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II

 唐突に現れた、地球からの侵入者ふたり。おれは彼らを仕方なく自分の部屋へと案内した。「部屋」といっても、とりあえず鍵の掛かるパーソナルスペースというほどの意味しかない。おれひとりに割り当てられているものだから、三人で詰め掛ければ狭いのも当然だった。
「アウト・スカートであっても、衣食住は保障されているんだ?」
 興味津々といった様子でインクが尋ねてくる。おれは肩をすくめた。
「保障ってほどじゃないがな。フィラーなら全部ただで手に入れられるものを、おれたちは金を払って得なきゃならない」
 金を得る手段は大きく分けてふたつ。ひとつは合法でひとつは非合法。シック・スカルドがアウト・スカートに向けて募集するごく短期の仕事で稼ぐか、アウト・スカート同士賭け事で巻き上げ合うか。どちらがどちらかは言うまでもないだろう――そして、おれがどちらを好むかも。
「フィラーというのは……」
 尋ねようとするミトを遮り、おれは説明した。
「“従う者(フィラー)”ってことだ」
「その、シック・スカルドに従っている者をそう呼ぶってことかい」
 インクは軽く鼻を鳴らした。
「思っていたより色々とややこしいシステムになっているような気がするねえ、ミト」
 ミトは黙って答えない。考え込むように色のない唇を引き結び、宙を見つめている。その静かな横顔は、まるで人工物のようだった――そう、まるでシック・スカルドのような。
 まさか。おれは軽く首を横に振り、話題を変えた。
「それはそうと、地球のこと教えてくれよ。あっちはどうなってるんだよ。何だって“ムーン・シティ(こっち)”をこんなに長らく放っておいたんだ」
「あー」
 と、インクは手をぱたぱたと振った。
地球(こっち)のことはね、あんまり話せないことになってるの。ごめんね」
「何だと」
 おれはカッとして、インクの襟首に手を伸ばした――しかしそれは呆気なく空をきる。インクはすました顔でおれの手を避けたのだった。
「食事はどのように?」
 何事もなかったかのようなミトの質問に、拍子抜けしたおれは室内のフリーザーを指し示した。開けても? と問う彼女に「好きにしろ」と告げる。ミトがにじり寄り、そのフリーザーの扉を開けた。冷気が、ぶわ、と溢れ出す。
「何これ」
 覗き込んだインクが声を上げる。ミトがそこに詰め込まれていたパックのひとつを手に取り、目を眇めた。
「これは……」
「リミット・ミール。つまり、最低限の栄養が摂れる一番安価な食い物ってわけ」
「……オートミールのようなもの、ですか?」
 凍ったそれを見つめてミトが首を傾げる。無論、食べるときは解凍する。当たり前だ。
「おれにはその、オートミールがわからん」
「美味いの? 不味いの?」
 インクの身も蓋もない質問に、おれは苦笑した。
「食べ慣れちまってるからな、今更味なんて感じもしねえよ」
「あ、そう」
「お前ら、そういえば食べるものは……」
 こいつらがそう大食いでなければ、多少はおれが融通してやれる。だが、ミトはあっさり首を横に振った。
「シティの外れに『隠れ処』を用意してあるので。こちらに滞在する時の食事も、そこに」
「『隠れ処』?」
「とにかく、お気になさらず」
 ミトに丁寧に、しかしぴしゃりと言葉を封じられ、おれはむっとした。ひとの折角の好意を……。
 ぎこちなくなった空気をとりなすように、インクが口を開く。
「まあ、でももしかしたらちょっともらうことはあるかも。そのときはよろしく」
 色違いの片目を閉じて器用にウィンク。
「…………」
 おれは黙って目の前のふたりを――地球から来たというふたり組を眺めた。
 彼らは、何か変だった。どこかがずれている。出会って以来常につきまとう違和感――だが、その正体はその時のおれにはわからなかった。

