instagram

EX. 魔王様とわたし。~タインバレン編

 旅の醍醐味と言いえば、やはりその地その地の独特の風習や食事、それに祭りだ。今回わたしたちが立ち寄ったその街も、どうやら何かの祭りの最中のようだった。街角には色とりどりののぼりがはためき、そして何よりも特徴的なのは――。
「なんかすごい美味そうな匂いするな」
 わたしの頭の上ですんすんと鼻を鳴らしているのは、黒を基調としたローブを身にまとう長身の男――ただの目つきの悪いちんぴら、にも見えなくはないが、実はこう見えて伝説の魔王というやつなのである。名はジゼル。魔王の証の金色の片目は、今は眼帯に覆われて伺うことはできない。
「何だか街中が甘ったるいわね」
 街に入ってしばらく経つが、街道沿いの店から甘い匂いが立ち上っていて、それはどんどん濃くなってきている。歩き疲れた我々の食欲を刺激することこの上ないのだった。
「なあ、どこか入ってみないか?」
「そうねえ」
 わたしはきょろきょろと辺りを見回す。どうせ入るなら、評判の良い店がいい。だからといって、長蛇の列をなしているようなところに入るのも疲れるし……。
「ん?」
 ふと気付く。店に並んでいるのは、ほとんどがうら若い女性だった。あるいは男女の組み合わせ――ただの組み合わせではない、明らかに親密そうな、まあ、有体にいえば恋人同士、のような……。
「なーんか嫌な予感がするわ」
 わたしはつぶやいた。旅を初めてまもなくの頃、スマスリクという祭りに出会ったことがあった。実はそれ、恋人たちが互いに贈り物をしあうという祭りだったのだが、ジゼルはそれを知らずにうっかりわたしにサイズの合わない指輪を買ってきて――いや、夜店のおばちゃんにもらってきて、翌日わたしたちは改めて指輪を交換する、という、冷静になって考えてみれば結構こっ恥ずかしいことをする羽目になったのだった。まあ、わたしの嵌めている指輪にはジゼルの魔力が込められていて、彼が私からはぐれないための道しるべの役割を果たしているのだが……いや、その前に迷子になる魔王ってどうなのよ……。
「ん? お前、甘いもの嫌いだっけ?」
 足を止めたわたしに、ジゼルは首を傾げて見せる。
「いや嫌いじゃないわよ? むしろ好きだけど」
「じゃあいいじゃないか」
「ま、まあね? そうなんだけど……」
 この男がこういう妙な押しの強さを見せる時も、要注意だ。もうこの男との付き合いも長くなってきたから、大体のことはわかる。ジゼルは地図は読めないわ常識はないわ朝は弱いわ――本当、どうしようもない駄目男なのだが、とはいえ腐っても魔王。時々驚くほどの腹黒さを……、
「よし、じゃあ行くぞ」
「ちょ、ちょっと?!」
 ジゼルはわたしの手をぐいと掴み、すたすたと歩きだした。一番混み合っている店の方へと向かっていく。
 引き摺られながら、わたしは声を上げた。
「ちょっとジゼル!」
「おれ腹減ってるんだよ」
「んなこと聞いてな――」
 とっさに振り払おうとしたが、彼の力はひどく強い。まあ、魔王なのだから当然か。
「いらっしゃいませ!」
 可愛らしい制服に身を包んだ売り子さんに声を掛けられ、わたしは観念した。
「おふたりさまですか? あの、店の中でお召し上がりになります? それともお買い上げに――」
「席、結構いっぱいだよな? だいぶ待つんだろうなあ」
「ええ、そうですね……」
「買うだけなら、すぐ買えるの?」
「はい! ご案内します!!」
 売り子さんはひょいひょいと人ごみをかき分けて店内に入っていく。ジゼルはわたしの手を掴んだまま彼女を追った。いつもわたしが彼を先導する側だから、こういうのは少し慣れない。
 店内はピンクや赤のリボンで華やかにディスプレイされていて、甘い匂いが色濃く立ち込めていた。わたしは店内に描かれた文字を読み上げ、首を傾げる。
「『タインバレン』?」
「はい。あ、旅の方でしたか」
 売り子さんはわたしたちの頭上に浮かんだハテナを察したのか、愛想良く説明してくれた。
