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XV

 結局、おれはリンビックの自室に戻ることにした。あの息の詰まるシック・スカルドのところにずっといるつもりはなかったし、そもそもセントロメアにおれの居場所があるはずもない。ミトたちがおれのところに来るかもしれない、とも考えたが、来たからと言ってどうということはないだろう――おれをどうこうしたって、彼らには何の得にもなりはしない。その点については、シック・スカルドのお墨付きでもある。
「しばらく、先方の出方を待ツ」
 シック・スカルドはそう言った。
「リンビックで広がってる噂についてはどうするつもりだ?」
 尋ねてはみたものの、なんとなく彼らの回答は予想できるような気がした。果たして、
「対処する必要はなイ」
 と一言。
「あ、そう……」
 おれはふと思いついて言った。
「リンビックの人間がどうなろうが、おまえは興味がないのかと思っていたよ」
「リンビックもまた、このシティの維持に必要なシステムの一部ダ」
 シック・スカルドは当たり前のようにそう言った。
「われわれは、無駄なものは作らなイ」
「ふん、どうだか」
 毒づくおれだが、何となくそうなのだろうな、という気はしていた。多分この人工知能は、人間の中に一定の割合でセントロメアのシステムに馴染めないものがいるであろうこと、しかしそれらをすべて切り捨てると月面での人口維持等、シティの継続が難しくなることなどを考慮した上で、リンビックといういわば受け皿を用意しておいたというわけなのだろう。結局のところ、おれたちはどこまで行ってもシック・スカルドの――あるいはマナクの――掌の上なのだ。人工知能の掌、というのも妙な表現ではあるけれど。
「おまえに用があるときはどうすればいい」
「セントロメアとリンビックとの境界線上に立テ。迎えをやル」
「わかった」
 おれはシック・スカルドの後についてその建物から出た。多分来た道をそのまま戻ったのだろうが、そんなものおれはとっくに忘れていた。外に出て振り返ると、そこには窓のない白い立方体が聳え立っている。
「きっと、地球人たちはおまえに接触してくル」
 シック・スカルドは言った。
「この交渉の鍵を握るのは、人間であるおまえなのかもしれないナ――」
 それが計算により導き出されたものなのか、それとも単なる推測に過ぎないものなのか。おれは聞かなかったふりをして、その場を後にした。

  〇

 帰宅して間もなく、ノーラが部屋を訪ねてきた。おれがいると知ってか、ほっと安堵の色を浮かべる。
「全く、変なこと言って出かけたから心配したわよ」
 今日はエマを連れておらず、どうやら留守番させてきたらしい。
「すまん」
 おれは短く謝罪する。心配かけたのは事実だろうし、そもそも誰かに心配してもらえるということはありがたいことだと思う。特に、おれのように孤独なものは。
「で? どこに行ってたかも言うつもりはないんでしょうね、きっと」
 拗ねたように唇を尖らせる彼女に、おれは苦笑する。
「いずれ言う」
「本当?」
「ああ」
「……どうだか」
 ノーラは言って肩をすくめた。
「あんまり危ない橋を渡る様な真似はして欲しくないんだけどね」
「別に、危ない真似はしていないつもりだが」
「そうかしら」
 じっとりとした視線で睨まれる。
「ま、ヒイロの自由なんだけどさ」
「なんか、すまん」
 どうも今日は彼女に謝ってばかりだ。
「そうそう、出掛ける前に聞かれたことだけど」
 ノーラが不意に話を変えた。多分、おれがぴんと来ない顔をしたからだろう、言葉を足す。
「ほら、地球に移住したいかどうか――ってやつ」
「ああ」
 おれは頷く。あの時、まだおれは地球人たちが隠していたこと――つまり、このままでは地球上の人類が滅びてしまうということ――を知らなかったし、ノーラはそれを今も知らない。ああ、それからもうひとつ、この”月面都市”が限界に近付いているということも、彼女はやはり知らないのだ。
「第一陣は、遠慮しておきたいわ」
 何も知らないノーラは、そう言って笑った。
「エマのためにもね。もし行くとしても、最初に移住した人たちがうまくいってからよ」
「その、最初に行く人間ってのが問題なんだろうな……きっと」
 おれは独り言のようにつぶやく。何にせよ先陣をきるものにはリスクがつきものだが、今回の場合は一際スケールが大きい。
「シック・スカルドが選び出すんじゃないの」
 何の気なしに言われたノーラのその言葉に、おれはぴくりと自分の唇の端がひきつるのを感じた。
「いや。決めるのはおれたち自身でなきゃだめだ」
「ヒイロ?」
 不思議そうに見つめるノーラから目を反らし、おれは言う。
「そうでなきゃ――おれたちは一生、誰かに飼育され続けちまう」
 飼い主がシック・スカルドから地球人に代わるだけ、そんなのはまっぴらだ。
 おれはノーラに向き直った。意識して笑顔を浮かべる。
「もう遅い、帰ってやれよ。エマが待ってるだろ」
「え、ええ」
 ノーラは、ドアの前でくるりと振り返った。心配そうな瞳でおれを見る。
「あなた、何をしようとしているの……?」
「…………」
 おれは答えなかった。答えられなかったのだ。おれ自身、自分が何をどうしようとしているのか、何もわからないのだから――。

