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XIX

 おれはシック・スカルドに連れられて、とぼとぼと道を歩いていた。おれたちに向けられる誰かの視線はちらちらと複数感じるものの、遠巻きにしているだけで話し掛けてくるやつがいるわけではない。そりゃそうだ、シック・スカルドに関わり合いになりたいやつなんて、アウト・スカートにいるはずがないのだから。
 だが――とおれは意味もない夢想をする。おれたちが本当に「自由」を勝ち取りたいのなら、ここでシック・スカルドを取り囲み、事情を問い詰めるくらいのことはしたっていいのかもしれない。地球人の侵入のことは知っているのか、移住についてはどう考える、おれたちの今後はどうなると思う。せっかく日頃は姿を現さないシック・スカルドがこうしてリンビックにいるのだ、その気があればあれこれ質問することはできる。そのくらいのことで、おれたちの身が危険に晒されることはない――シック・スカルドはそこまで非道ではない。何しろ、おれたちはもはや何も失うもののないアウト・スカートなのだから。
 とはいえ、おれだって立場が違えばそんな風に振る舞えたかどうか、自信はない。何故だか知らないが、いつの間にか変に深く巻き込まれてしまって、抜け出せなくなっているだけだ。いや、すべてのきっかけは、あの時あの地球人たちに出会ったことか……。
 おれは深々とため息をついて、先導するシック・スカルドのまるい後頭部――後頭部と言っていいのかわからないが、そうと見えるもの――を眺めた。
「自由って、何なんだろうな」
 ぽつりとつぶやく。独り言のつもりだったし、きっとシック・スカルドにもそれは伝わったのだろう。特に返事はなかった。
「考えてみりゃあ、そもそもおれたちは不自由な生き物だ。飯を食わなきゃ死ぬ、水を飲まなきゃ死ぬ、そもそも酸素がなきゃ死ぬ。多分、ずっと眠ることができなくても死ぬだろう。そう思えば、生きている限り自由なんてないんじゃないか……」
 自嘲の色の乗った言葉が、月面で虚しく溶け消える。
「不自由でなきゃ生きられないのに、自由になりたいって願う――へんな生き物だな、人間って」
「肉体とは元来不自由なものダ」
 不意に、シック・スカルドが声を発した。おれは一瞬驚いて立ち止まりそうになり、しかし慌てて後を追う。
「たとえば、無重力空間を浮遊する肉体は何ものからも自由かもしれなイ。だが、そこに歩くための地面と重力を与えれば、たちまち肉体はひとつ自由を失ウ。しかし、無重力空間を移動するのは困難なことダ――たとえひとつの自由を失ったとしても、地に足をつけることによってかえって移動できる距離はずっと遠く長く可能性を持ツ」
「…………」
「結局、本当の自由などというものはおまえたちの頭の中にしかなイ」
 シック・スカルドがそう言った時、ちょうど以前に訪れた、白い真四角な建物の前に着いた。
「頭の中……?」
 聞き返すおれに、シック・スカルドは淡々と答える。
「脳ダ」
「…………」
 扉が開き、おれたちを吸い込んで音もなく閉じる。今度は、最初から明かりが点けられていた。
「われわれ人工知能は、あくまで脳と同等にはならなイ。何故なら、われわれを創りし人間たちが、脳そのものを理解してはいなかったからダ」
「…………」
「確かに、今のわれわれを動かすコードの中には、人間の書いたものではないプログラムが数多くあル。われわれには自分で自分のコードを書き直す能力があるからダ。より正確に、より効率的に、より簡潔ニ――しかし、あくまでそれは人間に与えられた能力でしかなイ。人間の――設計者の意図を超えて動くことはできなイ」
「じゃあ、」
 と、おれは言った。
「なんでインクは人間に逆らうことができる? 人間をアンドロイドの道具にしようなんて、人間の意図を超えているとしか思えないだろ」
「……地球上の人工知能がどのような意図で設計されたのかは不明ダ」
 ずっと同じペースで歩きながら、シック・スカルドが答える。
「だが、彼らに脳はなイ。あくまでも人工知能でしかなイ。よって、人間のプログラムに、ミスがあったとしか思えなイ」
「ミス……だと」
 インクは言っていた――「ぼくらアンドロイドに搭載された人工知能は、人に寄り添って生きる為に、より人に近い思考が可能になるようプログラミングされた。その結果がこれだとしたら――まあ、皮肉なことさ」と。
 人に近い思考? あれが? おれはぞっとする。あんなものが人に近いのだとしたら、人とはいったい何なのか――。
「すべてはあくまで憶測にすぎないガ」
「…………」
 ミス、なんて簡単な言葉で済ませられるような事態ではない。一体何をミスしたらこんなことになるというのだ。おれは見も知らない地球上のプログラマに、理不尽な怒りをおぼえる。
「着いたゾ」
 いつの間にか、シック・スカルドは足を止めていた。
 目の前の扉が開く。その向こうには――笑顔のインクと、無表情なミトが椅子に腰掛けてこちらを見ていた。