「タインバレンとは、かつてこの街にいらっしゃった司祭様のお名前なんです。かつて魔王との戦いに出向いた戦士たちと、彼らの帰りを待つ女性たちの婚姻を取り仕切っておられたという――その司祭様の立ち合いで結ばれた戦士は、皆無傷で帰って来られて、それで」
 売り子さんは、慣れた様子で話を続ける。
「タインバレンは、恋人たちへの守護を願うお祭り、まあ、言ってみれば縁結びのお祭りになった、ってわけなんです」
「はあ、なるほどな」
「で、なんでお菓子なの?」
 店の中に並べられているのは、どれもこれもお菓子――しかも、チョコレートがメインのお菓子ばかりである。
「このあたり、昔からお菓子作りが盛んでして」
「町興しってことね」
 わたしはつぶやいた。まあ、ありがちな話である。その土地に残った伝説や伝承、人物なんかをだしにして、特産品や地場産業と絡めたイベントを作る。一度軌道に乗れば、話題になってお祭り好きな人々を呼び集めるし、場合によっては他国からも人が呼べる。多分、この街も一年中で今が一番活気づいている時期なのではないだろうか。きっかけが何であれ、街が潤えばそれでいいのである。そういう人間のしたたかさが、わたしは嫌いではない。
 しかし、その伝承とやらが魔王がらみである場合は話が別だ。何しろ、わたしの隣で目を輝かせてお菓子を物色しているこの男は、まさにその「伝説の魔王」なのだから。――どうも、ジゼルはそのあたりのことを気にしなさ過ぎる。
「結構するんだなー。なあ、フレデリカ、いくつまでなら買ってもいい?」
「好きにしなさいよ……別に持ち合わせには困ってないから」
 きっと繁茂期だから宿も高いだろうが、まあそれはそれ、どうにかなるだろう。
 売り子さんは首を傾げてわたしたちを交互に見た。ジゼルがわたしに支払いを頼るつもりなのを見て、わたしたちの関係性をはかり兼ねているのだろう。その気持ちはよくわかる。全然似ていないから兄妹には見えないだろうし、辺りにいるカップルたちのような甘ったるい親密さはわたしたちにはない。それならいったい何なのかというと――わたしにも実はよくわからないのだった。
「旅の連れよ」
 と、短く説明した。そうとしか言いようがなかった。
「なあなあ」
 ジゼルはわたしの手を掴んだままぶんぶんと振り回す。
「あのケーキと、あれと、あれと、あれにしようぜ」
 クラシックなチョコレートケーキと、フルーツの載ったタルト風のもの、それからホワイトチョコレートムース。あともうひとつは、少し変わった形のチョコレートケーキだった。
「四つも食べるの?」
「半分ずつすれば二つ分だろ?」
「……まあ、そうだけど」
 じゃあそれで、とわたしは売り子さんに伝えた。財布を取り出そうとするわたしの手を、ジゼルはようやく離してくれた。
「楽しみだな」
 上機嫌なジゼルは、タインバレンの伝承のことなんて――自分を倒すための戦士にまつわる伝承から始まった祭りだってことなんて、少しも気にしていない。
 何故気にならないんだろう。恨みとか憎しみとか怒りとか、そういったものは彼の中にはないのだろうか。わたしは時々、それがとても不思議に思える。
 ジゼルはひとが好きだ。街が好きだ。自分を迫害したものたちを、彼は心から慈しむ。こんな魔王、いるわけがない。ジゼルは、魔王じゃない。
 鼻歌交じりに店を出るジゼルを追い、わたしはふう、と空を仰いだ。
 ――この世界がもしジゼルに優しくできないのなら、そんな世界、わたしはごめんだ。
「どうした、フレデリカ。人が多くて疲れたか?」
 振り返ったジゼルがわたしを覗き込む。
「足が痛いならおぶってやるが」
「いらないわよ」
 こんなカップルだらけのところで、何が悲しくておぶわれなければいけないのだ。
「さっさと宿決めないとね。早く食べたいんでしょ?」
「おう!」
 こんなにジゼルが喜ぶのなら、今日この街に寄ってみて良かった――わたしはそう思うのだった。
 
