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IX

 おれの予感を裏付けるように、噂はリンビックの中を風のように駆け巡った――ただの風ではない、それはもはや暴風のようだった。無論月面に暴風は吹かないから、おれの勝手なイメージではあるけれども。
 アウト・スカートたちは口々に語った。地球の人間がおれたちを解放しに来た、シック・スカルドを滅ぼしに来た、おれたちを救ってくれるのだ。
 もちろん、アウト・スカートが全員歓迎ムード一色だったわけではない。懐疑的な者も少なからずいた。本当に地球から人間が来ているのかを疑う者もいたし、彼らにシック・スカルドと敵対するつもりがあるのかどうかを疑う者、たとえそうでも、あのシック・スカルドが負けはしないだろうと言う者もいた。
 だが、「地球から来た人間」そのものを疑う声は、あまり大きくはないようだった。つまり、彼らがおれたちの味方だということ、そこには誰も疑問を持っていないようなのだ。
 正直、おれには意外だった――しかし、ある男はこう言って笑った。
「何て言ったって同じ人間だろう? シック・スカルドなんかよりよほど信用できるさ」
 と。その男は、地球から来た人間に会ったわけではないと言った。そう、大抵のアウト・スカートは実際に彼らには会っていないのだ。
 同じ人間。
 確かにそうかもしれない。おれの出会ったあの二人は――いや、インクは正確には人間ではないが――シック・スカルドよりはよほど人間だったし、そういう意味でおれたちに近い存在だった。
 だが全く同質かというと、それはどうだろう?
 同じ人間。
 おれは考える。人間を決めるものとは何だろう? 人間と人間でないもの、その境界にあるものはいったい何なのだろう?
 そして、何故――おれはあいつらを心底信じられずにいるのだろう?
 ノーラがかつて言ったからだろうか。あんたたちはどうも信用できない、と。そんな理由で? そんな理由で、おれは――。
 シック・スカルドがいけ好かないのは本当のことだし、あいつらの支配下から脱出したいのも本心だ。それなら何故、おれは他の大多数のアウト・スカートのように、地球の人間たちが彼らから解放してくれる日を心待ちにできないのか。

  〇

「ヒイロがひねくれてるんじゃないの」
 とノーラは笑う。そうは言うものの、彼女もその件についてはおれと同感のようだった。
「そうか?」
 おれはつぶやく。だったら、ノーラもひねくれものということになる。
 エマは床にあぐらをかいたおれの体を勝手気ままによじ登って遊んでいた。一応、落ちないように気は配ってやっているつもりである。
「まあ、ひねくれているからここにいるのかもしれんがな……」
「ひねくれるのは悪いことじゃないと思うわよ?」
「いいことでもないだろ」
「ひねくれる……っていうとあれだけどね」
 ノーラはそのほっそりとした足を組んだ。そういえばエマは彼女が本当は、いや、肉体的には男だということを知っているのだろうか。別に今知る必要のないことだとは思うが。
「疑問を持つって大事なことだと思わない? あたしたちに足りないのはそれよ」
「疑問を?」
「そう。これで本当にいいのか、それは本当なのか、って疑うこと。フィラーたちにはできないことね」
「そりゃそうだ、あいつらはシック・スカルドを疑わない」
「あたしは生まれつきこうだったからか、いろいろと疑うようになったの」
 ノーラは軽く自分の胸を指先で叩いた。当然、その胸板は平坦なそれである。
「体の性別と心の性別は必ずしも一致しないんじゃないかしら――とか、ひとが愛し合う意味って子供を持ち育てる、それだけなのかしら――とかね」
 人間が動物である以上、繁殖が大切なのはわかるけれど、と付け加える。
「そして、考えたわ。人間は何のために生きているのかしら、ってね」
「……答えは出たのか」
 尋ねると、ノーラは肩をすくめて首を横に振った。
「わからない。だけど、わからないからこそ生きていられるのかもしれないって思うの」
 何かのために生きているってはっきりさせてしまったら、それがなくなったあと生きる意味を見失ってしまいそうだから。
「エマのために生きている、とは言わないんだな」
「それは、エマの重荷になってしまうでしょうからね」
 おれから降りたエマが、ノーラに駆け寄った。それをひょいと抱き上げてやりながら、彼女は微笑む。
「で? おまえは何であいつらが信用できないって思った?」
「別にね、あのひとたちが嫌いだとか、そういうんじゃないのよ」
 ノーラは笑みを消し、静かに語った。
「体がサイボーグだから、っていうのでもないわ。ただ、そうね……」
 言葉を選ぶように、視線をさまよわせる。
「何のためかが、わからないのよ」
「何のため?」
「そう」
 あたしには難しいことはわからないけれど、と前置きをしてノーラは言う。
「月に来るのだってそれなりのリスクを伴うことでしょう? 百年もの間連絡が途絶えていた場所なんだし……。リスクだけじゃないわね、きっとお金もすごくかかったんじゃないのかしら?」
「そりゃあそうだろうな」
 おれは頷く。だからこそ、ふたりという少人数で彼らはやってきたのだろう。
「わざわざそれなりのリスクとコストを掛けて、どうして地球のひとたちは月を調査しようと思い立ったのかしらね?」
「それは……」
 おれは言いかけて、口を噤む。
 確かにそうだ。あいつらは、「地球の状況が落ち着いたから、月面の探査が可能になった」と語っていた。
 そもそも何故、”月面都市(ムーン・シティ)“を探査しようとしたのだろうか。
 ちゃんと生存者がいるかどうか、いるのなら保護しなければならないから、そんな理由だろうか。いや、ミトたちの様子はそうは見えなかった。もしそうなら、さっさと正攻法でシック・スカルドたちと接触すればいい。交渉したい、と言いつつ何をこそこそとリンビックで嗅ぎまわる必要があるだろう。それどころか、こんな噂でアウト・スカートたちを煽るような真似をして、いったい彼らの目的は何なのだ――。
「なあんか、きな臭い気がするのよねえ」
 エマを抱きしめ呟くノーラに、おれは曖昧に頷いてみせることしかできなかった。

