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魔王様とわたし。7

 頬がひんやりと冷たくて、目が覚めた。
「…………?」
 辺りは薄暗い。どうやら自分が床に這いつくばっているようだと気付いて、飛び起きようとした――のだけれど。
「いたっ」
 肩や腕が痛い。手が動かせない。……手首が、縛られている?
「!!」
 一気に意識が覚醒し、わたしは反動をつけて身体を起こした。ここは……牢? 鉄格子と厚そうな石の壁が周囲を取り囲んでいる。隣には同じように後ろ手に縛られた姿が転がっていて。わたしは少しほっとした。見慣れた背中。とりあえず、無事でよかった。
「ジゼル!」
 わたしは小声で彼の名を呼んだ。
「ジゼル、起きて」
「……ん」
 もぞもぞと動く、長い黒髪。その隙間から見上げてくる視線はしっかりとしていて、きっと彼は私より先に起きていたのだろう。状況がわからないから、とりあえず大人しくしていたのだろうか。だとすれば賢明で、冷静な判断だ。――彼の正体には似合わないほど。
 わたしは彼の耳元に口を近づけ、ぼそぼそと言った。
「どうやらわたしたち、誰かに捕まってるみたいね。一服盛られたのかしら」
 怪しいのは、宿で食べた食事だ。あの後猛烈に眠くなって……旅装束も解かずにベッドに倒れ込んだような気がする。
「やつら……」
 ジゼルは目を細めた。
「ご神託がどうのって言ってたぞ」
「…………」
 その言葉に、わたしは息を呑む。――そうか。
 ここは、巫女の統べる国。かつて神に仕えていた巫女が女王となり、その血筋が代々の女王に脈々と受け継がれているのだという。良く言えば古風、悪く言えば化石のような国らしく、歴史と伝統を何よりも重んじているのだとか。今時神託なんてものに従って政治をやって、うまくいくものなのだろかとは思うが、それなりにうまくいっているようだから、そこそこ当たるものなのだろう。
 まあ、神を信じて生きていくのはひとの勝手だとは思う。だが、今はそうも言っていられない。神とやらの実態を、わたしは知ってしまっているからだ。
 神。つまり、ジゼルを――「魔王」を迫害した、「英雄」たち。もとはといえば、ただの人間に過ぎないのだ。
 異種族の血をひくからというだけの理由でジゼルは追われ、「魔王」にされた。今から少し前、わたしは城に守られ、閉じこもっていた彼と出会った。その後いろいろあって、わたしたちは今ともに旅をしている。彼はもう、「魔王」ではない。ちょっとばかり非常識で、ちょっとばかり魔力の強大な、わたしの旅の連れだ。
 でも……本当に女王が神の声を聞くことができるというのなら、ジゼルとの相性は最悪だ。
「しまったな」
 わたしは舌打ちをした。こんなことなら、この国を通らなければよかった。それにしたって、まだ我々が国境を越えて間もないというのに……。
 
