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魔王様とわたし。8

 あたたかな日差しがぽかぽかと降り注ぐ。みどりの匂いを胸いっぱいに吸い込んで、わたしはごろりと寝返りを打った。
「気持ちいいわねえ……」
「何が?」
 突然、わたしの上から影が落ちてくる。
「なあ、何やってんだお前」
「ひなたぽっこ」
「ひ、なた……ぼっこ?」
 たどたどしく鸚鵡返しにつぶやいて、影の主はわたしの隣に腰を下ろした。
「地面に寝転がることを、そういうのか?」
「違うわよ」
 私は上を向いて、空に向かって手を掲げた。まぶしい。でも、いやじゃない。
「こうやって、光に照らされてぽかぽかすることを言うの」
「ふうん……?」
 見上げると、彼はわかったようなわかっていないような顔をして首を傾げていた。さらりと揺れる黒髪。眼帯に隠れた片目。私の旅の連れ、ジゼルだ。
「ぽかぽか……って」
 なんだ、と聞きかけた彼の先回り。
「こういうのって、言葉じゃうまく説明できないものよ」
「そうなのか?」
「そう」
 わたしはくすりと笑った。
「どう? こうやってのんびりするのも、たまには良くない?」
「……まあ、な」
 ジゼルもまた、わたしに倣って身体を横たえた。大きく伸びをする。
 どうせ、あてのある旅ではない。今日は一日、こうやってのんびりしてもいい。うとうとと浅い眠りに落ちそうになった、その時。
「……なあ」
 ジゼルの声に、わたしは薄目を開けた。
「何よ」
「こうやってたら、もとの道に戻れるのか?」
「うっ」
 ジゼルの言葉に、一気に現実に引き戻される。
 ――実は何を隠そう、わたしたちはうっかり道に迷ってしまっていたのだった……。

「大体、この地図が古いのがいけないのよ。この辺の地形がすっかり変わっちゃってるなんて、聞いてないわよ?!」
「ふんふん」
「ジゼルもちょっとは自分で考えなさいって」
「ふんふん」
「聞いてるの、あんたは?!」
 わたしは跳ね起き、彼の首根っこを掴んでがくがくと揺らした。ジゼルはなされるがままになりながら、眉を寄せた。
「そうは言ってもなあ」
「何よ」
「おれ、お前について回ってるだけだから」
「は?」
 あまりといえばあまりな言葉に、わたしは手を止めた。ジゼルはその隙に首元からわたしの手をそっと離させる。眼帯をほどき、両目で――きらめく金色(こんじき)と深い闇色でわたしを見上げた。
「どうかしたか?」
「……ええっと」
 わたしは思わず口ごもった。
「つまり、あなたはわたしの行くところなら、どこにでも着いてくるってこと?」
「お前が嫌がりさえしなきゃな」
「嫌がったらどうすんの?」
「うーん」
 意地悪な質問にも嫌な顔一つせず、ジゼルは寝転がったまま腕を組んだ。
「どうしようかなあ」
「あんたねえ」
 ため息交じりに言葉を吐き出す。
「いつまでもそんなんじゃ駄目よ。そりゃあ、旅の最初の頃は非常識極まりなかったし、わたしがいないと何にもできなかったでしょうけど?」
「そ、そこまで言うか……」
「何よ、間違ってる?」
「いいえ」
 よろしい、とわたしはひとつうなずく。
「そろそろ人間の世界にも慣れてきたでしょ?」
 ――そう。何を隠そう、この男は伝説の魔王(のなれの果て)なのである。見た目はただの目つきの悪い兄ちゃんでしかないが、その魔力は圧倒的で、底知れぬほど強大だ。人は自らが敵わない存在には恐れを抱く。そして、時にその恐怖心は凶暴な迫害へと姿を変える。だから、彼は物心ついたときから城に閉じこもっていたというのだが――。
「もう、大丈夫なんじゃない?」
 物を得るためには金を払わなければならないということも、そしてその金は仕事をして得るのだということも、他にも数え切れないほど当たり前のことを、彼は覚えた。魔力を隠すことも、彼は意外に上手にできている。彼なら何の仕事でもできるだろうし、別にわたしと一緒にいなくったって……。
「うーん、でもなあ」
 ジゼルはのんびりと口を開いた。
「ひなたぼっこ? だっけ? おれ、それ知らなかったし」
「ひなたぼっこなんて知らなくったって、十分生きていけるわよ」
「いいや」
 彼は妙にきっぱりと言いきった。そして、図々しくもわたしの膝の上に頭を載せてきた。
「おれが旅をするのは、そういうのを知るためだ。ただ、生きるためじゃない」
「…………」
「生きることなんざ簡単なんだよ。おれにとっては」
 薄い唇の端に浮かべる、ニヒルな笑み。
 ――魔法を使えば、何だってできる。そういうことか。きっと、彼の魔力をもってすればこの世界に不可能などない。
「だけど」
 ジゼルは目を閉じた。
「難しいんだ。『生きる』ってことを――その意味とか、良さとか、愉しさとか、辛さとか――そういうのを知るのは」
「…………」
「ひとりじゃ、駄目だ」
 彼の真摯な顔を見ているのが照れくさくなって、わたしは目を逸らした。
「……そういうもん?」
「お前だって、ひとりは嫌なんだろ?」
「う……」
 口元でにやりと笑われ、顔が赤くなる。――確かに、わたしは何度かジゼルにそう言った。「ひとりにしないで」と。言った本人が言うのも何だが、わたし自身も実はそう言った自分の真意が良く分からない。わたしはずっとひとりだったのに。ひとりで生きてきたのに。だから、これからだってひとりで生きていけるはずなのに。
「いいじゃねえか、道に迷うのもさ」
 ジゼルはわたしの膝に頭を載せたまま、片目を――金色の方の目を開けて、わたしを見た。
「おれにとっては何ひとつ無駄じゃねえんだよ」
「……そう」
 わたしは静かにうなずき――そして、口を開いた。
「で、いつまでそうしてんの?」
「へ?」
「へ、じゃないいいいいい!!!」
 わたしの拳をひらりと避け、ジゼルは唇を尖らせた。
「ちょうどいい枕だったのに……」
「わたしはあんたに膝枕してあげる、なんて言った覚えはないわよ?!」
 振り上げた拳をぽす、と彼に掴まれて。
「へー、これ、ひざまくらっていうのか」
 ジゼルはにこにこと笑いながらわたしを引っ張り、自分の膝の上に倒れ込ませた。
「なっ?!」
「これはかなりぽかぽかするぞ。次はお前の番だ」
「けけけけ結構です!!」
「遠慮すんなって」
「ぎゃあああ」
 抱え込むように肩を抑え込まれて、彼の顔が至近距離でへらへらと笑う。
「ほら、ぽかぽかするだろ?」
 ――こんなの、ぽかぽかどころの騒ぎじゃない。多分、わたしの顔は夕焼けの色よりもずっと真っ赤になっているに違いない。
 だが、わたしの抗議の声は、喉の奥でかき消えた。――だって、
「ぽかぽかっていいなあ」
 ジゼルが上機嫌にわたしの髪をくしゃくしゃと撫で回すから。
「うう……」
 唇を噛んで黙り込む。
「ほら」
 まぶしくないように、だろうか。彼の手がわたしの目をやんわりと塞いだ。
「最近疲れてるんだろ? ちょっと昼寝しろよ」
「え、なんで……?」
 何故わかったのか。わたしはその問いを飲み込んだ。――確かに、最近わたしは疲れているのかもしれない。三日前はお腹を壊したし、一昨日は派手に転んで足をくじいた。昨日は思いっきり頬の内側を噛んで血豆ができたし、。もちろん、怪我はジゼルが魔法ですぐ治してくれたのだけど……(別に自分でも治せるのだが、そういう時のジゼルはとても素早いのだ)。おまけに、今日は道に迷って数時間歩きづめだったし。考えてみれば、かなり疲れが溜まっているような気もする。
「じゃあ、遠慮なく」
 わたしは寝返りを打って、彼の膝に顔を埋めた。うん、まあ……確かにあたたかい。
「おやすみ、フレデリカ」
 その言葉を最後に、わたしの意識は眠りに落ちた。深い、安らかな――穏やかな眠りだった。