  〇

 その数日後。いつものように自室で惰眠を貪っていたおれの元に、思ってもみない来客があった。
 ノックとほぼ同時にドアが開き、無遠慮に入り込んでくるその「客」――おれは床に毛布と一緒に転がったまま、唖然としてそれを見上げた。
「おまえ……」
「ヒイロ、だったナ」
 それの発する人工音声は、なめらかではあるが独特だ。合成された結果なのかどうか、中性的で平坦。リンビックに来てからは久しく聞くことのなかったそれに、おれは思わず飛び起きた。
「なんで、ここに」
「理由ならわかっているだろウ?」
 つるりとした球形の頭には、眼球を模した位置に二つのレンズが備え付けられている。寸胴体型にほっそりとした手足。腕の長い一方で足が短いのは、重心を下げてバランスをとりやすくするためだろうか。
 シック・スカルド。
 彼らの実態はともかく、おれたちと接触するときにはこの旧世代地球型汎用作業ロボットの姿を取っていることが多い。“月面都市(ムーン・シティ)”を建設するときに大量に投入されたロボットがそれで、使われなくなった今も解体されずに残っているせいかもしれない。ただし、彼らの頭脳――ミトらのいう、システムAIか――は当然この体の中にはない。セントロメアの中央部、ブラックボックスの中にある、などといわれている。
「…………」
 シック・スカルドがリンビックに姿を現すことはめったにない。こいつがここまでどうやって来たのかはわからないが、周りに住む者たちに見られていたら厄介だな……などと、考えても仕方のないことをおれは思った。
「あいにく、寝起きなもんでね」
 おれはがりがりと髪を掻いた。確かめる気も起きないが、きっとひどくぼさぼさだろう。
「おまえの用件に心当たりはない」
「そうカ?」
 ロボットは小首を傾げた――ように見えた。
「単刀直入に聞ク。地球からの侵入者はどこに居ル?」
「…………」
 なら最初からそう言えよ、とおれは内心毒づいた。
「知らない」
「何を知らなイ? 居場所を知らないというつもりカ、それとも侵入者そのものを知らないということカ」
「……わかってて聞くのは悪趣味だろ」
 おれは呟いた。こいつがわざわざおれのところにピンポイントで訪ねてきた以上、おれとミトらが接触していたことなどお見通しに決まっている。
 こいつらにあまり下手な嘘をつくのは得策ではない。おれだけではなく、ノーラやエマにまで累を及ぼす可能性があるからだ。
 なんというか……、おれがシック・スカルドらのやり方を好まないのは、そのあたりも理由である。たとえば生産ラインでひとつ傷んだリミット・ミールが見つかったら、そのロットのミールすべてを廃棄させるような、そういうところがこいつらにはあった。ひとつひとつを点検するよりもかえって低リスクで低コストに済むから、と。ミールならそれでもいいだろう、それなら人間の場合はどうだ? 「傷んでいる」と判断した人間を、こいつらはどう扱ってきたか――その結果がリンビックではないか。では、リンビックに隔離してなお「腐敗が進んだ」と判断されればどうなるだろうか。想像に難くない、ぞっとしない話だ。
「それで、本当に知らないのカ」
「知らねえな」
 おれは吐き捨てる。
「探せばいいだろ……おまえにこのシティの中で探せない場所なんてないはずだ」
「それは買いかぶりというものダ」
 ロボットはあっさりとそう言った。
「あ、そう……」
 おれは拍子抜けした。
「で? おまえはおれが『知らない』っつってそれを信じるのか」
「おまえが嘘をついているかどうかくらいはわかル」
「本当かよ」
「本当ダ」