 ――カチャリ。
 わたしたちが入れられている牢の鉄格子の向こう側で、扉のあく音がした。
「目が覚めたようだな」
「…………」
 いかにも軍人然としたひとりの男と、兵士。そして彼らの背後に守られるようにして現れたのは、わたしより少し年上くらいの女性だった。……これが、女王だろうか。プラチナブロンドの髪をひとつにまとめ、薄氷のような色の瞳がじっとわたしたちを見据えている。
「ちょっと、何のつもり?」
 わたしは低い声で尋ねた。
「わたしたちはただの旅人よ。何も悪いことなんてしていない。それを、いきなり薬で眠らせて拉致するなんて、どうかしてるんじゃない? 何か正当な理由があるのなら、聞かせなさいよ」
 先頭に立つ男が、小さく顔をひきつらせた。
「気の強い女だな。一緒に連れてきて正解だった」
 ――やはり、目的は最初からジゼルなのか。わたしは眉間に力を込める。
 困ったことに、わたしにはめられている手錠には妙な魔法が掛けられていて、わたしの魔力を吸い取っているようなのだ。呪文を思い浮かべるだけでも脱力感に襲われて続けることができない。わたしが魔導師だということも、神託にあったのだろうか。いや、わたしのことはいい。ジゼルのことは、どれくらい詳しく知っているのだろうか。もし、彼が伝説の魔王なのだと――アルケナン・オ・アビシアだと知られたら――全身からどっと冷たい汗が噴き出した。
 冷やかな表情をした女が、一歩、踏み出した。
「わたくしはこの国の女王、マリリア・エル・セプセシア。ご不自由をお掛けして申し訳ないと思っています」
「思ってるなら、さっさとこれ外しなさいよ! 外に出して!」
 気に入らない。何もかもが、気に入らない。わたしは床をブーツで蹴飛ばした。わたしの背後で押し黙っているジゼルが気になるのに、振りむけない。彼がどんな顔をしているのか、見たくなかった。
「そういうわけにはいきません。――わたくしは今朝、ご神託を受けました」
 女王はわたしから視線を外した。……ジゼルを、見ている。
「国境近くの町に、ふたり連れの旅人が訪れる。――そのうちのひとり、金色の右目を持つ黒髪の男は、魔のもの。この世に災厄をもたらす……と」
「な……っ」
 わたしはぎり、と彼女を睨んだ。
「神託だか何だか知らないけど、そんなもんを真に受けてほいほい投獄される国なんてたまんないわね。さっさと出てくから、ここから出して」
「……そういうわけには参りません」
 女王は首を横に振った。長いプラチナブロンドの髪が、ゆらゆらと残像を描いて揺れる。
「ご神託は、彼を『魔のもの』と告げた。そう簡単に自由の身にしていいものか、どうか……」
「どういうこと?!」
「もし、彼が我々人間に仇なす存在であれば――見過ごすことはできません。実際、彼からは強い魔力の波動を感じるという魔導師もいる。……慎重に、見極めなくては」
 ――わたしは息をのんだ。まさか、それだけのことで。彼を。彼の自由を。彼の運命を。
 両手の使えないわたしは、よろけながら立ちあがった。鉄格子に肩を押しつけ、叫ぶ。
「あんた……自分が何言ってるのかわかってんの?!」
「お前、女王様になんて口を……!!」
 男が激昂するが、わたしにとってはそんなことはどうでもよかった。なんで。なんでなの。それだけを考えていた。
「魔力が強いから何よ。右目の色がひとと違うからって、それが何だっていうのよ。彼が何をしたっていうの。何も悪いことしてないじゃない。何かやったっていうなら、そりゃあ気の済むまでひっ捕まえてればいいわ。でも、彼は何もしてない……!!」
「確かに、何もしてないのかもししれません――『まだ』、ね」
 女王は一歩退き、わたしから離れた。その表情は真剣で、悪意のかけらもない。彼女は、本当に国のことを心配しているのだろう……かつて彼を追った「英雄」たちも、同じだったのかもしれない。ただ自分を、自分の愛するものたちを、自分の国を心配するがゆえに、異分子を受け入れられなかったのかもしれない……。
「だからといって、これからも安全とは限らないわ」
「どうするつもりよ」
 わたしは低くつぶやいた。彼を、どうするつもりなのだ。
「しばらく、わたしたちの管理下にとどまっていただこうと思います」
 女王は厳然と言った。
「他の国々とも協議しなければ――問題がないとわかれば、すぐにでも解放致しますわ」
 では、問題があるとなれば――どうなるのか。わたしは聞けなかった。
「…………」
 背後のジゼルの静けさが、痛い。

