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VI

 検査と称しておれの体を散々弄り回したあの日から、ミトとインクはその翌日も、翌々日も、おれの前に姿を現さなかった。おれはもう用済みってことかよ。別にあれこれ構って欲しいわけではないのだが、こうあっさり見放されるのも若干癪である。
 彼らはまだ、この“月面都市(ムーン・シティ)”にいるのだろうか。それとも、黙って地球に帰っていったのか――そもそも地球から来たということそのものも嘘だったのかもしれない。もし彼らが嘘をついているとするなら、どこからどこまでが嘘なのだろう。インクは、確かに普通の人間ではなかった。銃で撃っても血の一滴も出なかったのだ、普通ではない。だが、彼らがサイボーグだというミトらの説明が真実だという証拠も、どこにもない。百年前に地球を襲ったパンデミックの話、新型プリオンの話、サイボーグの話、アンドロイドであるインクに搭載されているという人工知能の話……どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。むしろ、全部本当なのか。全部嘘なのか。おれは馬鹿で単純だから、ミトにもっともらしい口調で説明されると、そうか、などと簡単に納得してしまったのだが、こうしてふたりと離れて思い直してみると、どうも疑わしいような気もする。そもそも彼らはどうやってここに来たのだろう。遥か過去の遺物、スペースシャトル? でもあれは片道飛行だったのではなかったっけ……ロケットだったかな? まあ、どちらでもいい。さすがにそんなもので来たわけでもないのだろうが、何故あのふたりだったのか――本当にふたりだけなのか? もしかすると、彼らは――地球上の人類は、この“月面都市”を侵略するつもりなのでは……。
 いや、それどころではない。
 おれはある可能性に思い至って息を呑む。
 彼らを送り込んできたのは、そもそも人間ではないのかもしれないのではないか。地球上から既に人類は滅亡していて、サイボーグである彼らのようなものが我が物顔にのさばっているのでは……それで、何らかの理由で“月面都市”を狙って……。
 はあ、とため息が出た。
 あれこれと考えてはみたものの、結局は答えなど出ない。おれひとりがどうこうしたところで、何も変わらない。
 おれはアウト・スカートなのだ――ひとり増えようが、減ろうが、ここではなんの影響もない。あのシック・スカルドどもによって「不要」の烙印を押された、その名の通りの外れもの(アウト・スカート)
 別に、どちらでもいい。ミトたちが悪意を持って侵略して来るのであっても、そうでなくても。彼らがシック・スカルドをやっつけてくれるのであれば、正直その他のことはどうだっていい、そう思えるくらいには、おれは奴らを好かない。さすがにそう簡単にはやっつけられないかもしれないが、それでも奴らに支配されたこの世界を引っ掻き回してくれるのなら、それはそれで十分面白そうだし――まあ、つまるところ、勝手にすればいい。おれは、そう結論付けることにしたのだった。

