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EX. 豆まきの日に

 わたしたちが訪れたその街は、ちょうど何かの祭りの日のようだった。とはいえ、屋台が並んでいるとか、街が飾り付けられているとか、そういうわけではない。ちょっとした旗のようなもの――地方によってはこれを「のぼり」と呼ぶようだけど、ここではどうだかわたしは知らない――が街角のあちこちではためいていて、街中にどこか祭りの日特有の少し落ち着かない浮足立った、それでいてどこか晴れやかで華やかな、そんな空気が満ちているのだった。これまでシシーヴァ大陸のあちこちを旅してきたわたしだけれど、国や地方に関わらず、祭りの日の雰囲気というのはどこか似通っている。
「今日は何かあるのかな」
 そんな空気を察したのか、わたしの旅の連れもきょろきょろと辺りを見回している。さすがの彼も、旅慣れてきたようである。わたしはくすりと笑った。
「そうかもしれない。まずは宿をとって、そこで聞いてみましょ」
「おう」
 彼に異論のあるはずもない。わたしたちは早速適当な安宿をひとつ探して、シングルの部屋をふたつお願いした。――わたしたちが男女の二人連れだからだろう、女将さんが「本当にシングルでいいのかい」と言いたげな視線を向けてくるが、わたしはいつも通りにそれを無視した。多分彼は気付いていない――できれば気付かないで欲しい。
「ところで、今日って何かのお祭りなの?」
「祭りっていうほどでもないんだけど、まあ季節を区切る節目の日ではあるね」
「季節を区切る?」
「そう。この辺の暦じゃあ今日までが冬で、明日からは春ってことになっているのさ」
「へえ」
 この地方は四季の区別をはっきりつけるほうだと聞いたことはあったのだけど、まさか区切りの日まで決まっているとは知らなかった。
「じゃあ、今日が今季の冬の最後の日ってことなのね?」
「そういうことになるね」
 ――まああくまで暦の上での話で、実際はそうすっぱり明日から暖かくなるというものでもないのだろうが。
 女将さんはきっと何度も旅人たちに説明してきたのだろう、流暢な語り口でわたしたちに話してくれた。
「冬の最後の日に、冬と同時に魔王を追い払うっていうのがこのイベントでね」
「……あー、そういう」
 わたしは小さく呟いた。多分、女将さんには――それからわたしの後ろでぬぼーっと突っ立っている旅の連れにも聞こえてはいないだろう。

 魔王。
 この大陸に伝わる、伝説の存在である。
 (いにしえ)の時代、神々との戦いに何度も打ち勝ち、勇者を何百何千と退けて――やがてとある城の中に封印されて永遠の眠りについたと伝えられている、伝説の魔王。
 何を隠そう、いろいろあってその魔王、ジゼルは永遠の眠りとやらからすっぱりと覚め、今はわたしの旅の連れをやっている。

「この辺じゃ、豆は魔王除けになると信じられているんだ。だから、家の中から外に向かって豆を投げ、魔王を寄せ付けないよう願うっていうわけさ」
「豆が魔王に効くのかしらねえ」
 思わず皮肉っぽく呟くわたしに、女将さんは気を悪くする様子もなく笑ってみせた。
「まさか! そもそも魔王なんてのは伝説だろ? 魔王っていうのは言葉の綾みたいなもんで、病気だとか事故だとか不運だとか、そういう良くないことを遠ざけようっていうのが趣旨ってことさ」
「……なるほどね」
 良くないことはみんな魔王のせい、ってことか。
 わたしは、ふう、と息をつく。背後の魔王がどんな顔をしているのか知らないが、きっといつもの通り飄々としているのだろう。今までだってそうだった。似たようなことは何度もあって――まあそれだけ魔王の伝説が広く知られていて、信仰の対象になっているということでもあるのだけど――彼は表面上、気にする様子は見せなかった。一緒に祭りに興じてみせることすらあった。けれど本心はどうなのか、それはわたしにもわからない。
「せっかくだから、豆をあげる」
 女将さんはわたしの思考など知る由もなく、背後の棚から小袋をふたつ取り出した。きっと、今日泊まるお客たちに渡しているのだろう、中身はちょっとした量の豆のようだった。
「全部は撒かないでおくれよ――まあ、窓からちょっとくらいは投げてもいいから」
「余りは?」
「食べられるよ」
「食べられるのか」
 不意に、背後のジゼルがぽつりと呟いた。……気になるのはそこなのか。
「ああ、あたしたちも毎年、残った分は食べちゃうんだよ。年の数だけ食べるといいともいうけどね」
「年の数……」
 言って考え込む様子のジゼルの足を軽く踏んづけて、わたしは笑顔で女将さんにお礼を言った。
「街には今日にちなんだ郷土料理を出す店もあるから、良かったら聞いとくれ」
「ありがと」
 振り向きざま、ジゼルの手にもらった小袋をひとつ手渡す。魔王の証である右目を眼帯で隠した彼は、自分を追い払う道具であるそれを、どこか物珍しそうに眺めていた。

