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V

 ――はあ、はあ、と肩で息をつく。おれは汗をびっしょりかいて、インクの胸に開いた穴を見つめた。……何も溢れぬ、虚ろな穴を。
「な、……なん、で」
 唖然とするおれに、インクは軽く肩をすくめてみせた。その身に纏うシャツには確かに穴が開いている、しかしそこから噴き出るはずの血は、少しも滲んで来ない。
「もう、びっくりするだろ?」
 まるで子供のいたずらを咎めるように言って、インクは背後を振り返る。壁には二発の銃痕。おれが外したわけではない。銃弾は、確かにインクの身体を貫通した。それなのに、何故……。
 おれははっとミトを見つめた。こいつら、化け物なのか。撃っても死なない、つまり人間ではない――?
「ヒイロ、落ち着いて」
 ミトの薄い唇が音を発した。
「わたしたちはあなたに危害を加えるつもりはありません――少し、秘密にし過ぎました。あなたを疑心暗鬼にさせてしまった」
「お、おまえら」
 情けなくも、おれの声は震えている。
「おまえらは、いったいなんなんだ……?」
「何って言われても、ねえ」
 インクが肩をすくめる。その様子は、到底痛みを感じているようには見えない。おれが動けないでいるうちに、彼はおれの手からあっさりと銃を奪い取った。危ないから、預かっとくね。インクは澄ました顔である。
 ミトはおれを見つめながら、静かに――いつだってそう、彼女は静かだが――口を開く。
「そうね……どこから説明したものか、難しいのだけれど」
 何度となく瞬く長い睫毛。
「約百年前、地球を大きな災厄が襲った。それは、末梢神経細胞の半数が壊死に陥るというもので、新種のプリオンによるものではないかと類推された」
「ぷりおん?」
「……とりあえず、病気のようなものだと思っていて」
「病気……」
 月面にだって病気はある。だが、基本的におれたちは生まれてすぐにメディ・ナノ、つまり医療用ナノマシンを埋め込まれているから、大病には掛からない。セントロメアでは定期的にメディ・ナノのメンテナンスやアップデートも行われるが、リンビックでは勿論それらは受けられない。アウト・スカートがメディ・ナノに対応しきれないような病気や怪我をした場合、もしくはメディ・ナノが何らかの原因で機能停止してしまった場合は、それが自分の寿命なのだ、と諦めるしかない。
「とにかく――その末梢型プリオンは、恐るべき速度で伝播した。感染方法も、治療法もわからないまま……多くの人々が死に至った。神経が麻痺して、呼吸筋が動かせなくなって、窒息死。地球の人口は数年のうちに半減したと言われている」
「…………」
 ミトは淡々と語るが、その内容はかなり壮絶である。おれは耐えられなくなって口を挟んだ。
「それで? でも、どうにかなったんだろ? おまえたちがここにいるってことは、なんとか克服して……」
「克服は、間に合わなかった」
 ミトは珍しく、僅かに微笑んだ。
「間に合わなかった?」
「そのプリオンは、それまでのものと違って末梢神経だけを侵す。つまり、脳はダメージを負わない。その容れ物の、肉体がだめになってしまうだけ――肉体との接続ができなくなるだけ」
「だけ、って」
「だから……人は、脳の避難場所を作った」
「避難場所?」
 おれはただひたすら鸚鵡返しに問い掛ける。思考なんて、とっくの昔に停止していた。
「そう」
 ミトは悲しむような、反対に憐れむような奇妙な表情で、それでいて口元だけはやわらかく笑みを湛えていた。軽く両手を持ち上げ、言う。
「わたしの身体は――まあ、わたしだけじゃなくて、地球上にいる人間はみんなそうなのだけど――作り物でできている」
「……へ?」
「サイバネティック・オーガニズ厶、というのはわかる? サイボーグともいう」
「何となく、な」
 昔地球から持ち込まれたというフィクションの中に、そういった存在があったような気がする。腕や足がロボットでできているとか、そういうやつだろう。
 ミトは軽く肯いた。
「生命体と人工物の融合。人工物による生命機能の代替。まあ、そんなところでしょうか」
「でしょうか、っておまえ……」
 おれはあっけに取られて呟く。
「じゃあ、なんだ、おまえの身体は人工物だっていうのかよ」
「そうね。脳以外のパーツは人工培養された有機ユニットでできている。特にわたしに使われているパーツは第七世代のものばかりだから、見た目や触感ではもう区別がつかないと思う」
「は……?」
 事態は既に、おれの理解力を大きく超えている。おれは喘ぐように口をむなしく開閉させた。
「け、けど、おまえ一応飲んだり食ったり……」
「腹部に消化吸収ユニットがある。エネルギー効率が悪いから、メイン動力炉にはできないけど」
「――インクも、なのか?」
 おれは理解を放棄した。とりあえず、こいつが撃たれても死なない理由がわかれば、それでいい。
「こいつもその、サイボーグ? ってやつなのか?」
 それにしては、彼はミトを庇うような動きを見せたが……。
「おれ?」
 インクはあっけらかんとしている。自分を撃ったおれに対して、怒りの感情は一切示していない。
「おれは違うよー」
「インクはわたしの補助用アンドロイド――つまり、人造人間。肉体は同じく有機ユニットで生成されているけれど、彼には脳がない――つまり、人工知能(エーアイ)が搭載されているというわけ」
 ――地球では、人間とアンドロイドがペアで行動するのが普通だから。
 ミトはあっさりとそう言った。
「人造人間……人工知能……」
 おれはインクをまじまじと、さっきの銃弾よりも大きな穴が開くんじゃないかというほどに見つめる。その視線を受けても、彼は全く気にする様子もなく鮮やかな二色の目をくるくると動かしていた。――この男が人間じゃない、だなんて。
「ま、あんまり気にすることないって。今まで通りにしてくれればいい」
 インクは微笑む。その表情は、今ここにいる誰よりも自然だった。
「今まで通りってったって……」
 おれはおそるおそる問い掛ける。
「さっきの弾は、大丈夫なのか」
「うん、あの程度の損傷ならオートで治せる」
「便利だな」
「わたしの場合はそうもいかないので」
 とミトが付け足した。
「脳を載せる分、どうしても肉体パーツに負荷が掛かるんです」
「でも、その脳が一番大事なんだろ」
 おれは思わずそう口に出していた。
「おまえを、おまえにしているのは、その脳だろ」
「…………」
 ミトは少しその深い色の目を見開いて、そして何か言いたげに細めた。
「……そう、だといいけど……」
「…………?」
 おれは怪訝そうに眉を寄せる。だが、ミトはそれ以上何も答えなかったし、おれも追及はしなかった。これ以上のややこしい話はまっぴらごめんだ。