  〇

 地球人たちがおれのもとを訪れたのは、翌日になってからのことだった。やはり来たか、とおれは驚きもなく彼らを出迎える。相変わらずミトは陰気な無表情だったし、インクは軽佻浮薄にへらへらとしていた。
「よう」
 軽い調子で片手を挙げたおれに、ミトはやや眉を寄せた。おれの反応が思ったものと違ったのだろうか。結果的に彼らはおれに隠し事をしていた――そのことに対して怒ると思っていたのか、それとも詰られると思っていたか。だが、シック・スカルドと彼らの会話をおれが聞いていたとも限らないわけで、そのあたりの判断が彼女にはつかなかったのかもしれない。
 先に口を開いたのはインクの方だった。
「シック・スカルドの牙城に何の用があったわけ?」
 不躾にずけずけと聞いてくるが、特段不快感はない。昨日シック・スカルドを相手にしたことで、この類の発言にだいぶ慣れたような気がする。
「それをおまえらに言う必要はねえな」
 だからといって、わざわざ答えてやるかどうかは別の問題だ。
「ふうん? あんなにシック・スカルドに反感を持っているようなことを言っていたくせに」
「インク」
 からかうように言うインクを制して、ミトが口を開いた。
「あなたが彼らに拘束されていたのでなければ、それでいいのです」
 ああ、そういえば昨日そんなことも言っていたな、とおれは思い出した。どうやら、おれを少しは心配してくれていたらしい。
「別に拘束されたわけじゃねえよ」
「そう、」
 とミトは一言呟いたきり、じっと黙り込んだ。
「…………」
 おれは沈黙にじれて、少しばかり踏み込んだことを尋ねてみることにした。
「このままじゃ、地球上の人類はいずれ滅びちまうのか」
「……聞いていたのですね」
 ミトはため息混じりにつぶやく。はっきりとそうは言わなかったが、彼女のその反応は明らかにおれの問いを肯定していた。
「わたしは――いえ、わたしたちは、脳以外すべてのボディパーツをサイボーグ化した。そのことによって、皮肉なことに寿命は飛躍的に伸びました。臓器や組織はいくらでも交換がきくのだから……。でも、脳細胞の寿命は超えられない」
 わたしは何歳だと思いますか、と急に尋ねられて、おれは目を白黒させた。
「おれとあんまり変わらねえだろ……二十歳過ぎか?」
 インクがぷっと噴き出した。
「随分若く見られたものだねえミト! よかったじゃないか」
「わたしは今年、生まれてから九十五年が経ちます」
「……は?」
 おれは思わず聞き返した。
「冗談だろ」
「冗談ではない。そもそも今地球上には八十歳以下の人間は存在しません」
 インクとは対照的に、ミトはぴくりとも顔の筋肉を動かさなかった。
「パンデミックが起こった百年前、状況が判明するより先に、主に子供や新生児を冷凍睡眠(コールド・スリープ)にかけるプロジェクトが発足した。このままでは対処可能になるよりも絶滅する方が先だと、そう考えたからでしょう。実際、その考えは正しかった。わたしも十歳の時にスリープして、起きたのは十五年前です。起きて間もなく、サイボーグ化手術を受けました」
「じゃあおまえは実質二十五歳だろ」
 ミトは頷かなかった。
「脳細胞の寿命が何年あるか、知っていますか」
「……いや」
「長く見ても二百年。もっと短いひともいるでしょう。脳細胞の死は、絶対に避けられない」
「つまり、今いる人間の脳が全部死んだら……」
「ええ。次世代の人類は存在しない、ということになる」
「そのパンデミック以来、子供は生まれていないってことか」
「いろいろ試した。でも、どれひとつとしてうまくいかなかった――最後の切り札として脳細胞からのクローニングも試したけれど、分化が進み過ぎていて駄目だった」
「…………」
 正直彼女の言うことはよくわからなかったが、ようは駄目だったということなのだろう。
「なあ」
 おれはふと疑問に思って尋ねた。
「どうして最初からそういう事情を説明しなかった? 何故ひた隠しにして地球への移民の話なんて始めたんだ」
「…………」
「最初から、おれたちを騙すつもりだったからか」
「…………」
 ミトは答えない。答えないということは――図星なのだろう。おれはそう思った。
「なんで……」
「アハ、アハハハハハ!!」
 おれがぽつりと呟くと同時、不意にインクがけらけらと声を立てて笑い始めた。その異様な笑い声に、おれはぎょっとする。ミトはただ、じっと目を伏せていた。
 ひとしきり笑った後、インクはすっと表情を消した。途端、ひどく無機質な――ああ、確かにこいつは人間ではないのだと、おれは思った。日頃彼がその顔に張り付けているのは、表情のプリントされた薄い仮面に過ぎない。それを一枚剥いだその下には、ぞっとするほどの無表情が潜んでいる――いや潜んでいたんだ、いつだって。
「そりゃあ、地球上の人類が焦っているからだ。見えないタイムリミットと戦っているんだからねえ」
「タイムリミット? それは、脳の寿命……」
「それだけじゃないよね、ミト」
 インクは問い掛けるが、ミトは黙り込んで動かない。
「脳が寿命を迎えた――つまり脳死したサイボーグの素体は、どうなると思う?」
「どうなるって、そりゃあ……」
 体の持ち主である脳が死ぬんだから、死ぬんじゃないのか。
 そういうおれにインクは、ちっ、ちっ、と指を横に動かした。
「覚えてないかなあ、ミトが言ったろ」