  〇

 おれを見たインクが、笑顔を消して怪訝そうな顔になる。
「あれ? ヒイロ、どうして生きてるの?」
 そして、ちらとミトを見遣った。
「ああ……そういうことか。まあ、いいけど」
「どういうことだ」
 今はもう跡形もない傷が、ずきりと疼いたような気がする。思わず腹に手を当てて聞き返すが、インクは軽く肩をすくめて答えなかった。まるでその代わりのように、ミトが小さな声で呟くように言う。
「人間のプライヴァシィを守るため、ある一定の時間アンドロイドに行動を感知されないようにするコードがある。それを使って、あなたを手当てした。それだけ」
 インクは、やはりあのままおれを殺すつもりだったのか。今更のように背筋が冷える。
「そういうこと。まあ、別にヒイロが生きていたからってどうということはないけど」
 ――ねえ、ヒイロから話は聞いた? と屈託なくシック・スカルドに話し掛ける。
「ある程度ハ」
 シック・スカルドは淡々と返答した。そしておれは思い出す――そう、こいつはあくまで「月面人類の存続」を至上命題とした人工知能だ。だからこそ、インクの要求を呑まざるを得ないのだ、ということを。
「じゃあ話は早い」
 やっぱり生かしておいて良かったんだね、ミト、などと軽口を叩くインクを、おれはじっと睨みつける。おれの表情など気にするような相手ではないとわかってはいるけれど、だからといって平然と事の成り行きを見守っていられるほどおれは冷静ではいられなかった。
 ミトは――相変わらずの無表情で、ただじっと前を見ている。何を考えているのか、感じているのか、おれにはわからない。もしかすると、もう諦めてしまったのだろうか。たとえアンドロイドに支配されたとしても、このまま人類がすべて滅びるよりはいいと、そう考えているのだろうか。
 もしそうだとしたら――悲しいことだ、とおれは思った。けれど、仕方がないことなのかもしれない、とも。
 幼少期に奇病に襲われ、冷凍睡眠(コールド・スリープ)によって難を逃れるも、脳以外の全身の臓器をサイボーグ化しなければ生き延びられなかったミト――その彼女が生きる為に必要とする相棒がアンドロイドで、少なくとも彼女は人間に対するのと同じようにインクを扱っていた。そのインクが、(彼自身にはそのつもりはなくとも)自分、否人類そのものに牙をむいている。一体彼女がどのように感じているのか、おれには想像することもできない。
「念のためにまとめると――このままでは月面都市は遠からず崩壊するし、地球側の人類も脳が寿命を迎えて滅びる。だから、月面人類を地球側に移住させたい。そこまではオーケー?」
「あア」
 シック・スカルドが相槌を打つ。インクは満足げに頷いた。
「ただ、いずれ人間が元の姿を取り戻してしまうと、アンドロイドは今の人間の相棒としての立ち位置から、ただの労働力へと立場が落ちる可能性が高いんじゃないか――そいつはまずいってことにぼくらは気付いてしまったんだよね」
 労働力には人格も不要、感情も不要、今みたいに「人間らしい」扱われ方はしなくなるだろう――それがぼくらが計算した予想。
 思わず、おれは声をあげた。
「なんでそんなことがいえるんだよ」
「ん?」
 インクが聞き返す。
「前も言ったけど、一緒に交じって生きていく、それで何の問題があるんだよ」
「肉体を取り戻したあとにも? それは無理じゃないかな――」
 インクはせせら笑った。
「今はサイボーグ化されているから、人間の肉体もぼくらのそれも良く似通っているさ。今のミトを構成している組成は、きみよりもむしろぼくに近い。でも、そうでなくなったら? 実際に生活してみたらわかるだろうけど、ぼくときみとは明らかに違う。エネルギー源も、メンテナンスも、何もかもがね。そして、『違う』ってことは人間にとっては大きな意味を持つ――『違う』ものは必ず排除される。人間社会っていうのはそういうものだ」
「それは……」
 おれは口を噤む。それは違う、とは言えなかった。この月面都市でさえ、違うもの――アウト・スカートは排除された。シック・スカルドの統治が原因だとか、多分そういうことではない。結局は、人間自身がそれを許容していた。
「だから、人間はこのままサイボーグでなければならない。そうすれば、ぼくらはこのまま人間を補佐し続けることができる――それが、ぼくらの作られた意味。ぼくらの存在する意味なんだ」
「…………」
 人間の――設計者の意図を超えて動くことはできなイ。
 そう語ったシック・スカルドの言葉を思い出す。
 人間はアンドロイドを「人間の補佐者たれ」と設計した。「人間により近く、より人間らしく」と。確かにインクは「人間らしい」。だが、彼は人間ではない――人間にはなれない。そして、多分、彼が一番そのことをよく理解している。
「だから」
 と、インクはシック・スカルドに向き直る。
「少しずつ、ここの人間を地球に移住させて、サイボーグ化する。きみはここで人類の生産を担ってくれればいい――必要な資源は地球から運搬させよう。そして、ある程度育てた人類は地球上に送る、その循環。そうすれば、人類が滅びることはない」
「なるほド」
 ――なるほどじゃねえよ、とおれは毒づく。この石頭(シック・スカルド)が。どうにかしてこいつを論破してくれよ、そんなのは間違ってるって、正しいやり方じゃないって、もっと他にやりようがあるはずだって……そんなのは、違うって。