 ごめんね、ジゼル。こんな想いをさせるために、わたしあなたを城から出したんじゃない。
 
 嗚咽が漏れそうになるのを、こらえる。本当に泣きたいのは、きっとジゼルだ。わたしじゃない。わたしが泣いてはいけない。
「おい」
 突然、背後のジゼルが声を出した。わたしはびくりと震える。目の前の女王たちも、驚いたように後ずさった。その怯えたような表情が、気に入らない。ジゼルは怖くなんかないのに。ちょっと間抜けだけど、気のいいやつなのに。
「この女は無関係だ。放してやれ」
「ちょっ……!」
 わたしは思わず振り向いていた。ジゼルは床の上にあぐらを組み、女王たちを睨みつけていた。闇の中でも皓々と輝く、黄金色の右目。
「あんたらがそれで安心するなら、おれはしばらくの間ここにいてやる。だが、彼女は解放しろ」
「な、何言ってんのよ!」
「別にそれは構いません」
 女王はわたしの焦りをよそに、あっさりとうなずいてみせた。
「ご神託にあったのも、あなたのことだけ。彼女については、何も」
「そうか」
 安心したようにつぶやくジゼル。彼は、わたしを、見ない。
「……や」
 わたしは、ジゼルにふらふらと歩み寄った。
「や、だよ」
「フレデリカ」
 彼は、なだめるように優しくわたしの名を呼んだ。でも、わたしはうなずけない。彼の足もとにひざまずいて、うつむいた。
 ――駄目だ。もう、耐えられない。
 ぽたぽたと、涙が床に零れおちる。
「あんた、何言ってんのよ……!」
「解放してもらえるように、がんばるから」
 そういう彼の声は、馬鹿みたいに優しい。
「そうしたら、お前を捜しに行く。大丈夫、ちゃんと捜せるようにしてやったろ?」
 以前くれた、指輪のことだろうか。わたしの指と一緒に、こころのどこかもずっとしめつけている、彼のくれた指輪。
「いや……」
 わたしは首を横に振る。涙が溢れて、止まらない。顔があげられない。
「ジゼル」
 ――もどかしい。両手がつかえないのが、今どうしようもなくもどかしかった。
「ジゼルがっ、行けないんなら……わたしも行かない」
「おい」
「いっしょに、いるっ……」
 彼の肩に、涙で濡れた頬を埋める。
「フレデリカ」
「言ったじゃない。あなた、わたしに言った」

 ――もう、お前をひとりにはしねえよ。
 
「言った、わよね……? 覚えてる……?」
「……おう」
 低い声が、耳元に零れる。
「じゃあっ、……ひとりに……しないで」
 ――わたしに、あなたを、
「ひとりに……させないで」
「…………」
 ジゼルは黙っている。
 今、彼が何を考えているのか……わたしにはわからない。自分を捕えた人間たちのこと。何百年経っても追われる自分のこと。安全な城から連れ出したわたしのこと。彼は今、何を――。
「なあ」
 彼が突然、ぽつりとつぶやいた。
「な、何?」
「おまえ、泣いてるのか?」
「…………」
 突然何を――そう思った時、不意にあたたかいものがわたしの頬に触れた。
「やっぱり、泣いてる。暗くて良く見えなかったんだが……」
「え?」
 わたしは声を挙げた。わたしの顔に触れているもの。それは、彼の手だ。わたしと同じように魔力を封じる手錠を掛けられていたはずの、彼の手。
「何だと?!」
 鉄格子の向こうから、驚きの声が上がる。
「こんなちゃちなおもちゃごときで、おれの魔力が封じられるわけがないだろ」
 ジゼルはつぶやき、足元に転がった手錠の破片を蹴り飛ばした。
「フレデリカ」
 ごつごつとした指先が、わたしの瞼を撫でる。思わず顔をあげると、驚くほど近い場所に彼の顔があった。
 吸い込まれそうな金色。深い闇色。ふたつの色の瞳が、わたしを映している。
「おまえが泣くんじゃ、仕方ないよな」
「え?」
「目、つぶってろ」
「え?」
 さっきから同じことしか言えないわたしに焦れたように、ジゼルは苦笑した。いつも通りの、余裕たっぷりな表情。
「だから、目つぶれって」
 繰り返して言われ、わたしは見開いていた目をようやく閉じた。
「そのままだぞ」
 わたしの体が、何かに覆われる。たぶん、彼のマントだ。背中と頭に感じる、彼の腕の感触。
「『おれのことは――おれとこいつのことは、忘れろ』」
 その言葉そのものに、魔力が込められているのがわかった。
「『おまえは、ご神託を聞く力を失う。おまえも、おまえの子孫も――永遠に失う』」
 ゆっくりとした口調で、彼は世界に魔法を掛ける。わたしたち人間には到底扱えない、緻密で精細で、そして強力な魔法を。

