような形であっても、その種を保存することであると解釈するのならバ」
 シック・スカルドは訥々と語る。
「現時点では、そのアンドロイドに従うのが確実と推測されル」
「はァ?」
 おれは思わず大声を上げた。
「おまえ、自分が何言ってるかわかってんのか」
「当然ダ」
「あいつの言う通りにするって……? じゃあ、おれたちはみんなサイボーグ化されていずれ人工知能に乗っ取られ、月面都市はおまえが管理してる生殖細胞を使った人間の生産工場になるってことかよ。それが最善だってお前は言うのか」
「最善かどうか、ではなイ。人類という種の保存には確実だ、と言っていル」
「言葉遊びはどうだっていいんだよ!」
 襟首をひっつかもうとして、しかしシック・スカルドにそのようなものはない。
 激昂するおれを前に、シック・スカルドはあくまで冷静だった。
「では、他の選択肢を説明しよウ」
 すらすらと、決まりきった口上を述べるようによどみなく語る。
「問答無用で地球側と交渉を断ちきった場合。月面都市は遠からず崩壊、月面人類は滅亡。また、地球側でも子孫は残せず、アンドロイドのみが残ル」
「…………」
「では、交渉によってアンドロイドによる月面人類のサイボーグ化計画を阻止することはできるか、否カ。――否ダ。月面人類の生殖細胞を欲しているのは地球人類側であって、実はアンドロイドにとってさほど重要なことではなイ。サイボーグ化した人類が増えればアンドロイドの個体数も増やすことができるから、できれば増やしたいところではあるだろうが、たとえ増やせなかったとしてもさほどダメージはなイ。さらに、現在の地球人はアンドロイドの手中にある人質も同然であル。地球人類はアンドロイドのサポートなしには生きられないらしいからナ」
 紡がれるその言葉が、おれを完膚なきまでに打ちのめす。
「…………」
「さあ、どうすル?」
「…………」
 おれは奥歯がぎりぎりと鳴るほど噛み締めた。おれを満たす怒りは、この目の前の鉄面皮――シック・スカルドに対してのものと、そしてもうひとつ。自分に対してのものだった。
 おれはこの期に及んでどこかで期待していたのだ。シック・スカルドにすべてを話せば、何かしら打開策を用意してくれるのではないかと。何とかしてあのアンドロイドを出し抜いて、おれたちに利する結果を導いてくれるのではないかと。
 まったく――この期に及んで、だ。
 だからこそ、シック・スカルドに話すことを避けていた。怖かったから、それが本当の理由だった。もしおれの期待通りにならなかったなら、もはや人類には後がないことを知っていたから。いくらおれたちが街で気勢をあげようが、議論を尽くそうが、そんなものは結局何の役にも立ちはしないことを、うすうす勘付いていたから。
「……確かに、インクの言う通りにしたら人類は滅亡しなくて済むのかもしれない」
 おれは拳を握り締め、絞り出すように言葉を口にした。
「けどよ……アンドロイドのために殖やされて、サイボーグにされて、それって生きてるって言えるのかよ。それは、本当に人間として生きてるって言えるのかよ……!」
 それでは、かつて地球で人間に飼育されていた獣、「家畜」同様ではないか。アンドロイドの「家畜」に身を落としてまで、それは生きていると本当に言えるのか。
 おれはフィラーのように、シック・スカルドに飼われるみたいな生き方はごめんだと思っていた。だからアウト・スカートになった。たとえシック・スカルドの掌の上から逃がれられなくとも、少なくともおれはおれ自身が納得した生き方をしているつもりだった。それすらも不可能になってしまうというのか。この肉体をもアンドロイドに奪われ、サイボーグ化されて……?
 思い浮かべただけでも、それはまさしく絶望だった。
「おまえとわれわれでは、『生きる』ことの定義が異なっているようダ」
 シック・スカルドはおれの怒りになど全く無頓着だった。
「だが、滅びてしまえばどのような生き方もできなイ。それならば、今は少なくともアンドロイドの言うがままに種を繋ぐのが得策なのではないカ?」
「いずれ、何とかしてアンドロイドを出し抜け、倒せっていうのか」
 そんなことが可能なのか。おれはシック・スカルドを睨む。
「可能性は低いが、ゼロではなイ」
「適当なことを……!」
「ゼロではない、といえバ」
 不意に、シック・スカルドはおれの言葉を遮った。
「今も同じかもしれなイ」
「なに?」
 おれは息を呑んだ。
「可能性は、ゼロではなイ――アンドロイドを出し抜ける可能性は、ナ」
「本当か?」
 勢い込むおれに、シック・スカルドはあくまで平静だった。
「不確定要素はいつだって同ジ――人間ダ」
「…………」
 人間。
 その言葉を聞いて脳裏に浮かんだのは、他の誰でもない――ミトの姿だった。