「う、ん……?」
 次に目を覚ました時、辺りは真っ暗だった。わたしは慌てて飛び起きる。
「ジゼル?!」
「何だ?」
 手を伸ばすと、そこにはがっしりとした体躯。ジゼルだ。少しだけほっとしながらも、わたしは彼に喰ってかかった。
「ちょっと、もう夜なんだけど?!」
「おう。お前、全然起きないから」
「起こしてよ!!」
「だってなあ……」
 徐々に夜に目が慣れてくる。ジゼルはぽりぽりと頭を掻いていた。
「お前があんまりしあわせそうに寝てるから、あーぽかぽかしてるなーって思ったら起こせなくって」
「そのせいで、野宿になっちゃ意味がないじゃないー!!」
「……それもそうだな」
「へ?」
 ジゼルはわたしをひょいと抱えて立ち上がった。
「わ、ちょ、ちょっと……!」
「街まで連れて行ってやる」
「……へ?」
 ジゼルの構成する魔法は、いつもながらに圧倒的なまでに強大で――わたしは眩暈に襲われ、目を閉じた。
「着いたぞ」
「…………」
 目を開けると、そこはわたしたちが目指していた街の入り口。呆気ないくらい簡単に、わたしたちは目的地に辿りついていた。
「…………」
 あんぐりと口を開け、わたしはジゼルに抱えられたまま、彼の顔を見下ろした。安堵よりも先立ったのは、ふつふつと湧きあがる怒り。
「……最初からこうすれば、あんなに迷わなかったんじゃないの……?」
「あ」
 しまった、という顔をするジゼル。慌てて言い訳を始める。
「で、でもな、空間移動なんか使っちゃ、旅の醍醐味がないし」
「迷ってる時くらいはいいのよ! 無駄に疲れたじゃない!!」
「無駄じゃあなかっただろ。ひなたぼっこでぽかぽかしたし、膝枕も……」
「うるさいうるさああい!!」
 彼の頭をぽかぽか殴りつけながら、わたしは喚く。
「さっさと宿決めるわよ!! でもっておいしいご飯をたらふく食べるんだから!!」
「はいよ」
 ジゼルは肩をすくめて歩き出した。

 ――この時のわたしは本当にうっかりしていた。宿に入るまで、ジゼルに抱えあげられていることを忘れていたなんて。
 宿のおかみさんに「二部屋」と告げて怪訝な顔をされたことは言うまでもない。もちろん、ちゃんと二部屋取ったのだけれど。……本当に、しまった。
「ふう……」
 自分の部屋に辿りつき、ベッドに倒れ込む。清潔なシーツ、やわらかな枕。だけど、あの昼寝にはかなわない……のかもしれない。
「フレデリカ、飯食いに行くぞー」
 部屋の扉の向こうから響く、能天気な声。まったく……。わたしはため息をついて、立ち上がった。
「今行くわ」
 疲れはもう、なかった。