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XII

 ――ゆっくりとした足取りで、おれは歩いていく。傍から見ればただの散歩のように見えるかもしれないし、それがおれのひとつの狙いでもあった。誰かに見咎められたり、不審に思われたりすることはできるだけ避けたい。こんなところでトラブルを引き起こしている場合ではないのだ。
 見慣れた街、”月面都市(ムーン・シティ)“――いや、見慣れたというより、おれはここ以外の土地を知らない。おれだけではない、ここに生きる人間はみんなそうだ。
 雑然としていてどこか薄汚れたリンビック、そしてそれに囲まれるようにして整然と存在するセントロメア。境界にゲートなどはないが、その両者は明確に隔てられている。おれがセントロメアに立ち入るのはここを追放されて以来のことだから、もう何年になるか――。
「十年と八か月、十三日だナ」
 おれが一歩セントロメアに踏み出したところで、間近な建物の影からつい先日も見た姿がのそのそと現れた。――シック・スカルド。その虚ろな目――正確にはカメラと言った方がいいのだろうが――がおれを眺める。
「やはり来たカ」
「あ、そう」
 おれは苦笑する。自分の行動を見通されていたことに、今更驚きはなかった。
「そんなにおれは単純かねえ」
「正確には、来る可能性があると予測されていタ」
「どう違うんだよ」
「おまえが来るか、来ないカ。最終的にどちらを選ぶかは、われわれにはわからなイ。だが、来る可能性があると判断しタ。それだけのことダ」
「回りくどい言い方だな」
「それだけ、われわれはおまえを評価しているというこト」
「評価?」
 おれは思わず噴き出した。こいつの言うところの十年と八か月、あとは忘れたが、そのくらい前にこいつはおれをアウト・スカートとしてセントロメアから追放したのだ。シティの維持には不必要だと判断して――それが、評価している? 笑えない冗談のつもりか、それとも馬鹿にしているのか?
 シック・スカルドは――端末のうちのひとつにすぎないのであろうそのロボットは、おれの反応など気に留める様子もなくくるりと後ろを向いた。つやつやとした円い後頭部を見下ろすと、そこにはおれのひきつった顔がぼんやりと映っている。
「ついてこイ」
「どこへだ?」
「話があるのだろウ?」
「…………」
 それもお見通しかよ、とおれは声に出さずに毒づいた。
 おれはそれの後について歩く――あたりには全くセントロメアの住人たちの姿がない。この時間なら本来それぞれの(職種はもちろんシック・スカルドに指定されたものだ)仕事に就いていて、当然出歩いているものもいるはずなのだが、もしかするとシック・スカルドが外出を禁ずるような命令を出したのかもしれない。
 短い脚で規則的に歩みを進めるシック・スカルドを追い越してしまわぬように歩きながら、おれはふと振り返った。遠ざかる薄汚いリンビックの街並み。つい数分前まであそこにいたはずなのに、おれは既に懐かしく、帰りたいと感じずにはいられなかった。

