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EX. わたしの魔王様。

 事の起こりは、そう珍しい事件というわけでもなかった。
 人通りの少ない街道沿いに出没する野盗なんて、わたしたちにとってはもはやトラブルというほどのものですらない、旅の風物詩に過ぎない。魔術や武術の嗜みのない商人たちの隊列ならともかく、わたしたちは魔術師フレデリカ・メルノーと(へっぽこ)魔王のジゼルなのである。ちょっとくらい腕の立つ盗賊ふぜい、恐れるに足らず――なのだが。
 もしかすると、わたしのどこかに慢心があったのかもしれない。
 わたしたちを取り囲んだ盗賊たちの放った矢を、わたしは魔術の風でくるみそのすべてを地に落とす。木陰に潜んでいた――とはいえわたしもジゼルもとっくに気付いていたのだけど――殺気が、動揺の気配に変わる。その方角に、わたしは衝撃波を放った。悲鳴と共にばたばたと倒れ伏す物音。そこに、ジゼルが向かった。
「適当に拘束しておくぜ?」
「よろしく」
 わたしは頷く。まさか盗賊たちも、自分があの「伝説の魔王」に拘束されるとは思わなかっただろう――伝説の魔王、アルケナン・オ・アビシア。大陸中で知らぬものなどない存在である。その伝説は、実際の歴史からは大分姿を変え歪んでしまっているのだが……まあ、それはいい。本人がもういいというのだから、いいのだろう。
 ぼんやりと、大きなジゼルの背中を見送っていると――不意に、彼が振り返った。必死の形相で、わたしの名を呼ぶ。
「フレデリカ!」
「え?」
 突然飛来した、風を切る音。ものすごい衝撃と共に、激痛がからだを襲った。い、息が、……?!
「油断したな、このくそがきが」
 声もなく倒れ伏すわたしに、おそらくは隠れ潜んでいたのであろう盗賊の残党が勝ち誇って言葉を投げる。
「あ……」
 なまあたたかい感触が、わたしの体と土の上に広がっていった。わたしは薄目を開け、かろうじてそれを眺める。血だ。わたしの、血……真っ赤な。
 油断した。
 魔術で傷を癒そうとするが、あまりの痛みにまったく集中できないし、息も継げない。指一本も動かせそうにない。ひとりだったら間違いなく死んでいるだろう。今だって、危ないことには変わりない――つまり、わたしは死にかけている。
 わたしはジゼルを見ようとして――けれど、そこに立っていたのは、もはやわたしの知っているジゼルではなかった。長い黒髪は逆立ち、日頃は眼帯で隠しているはずの黄金の片目もあらわで、ふつふつと燃え滾っている。まるで――まるで、罪人を灼き尽くす地獄の業火のように。
 盗賊が悲鳴を上げる――
「だ、」
 だめ、ジゼル。
 その言葉は声にならないまま。わたしは意識を手放したのだった。

  × × ×

 目を覚ましたとき、わたしはひとりだった。
 ここ、どこだろう……。
 どこかの宿の一室であること、それはわかる。ぱりっとしたシーツの敷かれたベッドから起き上がると、じくりとお腹に響いた。――そうだ、わたし……魔術か何かで腹を貫かれて、それで。
 慌てて、いつの間にか着せられていたパジャマを捲る。誰が着せたのかは、とりあえず考えないことにした。つるつるとした皮膚には、傷跡のひとつもない。きっとジゼルが治してくれたのだろう。まったく、たいした魔術の腕である。……なんて、魔王相手に偉そうだけど。
「謝らなきゃ」
 わたしはぽつりと言った。――多分、心配させた。すごく、すごく。そのくらいはうぬぼれたっていいと思う。あの場で油断したのは、完全なわたしのミスだった。自分の力への過信、それから――本当に情けないのだけど、ジゼルをあてにして気が緩んでいた、それは否定できないことだ。
 でも、どうしてここにジゼルはいないのだろう。目が覚めるまでジゼルは付き添っていてくれるのではないか、そんな気がしていた。意識のないわたしをひとりにはしないだろう、って。それはただの思い上がりだったのだけど。
「買い出し? ううん……」
 そもそもジゼルはほとんどお金を持っていない。旅のほとんどをわたしに頼りきりなのである。そんな彼が、ひとりで外出するだろうか。
「…………」
 わたしはおそるおそるベッドから抜け出す。目が覚めた直後は体に感じていた違和感も、今はもうない。
「ジゼル?」
 小声で呼んでみるが、当然返事はない。
 ――どこかで道に迷っているのかもしれない、だとしたら探さなきゃ。探して、迷惑を掛けたことを謝らないと。
 わたしは意を決し、宿の古ぼけたソファの上に置かれた荷物のところに歩み寄って――そして、そこに置かれた一枚のメモに気付いたのだった。
 そっと摘み上げる。
 署名はないが、ジゼルの字だろう。乱雑で汚いが、読めなくはなかった。読めなくはなかったのだが……。
「え?」
 零れ落ちたのは、自分でも驚くほど間抜けな声だった。

