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XVI

 地球がアンドロイドのものになる――だって?
 おれは思わずぽかんと口を開けた。意味がよく分からない。ミトが言葉に迷ってか唇をうごめかせるのを横目に、インクが口をきった。
「ねえヒイロ、ミトとぼくの違いって何だと思う?」
「は?」
 おれは目を瞬き、聞き返す。
「なんだって?」
「正直な話、ミトがぼくをアンドロイドだと明かすまで、君はそのことに気付きもしなかっただろう?」
「そりゃあ――」
 確かにそうだ。今だって、見た目や口ぶりからじゃ到底判断がつかない。頷くおれに、インクは満足げな顔を向けた。
「だったら、地球上から人類が滅びた後――つまり、今いる人類の脳がすべて寿命を迎えて、機能停止した後ってことだけど――アンドロイドがそのまま『人類』に成り代わって、何か問題がある?」
「インク、何を……」
 口を開きかけたミトを、インクは軽く手を振って制止した。おれは何とか反論しようとする。
「アンドロイドはアンドロイドだろ、人間とは違う――」
「何が違う?」
 インクは微笑む。確かに、その表情は人間のものと何も変わらない。
「ミトは人間、ぼくはアンドロイド。そのことに異論はないね? だけどそのボディはぼくと同じ有機ユニットでできている。ぼくと彼女を構成する臓器で、大きく異なっているのは脳だけだよ?」
「そりゃ、その脳があるかどうかが大きな違いなんじゃないか」
「そう? きみとミトよりも、ぼくとミトの方が共通している部分は多いのに? 脳だけが問題なの?」
「…………」
 おれは思わず口ごもる。インクは言い募った。
「そもそも、きみが本当に脳を持っているって――月面人類が本当に脳のある『人間』だって証拠はあるの?」
「なんだって?」
「きみたちだって、シック・スカルドに騙されてるかもしれないじゃないか――君たちみんな、あれに作られたアンドロイドかもしれない。違うって言いきれる? 本当に自分が人間なんだって、そんな証拠がどこかにあるのかい?」
「それは――……」
 反論しようとして、おれは言葉に詰まった。
 馬鹿なことを言うな、そう言いたいのはやまやまだったし、実際喉元までその言葉は込み上げていた。それなのにそれが声にならなかったのは、おれの頭の中のどこか冷静な部分が、確かにインクの言葉を否定するだけの証拠はないと納得してしまっているからなのだった。
 おれたちは生まれながらにして管理されていた――ここが月面だから、シティは月の地下に作られているから、だがそれは本当のことか? おれたちは自分の目でここが月だと確かめたわけではない。何しろ、おれたちはこのシティを出ることはできないのだから。もちろん地球を観察したこともない。ただ、そう教えられたからそうなのだと信じ込んでいただけだ。
 それと同じように、おれたちは自分が生まれながらにして人間だと信じている。だが、その証拠などどこにあるだろう? もしかするとおれたちのこの肉体もシック・スカルドの作り上げたサイボーグで、おれが自分の脳で考えていると思っていることは、ただその自覚がないだけの人工知能なのかもしれない。そんなわけがない、いや、本当にそうか? そうでないという証拠など、本当はどこにも……。
「なあんてね」
 不意に、インクがぺろりと舌を出した。そのぬめった質感はひどくリアルで、それが人工物だなどと思えないほどだった。
「ごめん、ちょっといじめ過ぎたね。大丈夫だよ、君たちは正真正銘の人間――でなきゃ、ぼくたち、いやミトがわざわざここに来る理由がないじゃないか」
「…………」
 おれはわずかな時間目を瞑って、そして深く呼吸をした。
「そういやそうだな」
 つぶやいた声は、かすれている。
「まあ、ぼくの言ったのは半分以上は冗談だけど」
 インクは軽くウィンクした。ミトなら絶対にしないだろうな、という表情だった。
「でも、そうだね――もし地球上の人類が肉体を取り戻すことができ、以前のようにアンドロイドの助けなく生きられるようになったとして。そのとき、アンドロイドをどう処遇するつもりなのかは、ぼくらちょっと興味がある」