  × × ×

 夕食を女将さん推薦の店でとったわたしたちは、いつもの通りわたしの部屋に集合した。――誤解を受けないように言っておくが、あくまで今日の旅程の振り返りと、明日の行程を決めるためである。放っておくとわたしに着いてくるばかりで全く頭を使おうとしない魔王を教育するのも、やや強引に目覚めさせてしまったわたしの義務ってもんなのだ。
「豆撒きねえ」
 ジゼルは相変わらずその小袋を後生大事に抱え込んでいる。
「それにしても、何だって豆が魔王に効くってことになったのかしら」
 わたしはできるだけ明るくそう言った。
「そんなもんぶつけたって当たるわけないし……当たったところで、ねえ」
「そりゃそうだ」
 ジゼルは小さく笑って、やがてふと真顔になる。
「けど……たとえばこの大陸中のひとたち皆に豆を投げられたとしたら、さ。たとえそれが当たらなくても、その事実だけで、結構痛いかもしんねえな」
「…………」
 わたしは思わず黙り込んだ。
 それは――そうだろう。豆自体がどうとかこうとかいうことじゃなく、そこに込められた悪意が――怒りが、恐れが、そう言ったものが、きっとその先にいるものを傷つける。彼が眠りについていた城は物理的に彼を敵から守るだけじゃなくて、そういった悪意からも彼を守り続けていたのだろう。その城は、今はもうどこにもないけれど。
「さて、と」
 ジゼルはわたしの逡巡を知ってか知らずか、小袋を手にしてベッドから立ち上がった。
「早速豆撒くか!」
「えっ」
 わたしは思わず声を上げる。
「あんたが撒くの?! 何で?!」
「何でって」
 ジゼルは不服そうにわたしを見下ろす。
「駄目かよ?」
「だ、駄目じゃないけど……」
 魔王除けの豆を魔王が撒く。豆だってどうしたものか、混乱しそうなものである。
「ど、どういうつもりで撒くわけ……? そのこころは……?」
「どうもこうもねえだろ」
 ジゼルはにっと歯を見せて笑った。
「さっきあの女将さんも言ってただろうが――魔王っていうのは言葉の綾。病気とか事故とか、そういう不幸を追い払うための行事なんだって」
「そ……れは、そうだけど……」
 なんていうか、そういういわゆる「悪しきもの」をひっくるめて魔王に押し付ける、そういう風習について当の魔王は思うところはないのだろうか。
 戸惑うわたしを、ジゼルは優しい目で見ていた。
「おまえがおれに気を遣ってくれているのはわかるけど……まあ、そう気にすんなって」
「いやー、そういうわけにも」
「気にするな」
 ジゼルは力強く繰り返す。
「当たり前だけど、人間はみんな幸せに、穏やかに、平和に暮らしたいって願ってる。だけど、病気だとか事故だとか、どうしようもない不運に襲われることは誰にでもあって、それはいくら努力しても、祈っても、防げないことだってある」
「…………」
「そういった、自分の力の及ばないもの……それを『魔王』に見立てるのは理解できなくないし、それを追い払おうってんで冬の終わりの日に豆を撒くなんていうのもさ、おれは人間らしくていいと思う」
 それが本当は魔王に効くことなどないとわかっていても、不運を払いのけられなどしないと悟っていても。
「そうやって、運命に抗う――抗い続ける人間ってものが、おれは」
 いつもは眼帯の下に隠れている彼の金色の目(ゴルダ・アイ)が、あたたかな燭のように揺らめいた。
「結構嫌いじゃない――いや、むしろ」
 ジゼルの手が伸び、わたしの頬をゆるりと撫でる。その掌は、今日までまだ冬だなんて嘘のように熱かった。
