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I

「月が無法地帯になってから、もう何年経つっけ」
「あと二ヶ月で百年ね」
「あーそう。その間、密入国はぼくたちが初めてかなあ」
「月は厳密には国家ではない。密入国という言葉は正しくない」
「相変わらず細かいねえ、ミト」
「あなたが大雑把なだけ」
 ミトと呼ばれた女は冷ややかに応答した。
「まずは――プラン通り、協力者を探しましょう」
 いい、インク。
 インクと呼ばれた青年はへらりと笑いながら、了解、と答えた。

  ○

 おれがアウト・スカートの烙印を押されたのは、十代半ばの頃だった――まあ、昔から反骨精神旺盛なガキだったってことだ。それはもう生まれつきのもので、こればっかりはあのシック・スカルドにもどうすることもできなかった。どうすることもできなかったが、おれを社会から放逐することはできた。まあ、そういうことだ。
 それでもおれは生きているわけで、だったらなんの問題もない。少なくとも、今までは。
「で? 誰がペテン師だって?」
 指に嵌めたシルバーのリングに、血が飛び散っている。鼻血出しやがったな。おれは床に突っ伏した男の髪を掴んで引きずり上げ、その腫れ上がった顔を見下ろした。
 辺りに既にひとけはない――皆逃げたのだろう。薄情な野郎どもだ。ま、こんな場末の賭博場に巣食っている奴らなんてろくなもんじゃない。もちろん、おれも含めて。
「なあ、証拠もないのにイカサマ野郎扱いか? だったらせめて、誠意ってもんを見せてもらいてえよなあ」
「……強請(ゆす)る気か」
 口から折れた歯と血を吐きながら、男は――こいつがこの賭場の元締めなのだが――おれを睨み上げた。こいつだってアウト・スカートだ。おれと同じ。
「話が早い」
 おれは頷く。
「生きるには金がいるんでな」
「ふん――」
 男は不意に唇の端を歪めた。
「そうだな。金さえあれば」
 よく見ていろ、馬鹿野郎(イディオット)
「こんなものも、買える」
 その黒い塊が何かを理解する前に、おれの腹に小さな穴が空いて、ぴゅう、と血が噴き出した。おれの体に仕込まれたメディ・ナノは旧型の、くそったれな性能だ。こんな致命傷には対応できない。
 男の癇に障る哄笑を聞きながら、おれのくだらない、それこそクソみてえな人生はここで終わりを――