 ――今までありがとう。これからはひとりで行く。さようなら。

 わたしは腰が抜けたように、へなへなと床の上に座り込んだ。
「な……んで、」
 なんで。
 なんでよ、ジゼル。
 意味がわからない。何故、ジゼルがわたしを置いていってしまうのか。しかも、何故直接何も言わずに――何も言わせてくれないままにいなくなってしまうのか。何故。
 何故、今わたしの側に彼がいないのか。
「あんた、……」
 ぽた、ぽた、と床に雫が落ちていく。
「ひとりで、旅なんてできないでしょうが……!」
 地図も読めない、お金の管理もできない、世間を何も知らない魔王。――なあ、フレデリカ。次はどっちに行くんだ? そう無邪気に尋ねてくる横顔が隣にあることが、いつの間にか当たり前になってしまっていた。ジゼルはわたしがいないとだめなんだと、そう思い込んでいた――思い込みたがっていた。
「……ひとりがだめなのは、わたしだ」
 力ない笑いが溢れ、わたしはぐいと涙を拭った。
 とにかく、状況を把握しないと。あれからどれくらいの時間が経過していて、ここはどこの街なのか。腹ごしらえだってしなければならない。全ては、それから。
 それから――わたしは、魔王を探しにいく。
 かつてのわたしが執念で魔王の城を探し出したこと、忘れてもらっては困るのだ。

  × × ×

 普段の衣服に着替えて――あの時着ていた、多分血だらけだっただろう、穴の開いたシャツは、既に捨てられたのか、荷物の中には見当たらない。わたしは部屋を出て、階下の食堂に降りた。見慣れた長身が辺りにないかと探すけれど、もちろんそう都合良く見つかるはずもない。
 わたしはまず、宿の主人を掴まえて話を聞くことにした。――だが、特に得るものはなかった。何しろ、彼はジゼルを見ていないというのだ。昨日わたしがひとりで現れて、ひとり分の部屋をとったのだと。当然、わたしにそんな記憶はない。夢遊病者じゃあるまいし、そんな馬鹿な話はないだろう。だが、目の前の人の良さそうなおっさんが嘘をついているようにも見えない。ということは、ジゼルが彼の記憶を弄った……? もちろん人間にはそう簡単に扱える魔術ではないが、ジゼルになら十分可能だろう。
 話をするうち、わたしが大怪我をしてから、どうやら今が三日目の朝だとわかった。昨日一昨日に、一体何があったのか……。
 宿の主人は、思い詰めたような顔をしているわたしが心配になったのだろうか、優しく声を掛けてくれた。
「あんたの探しているそのひとは、旅の連れなのかい? 例の事故に巻き込まれていないといいんだがね」
「例の事故?」
 彼はその事故とやらを知らないわたしに驚いたようだが、それでも親切に説明してくれた。――曰く、三日前に街外れの森で大規模な爆発があって、その一帯が焼け野原になってしまったらしい、と。数年前からそこを根城にしていた盗賊の一味の魔術が暴発したものではないかと言われているとか。彼らはその「事故」に巻き込まれて全員死亡。幸い、他に怪我人は出ていないようだ。
 わたしは、ごくり、と唾を飲んだ。
「や、焼け野原って……どれくらいの……?」
「いやー、森はほとんどなくなっちまったなあ」
 あまりの規模に、盗賊たちが何か魔術具を手に入れ、それを暴走させたのではと見る向きもあるようだ。
「…………」
 だが、それは間違いだ。わたしにはわかる――いや、むしろ知っている、と言った方がいい。
 その場に、わたしはいたのだから。
 ――ジゼルだ。ジゼルがやったのだ。意識的にか無意識にかはわからないが、とにかく彼の魔力の為したことだ、それは間違いない。
 そして……ジゼルが姿を消した原因、それもきっとその「事故」にあるのだろう。
「大丈夫かい? 顔色が悪いようだが」
 心配そうに声を掛けてくる主人に笑って首を振り、わたしはスープとパンを注文した。
 ジゼルが姿を消した理由はわからない。だが、きっかけはわかった。それでもひとつ、前進には違いない。
「……よし」
 食事を終えたらその「事故」の現場に行ってみよう。わたしはそう心に決めた。