  〇

 ――などと勿体ぶっておいてなんだが、彼らの存在自体、本当だったのか疑わしいような気すらしていた。おれは何か、夢でも見ていたのではないか。酒とは名ばかりの安物の合成アルコールの見せた、ナンセンスな夢だったのでは……。
 しかし、おれ以外にも彼らに出逢った者がいる。ノーラだ。
 そのノーラがおれのねぐらにやってきたのは、ミトらが現れなくなって数日経った頃であった。驚いたことに、彼女は――そう、ノーラはあくまで「彼女」だ、「彼」ではない――ひとりの子供を連れていた。
 子供。
 それは、リンビックにいるはずのないものである。
 確かおれはミトたちにも説明したと思うのだが、このリンビックに子供は存在しない。子供とは、シック・スカルドたちが生産して、セントロメアに住まう(つがい)――その相手もやつらが勝手に指定してくるのだが――に寄越すものである。番にとっての性行為は、子供には結びつかない。それはそれ、これはこれ。
 ……話が逸れた。とにかく、ノーラはその、ここにいるはずのない子供を連れていた。見間違いでも、幻でもない。おれは素面で、それは確実だった。
「どうしたんだ、それ」
 ドアを開けて彼女らを招き入れたおれは、目を丸くして子供を見下ろした。年は十にもならないくらいか。衰弱した様子はないが、ひどく怯えている。ノーラの手を掴んで離さないから、彼女のことは信頼しているのだろう。
「どうしたもこうしたも……」
 ノーラは珍しく困り切った様子だった。
「どうもこの子、アウト・スカートらしいの」
「この年で?」
 おれは思わず大声を上げた。驚かせたかと慌てて子供の方を見遣るが、特に変わらずの怯えようだった。この様子では、これ以上悪くなることはなさそうである。
 成人前の人間がアウト・スカートに墜とされるなんて、滅多にないことである。一応、シック・スカルドも成人までは猶予期間と見做していて、彼らなりに矯正を試みるらしい。それなのにこんな年端もいかない子供がアウト・スカートとされるなど、一体何をしでかしたというのだ。
「そう。理由はわかんないんだけどさ。なんか、二三日前からリンビックを子供がふらふらしてるって噂が回っててね。あたしも半信半疑だったんだけど……それが今朝、ばったり会っちゃって」
「今朝?」
 おれはそのへんに転がっている時計に目を遣る。今は昼過ぎだった。そういえばまだ起きてから何も口にしていない。腹が減ったし、喉も乾いた。おれは適当に水のボトルを持ってきて、がぶがぶと飲み干した。濡れた唇を乱暴に手の甲で拭い、質問を続ける。
「それで? 何でここに連れてきたんだ?」
「……何も話さないのよ、この子」
 ノーラはそう言った。
「お腹空かしてるみたいだったから、うちに連れて帰って食事取らせて、シャワーにも入れてやったんだけどね。身振り手振りを使えばこっちの言いたいことは何となく察してはくれるけど、自分の口はきかないの」
「……どういうことだ。よくわからん」
 おれは髪を掻く。正直、寝起きの頭に混み入った話は辛い。
「口を利かないの。こっちの話もわかっているんだかどうだか」
「……で、おれにどうして欲しいんだ?」
「あたしひとりの手には負えそうにないから」
「おれだって、そんなもん」
「……この子、女の子なのよね」
 ノーラがぽつりと言った。おれは子供を見下ろす。少女は相変わらずおどおどとした様子で、それでも一応顔を上げておれを見つめた。大きくて円い、透き通った目をしていた。
「道端に放っておくわけにいかないじゃない。変な男にひどい目にあわされでもしたら……」
「おれは変な男じゃないって?」
 冗談めかしてそう問うと、ノーラは軽くおれを睨んだ。
「ええ、そうね。さすがに、ヒイロはそこまでひとでなしじゃないと信じてるわ」
「そりゃあ光栄だ」
 おれは立ち話にも疲れ、どっかと床に座り込んだ。
「まあ、とりあえずお前が様子を見てやるしかないだろ」
 ノーラは男性の肉体を持って生まれたが、その精神は女性である。今は衣服も女性のものをまとっているし表情や仕草も女性的だから、ぱっと見はずいぶん背の高い女性だなあ、といったところ。
「そのつもりよ。でもどうして話さないのか、それが気になって」
「そんなもん、おれにだってわかるかよ」
「相手を変えたら様子も変わるかと思ったんだけどねー……」
「残念だったな」
 おれは言いながらも少女に向き直った。
「おれはヒイロだ。お前の名前は?」
「…………」
 少女は困ったように眉を下げ、ノーラを見上げた。
「ね、こんな調子よ」
「名前もわからないのか……」
「そうなのよねえ」
 おれはふと思いつき、紙とペンを手に取った。
『なまえは?』
 我ながら汚い字だが、何とか読めるだろう。少女に示す。
「…………」
 少女はじっとそれを読んで、そうしておれの差し出したペンに手を伸ばした。
「あら!」
 ノーラが感嘆の声を上げる。少女は拙い字で名前と思しき単語を綴った。
「『エマ』……ね」
 おれはつぶやいた。
「とりあえず名前はわかったな」
「そうね」
 ノーラはうれしそうに笑って、エマのおかっぱをくしゃくしゃに撫でまわす。エマはエマで、嫌がる様子もなくされるがままになっていた。……たぶん、エマなりにノーラに対しては心を許しているらしい。その気持ちは、おれにも何となくわかる。わかるからこそ、寝起きでもちゃんとノーラの相手をしているのである。
「でも、何故この子がアウト・スカートになったのかはわからないわよね……」
「聞いてみるか?」
 おれがペンを翳すと、ノーラは何言ってるの、と強い口調で言った。
「そんなこと、不用意に聞いちゃ駄目よ」
「そりゃそうだ」
 おれは肩をすくめる。別に、本気で言ったわけではない。
 リンビックにいる者同士、ここに来た理由を尋ねるのはとても不躾な真似で、そういうことはしないのが暗黙のルールになっている。この前、ミトたちはいきなりノーラにそれをやらかしていたけれど。
「そういえば」
 ノーラがふと口を開いた。……嫌な予感がする。そして、それは的中した。
「あのへんな二人組は? 元気にしているの?」
「いや、どうだろうな」
 おれは口ごもった。それは今、一番聞かれたくないことだった。
「最近会ってないんだが……」
「そうなの?」
「…………」
 おれはちらりとエマを見た。
 もしかすると、彼らにならエマのしゃべらない理由がわかるかもしれない。おれをあれこれ検査した彼らなら――だが、エマを検査させるということは、ノーラにそれを了解させねばならないということで、それはつまりノーラに彼らの「素性」をある程度明かさなければならない。おれが勝手にそれを話していいのか、そもそもおれは彼らの語るその「素性」とやらを信頼しているのか。
「…………」
 黙り込んだおれを見て、ノーラは何かを察したらしい。
「……まあ、聞かないでおくわ」
「助かる」
「別に、エマが話さなくったってあたしは構わないし」
 ――筆談ができるのなら、どうにでもなるわよねえ。ノーラは明るく言って、笑う。その笑顔を見て、エマはほんの少し、微笑んだ。
 その表情に――おれは胸が痛くなる。
 なんだってこんな子供が、アウト・スカートなんだ。おれみたいな反抗的なやつはわかる。ノーラは……まあ、彼女もシック・スカルドに背いた、背くしかなかった、理由はどうあれそれは事実だ。だが、この子供は違うだろう。何故なんだ。シック・スカルドのやつ、何を考えてやがる。
 やり場のない怒りと、とめどない憐れみと。
 おれはそれらを抱えたまま、そっとエマから目を反らすことしかできなかった。