 ――地球では、人間とアンドロイドがペアで行動するのが普通だから。

「ああ……」
 思い出しておれは頷く。そういえばそんなことも言っていた。「インクはわたしの補助用アンドロイド」なのだと。
人間(ミト)の脳が人間(ミト)の肉体を思うように動かすためには、そもそもアンドロイド(ぼく)の補佐が必要なんだけどね」
 インクは上機嫌にぺらぺらと喋る。まあ、こいつが不機嫌なところなんて想像がつかないが。
「補佐が必要な割合は、脳細胞が死滅するにしたがって年齢と共に徐々にあがっていくわけだ――たとえば若い頃は五パーセントだったとしたら、十パーセント、二十パーセント、っていうふうに」
 ――じゃあ、いよいよ脳死に至ったらどうなると思う?
 おれは眉をひそめたまま、適当なことを言った。
「百パーセントになるっていうのか……? でも、それじゃ」
「ぴんぽーん」
 インクはふざけた口調で言い、手をぱちぱちと叩く。
「大正解」
「え? ええっと、じゃあつまり……」
「ヒイロ」
 ミトがぽつりとおれの名を呼んだ。まるで何かに縋るような、祈るような、そんな口調だった。おれははっと彼女を見つめる――ミトもまた、おれを見つめていた。その澄んだ闇色の人工眼球が、おれの顔を映し込んでいる。
 その薄い唇が、ひきつるように動いた。

「このままでは、地球はアンドロイドのものになってしまう」

「…………!」
 おれは絶句する。
 その台詞を彼女の隣で聞きながら、インクはただにやにやと読めない笑みを浮かべていた。