 そいつは不意に言葉をきり、じっとおれを覗き込んできた。実際には覗かれているわけではないのだが、虚ろなレンズが映したおれ自身と目が合うと、なんとなく落ち着かない気分にさせられる。
「な、なんだよ……」
「今日の本当の目的は――警告ダ」
「警告?」
「地球人どもを、信用するナ」
「……は?」
 おれはぽかんと口を開ける。こいつは何を言っているんだ、と思った。そして同時に――何故、こいつはこんなにも自信に満ちているのだ、とも。
「われわれは人間をよく知っていル。生物学的特性ならびに有史以来の記録をもとに、人間という存在を把握することこそが、われわれのもっとも重要視された学習だったからナ」
「……なんだと?」
 いきなり現れてぺらぺらと喋るロボット。不快でしかないはずなのに、それでもおれはその言葉に耳を傾けずにはいられなかった。
 その平坦な合成音声は淡々と語り続ける。
「地球と連絡が途絶えてからも、われわれはシミュレイトを続けていタ――地球で人類が直面している可能性のある出来事、それを何通りも何千通りも何万通りも何億通りも計算し、分岐を検討し、問題点を洗い出しては対策を講じてきタ。現状も、その可能性のひとつではあル」
「そいつはご苦労さんなこった」
 せいいっぱい虚勢を張って軽口で返すおれに、ロボットはやれやれとでもいいたげな仕草をしてみせた。
「人間は、人間がわかっていなイ。多分、永遠にわからないのだろウ」
「おい、馬鹿にしてんのか」
「馬鹿にはしていなイ。その感情はわれわれにはなイ」
「…………」
 どうにもやりにくい相手である。人間相手なら一発殴ってやるところなのだが、こいつを殴っても最悪おれの手が折れるだけで、こいつ自身は痛くも痒くもないだろう。だったらやる意味がない。
「おまえは――おまえたちは、われわれを敵だと思っているのだろウ。その反応は予測されていたし、ある意味われわれの計算どおりでもあっタ」
「おれたちはみんな、結局おまえたちの掌の上で転がされているだけだっていうのかよ」
「そうでなければ、ここは滅びていタ」
「…………」
 あっさりと言いきられ、おれは沈黙する。それは――多分、その通りだからだ。
「別に、おまえに恩を着せることが目的ではなイ」
 だが、ロボットは繰り返す。
「これは警告ダ」
「地球人を信用するなって? なんでおれに言うんだよ――おれひとりに言ったって仕方ないだろうが」
 そうだ。噂はとっくにリンビック中に回っていて、おれひとりがどうこういう問題ではなくなっている。わざわざこいつに教えてやる義理はおれにはないが、まあ教えてやらなくともこいつは既に知っているのだろう。
 ――それなら何故、
「おれなんだよ」
「おまえガ」
 ロボットは――シック・スカルドは、終始淡々と答えた。
「既に彼らに利用されているからダ。これから、おまえたち皆がそうされるようニ」
「利用……?」
「覚えておケ」
 そいつは自信たっぷりに、それでいてどこか悲痛な響きを伴って、おれに告げた。

「人間の敵は、常に人間だということヲ」

「…………」
 ――こいつは、とおれは不意に気が付いた。
 ミトたちのことを「地球人」と呼んだ。つまり、おれたち“月面都市(ムーン・シティ)”に住む人間たちと、明確に区別している。
 そして――
「おまえは」
 戦うつもりなのか、とは聞けなかった。この目の前のロボット――そしてそれを操るシック・スカルド。月面を支配する、あまりにも巨大な頭脳。そいつが異分子たる「地球人」を排除すると決めたとき、一体何が起こるのか。

「人間の敵ハ」
 ロボットは繰り返す。おれに言い聞かせるように――自らに言い聞かせるように。
「人間ダ」