 荒涼とした大地に風が吹き荒ぶ。
 ――これは……。
 わたしは絶句する。話には聞いて、想像はしていたつもりだけど……。
 ほんの三日前まであおあおと茂っていた木々は、朽ち果てた枯木のように地面に折れ重なっている。熱風に煽られたせいだろう、葉や草はほとんど残っていない。炭化した幹や枝、土からも、まだぷすぷすと煙が立ち昇っている。盗賊たちもそうだが、森に棲んでいた動物たちも根こそぎやられてしまっただろう、あたりに生命の気配はない。
 死の森。
 そんな言葉が脳裏をよぎる――。

 はあ、とわたしはため息をついた。
「だったら何なのよ」
 ぽつりと呟く。
「中途半端なのよ、ジゼル――あんたは中途半端だわ」
 当然、そこにいるのはわたしだけ。わたしの声は誰にも届かない――そんなことはない。
 わたしは日頃はめているグローブを外した。そこには、指輪が――ジゼルがわたしにくれた、彼がわたしの位置を知るための指輪がある。この指輪では、わたしからジゼルを探すことはできない、それでも。
「あんたは、消えたくなんてないんでしょう」
 その冷たい金属をがりりと歯の間に噛んで、わたしは呻くように呟いた。
「本当に姿を消してひとりになるつもりなら、何故、これをそのままにしていったの?」
 ――何故、
「わたしの中のあんたに関する記憶を消さなかったの……?」
 答えはない。ただ、焦げ臭い風が吹き過ぎるばかりだ。
 だが、絶対にジゼルは聞いている。あるいは見ている。間違いない。はっきりとした理由はいえないけれど、絶対にそうだ。
「ジゼル」
 わたしはきっぱりと言った。
「出てきて。出てこないと、どこまでも追いかけるわよ――絶対に探し出す。逃げようったってそうはいかないんだから」
 ――話をしましょう。
「話をして、それでもあなたがわたしから離れてひとりになりたいっていうなら――止めはしないから……」
 本当に止めずにいられないかはわからないけど……とにかく。
「だから」
 ――急に、涙があふれてきた。それと同時、ぽつぽつと雨が降り始める。
「ジゼル……!」
 名を呼んだ。呼ばずにはいられない。
「ここに、来て」
 ――側にいて。

 わたしを、ひとりにしないで……!