  〇

 結局、おれは誰にも会うことなくセントロメアの中心部――通称ブラックボックスへと足を踏み入れた。そこにあったのは白い壁の、窓のない建物だった。角砂糖のように四角い。
 シック・スカルドは迷うことなくその壁の一部に向かって歩いていく。その足取りの先に扉のようなものは見えないが――。
「…………」
 シック・スカルドが壁の一部に視線を遣ると、それに反応したように小さな電子音が鳴って、ひとひとりがちょうど通れるくらいの長方形のかたちをした穴が壁に開いた。シック・スカルドは振り向くこともなくすたすたとその中に入っていく。おれも肝を据えて後を追った。ここまで来て躊躇う理由もない。毒食らわば皿まで、という古い言い伝えもあることだ、おれもそれに従おう。
 内部は真っ暗で、明かりのひとつも付いていない。背後で入り口が閉まるといよいよ何も見えなくなった。さすがのおれも立ち止まる。
「おい」
 声を掛けると、前方の足音が止まった。
「どうしタ?」
「何も見えねえんだけど」
「あア……」
 おれの訴えを了解してくれたらしく、あたりにぼんやりとした明かりが灯った。おれたちが歩いているのは狭い通路のようなところで、両脇には壁がそそり立っている――いや、よく見ると壁ではなく、何か四角い筐体が隙間なくびっちりと天井近くまで積み上げられているのか。耳を澄ませると左右の筐体から、ヴウウウン、と低い音が響いている。随分と高い位置にある天井にはライトが点々と埋め込まれていて、それがおれたちを照らしているのだった。
「なんだここは」
 答えを期待した問いではなかった。だが、先を行くシック・スカルドは律儀に答えを返してくる。
「ここにあるのはわれわれそのものダ。われわれの人工知能を稼働させる回路たチ――ひとの中枢神経回路の何倍も複雑に構成されたネットワーク、それらは今も自己修正し、改善し、修復しながら変化を続けていル」
 言っていることの半分以上はよくわからなかったが、とりあえずおれは言い返した。
「そんな重要なところにおれなんかを入れていいのかよ?」
 まあ、おれがここで暴れまわったところで、この建物やその中身にたいした傷を付けられる気はしないが。
「おまえにはわれわれと敵対する意思はなイ」
 振り向くことなく、それはそう言い放った。
「そうだろウ? だからこそ、ここに来タ」
「…………」
 おれは口を噤んだ。やっぱりこいつらは、いけすかねえ。
 シック・スカルドもまた、黙って歩き続けた。途中、おれたちは四角い箱のような乗り物に乗って、どうやらそれごと下降したようだ。さらに通路を歩くこと、数分。
 シック・スカルドの前方で扉が開いた。そこは小部屋になっていて、今までには全く見られなかったものが置かれていた――それは、数脚の椅子と、大きなテーブルだ。つまり、ここは人間が使うことを想定された部屋なのだろう。シック・スカルドに椅子やテーブルは要らない。
「座るがいイ」
 促され、おれは適当に一脚に腰を掛けた。いつの間にか、テーブルの上に水のボトルが置かれている。気が利くな、とおれは妙に感心する。
「それデ? 話があるのだろウ?」
「……話の内容くらい、お見通しなんじゃねえのかよ」
「自分で話セ。その方が良イ」
 シック・スカルドは淡々と言った。
「己の思考は己の言葉で形に成さねば、己のものにはならなイ」
「……えらそうに」
 おれはぼやきながらも、その言葉に従うことにした。――確かに、シック・スカルドに先回りされてしまうとそれが本当に自分の思っていたこととぴったり一致していなくとも、何となく言い当てられたような気分になりがちだ。それはよろしくない。
「地球人たちのこと、おまえらはどこまで知ってるんだ?」
「どこまで、とハ?」
「ええと……」
 おれは少し考えた。
「噂、については? 地球への移住がどうとかいうやつ」
「それは知っていル」
「じゃあ、彼らがサイボーグだってことは?」
「知っていル」
 その答えを聞いたおれが不思議そうな顔をしたせいだろう、シック・スカルドは言葉を追加した。
「カメラでスキャンすればすぐにわかることダ」
「カメラ?」
「シティには、われわれが情報を得るためのカメラが各所に設置されていル」
「リンビックにも?」
「例外はなイ」
「…………」
 意外だった。ひとつは、リンビックにもシック・スカルドの目はちゃんと届いていたのだということ。もうひとつは、どうやら最初からミトたちの侵入はシック・スカルドに知られていたらしいということ。おれが彼らと接触していたことも、こいつらはよくよく知っていたのだ。
「何故あいつらを泳がせた?」
「排除すべき理由がなイ」
 シック・スカルドは、まったく言い淀むことなく即座に答えを返してくる。
「あの、女。確かにサイバネティック・オーガニズ厶であるのは確実だが、ではそれが人間かどうかの判定は現時点では困難だっタ。われわれは、その判断を保留していル」
「ミトのことか」
 おれはぽつりとつぶやいた。
「そういう名前カ」
「ああ。もうひとりの――」
「人工知能搭載型サイバネティック・オーガニズ厶」
「……インクだ」
 ため息混じりに言って、おれは顔を上げた。
「おまえは、どう思っているんだ」
「何ヲ?」
「地球への、移住についてだ」
「…………」
 はじめて、シック・スカルドの返答が遅れた。
 おれは問いを重ねる。
「もし、シティの人間たちのうちの希望者を地球に連れ帰るとあいつらが言い出したら、どうする」
「希望者の数があまりに多ければ、シティの維持は困難になるだろうナ」
 少しばかりはぐらかされたような気がした。おれはさらに追及する。
「地球に行くことを、禁じたりはしないのか」
「何故?」
 シック・スカルドが逆に聞き返してきた。
「何故、われわれが人間の行動を規制するのダ?」
「いやいや、ばりばりに規制しているじゃねえか、今だって」
 呆れたようにおれが言うと、シック・スカルドはその円い頭を左右に振った。そうではない、というように。