「いとしい、とさえ思う……」
「…………」
 わたしは頬に触れた彼の手の甲にそっと触れた。そのまま指を絡めるように握り、立ち上がる。
「言われた通り、投げ過ぎるんじゃないわよ」
「おう。――何なら、投げた豆はちゃんと魔法で回収しても……」
「いやそれは何か興醒めじゃない?」
「そういうものか?」
 手を握ったまま肩をぶつけて笑い合い、そしてどちらともなく手を離した。
 わたしもジゼルに倣って小袋を手に取り、中から豆を数粒掴む。
「……ねえ、ジゼル」
 わたしはぽつりと問い掛けた。視線は開け放した窓の外――冷気がそろそろと室内に流れ込んできて、さっきまであんなに熱かったわたしの顔を冷やしていく。
「なんだ?」
「…………」
 聞き返されて口ごもり、やがてわたしは首を横に振った。……何だか改めて口にするのも馬鹿らしい気がして。
「フレデリカ?」
「ううん、何でもない」
「追い払われたりしねえよ?」
 そう言いながら、ジゼルは豆を夜空へと放った。放物線を描いたそれは、宿の裏手にある空き地の方へと飛んで姿を消す。
「おまえがいくら豆を撒いたって」
 ジゼルは言う。
「そこに魔王除けの意味が込められていようがいまいが、だ」
 ――おれは、おまえから離れねえよ。
「…………」
 何故、こんな時だけ勘がいいのだろう、この男は。わたしは思わず俯く。魔王除けの豆をわたしが撒くことで、そこに何かの「意味」が生じるのだとしたら、そんなのは嫌だった。わたしにそのつもりがなくても、彼にそのつもりがなくても。言葉に力が宿るように、行動にだって力が宿るのかもしれない。だとしたら、わたしは嫌だ。
「だいたい、だ」
「痛っ」
 ジゼルの飛ばした豆鉄砲が、わたしの額にこつんと当たった。
「こんなもんでおれが追い払えると思うのか」
「……思わない」
「だろ?」
 ジゼルは微笑み、そして突然うやうやしく片膝をついた。
「ジゼル?」
「けど、おまえがどうしても気が乗らないっていうなら……投げる代わりにそれ、おれが食ってやるよ」
「え?」
 掌に載せていた豆を、ジゼルがまるで鳥のようについばんでいく。くちばしの代わりに掌に当たる唇が、少しこそばゆい。
「おまえの不幸も不運も、全部おれが――魔王が食ってやる。それでいいだろ?」
「…………」
 がりがりと豆を噛み砕きながら言うジゼルに、わたしは小さく噴き出した。
「なに、それ。そんなのあり?」
「ありだ、あり」
 わたしの掌から豆を一掃して、ジゼルは立ち上がる。
「おれがありだって言えばありなんだよ」
「魔王様は強気ねえ」
 まぜっかえすわたしに、ジゼルは笑う。
「そのくらいでないと、お姫様は守れないからな」
「…………」
 誰が姫よ、と言いたいのをぐっとこらえる。ここで言い返す方が、かえって恥ずかしいことになりそうな気がした。
「まあ……そうね」
 わたしは頷く。
「確かに、豆に頼って不運を追い払うより、食べちゃう方がいっそわたしには向いてる気がするわ」
 残りの豆を口に運ぶ。かりかりとした香ばしい食感が、なかなかに美味しい。
「だろ?」
 指でつまんだ豆を、ジゼルが横からぱくりとくわえる。こいつ……。
 ――まあ、いいか。
 わたしはそ知らぬふりをすることにした。多分、これは彼なりの甘えなのだろう。だとしたら今日くらい――街中で魔王が追い払われる今日くらいは、少しばかり甘えさせてやってもいい。

「明日から、春か」
 ジゼルがぽつりとつぶやく。
「そうね……」
 春が来たら、どこに行こう。
 魔王を連れて。魔王に守られて。どこまでも。