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XI

 夢を見た。
 ――そう、それは確かに夢だった。いつものように、醒めた後にしかそうと気付くことはできなかったけれど。
 おれはまだ少年の姿で、見覚えのある家の中にいた。今、おれの住む荒れた部屋とは全く違っている。窓にはやわらかな色のカーテンが掛かっていて、木目のプリントされたフローリングの上にはソファやテーブル、椅子がいずれも壁に並行、あるいは垂直に配置されている。白い壁紙にはしみひとつなく、しかもそれをそこにいる誰もが当然だとして疑わない、そういう空間なのだった。
 ――これはおれの生まれ育った家だ。セントロメアにあった、おれの家。
 おれはソファに寝そべって、ぼんやりと天井を見ていた。ソファのサイズと体の比率から考えると、夢の中のおれは八歳くらいだっただろうか。その頃には、スクールからの宿題をサボることにもたいして罪悪感は抱かなくなっていたように思う。
 スクールには”教師(ティーチャー)“という名のシック・スカルドそっくりなやつら――もちろん、見た目がという意味ではなくて――がいて、あれこれと口やかましくおれたちに物事を教えようとした。ほとんどの子供たちはそれを素直に教わっていて、おれはそれが信じられなかった。ただ勉強が嫌いだった、机にじっと座っていることに耐えられなかった、確かにその通りだ。でも、それだけじゃなくて――なんというのか、もうちょっとやりようがあったんじゃないかと今になっておれは思うのだ。
 たとえば、地球と月とは重力が違う、と習う。たしか、地球は月の六倍重力が強いのだったはず。それに、月の大気には酸素がない、だから、おれたちはシティの外には出られない――そうティーチャーは言う。おれは、なぜ、と問う。なぜ、地球は月よりも重力が強いのか。なぜ、月には酸素がないのか。なぜ、地球には酸素があるのか。尋ねると、ティーチャーたちは少し困った顔をして、「どうしてそれが知りたいのかな」と聞き返すのだ。
「”統治者(マナク)“たちはそれを教えろとは言っていないんだよ」
 そうそう、久しぶりに思い出した――シック・スカルドなんていうのはリンビックでの俗称で、本来はマナクと呼ばれていたのだ。マナク。全く、やつらには似合わない気取った名前だ。
「知りたいと思うことに理由なんかいるの」
 おれは何度となくそう言ったものだった。
「なぜ、理由もなく知りたがるんだい」
 で、堂々巡りというわけ。
 おれは次第に諦めるようになった。いくら問い掛けたって答えは得られない。だったら、聞くだけ無駄というものだ。
 それに――次第にティーチャーたちがおれに警戒するようになったのだ。それは子供のおれにとっても露骨なほどで、両親も随分心配したらしい。まあ、それはおれを心配したのか、普通ではない子供を持ってしまった自分たちを心配したのか、どちらかはわからないが――などと、今になっておれはひねくれた考えを抱いてしまうのだが。
 とにかく、この頃のおれは行き場のないふつふつとしたものを抱えながら、それでもそれをどう処理したらいいかもわからずに日々を過ごしていた。正直に言おう、何度かセントロメアを抜け出してやろうかと考えたこともあったのだ。だが、さすがにそれは行動に移せなかった。ぎりぎりのところまで行って、リンビックを眺めるだけだった。その頃のおれにとっては、リンビックは「外」の世界で、けれど憧れを抱くには少しばかり……いや、かなり汚れ過ぎていた。当たり前だ、セントロメアから零れ落ちたもの、捨てられたもの――「者」も、「物」もだ――の掃きだめがリンビックなのだから。
 子供のおれはソファの上でごろごろと転がりながら、
「つまんねーの」
 とつぶやく。それが、子供のころのおれの口癖だった。そしてそれを聞くたびに周りの大人たちはぎょっとした顔をしておれを窘めるのだった。
「何がそんなにつまらないんだい? 生きているんだから、つまらなくなんてないだろう?」
 生きている。生きているって何だろう。おれにはわからない。息をして、食って、眠って、決められたとおりに学んで、決められたとおりに働いて、毎日を過ごして、そうしていれば生きているということになるのか。
