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 「人間の敵は、人間ダ」――シック・スカルドはその警告を残し、現れた時と同じくらい唐突に部屋を去っていった。おれはぽかんとして、その小柄な後姿を眺めているしかなかった。
 ――おれが、あいつらに利用されている……だと?
 おれはあいつらと出会ってからのことを取り留めもなく思い出す。鉄面皮という言葉がしっくり来るミトに、へらへらと軽薄そのもののインク。地球から来たと語ったふたりは、撃たれて死にかけていたおれを治療し、シティを見て回りたいと言った。動揺したおれに銃撃されてもインクは平然としたもので自分はサイボーグだなどと言い出すし、ミトは淡々とこの百年の間に地球で起こったことを説明して、おれの体を検査させてくれなどと――しかし、その時にはもう、おれには断る理由もなかったのだった。それから、喋らないエマを心配したノーラのために彼らは彼女の聴力を簡単に検査して、そして、そう、あの時だ。インクは言った。エマ、おれには幸せそうに見えるけどな――と。
 あの言葉に、きっと嘘はなかった。それはただのおれの願望かもしれないけれど、それでもそれくらい望むことは許されたっていいじゃないか。そうだろう?
 そうまで思っていながら、なぜ――おれはあいつらを信用しきれないのだろう。シック・スカルドに警告されるまでもなく、おれは心のどこかであいつらを警戒している。
 シック・スカルドはむかつく野郎だ。人間を好き勝手に監理し、監視し、まるで家畜のように扱って――だが、そうでなければおれたちは月面で生きて来られなかった、それもまた間違いないことだ。
 シック・スカルドの本体――というのが適切なのかどうかはわからないが――が“月面都市(ムーン・シティ)”建設の際に組み込まれたシステムAIだというのなら、そもそも奴らを作り出したのは人間だということになる。人間は自らの手で己を飼育させるべく奴らを設計したとでもいうのだろうか。それとも、あれは暴走しているのか。創造主である人間への叛乱なのか。それならなぜ、奴らはやっきになって月面人類を存続させようとしてきたのだろう。
 地球との連絡が途絶えた後、月面で人類を維持するのは並大抵のことではなかったはずだ。それくらいのことは奴らに教え込まれるまでもなく、頭の悪いおれにだってわかるし、おれの好かないこのシティのシステムも、人類を生き延びさせるために効率を突き詰めた結果なのだろう。そうでなければ、この百年はなかった。
 だが、誰が何と言おうが、おれはシック・スカルドが嫌いだ。あいつらはおれたちに不自由を押し付ける。
 ――それなら、シック・スカルドはおれが嫌いだろうか。AIに、そんな感情はあるのだろうか。
 インクは? シック・スカルドとは異なり、ひとと同じ見た目を持ち、ひとのように振る舞う彼は、人間のことが好きなのだろうか。それとも嫌いなのだろうか。そもそも、彼にそんな感情はないのだろうか。
 感情――ふと、無感情なミトの瞳を思い出す。だが、彼女は無感情ではないはずだ。彼女には脳があるのだから――全身が人工臓器で作られていても脳だけは人工のものではないと、彼女はそう言っていたではないか。まあ、彼女の言葉を信じれば、ではあるのだが……。
 おれは深々とため息をつく。おれがこんなところでひとり悶々と考え込んでいたところで、事態は何も変わらない。
 あいつらの本当の思惑も、そしてシック・スカルドの警告の意味もわからないまま――ただ時だけは確実に進んでいくのだった。

  〇

 あいつらが来るときはいつだって唐突だ――いや、そもそも来客というものはすべて唐突なものである。予告をしてから目の前に現れるものなど、おれは何ひとつとして知らない。
 おれの部屋に現れたミトとインクは、腹が立つほどに澄ました顔をしていた。
「やあ、ちょっとだけ久しぶり」
 にこにこと笑うインクにつられそうになり、おれは慌ててぐっと気を引き締める。そうはいくか。
「リンビックに妙な噂を広めたのはお前らか」
「噂?」
 聞き返してきたのは、ミトだ。その疑問符は、噂とは何のことかと確かめるようでもあり、ただ鸚鵡返しにしらばっくれているようでもある。おれは彼らを睨みつけた。