 告げなかった。

「おっ、目を覚ましたようだよミト」
「蘇生には成功した。当然の帰結」
 頭上でやかましく喋る男がひとりと、鬱陶しい物言いの女がひとり。
 おれは薄目をあけて状況を確認しようとする――ここはどこだろう。少なくとも、例の賭博場ではない。
「ねえねえ、きみ、名前は?」
「インク、少し黙って」
 男を制した女が、おれをじっと覗き込んだ。
「話はできる? どこか具合の悪いところは?」
「……最悪な気分だ」
 おれは仕方なく返事をして、のろのろと体を起こした。鉛の弾に貫かれたはずのおれの腹に、厚いガーゼのようなものがあてられている。恐らくは液状のメディ・ナノがたっぷりと染み込ませてあるのだろう。傷の痛みは既になかった。
「人に名前を聞く前にそっちが名乗れ」
「命の恩人に向かって随分な物言いだなあ」
 と、男。その声音には怒りはなく、どちらかというとただ純粋に驚いているように聞こえる。ホワイトに近いシルバーブロンドの髪に、変わった色の目。若い青年だった。多分こいつが、インク。
「失礼しました。わたしはミト。こちらがインク」
 代わって口を開いたのは隣の女だった。ミト。インクと同年代くらいか。黒目黒髪。おかっぱ。地味。
「できれば、少し話をしたいのだけど――」
 女の抑揚のない声がぷつりと途切れた。両脚を投げ出して座っていたおれは下肢の筋のバネを弾ませるようにしてしゃがむように座り直し、しっかりと腰を捻って彼女に殴り掛かる――
「こらこら」
 と、その拳を白く華奢な手が受け止めた。
「そういう、期待を裏切らない行動っておもしろくないよー?」
「ってめえ!」
 インクがおれの顔を覗き込み、ふんわりと笑う。その右目はレモンイエロー、左目はスカイブルー――と言っても、おれは青い(ブルー)(スカイ)なんて見たことねえけど。
「で、名前」
 ぎりぎりと、おれの拳の骨が軋む。ほそっこいくせして、なんて力だ。
「……ア」
 脂汗が流れた。このままでは砕かれてしまう。こいつ、どれだけ馬鹿力……!
「教えてくれる?」
「…………」
 ミトは静かにインクとおれのやりとりを眺めている。インクがおれの拳を握り潰したとしても、止める気はなさそうだ。当たり前か。おれに殴りかかられた彼女に、そんな義理はない。
 おれは観念して目を伏せた。
「……ヒイロ、だ」
「えっ、英雄(ヒーロー)?」
 こいつもおれの名を馬鹿にする気か、と頭に血が上る。が、インクはあっさりとおれの拳から手を離し、にこにこと笑って言った。
「いーじゃんいーじゃん、ちょうどいいよ。ね? ミト」
「……ヒイロ、さん」
 ミトは先程から少しも表情を動かすことなく、おれをじっと見つめる。おれはわずかにたじろいだ。
「なんだよ」
「お願いしたいことがあります」
「お願い?」
 おれは横目で辺りを見回す。そもそもここはどこだ。どこかの建物の中なのはわかる、しかし住居のようには見えない。
「おれに?」
 仕方なく、聞き返す。
「おれに、言ってんのか?」
「今ここには君しかいないでしょ」
 インクが笑う。ミトはにこりともしなかった。その能面のような顔が、シック・スカルドを思い起こさせて腹立たしい。
「なんだよ、言うだけ言ってみろ」
「偉そうだなあ」
「嫌なら頼むな」
 おれとインクの言い争いを遮って、ミトが言った。
「あなたに、わたしたちの月面調査の案内役をお願いしたい」
「…………」
 おれはぽかんと口を開けた。
「……は?」
「だから」
 ミトは辛抱強く繰り返す。
「あなたに、わたしたちの月面調査の案内役を――」
「待て」
 おれは頭を抱えた。
「おれの聞き間違いでなければいいんだが」
「はい」
「おまえたち」
 目の前にいる奇妙な二人連れを睨み、おれは呻く。
「どこから来た……?」
 目の前のインクが、にんまりと笑った。
「決まってるじゃん」
 地球だよ。
 その言葉を聞いておれは、くらり、と目眩がした。

  ○

 “月面都市(ムーン・シティ)”の建設が始まったのは、数世紀前のこと。地球規模(グローバル)に募られた移民が何回かに分けて月面に渡り、シティは栄えた。“黄金時代(ゴールデン・エイジ)”、というやつだ。
 しかし、それも長くは続かなかった――突如、シック・スカルドによる反逆が起こったためだ。それが、今から百年ほど前のこと――と、昔おれはおれと同じアウト・スカートだった年長者に教えられた。それは、シック・スカルドがおれたちにひた隠しにしていること。アウト・スカートの間だけで、密かに言い伝えられていること。