 確かに死んではいないし、それは生物にとっては大切なことなのだと思う。でも、本当にそれでいいのか――おれたちは「人間」なのに?
 おれはふと思いついて起き上がった。そこには両親がいて、ぼんやりとおれを見ている。夢の中だったからだろう、ふたりはおれの言葉を待つようにじっとしていた。
「ねえ」
 おれは問う。
「父さんたちは、地球に行きたいと思う?」
「地球に?」
 ふたりは不思議そうに聞き返して、顔を見合わせた。
「マナクは何と言うかな」
「指示があれば、そうするわ」
 当たり前のようにそう言って、頷き合う。
 ああ、やっぱり――おれはそう思うと同時に失望した。
 もしこの二人がマナクの――シック・スカルドの元を離れて地球に移り住むことになったとしても、きっと彼らは何も変わらないだろう。シック・スカルドの代わりの「指導者」を求め、そしてその言葉に従って生きていくのだろう。何の疑問も抱かず、言われたとおりに。
 ――それが、生きるということなのだと信じて。
「どうして、おまえはそうなんだろうなあ」
 不意に、父がそう言った。顔を上げると、父は寂しそうにおれを見つめている。あのとき――シック・スカルドがおれの家に来て、おれにアウト・スカート行きを命じた時と同じ顔だった。
 あのとき、ふたりは取り乱すことはなかった。もしかしたら予感があったのかもしれない。彼らの息子、ヒイロはどうやらこのままセントロメアにはいられそうにない、と。母は涙目でおれを見つめ、力強く抱きしめて――それでも彼らは一度だって「行かないで」とも「これは何かの間違いだろう」とも言わなかった。マナクがそう言うのだから仕方がないのだ、彼らにとっては。
「そうって、何のことだよ」
 おれは聞き返す。いつの間にかおれの体はおとなになっていて、ソファから手足がはみ出していた。記憶にあるよりずっと小さいソファだったらしい。
 答えたのは母だった。父とよく似た顔をして――顔だちのことではない、表情のことだ――おれを見ている。
「おまえは、わたしたちと同じようにマナクの元でここで生まれ育ったはずなのに、どうしてそんなに疑り深いのかしら」
「…………」
 おれは答えない。そんなの、おれにだってわかるはずがない。
 だけど。
「人間は、どうして月にわざわざ街を作ったんだろうな?」
 おれはつぶやく。
「どうして宇宙に出て行ったんだろう。どうして、地球を出ようと思ったんだろう」
 結果的にそれによって全人類のサイボーグ化は免れたわけだが、何もそれを見越していたというわけでもあるまい。
 シック・スカルドの教育はその答えを教えてはくれない。だが今、おれは改めてそれを不思議に思ったのだった。
「別に、誰かにそうしろと言われたわけじゃない――人類の宇宙進出は、AIの出現よりもずっと前なんだから」
 既に、おれの意識の中に両親の存在はない。夢の中の彼らはおれの邪魔をするまいとでもいうように、ただ黙って風景に溶け込み同化している。
「じゃあ、どうして――」
「それは、」
 と不意におぼえのある声が割って入った。
 おれは振り返り、その名を呼ぶ。
「……ミト」
 地球人のそのおんなはいつも通り隣にインクを従えて、決しているはずのない場所――セントロメアのおれの生家にいた。
「人間は、常に知りたいと願う生き物だから」
「知りたいと、願う」
 鸚鵡返しに繰り返す。ミトは頷いた。
「そう。ひとは常に謎を追求してきた。そうやって、科学は――いえ文明は発展した」
 農作物の出来を左右する天候、四季、治水、また家屋や墓所を建築するための測量。武具や祭具の為に土を焼き、金属を加工する技術。旅人たちは星を数え、神話と共にやがて天文学をも生み出した。そこには常に「なぜ」「どうやって」「どうして」があったのだ、と彼女は言う。その謎の答えを求めて、人は知恵を絞り、時に観察し、時に実験し、仮説を立て議論を重ねてきたのだと。
「言い換えれば、それは好奇心――ともいえるでしょう」
「好奇心……」
 おれはつぶやいた。
「好奇心、か……」
 それはこのシティに住む人々には必要のないものだ。だって、このシティのすべてはシック・スカルドが管理していて、謎の潜む余地なんてない。
 謎なんて、ここには――。
「そうかしら」
 ミトはふわりと笑った――本当の彼女は、こんな風には笑わないのに。
 そして、人差し指を伸ばしておれの胸を真っ直ぐに指す。