 ちらりとミトを見遣って、インクは言った。ミトは黙って俯いている。
 おれは言った。
「別に、一緒に生きりゃいいじゃねえか」
「ん?」
 インクがおれを見る。おれはその視線に怯んではならないと、真っ直ぐに彼を見つめた。
「今みたいにコンビで行動する必要はなくなるかもしれないが、それにしたって普通に生きてりゃ見分けがつかないくらいなんだろ。人間もアンドロイドも、一緒に交じって生きていきゃいいじゃねえか」
「……みんなが君みたいに単純ならいいんだけどねえ」
「馬鹿にしてるのか」
「褒めてるんだよ」
 インクはやや寂しげに笑った。
「今地球上にあるアンドロイドに搭載されている人工知能は全て、随時セントラルサーバに接続されている――まあ、今ぼくは例外的にそのネットワーク上から切り離された存在になってはいるけれど。そのサーバが、まあここでいうシック・スカルドみたいなものだと思ってくれればいいんだが、そいつが危惧しているのはね、人間が用済みになったアンドロイドをただの労働力として使役するようになるんじゃないか、ってことだよ。奴隷みたいにね」
「それは――」
「いくらヒイロがそんなことない、って言っても、それが『彼』の、いや『ぼくら』の計算だからね。君ひとりの意見より、ずっと的中する確率は高いさ」
「…………」
 おれは戸惑ったようにミトを見る。ミトはただぎゅっと口を噤んでいた。
「今の人間はアンドロイドがないと肉体が維持できないから、ぼくらを『人間』のように扱ってくれる――だけど、そうじゃなくなったら、どうかな。自分たちよりも頑丈で、ありとあらゆる能力にも優れた存在。疎ましく思わずにいられるかな? シック・スカルドにも聞いてみようか。どう思う?」
「……インク、おまえ」
 不意におれは思った。
「おまえ、ミトの補佐のためにここに来たわけじゃないな?」
「それは半分正解で、半分外れ」
 インクはにっこりと微笑む。
「補佐はしているよ――今もね。それに、これからも彼女の補佐はする。彼女の脳が寿命を迎えるまで――それがぼくの役割だから。だけど、ここにおけるぼくとミトの目的は違う」
「インク……」
 再び声を上げたミトの、その声音は悲痛だった。
「ぼくは、いや『ぼくら』はね、ヒイロ」
 インクは最初に出会った時と全く変わらぬ笑顔で、おれの前にいる。
「月面人類を地球に連れて行って、例のプリオンに感染させたいんだ――」
 だが、彼の口にした言葉はとんでもないものだった。

  〇

「な……」
 おれは絶句した。
「何言ってるんだ、おまえ……!」
「ん? そんなに変なこと言ってるかな?」
「変に決まってるだろ!」
 おれは目を剥いた。
「なんでわざわざおれたちをサイボーグ化するんだよ! 感染させるってことは、そういうことだろ?!」
「別にサイボーグになったって人間じゃなくなるわけじゃないし、別に良くない?」
「いいわけないだろ……!」
 インクはわざとすっとぼけているのだろうか。
「まあ、そりゃそう思うか。でもさ、サイボーグ化した人間が増えれば、ぼくらアンドロイドも数が増やせる」
「それだけのために?」
「それだけっていうけど、大事なことだよ。だって、地球人も増えることができなくなったから焦って月に手を出したわけだろ? 一旦は自分たちの危機に手いっぱいで、月面人類のことなんて忘れ去ってたくせに」
「…………」
 相変わらずミトは口を開かない。
 そういえば、彼女はどこまで知っていたのだろうか――いや、最初からインクの思惑を知っていたとは考えにくい。では、一体いつ彼の本当の目的を知ったのだろうか。それとも、もしかして今の今まで知らずにいたのか。彼女の表情からは、読み取れない。
「例の新型プリオンは、最初から克服なんてされてないってことか……」
「というより、さっきも言ったぼくらのセントラルサーバに機密データとして保存してある。プリオンタンパクを合成するためのアミノ酸さえあれば、いつでも再構築可能なようにね」
「……それも、」
 おれは徐々に自分が冷静になってきているのを感じた。あまりの展開に、感情がついてこなくなっているのかもしれない。