「ここに地球人が来ている……って、おまえらのことだろうが」
「地球人、ですか」
 ミトに言われておれははっとした。――そうだ、その呼び方はシック・スカルドのものだ。
「おかしなことを言いますね。わたしもあなたも、同じ人間だというのに」
「……話を誤魔化すな」
「誤魔化しているつもりはないけれど」
 ミトは相変わらずの鉄面皮だった。
「それに、あなたが何に怒っているのかもよくわからない。わたしたちがあなたにお願いしたのは『道案内』ですよね。そして、確かにあなたはわたしたちを案内してくれた。その後わたしたちがどう行動するのかについて、あなたを通さなければならない理由はないはず」
「ミト、言い方言い方」
 インクが苦笑する。――本当にミトが人間で、インクがそうでないのか。だんだんとおれはわからなくなる――何もかもが、よくわからない。
「おまえたちは、おれたちをどうするつもりなんだ」
「……あなたは」
 ミトはひたりとおれを見据える。
「シック・スカルドに一泡吹かせてやりたいのでしょう?」
「やつらに泡を吹くことができるのなら、の話だがな」
「それはもののたとえ」
「それくらいわかってる」
 おれは大きなため息をついた。最近ため息をついてばかりだ。昔、地球では「ため息をつくと幸福が逃げる」という言い伝えがあったそうだが、そもそもおれには逃げるほどの幸福もない。
「で? 噂通り、おれたちを地球に連れて行ってくれるのか」
「ええ、可能です」
 とミトはあっさり言った。あまりにも平然と言うものだから、一瞬意味が分からなかったくらいだ。
「へ?」
「今すぐにというわけにはいかないけれど、希望者を移動させる準備についてなら、地球側と今連絡を取りあっているところ」
「……まじか」
 おれは息を呑んだ。
 行けるのか。地球へ。未だ見も知らぬ故郷へ。
 おれの胸中に浮かんだのは希望と――それをわずかに凌駕する、不安。
 それらをあっさりと打ち消すように、ミトは続けた。
「ただ、その実現にはシック・スカルドの協力が必要」
「なんだって?」
 おれは聞き返す。シック・スカルドの協力? そんなこと、可能なわけがない。
「どうしてそう思うの」
 いつの間にか、おれは思ったことを口に出していたらしい。ミトが不思議そうに聞き返した。
「どうしてって……」
「シック・スカルドはあなたたちの希望や意見をきかないから?」
「まあ、それもある」
「それはあなたたちが月面の人間だからでは?」
「……つまり?」
「あなたの言うところの、『地球人』の言うことならどうでしょうか」
 恐らく、シック・スカルドを――システムAIを設計したのは「地球人」でしょうし。ミトはわずかに皮肉の色を滲ませて、そう言った。おれはそれに気付かないふりをする。
「そりゃ、試してみないとわからないけど」
「なので、試してみようかと」
 少なくとも、シック・スカルドは人間を積極的に害するような行動には出ないようですし――とミトは言った。確かに、あいつらは自分たちのルールに従わないおれたちアウト・スカートをリンビックに追放しこそすれ、処刑するような真似はしないし、暴力も振るうこともない。それが彼らに備わった良識のためなのかどうなのかは、おれの知るところではないが。
「ここを維持するうえでも、人口は少ない方が楽でしょう。交渉の余地はあると思いませんか?」
「まあ……」
 どうやら、ミトはここの人間全員を連れ帰るつもりはないようだ。あくまで希望者のみ、ということか。
「それならまあ、うん」
 おれは頷く。――今のところ、不審な点はないよな。おれはできるだけ慎重に思考しようと努めた。
 その時ふと、ノーラの言葉が脳裏によぎる。

 ――わざわざそれなりのリスクとコストを掛けて……。

「それはいったい、おまえたちに何の得があるんだ?」
 おれはぽつりと言った。え、とミトが振り返る。その横顔が、少しこわばっているように見えた。
 おれは繰り返す。
「そっちに――地球側には、何の得があるんだ?」
「…………」
「人間、損得だけで動く生き物じゃないよ」
 黙ったミトの背後から、インクがわかったようなことを言う――おれは思わず笑った。おまえは人間じゃないくせに。
 シック・スカルドも同じだ。人間じゃないくせに、人間を知ったような口を利く。何が、人間の敵は人間、だ。