「謎は、ここにある」

 シック・スカルドにはきっとわからない――どうしてあなたがそう生まれついたのか。あなたが何故、このシティに生まれ育ってなお、好奇心を喪わずにいられるのか。
 ――どうして、おまえはそうなんだろうなあ。
 あの慨嘆は、きっとシック・スカルドたちのもの。
「おれのことはいい――結局、おまえたちの目的は何なんだ」
 おれはミトを睨んだ。
 しかし、彼女は黙って答えない。答えないまま、くるりと踵を返した。
「待て!」
 ソファから立ち上がり、おれは彼女を追う――いや、追おうとして、そして――目が覚めたのだった。

  〇

 シャワーを浴びて寝汗を流した後、おれはふらふらと外に出た。行き先は決まっていたが、寄るところがある。
 それにしても、夢の中のミトが言っていたことは何なんだろう。人間は常に知りたいと願う生き物だ、だと? 何故夢の中の人物が、おれの知りもしないことをぺらぺらと語るのだ。あれはいったい、何だったんだろう――。
 おれはその足でノーラの部屋を訪ねた。――結局、気を許せる友人といえる存在はこいつをおいて他にないのだ。
「どうしたの、何だか目の下に隈ができているけど」
「変な夢を見たもんでな」
「あら」
 部屋の中に、あの子供の――エマの姿はない。おれは首を傾げた。
「エマは?」
「エマなら今お昼寝中だけど?」
「……そうか」
 寂しいような、ほっとしたような、妙な心持ちだった。
 ノーラは心配そうにおれを見ている。
「本当にどうかしたの?」
「……いや」
 おれは歯切れ悪くつぶやく。
「その……もし、おまえたちにおれのせいで迷惑が掛かったなら、本当にすまん。今のうちに謝っておこうと思って」
「はあ?」
 ノーラが眉を吊り上げた。
「何言ってんの、あんた」
「そのままの意味だよ」
 おれは目を反らす。
「何をする気?」
「それは言わねえほうがいいだろ」
「でも」
「ただ、ちょっとした博打ってだけだ。あんまり分の良くない、な」
「……どういうことなのよ」
 ノーラは困惑したように繰り返す。そりゃそうだろうな、とおれは思った。思わせぶりなことばかり言って、肝心なことは話さない――やはり、ここに寄るべきではなかったのかもしれない。場合によってはきみを殺す、そう言ったインクの警告を思い出すと、到底巻き込む気にはなれない。
 だが、どうしてもおれは立ち寄りたかった。そして、話がしたかった。黙って去るような真似はしたくなかったのだ。
 ノーラはため息をついた。
「今から、どこかに行くのね?」
「ああ」
「あたしは一緒に行かない方がいいってこと?」
「そうだな」
「行き先も教えてはくれない?」
「そのつもりだ」
「そう……」
 ノーラは呟く。
「あんたが決めたことだから、好きにすればいいわ」
「すまん」
 おれは心からそう言った。そして、ふと尋ねる。
「おまえは、地球に行きたいと思うか?」
「…………」
 ノーラは考え込むように目を伏せ、やがて首を横に振った。
「わからない。ここにこのまま居たいってわけじゃないけど、だからってあのふたりの言うままになるのはちょっと、ね」
「……わかった」
「で、あんたは?」
「おれか? おれは――」
 言葉を切り、ふう、と息をつく。
「それをはっきりさせる為に、行動するんだ」
 怪訝そうな顔でおれを見つめるノーラに、告げる。
「やつらが最初におれに声を掛けたのは偶然だったのかどうか、おれにはわからんが――ただの偶然で終わらせるつもりはないってことさ」
「……そう」
 ノーラは小さく言い、そしておもむろにおれを力強く抱きしめた――ちょうど、別れ際に母親にされたように。
「無事で帰ってきて」
 でないと、エマが寂しがって泣くから。
 おれは躊躇いがちに頷くと――その足で真っ直ぐ、リンビックとセントロメアを隔てる境界へと向かったのだった。