 ――それにしても、とおれはひとりごちる。
 どこか無感情で無機質のように見えていたミトが、(サイボーグとはいえ)人間で、何の疑いもないほど人間らしく振舞っていたインクが、実は人間じゃなかっただなんて。

 混乱していた脳が、ふとあることに引っかかった。

 ――約百年前、地球を大きな災厄が襲った――

 おれは顔を上げる。
「待てよ」
「気付いたのかな?」
 インクがにこにこと笑いながらおれを覗き込む。おれはそれを無視して続けた。
「地球と月とが没交渉になったのも、そのくらいの時期だよな」
「察しがいい」
 ミトはまるで生徒を褒める教師のように鷹揚に頷いた。
「地球から月面と連絡が取れなくなったのは、末梢型プリオンによるパンデミック直後のこと」
 パンデミックと、シティを管理していたAIの暴走とはほぼ同時期に起こった。
「…………」
「ヒイロ。わたしたち地球側は……、」
 彼女のまなざしが、ふと和らいだ。
「月面でも同じように発症者があって、シティごと滅びてしまったのではないかとすら、考えていた――」

  〇

 ミトとインクが、ベッドの上に寝転がったおれの周りをばたばたと立ち歩いている。さっき彼らがやりたいといった検査の数々を、おれはとりあえず受けてやることにしたのだった。別に、インクを撃ってしまったからというわけでもないのだが……いや、正直なところ、少しはそれもあった。
 血液を取るといって腕に針を刺されたのは痛かったが、それも一瞬のこと。他には特に何の痛みもなかった。
 その結果を見てか、ミトが呟く。
「やはり、あなたはサイボーグではない」
「そりゃそうだろ」
 まあ、記憶にない頃に弄られていたとしたらわからないが……しかし、そもそもおれをサイボーグ化するメリットなんて誰にもない。
「なあ」
 おれはぼんやりと、低い天井を眺めながら口を開いた。
「なに?」
 聞き返してきたのは、インクの声だ。抑揚ある、感情豊かな、声――まさか、これが人間でないものの声だなんて。
「さっきの話の続きだけど……、おまえらがここに来たのって、月面でおれたち人間が生きているかどうかを確認するため、なのか?」
「……そうね」
 今度答えてきたのはミトだった。
「“月面都市(ムーン・シティ)”がどうなってしまったのかは懸案事項だったのだけど、下手に探査隊を送れば感染者を増やすだけに終わるかもしれないわけだし……地球側もパニックになっていたから、それ以上は検討できなかった」
 最近ようやく地球上から末梢型プリオンの根絶が確認できたから、ここへの探査が可能になったというわけ。
「……地球側が、見捨てたんだと思ってた」
 おれはぼそりと呟く。
「シック・スカルドの叛乱も、全部全部知っていて無視していたんだと……」
「まあ、そう考えるのも無理はないと思う。事実、わたしたちは何もしなかったわけだし」
「その、叛乱したシック・スカルドってやつのことだけど」
 インクが首を傾げながらおれを見下ろした。
「それってようは暴走したっていうシステムAIのことだよね?」
「……いや、」
 おれは首を横に振り、そしていつの間にか彼らによる検査が終わっていたことに気付いて起き上がった。言われるがままにすべて脱いであった上半身に、擦り切れたシャツを身に着ける。
「奴らは暴走なんてしていないだろ。ここを百年に渡って管理しているんだから」
 ――まあ、人間のコントロールを受け付けない、って意味では暴走しているのかもしれないが……。
「叛乱、という方がしっくり来る気がする」
「まあ、それもそうかも」
「やはり、アクセスしたい」
 ミトが呟いた。
「その、シック・スカルドと。交渉したい」
「交渉して、どうすんだよ」
 おれは言う。
「そもそも、何を交渉するんだ。……おまえたちの目的は」
 ごくり、と唾を呑む。
「一体何なんだ……?」
「…………」
 インクがミトの顔を見る。彼女は微動だにせず、じっとおれを見返していた。その瞳も多分作り物の――有機ユニットでできているとかいう、作りものの眼球なのだろう。だからかどうかはわからないが、どこか虚ろで、しかしその奥にははっきりとした意志の力がある。その、彼女の意志にこそ、彼女の存在意義があるのだろう。

 彼女は彼女の意志のために生きている。だとしたら、それはセントロメアにいるフィラーなどよりもよほど、人間だ。おれはそう思った。