 だが同時にこうも思った。人間でないからこそ、彼らは人間を語ることができるのかもしれない、と。
「そうかもしれないな、でもそうはいっても損得考えずにはいられないのが人間だ――そうだろ?」
「あなたは」
 ミトはわずかに首を傾げた。
「シック・スカルドを憎んでいるのではなかったの?」
「嫌いだよ。当然な」
 おれは吐き捨てる。
「だが――嫌いだってことと、信用できるかできないかってのは、また別なんだよ」
「…………」
 ミトは両目を細める。そこに映るものを見せまいとするかのように。
「あなたは、わたしたちを信用していない?」
「むしろ」
 おれは笑った。
「どうして信用されると思った?」
「同じ人間なのに」
「同じ? どこが?」
 それは何も地球人がサイボーグだからとか、そういうことではない。たとえ地球人がおれたちと同じ肉体を持っていたとしても、生まれも育ちも生き方も、何もかもが違っていて――それは百年前から何世代も異なっていたというのに――それでも同じ人間だと、どうして簡単にいえるだろう。
 おれたちはともに人間なのかもしれない。だが、同じであるかどうかはわからない。互いに異なった人間かもしれないではないか。
「…………」
 じっと睨むように見つめ合う。おれたちはふたりとも、しばらくの間互いから目を反らそうとはしなかった。そんなことをしたって、お互いの内心なんて読めるわけもないのに。
 ふう、とミトが息を吐き出した。
「あなたはここを出て、地球に帰りたいと思わないの?」
「……『帰る』、ね」
 おれは呟く。
「行ったことのないところに『帰る』なんてことが、果たしてあり得るのか?」
「言葉遊びが好きなようね」
「別にそんなもん好いちゃいないがね」
 おれは鼻で笑った。
「シック・スカルドの支配から逃れて行く先がどこだろうが、自由に生きられなくちゃ意味がないんだ。場所が地球だとか月だとか、そんなことはどうだっていいんだよ」
 窮屈なセントロメアから離れて手に入れたそこそこの自由を、地球に行くことで手放してしまうとしたら意味がないではないか。
「自由……ですか」
 ミトが鸚鵡返しにつぶやいた。
「そう。自由だ」
 おれは繰り返す。そして、ふと思いついた問いを口にした。
「ところで――地球に自由はあるんだろうな?」
「…………」
 口を噤んだミトの隣で、インクがへらりと笑う。
「ミトは嘘が下手なんだよねえ……ぼくよりよほど下手だよ」
「別に嘘をつこうとなんてしていない」
 ミトが珍しく強い口調で言い放った。
「ただ……、わからないだけ」
「わからないって、何がだよ」
「地球に、自由があるのかどうか……」
「…………」
 今度はおれが言葉を失う番だった。そういえば、おれは――おれたちは、地球の実態を何ひとつ知らない。彼らはそのことについて、何も教えてはくれていない。百年前とどこがどのように変わったのか、どのような社会で、人々はどのように生きていて、世界は平和なのか、戦争があるのか、総じて豊かなのか、それとも貧しいのか、何ひとつ知らない。そもそもミトがどの国から来たのかも――地球上に国家という枠組みが残っていれば、だが――おれは知らない。全く、呆れるほど何も知らないのだ。多分、おれだけではなく皆そうだろう。それなのに、このリンビックには地球に帰りたがっているものが少なからずいるという。それだけおれたちを覆っている閉塞感が強いということで、それはシック・スカルドのせいだとおれは思っているのだが、それにしたってさすがに浅慮に過ぎると思う。シック・スカルドの警告も無理はない。
 やがて、ミトはインクを振り返る。
「まあ、いい。ヒイロを必ず連れ帰る必要があるわけではないのだし」
「おい、それどういう」
「邪魔はしないで、ヒイロ」
 ミトはおれの目を見据え、言った。
「あなたはあなたの自由にすればいい」
「そりゃそうするけどよ、でも」
「わたしは、わたしの任務を果たす」
 ミトはきっぱりとそう言った。
「そのために、わたしはここに来たのだから」
「任務……?」
「とにかく」
 インクがおれたちの間に割って入った。
「ぼくらの邪魔しちゃだめだよ、ヒイロ」
「インク、」
「じゃないと」
 その特徴的な色の片目を瞑って、インクはにっこりと微笑んだ。
「場合によっては――きみを殺しちゃうかもしれないからね?」