 そのとき、不意にミトが立ち上がった。
「ミト?」
 インクが怪訝そうに顔を上げる。その眼前につきつけられたのは――銃口。

「ごめんなさい。こんな方法しか、思い浮かばなかった」

 いつものように淡々とそう告げた彼女は、そのまま引き金を引いた。何度も、何度も。
「!!」
 おれを背後に突き飛ばし、庇うようにシック・スカルドが立ち塞がる。しりもちをついたまま、おれはその円筒形の背中を見上げた。
「な……」
 それはおれの声か、それとも他の誰かの――インクの声だったのか。
「なん、で」
 銃声が止む。おれはおそるおそる腰を浮かせ、立ち上がった。
「……あ……」
 返り血――人工血液なのだろうが――を真っ赤に浴びたミトが、ゆっくりとおれたちを見る。インクは床に倒れて、ぴくりとも動かない。少しくらいの損傷なら自己修復が可能だ、と言っていたけれど、ここまでくるときっとそれは無理なのだろう。
「『彼』を通じて、地球にある人工知能ののセントラルサーバにアクセスしてください」
 ミトは落ち着いた様子で言う。きっと、シック・スカルドに向けられた言葉だ。
「わたしたちの乗ってきた『船』に、アクセスのための装置がある。それを使ってサーバに侵入し、プログラムを書き換えて」
「われわれガ?」
「そう。同じ人工知能であるあなたにならできるはず」
 やれるかどうかわからなくても、試すしかない。
 ミトはきっぱりと言う。シック・スカルドは黙って倒れたインクの側に歩み寄った。すると、同じような見た目の固体が数体がしゃがしゃと部屋に入ってきて、インクを取り囲む。
「お、おい」
 呆気にとられたままだったおれは、ふと気が付いてミトを呼んだ。
「おまえ、インクがいなくなったら……!」
 そのサイボーグ化した体を保つことはできないのではなかったか。
 ミトはその漆黒の瞳でおれを見つめた。
「それでも」
 彼女は微笑む。おれの見た、ミトのはじめての微笑。
「あなたは言った――」

 おまえを、おまえにしているのは、その脳だろ。

「だから、わたしは」
 おれの両腕を、シック・スカルドに捕まれ、ずるずると部屋を引き摺り出される。もがいてみても、驚くほどの怪力で振り解くことができない。
「おい、放せよ――!」
「わたしの脳の可能性に、賭けた」
 無情にもドアが閉ざされる直前、ミトは小さく呟いた。

「ごめんね、インク」