  ○

「で? 調査っていっても何をする気だよ」
 おれは自分の分のミールを加熱処理して食べた。インクが一口くれと言うのでひと匙分くれてやったが、口の中で少し咀嚼したあとに満面の笑顔で「これはすっごいね!」と叫んだ。きっと不味かったのだろう。ミトはずっと、我関せずといった顔をしていた。
「外を出歩く気か? まあ、アウト・スカートの居住区なら問題はないが……。フィラーのいるシティの中心部には入れないぞ」
 おれはあたりに散らばる紙くずを拾い上げて拡げ、ペンで図を書いた。
 シティは、簡単にいうとドーナツ型をしたドーム状の構造物である。中央の空洞にあたる部分には実際に穴が開いているというわけではなく、いわばブラックボックスで、どうなっているかは誰にもわからない。おそらくはそこにシック・スカルドが集まっているものと予想されるのだが、この目で見たわけではないのでわからない。それを囲むようにフィラーの居住区があって、事実上そこがシティの中心だから“セントロメア”と呼ばれている。その周辺に、おれたちアウト・スカートが散らばっているというわけ。その辺りを指して“リンビック”ということもある。
 おれの説明をきいて、インクは緊張感のない声を上げた。
「ふーん」
「セントロメアとリンビックの境界には何か、ゲートのようなものでも?」
 尋ねるミトに、おれは首を横に振った。
「ゲートはない。だが、確実に管理はされている……フィラーとアウト・スカートには決定的な違いがあるからな」
「違い?」
「…………」
 そのまま何の気なく説明しようとしたおれは、ふと口をつぐんでミトとインクを見回した。
「……どうかした?」
 インクが小首を傾げてみせる。ミトは相変わらずの無表情だ。
「いや……」
 おれは口ごもる。今更だが、こいつらを信用していいのだろうか。こいつらの言うことを信用するのなら、正真正銘、百年ぶりの地球からの訪問者、ということになる。それも正規の、ではない。
 こいつらの目的は何なのだろう。同じかたちをしていて、しかも治療までしてもらったせいでつい自分の仲間のように感じてしまっていたが、本当にそうなのだろうか。シック・スカルドに一泡吹かせられたらおもしろい、それだけでこいつらに協力してしまって、本当にいいのだろうか……。
「…………」
「ヒイロ?」
 インクがおれの名を呼ぶ。おれはそのイエローとスカイブルーの瞬きから目を逸らした。
「……それなら」
 ミトが不意に口を開いた。落ち着き払った様子で、軽く手を広げてみせる。
「ひとまず、リンビック――でしたっけ、アウト・スカートの居住区を見て回っても?」
「…………」
 疑問形ではあったけれど、おれが断ることなど想定もしていないような口ぶりだった。
 ――おれ、この女苦手だわ。
 俺は小さくため息を噛み殺したのだった。

  ○

 リンビックに、特に面白いものがあるわけではない。さっきこいつらに見せたリミット・ミールを売る店や、セントロメアから流れてくる古着屋、古物商。そういったものがごみごみと――まさにその形容がぴったりなのだが――並んでいる。
「へえ、じゃあここにあるものは全部セントロメアからのお下がりってわけ」
 インクが呆れたように言った。見慣れないふたりの姿に警戒してだろう、あたりのアウト・スカートは彼らをちらちら見ていたが、当の本人たちは少しも気にしていなかった。内心でおれはびくつきつつも、ひとりおどおどするのも癪だから、できるだけ落ち着き払った素振りを心掛けた。
「まあ、そういうことだ」
「セントロメアには新品がある?」
「ああ」
「じゃあさ、なんでわざわざこっちに来たの?」
 インクはやや声を低めておれに問う。
「フィラーとアウト・スカートって、生まれつき決まってるものじゃないんだよね?」
「……ああ。生まれつきのアウト・スカートなんて存在しない」
 おれはわずかに顔を歪めた。
「だがな……おれはフィラーとして生きることには我慢ならなかったんだ」
 アウト・スカートには二種類ある。おれのように好き好んでフィラーをやめるもの、もう一種類は犯罪を犯しセントロメアから追放されるもの。とはいえ重犯罪者は追放程度では済まないから、リンビックにいるのも軽犯罪者に限られているのだが。
「フィラーは……とにかく、全てが管理されている」
 おれはつぶやく。
「生まれてから死ぬまで。何を食べ、何を学び、どう働き、どこに住み、誰と生きるか。全て決められている」
 ――それが、このムーン・シティの繁栄の為だと「奴ら」は言う。
「おれは、それが我慢ならなかった」
「……ふうん」
 インクが首を傾げながら言った。
「なんか、まるで虫籠のようだね?」
 虫籠。虫は、月にはいない。だが、それがどういったもので、この場合の「虫籠」が何を意図した比喩表現なのかくらいはおれにもわかる。
「インク」
 ミトが彼を咎めるように、鋭く声を発する。しかし、おれは別に腹も立たなかった。
「ああ、そうだな」
 おれは嗤う。
「おれたちは、あいつらにとっちゃ虫けらも同然なんだろうよ……」
 言いながら、別に胸も痛まない。事実だからだ。
「おれたちは、この月という名のでかくて狭い虫籠で飼育されてるのさ」
 吐き捨てるようにいうと、何故かミトが少しだけ――悲しげな顔をしたような気がした。今まで鉄面皮を貫いていた女が、なんだ? だがその変化は一瞬で消えてしまって彼女はすぐにもとの無表情に戻り、その残滓を追うことすら許されなかった。