 激しさを増しながらわたしを濡らしていた雨粒が、不意に遮られた。
「…………」
 見回すが、辺りには誰もいない。でも、ここにいる。絶対に、ここにいる。ジゼルの気配を感じる。
「ジゼル……?」
『説明せずに消えたのは、悪かった』
 やっぱりジゼルの声だ。ジゼルだ。わたしはもう、どうしようもなくぽろぽろと泣いていた。ジゼルが雨と見間違ってくれるように、祈る。
『……おれ、怖くなったんだ』
 意外な言葉に、わたしは目を見開いた。
「怖くなった……?」
『あのとき』
 ジゼルは淡々と言う。
『お前が攻撃されて、倒れたとき――血がものすごく出ていて、死んだのかと思って……そこからはもう、覚えていない』
 ただ、どうしようもない怒りを、悲しみを、呪詛を、溢れ出るがままにぶつけた。誰が何人死のうが、どうなろうが、どうでもいいと思った。おれからおまえを奪うものすべて、なくなってしまえばいいと。
『何もかも全部死んでしまえ、壊れてしまえって思った。世界なんて滅びちまえって……それで、見ての通り一発であたり一面をぶっ壊して、その時お前のうめき声が聞こえて――我に返って。お前を治療した』
 もし、あのままお前が本当に死んでしまっていたら。
『おれは多分、世界を滅ぼしていた……』
「そ……、」
 わたしはなんとか言葉を絞り出す。
「それは……あなたが悪いんじゃない。わたしが、油断したから……だから」
『違う。違うんだよ、フレデリカ』
 ジゼルの声は苦しそうだった。
『おれが怖いのは……おれなんだ』
「どういうこと……?」
 わたしは聞き返す。
『お前と世界を天秤にかけたなら、おれは何度だってお前を選ぶ』
 ジゼルは、はっきりとそう言った。
『おれは、いつか世界を滅ぼす魔王に――本当の意味での魔王になってしまうのかもしれない。その引き金を、お前に引かせてしまうのかもしれない……』
 ――このままお前の側にいることで、おれは。
「ジゼル、」
「お前が、世界を教えてくれたのに。お前が、この世界の愛し方を教えてくれたのに」
 激しく降りしきる雨の中、ジゼルがふっとわたしの目の前に姿を見せた。わたしの頭上の雨は避けてくれているのに、彼は濡れるがままだった。彼も、もしかすると隠したいと思っているのかもしれない――彼の涙を。
「その世界を……おれは壊してしまうかもしれない……」
 本当の意味での、魔王になってしまうのかもしれない。
「…………」
 かたく握り締められた拳に、わたしはそっと手を伸ばした。びくりと震えるひんやりとしたそれを、無理矢理に包み込む。
「それでも」
 わたしは、彼の手を抱きしめるように胸に引き寄せた。
「あなたが、いつか世界を滅ぼす魔王になるとしても」
 わたしは言う。
「それでも――わたしは」

 ――あなたと、一緒にいたい。

 ジゼルの体が震えた。わたしを強くとらえる力強い腕――フレデリカ、フレデリカ、と何度も彼はわたしを呼んだ。
「無事で良かった、」
 ――生きていて良かった。
「ジゼル、ごめんね、」
「おれを置いていくな、」
「うん、」
「おれをひとりにするな、」
「うん、」
「おれを、」
 ――魔王にしないでくれ……!
「ジゼル」
 わたしは顔を上げ、ジゼルの頬を両手で包んだ。その、あらわな金の目は本当にうつくしい。
「わたしを、ひとりにしないで――」
 ジゼルが泣き笑いのように顔を歪める。その表情が、視界いっぱいに広がって――わたしはそれがごく自然なことであるかのように、かたく目を閉じ、全身を彼にゆだねた。

  × × ×

 雨上がりの空の下、わたしたちは手を握り、連れ立って山を下りた――ごっそりと抉れた焼け野原を後にして。
「フレデリカ」
 ジゼルがわたしを見下ろし、ぽつりと言った。
「傷、残らなくてよかったな」
「あなたの魔術が優秀だったんでしょ」
 と答えてからふと気付く――いや、気付かないふりをしていただけのことを、改めて思い出してしまう。
 ジゼルがわたしの傷を知っているということは、わたしの服を脱がせて着替えさせたのもジゼルということで、つまり……。
「別にいいだろ」
 ジゼルはわたしを見つめ、にやにやとした笑みを浮かべる。
「おまえは魔王のもんなんだから――てっ」
「勘違いしないでよ」
 わたしはジゼルの足をぐいと踏みつけた。勢いでぬかるみに埋まって、いい気味だ。
 わたしはジゼルを見上げる――その背後には、晴れ晴れと青い空、そしてそこに架かる大きな虹。
「あなたが、わたしの魔王様(もの)なんだから」
「…………」
 ジゼルは目を細めて笑い――そうして何も言わずに、空を振り仰いだのだった。