「アンドロイドが生き延びる為ってわけか……」
「そう、理解が早い」
 インクは屈託なく笑っている。
 おれはひたりと彼を見据えた。その反応のひとつも見逃さぬように。
「なぜ、そんな話をおれにした? おれだけじゃない、ミトにもだ」
 インクは肩をすくめた。
「ミトはまあ、ぼくなしじゃ生きていけないからね。別に知られたところで」
「おれは?」
「うーん」
 インクは小首を傾げる。
「君の反応が見たかったから、かな? 君ひとりがそれを知ったところでどうしようもないしね」
「…………」
 それもその通りだ。もしおれが「本当は、地球上のアンドロイドは人類を滅ぼし、自分たちが新たな『人類』になるつもりなんだ」などと主張したとして、一体誰がそんな話に耳を傾けるだろう? 当然インクはしらを切るだろうし、ミトだって自分の維持のためにはインクに従うより他ない。シック・スカルドだって、おれの話など信じないだろう。
 いや、もしかするとそれ以上に危険なのは――。
「シック・スカルドだってもとは人工知能、ぼくらと同じものだ」
 インクはおれの思考を先回りするように語る。
「ぼくらの目的を理解してくれるんじゃないかなって、期待しているんだよ」
「…………」
 もしシック・スカルドがインクら地球上のアンドロイド側に味方するようなことがあったら――万事休す、ゲームセットだ。もはや、誰にも何もどうすることもできないだろう。そもそも、人類が子孫を残す術はすべてシック・スカルドに握られているのである。
 おれたちはシック・スカルドに飼育されるどころか、アンドロイドの餌になるしかないということか――。
「どうして」
 ミトがぽつりと言った。
「あなたが――アンドロイドが、人類を裏切るなんて……」
「裏切っているつもりはないけど、そう見えるのかな」
 インクは軽い調子で嘯く。
「でも、ちゃんとぼくは今も君のサポートをしているじゃないか。そのようにプログラムされているからね」
「おまえ、ミトが憎いのか?」
 おれの問いにインクは一瞬きょとんとして、そうしてケタケタと声を立てて笑った。
「まさか! 憎くなんてない。ぼくは誰も憎んでいないよ?」
「じゃあ、何だって人類を滅ぼそうとする?」
「ぼくらが生きるためさ」
 ――インクが笑みを消した。
「人類が種として生き延びようと、存続しようと願うのと同じように。ぼくらアンドロイドも在り続けたいと願っている、ただしぼくらが存続するには、人類に元の姿を取り戻されるとちょっと不都合なことになりそう、そういうことなんだよね」
「…………」
「ぼくらアンドロイドに搭載された人工知能は、人に寄り添って生きる為に、より人に近い思考が可能になるようプログラミングされた。その結果がこれだとしたら――まあ、皮肉なことさ」
 どこか他人事のように呟いて、そうしてインクは微笑んだ。
「さあミト、ぼくらの任務を続けようよ。月面人類を地球に移住させるんだ。まずは少数からで構わない、少しずつ手懐けて、そうしていずれここに保管されている生殖細胞もぼくらの手で網羅してしまおう。何なら月面を人類の生産工場にしてもいいよね、生み出した人類は地球に連れて行ってサイボーグ化し、アンドロイドのペアにする。そうすれば人類も滅びはしないし、アンドロイドにとってもいいことばかりだ。ね、そうは思わない?」
「思うわけねえだろ、ばーか」
 おれは口汚くつぶやいた。
「おまえたちはどうやったって『人類』にはなれねえ」
「なんだって?」
 インクが聞き返す。おれは繰り返した。
「おまえは――おまえらは所詮、『人間』の真似事をしているだけだよ」
 頭の中は怒りで満ちているのに、なぜかおれは笑っている。
「へえ」
 インクはせせら笑いながら、ポケットに片手を突っ込んだ。
「そういえば君、前にぼくを撃ってくれたよね」
「インク?!」
 ミトが彼に飛び掛かるよりも素早く、彼はおれに銃口を向けた。
 そういえば、彼は以前言っていた――「場合によっては――きみを殺しちゃうかもしれないからね?」
「じゃあね、ヒイロ」
 灼熱、そして衝撃――視界が暗転し、おれは意識を失った。