 おれたちが何者で、
 どこから来て、
 どこへ行くべき――あるいは帰るべきなのか。

 おれは吐き捨てるように言った。
「何を今更」
「えっ、なに?」
 インクが聞き返してきた。
「地球のやつらは、おれたちを見捨てたんだろうが……!」
 おれは低く唸るようにつぶやく。
「シック・スカルドの叛乱も見逃しておきながら……!」
「シック・スカルド?」
 インクが首を傾げ、ミトを見遣った。彼女も首を横に振り、そうしておれに疑問を投げ掛けた。
「その、シック・スカルドというのは何者のことですか?」
「……なに?」
 今度はおれが聞き返す番だった。――シック・スカルドを知らない、だと?
「けど、おまえら……何をどうやってか、ここまで乗り込んできたんだろ? だったらあいつらの目をどうにかして誤魔化してきたんじゃねえのかよ」
 ミトがわずかに首を傾けて答える。
「月面都市との交渉が絶えたのは、シティをコントロールしていた人工知能(エーアイ)の暴走が引き金になったのだと記録には残っているけれど……違うの?」
「……おれも詳しいことはわからねえよ」
 その、エーアイとやらが具体的に何を指しているのかもおれにはわからない。だが、確実なのは……。
「おれたち月面の人間を支配しているもの。それが」
 ――シック・スカルドだ。
「……ということは」
 ミトが相変わらず落ち着き払った顔でつぶやく。
「システムAIをあなたたちがシック・スカルドと呼んでいるということ?」
「“石頭(シック・スカルド)”、ね」
 インクがくすくすと笑う。
「なかなか気の利いたネーミングじゃん?」
「おまえたちの目的がシック・スカルドをぶっ潰すことだっていうなら」
 おれは真顔になって言った。
「おれは協力してやってもいい」
「ぶっ潰す、ねえ」
 インクがやれやれと肩をすくめる。
「それは――」
 とミトが口を開き、やがて小さく息をついた。
「まずは現状を調べてから、ということになるでしょうね」
「…………」
 おれは隠す気もなく舌打ちをする。
「でもまあ、協力はしてもらうよ」
 インクが軽い調子で言った。
「シック・スカルドに突き出されたくはないんだろう?」
「ハッ」
 おれは鼻で笑った。
「あいつらはいったんアウト・スカートと認識した人間には興味なんて示さねえよ」
「……あ、そういうもの?」
「もし、現状に不満があるのなら」
 ミトの闇色の瞳が瞬きもせずにおれを映す。
「わたしたちに力を貸すのも、決して悪い話ではないと思うけど?」
「…………」
 ――もう、こんな機会は二度とない。
「わたしたちの調査が失敗に終われば、地球側はもう月面に調査隊を送らないかもしれない」
 だって、地球側は今のところたいして困ってもいないのだから。
 しれっと言うミトにおれは言葉を失い、やがてもう一度舌打ちをした。
「高くつくぜ」
「ほう、金銭という概念は残っているのかい」
 とインクが目を輝かせる。
「アウト・スカートの世界じゃ、金が全てだ」
「“外れもの(アウト・スカート)”か」
 インクはずっとにこにこと笑っている。こいつ、どっかの箍が外れているんじゃねえか、と思った。さっきの怪力といい、ただの男とは思えない――それを言うならこのミトという女もだ、鉄面皮もいいところ。心があるのか、疑わしいくらいだ。もしかして、こいつらは人間じゃないのか……? だから、シティに潜り込めたのか?
「何をジロジロ見ているのさ、ヒイロ」
 インクの言葉に、おれははっとした。
「傷は治りましたか」
 ミトの手が伸びて、おれの腹のガーゼを外す。そこにはもはや傷痕もなかった。
「じゃあ、早速行くとしよう」
 インクが張り切ってその場で軽くジャンプする。
「行くって……どこにだよ?」
 腹を撫でながらつぶやくおれに、ミトは不思議そうな眼差しを向けた。
「それを、あなたに案内して欲しいのだけど?」
 ――言ったでしょう、案内役を頼みたいと。
「……ハァ?」
 呆れたように叫ぶおれを、インクは笑顔で、ミトは変わらぬ無表情で眺めていたのだった。

  ○

 地球から来たというこの奇妙な二人組に、おれはこの後いやというほど振り回されることになる。