 
「うめえー!!」
「口に頬張って叫ばないでよ、きたないじゃない」
 わたしはそう注意しながらも、口の中に広がるほろ苦い甘みを噛みしめる。確かに美味しい。あの店、宿の主人に聞いたところによると結構な人気らしい。店の中でお茶と一緒にケーキをいただこうとすると、二三時間は待たされるんだとか。わたしはそう気の長い方ではないから、さすがにそんなに待つ気にはなれない。買ってきて正解だった、と思った。宿で入れてもらったお茶も、甘みに合わせたのかほどよく濃く、悪くはない味である。
「だってめっちゃうまいぞ、これ」
 宿の部屋に入った時からジゼルは眼帯を外していて、あらわになった金色の目がきらきらと瞬いている。――普段隠しているのがもったいない。
「そうね――あ」
 さっきジゼルが頬張ったのと同じケーキを口にして、わたしは思わずつぶやいた。
「これ、結構お酒強いんじゃ……」
「ん?」
 一見、ジゼルは平然としているように見える。しかしわたしは知っているのだ――彼の酒癖がとんでもなく悪いものであるということ。
「ちょっと、それやめといたら。他のにしなさいよ」
「やだよ、これ美味いじゃん」
「あんたお酒弱いでしょうが! 迷惑掛けられるのわたしなのよ」
「迷惑って、どんな?」
 フォークを口にくわえ、小首を傾げて見せる魔王。――それ、かわいくなんかないのよ、あんたがやっても。わたしはその台詞をぐっと飲み込み、ジゼルからそのケーキの乗った皿を取り上げた。
「他のやつ、わたしの分あげるから。これはだめ」
「何でだよ。フレデリカのケチ」
 皿に手を伸ばそうとするジゼルから、わたしは身を引く。と、ジゼルの目が妖しく光った。
「そういう意地悪するなら、おれにも考えがあるぜ?」
「は?」
 わたしの手は今、彼の皿とわたしの皿で塞がっている。テーブルの位置には、ここからでは手が届かない。。ジゼルはにやりと笑うと、くわえていたフォークを軽くナフキンで拭き、そして皿の上の例のケーキにぶすりと突き刺した。いや、そのサイズはどう考えても口にはいるはずが……。
「ほら、あーん」
「ちょっと、大きすぎっ……んぐ」
 わたしの顔はクリームまみれになった。当たり前だ。口の中でとろける芳醇な味わいは本当に美味しいが、どうせならちゃんと一口大に切って食べたかった……。
 ジゼルは目を細め、わたしの口の周りのクリームやらスポンジやらを指で拭った。
「おまえがちゃんと食べないから」
 その指を、彼の唇がくわえる。
「うん、美味しいな」
「だから、そのケーキは」
 食べちゃ駄目だって、と言うわたしにジゼルはそうか、と短く答えた。
「じゃあお前に食べてもらおう」
「ん?!」
 彼のほっそりとしてはいるが骨ばった指が、わたしの唇の中にするりと入りこんだ。舌の表面を撫でられ、ぞわっと背中が総毛立つ。
 わたしは慌てて彼の指を吐きだした。
「何してんのよ!!」
「フレデリカが意地悪するからだろ」
 ――酔ってる。こいつ、絶対酔ってる。
 わたしは慌てて皿を手近な台におくと、顔をごしごしとタオルで拭いた。お茶をぐいと飲み干し、彼の指の感触を口の中から消そうとする。
「今度同じことしたら、食いちぎってやるからね!」
 冗談めかして宣言すると、ジゼルはくすくすと笑った。
「さすがの俺でも指は生えてこないから、それは勘弁して欲しいな」
「じゃあしなきゃいいでしょ」
 言って、ケーキの続きを口に含む。――何だかもう、味がよくわからなかった。もったいない。
「来年も、ここ来ような」
「え?」
「この祭り、気に入った」
 ジゼルは穏やかな表情になって、片肘をついてわたしを眺めている。ケーキはもういいのだろうか。食べているところをじっと見つめられるのは、何となく気恥ずかしい。
「そんなに美味しかったの? 食い意地張ってんのねえ」
 今度はお酒の入っていないものを確認してから買おう。そう固く心に誓うわたしに、ジゼルは笑みを深めた。
「来年は――そうだな」
 先程うっかりわたしが食べさせられそうになった、彼の指先――彼はそれで、自分の唇にそっと触れた。うっすらと濡れるその赤がひどく鮮やかに見えて、わたしは慌てて目を逸らす。
 ジゼルは長い黒髪を軽くはらった。
「どうせなら司祭様の加護を受けにくる、かな?」
「……は?」
 わたしは目を瞬いた。
「魔王は無理じゃない?」
 いくらなんでも、司祭と魔王じゃ相容れなさすぎる。
「そーいうことじゃ……まあいいか」
 ジゼルははあ、とため息をつく。わたしは澄ました顔で――できるだけそう見えるように――言った。
「まだまだ行ってない街も、知らない街も、たくさんあるわよ。ここにこだわることもないわ」
 もちろんまた戻ってきてもいいけれど。

 大丈夫、心配しなくても来年もきっと旅は続いている。
 来年だけじゃない、再来年も、その先も、――あなたが望む限り、ずっと。
 なんてことは、口には出さないけれど。

 ――本当に鈍いのは、ジゼルのほうなんだからね。
 お酒のせいか、座ったままうつらうつらし始めたジゼルの頬を、つん、つん、とつつく。
「わたしは司祭なんかより、魔王様の加護に期待してるんだけどな――」
 当の魔王様は、穏やかに微睡んでいる。
 
 この優しい時間を、わたしは何より愛してやまないのだ。