 ――長い時間が過ぎた。途中、ふわふわと体が浮いていたような気もするが……何だかもう、よくわからない。体がぐったりと重かった。泣き過ぎたせいか、頭も痛い。
「ジゼル……」
 わたしは目をつぶったまま、ぽつりとつぶやいた。
「もう、いい?」
「…………」
 何故か、返事がなかった。
「ジゼル?」
 不安になって呼びかける。
「ジゼ――」
 声が、途切れた。何かに、唇を塞がれている。何か……何か? だが、その正体がわからないうちにその「何か」は離れていった。
「もういいぞ」
 わたしは勢いよく目を開ける。
 そこはどこか、宿の一室のようだった。ベッドの上にわたしは座っていて、その正面に置かれた椅子にジゼルが座っている。いつの間にか、右目にはいつも通りの眼帯がついていた。
 何故か、彼は妙に赤い顔をしていた。――魔力の使い過ぎで、疲れたのだろうか。
 不意に、わたしは自分の腕がまだ後ろ手に拘束されていることに気付いた。
「これ、取って」
「お? 忘れてた」
 ジゼルは赤い顔のままでわたしの背後に手を伸ばした。一瞬で、手錠は粉々に砕けて床に落ちる。
「ありがと」
 わたしはこすれて赤くなった手首をさすった。痛い。でも、ジゼルの痛みはこんなもんじゃなかったはずだ。
「……ごめんね」
 わたしは俯いた。
「本当に……ごめんなさい」
 彼をこの旅に連れ出したことは、本当に正しかったのか。今のわたしには良く分からない。あの安全な城の中にいたほうが、彼にとっては良かったのではないだろうか。
「何を謝ってるんだ?」
「何をって……!」
 顔をあげたわたしの目の前で、ジゼルは微笑んでいた。――馬鹿みたいに、優しい笑顔で。
「ありがとうな」
「…………?!」
 ――この、馬鹿。大馬鹿魔王。
 わたしはまた涙腺が緩むのを感じながら、思わず彼に両腕を広げて抱きついていた。
「おおう?!」
 妙な声をあげながら、ジゼルはわたしを受け止める。
 わたしは彼の胸に顔を埋めながら、つぶやいた。
「ばか」
「そうだな」
 彼の手が、ぽんぽんとわたしの頭を撫でる。
「でも、おまえだってばかだぞ」
「…………」
「おまえがいなかったら……おれは多分、おとなしく捕まってただろう」
「それこそばかよ」
「そうかもな。でも、世界の全員がそう望むんだとしたら――それに刃向かうのって、すごい難しいことなんだぜ?」
「…………」
 確かにそうかもしれない。自分以外の全員に憎まれて、疎まれて、必要とされなかったら――それでも胸を張って生きることなんて、きっとできない。そんなのは、辛過ぎるし、悲し過ぎる。
 黙り込んだわたしの耳元で、彼は言った。
「おれは、違う」
「…………」
 わたしは顔をあげる。彼は目を細め、わたしを見つめていた。
「世界中の皆がおれを迫害しても、おまえは一緒にいてくれるんだろう?」
「うん」
 即座にわたしはうなずく。彼はますます目を細め、そして――。
「…………!!」

 先ほど唇に触れた正体のわからない「何か」。その正体を、わたしは知った。
 
「し・ねえええええええええ!!」
 絶叫と共に放たれる魔術。
「どわああああああ!!」
 ジゼルはあわてて飛び退り、魔術の軌道を変えた。部屋の窓の外で、火の玉が炸裂する。
「死ぬぞ?! 当たったらまじで死んじゃうぞ?!」
「あんたは死なないわよ! このアホバカスケベ魔王!! いっぺん死ね! で、生き返れ!」
「おまえ何言ってんだかわかんねーぞっていうかあの手錠壊さなきゃ良かったかな」
「ぎゃー変態ー!!」

 ――振り回す拳と避ける手には、それぞれ指輪がひとつ、煌めいていた。