  〇

 それからさらに数日が経って――その間、ノーラは彼女なりに何とかエマを育てようとしていた。食事は、まあ小さな子供ひとり分くらい何とかなる。問題は衣服で、何しろリンビックには子供用の古着など流通しないから、彼女は器用に袖を切ったり幅を縮めたりしてやって、エマ用に仕立てていた。
 自分と部屋に閉じこもりきりじゃ良くないから、とノーラはエマを連れてたびたびおれのところにやってくる。別におれが積極的にエマと遊ぶわけでもないのだが、それはそれで構わないらしい。おれも、ひとりでいるよりは気が紛れてよかった。
 ノーラはとても楽しそうだった。エマが可愛くて仕方がないのだろう。――本当は、彼女もセントロメアで子供を育てたかったのかもしれない。でも、それは許されないことだった。シック・スカルドが、許さなかった。
 セントロメアにいるはずのエマの親であるフィラーは、今どうしているのだろうか。子供を奪われて悲しんでいるのだろうか。それとも新しくあてがわれたであろう子供をせっせと育てているのだろうか。
 おれたちは――ノーラだけではなく、何となくおれも――酒場に行くのをやめた。エマを連れて行くわけにはいかないし、おれも酒臭い状態で子供の相手をするほど馬鹿じゃない。
 その日もおれたちはおれの部屋でだらだらと過ごしていて――エマはノーラの与えた、古い絵本を読んでいた――そして、突然の来客を迎えた。
 そいつらはいつだって突然なのだ。
「やあ、ヒイロ。久しぶり?」
 にっこりと微笑む軽薄そうな青年と、その隣に影のように佇む陰気な女。
「あ、ああ」
 おれは不用意にドアを開けたことを後悔しながら、ちらりと背後に意識を遣った。さりげなくノーラが彼らの視線からエマを隠している、そのはず――だったのだが。
「あれ、子供?」
 そいつはあっさりとそう言ってのけた。そして、
「君たち、いつの間に子供ができたの?!」
「違う」
「インク、それは不可能」
「……あんたらねえ」
 ノーラは唸るようにつぶやいたが、まあいいわ、と諦めたように口にする。
「あんたたち、エマに何かしたら承知しないからね」
「承知しました」
 ミトは相変わらずの能面のような無表情でそう応じると、奥で目を丸くしているエマに軽く会釈を送ったのだった。