「われわれの目的はたったひとツ。月面人類を維持するこト――何があっても、何が起きてモ」
 そう、たとえ地球側と断絶してしまったとしてモ。
「それが、われわれの作られた目的――人間が、われわれをそう作ったのだかラ」

 おれは思わず息を呑む。
「…………」
「約百年前、地球との交信が途絶しタ。われわれの試算では、一年ももたずシティは崩壊すると予測されタ。それを何とか維持するべく作り上げたのがこのシステムだっタ」
「……だから、仕方ないっていうのかよ」
 おれは低く呻いた。
「ここに自由がないのは――自分の生き方を何ひとつ選べないのは、仕方がないことだっていうのかよ」
「そうダ」
 シック・スカルドは迷うことなく肯定する。
「そうでなければ、シティは滅びていタ」
「…………」
 ――滅びた方がましだったんじゃねえの、とはさすがに言えなかった。それを言うのは、何だかこの目の前の機械に悪い気がしたのだ。それに、もしシティが滅びていたらおれもここにはいないわけだし、それはそれで困る。
 軽く咳払いをして、話を変えた。
「じゃあ、なんで地球への移住については介入しようとしねえんだよ」
「介入して欲しいのカ?」
 無機質な声が、どこか不思議そうな響きを伴って聞こえた。
「いや、だってわからないことが多すぎるだろう――何故今なのか、とか、連れ帰ってどうするつもりだ、とか、今後のこことの連絡はどうなるんだ、とか」
「ほウ」
「それに、おまえが言ったんだぞ――」

 ――人間の敵は、人間ダ。

「あいつらが人間だからって、おれたちの――シティの人間の敵じゃないとは言えないだろ?」
「その通りダ。だから警告しタ」
「じゃあ、」
「だガ」
 シック・スカルドはおれの言葉を遮った。
「その先は、おまえたち人間の問題ダ。われわれの介入する余地はなイ。そういう命令(コマンド)は、受けていなイ」
「はあ……?」
 おれは眉を吊り上げた。
「なんだよ、今までさんざん月面でおれたちを飼い殺しておいて、無責任じゃねえか」
「生き延びることはおまえたち人間の意志ダ。われわれはそれを叶えただケ」
「最初におまえたちを作った人間はそうだったかもしれんが、そいつらはもうとっくに死んでるだろうよ!」
「その通りダ」
 不意に、シック・スカルドはおれをそのうつろなカメラ・アイでじっと捕えた。今までとは違う、明らかにおれを「見つめて」いた。
「……何が、」
「われわれを作り出した人間は、もういなイ。地球という母星を失った人間たちはわれわれを”統治者(マナク)”と決め、われわれによる統治を望んだ――新しい命令(コマンド)が与えられることは、なかっタ」
命令(コマンド)……」
 おれはつぶやく。
「なるほど、そいつは人間の役割ってわけだな」
「おまえに、できるカ?」
 シック・スカルドは問う。
「われわれに、命令することができるのカ?」
「まあ、無茶な命令だったらそう言ってくれや。何でも無条件にきくほどあほじゃねえだろ?」
 おれは椅子に座ったまま足を組み、ふう、と息をついた。
 ――なるほど、そういうことか。
「おまえさんが何故おれをここまで連れてきたのか、それがようやくわかった気がするよ」
 ――こいつはこいつで、そろそろ命令(コマンド)が欲しかったというわけだ。人間の意志に基づいた、命令(コマンド)が。
「おまえはわれわれに何を望ム?」
 問われたおれは、迷うこともなく応えた。

「地球側の情報が欲しい――地球人の目的を明らかにするんだ。あいつらは何か隠してる」

 一度だけ、シック・スカルドの目が明滅した――ような気がした。
「承知しタ」