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魔王様とわたし。6

 ──ふ、と目が開く。それは本当に唐突な目覚めだった。わたしは宿のベッドから起き上がり、耳を澄ます。いやな予感がした。何とも形容がしにくいのだが、この感じを無理に言葉にするなら、空気が──いや、闇がねっとりと重い。
 わたしは身支度を整えようと、素足を床に下ろした……その時。
「フレデリカ!!」
 わたしは抱きかかえられ、宙を飛ぶ。
「えっ……?!」
 ごう、と熱風が辺りを包む。見慣れた長い黒髪の向こうで宿は一瞬にして炎に包まれていた……。

「な、な、な、なんだってのよ?!」
 地面に下ろされるなり、わたしは男の首根っこをひっつかまえ、がくがくと前後に揺らした。
「どういうこと?! 説明して」
「おれにわかるわけねえだろ! おれだって、なんか嫌な予感がして目が覚めたら――この騒ぎだったんだから」
「…………」
 わたしは彼から手を離した。男は襟元を直し、咳払いする。
「まあ、とりあえず無事で何より――」
「まだよ」
 わたしは彼を遮り、立ち上がった。彼もまた、わたしの視線を追って眼差しを鋭いものにする。
 炎に包まれた宿を背にして、数個の影が揺らめいていている。あからさまに怪しい覆面をかぶっていることを除いても、背後で起こっている騒ぎなど何の関係もないというように落ち着き払っている――逆説的ではあるが、つまり彼らがこの騒ぎの首謀者ということだ。
「ふふふ。やっと見つけたわよ、フレデリカ・メルノー!!」
 影のうちのひとりが、甲高い叫び声を上げた。女。おそらくは、若い。
「…………」
 わたしを庇うように、彼は一歩前に出ようとする。それをわたしは彼のマントを掴むことで押しとどめた。何故彼らがわたしの名前を知っているのかは知らない。だが、わたしも過去にはいろいろとやらかしてきているわけであって、そんな私的な事情に彼を巻き込みたくはないと思った。
「あなたが魔王様についていろいろと調べ回っていたこと、知っているのよ」
「…………」
 わたしは答えない。何を答えても、きっといいようにはならない。そんな予感がした。それに、なんとなく違和感が……。
「あなたに、ひとつお願いがあるわ――わたしたちに力を貸してほしいの」
 あからさまな甘い声を聞き、わたしは鼻で笑った。
「わたしがあんたのいうフレデリカかどうかは別として。力を借りたい相手の寝込みを襲うなんて、随分いい趣味してるんじゃないの? お目当ての相手が焼き殺されちゃったらどうするところだったのかしら」
「あら。こんなことで死んでしまうような人物なら、わたしたちには必要ないもの」
 女は肩をすくめた。
「あなたはいつもわたしたちの先回りをしていたのよ。魔王様に関する文献には、すべてあなたが先に目を通していて――」
「それで?」
 焦れたように口を開いたのは、わたしの傍らに立つ男の方だった。
「何が言いたいんだ、おまえ。こいつに何の用だ」
 じわり、と。殺気にも似た敵意をにじませて、彼は女をにらんだ。女はやや怯んだように後ずさる。次に声を上げたのは、女の隣の人影だった。
「あんたに用はない。あくまでおれたちは、フレデリカ・メルノーと話がしたいだけだ」
「じゃあ、さっさと用件を言ってちょうだい」
 わたしはため息をついた。
「用件はさっきも言った通り。わたしたちに力を貸してほしい」
「具体的には、わたしに何をしてほしいの?」
「…………」
 いやな予感。それはみごとに的中した。

「アルケナン・オ・アビシア――魔王様の復活のために、力を貸してほしいのよ」

 違和感の正体にも、気付く。魔王「様」。魔王という単語とその敬称は、本来相容れないはずのものだ。
「魔王の、復活……?」
 ふぬけた声は、隣の男のものだ。
「そうよ。わたしたちは魔王様の復活を目指しているの。この世界に、闇と混沌をもたらすため! この世界を征服するため!!」
 勝ち誇ったような声。わたしは再びため息をつく。こいつらは、馬鹿だ。本物の馬鹿だ。何故なら――。
「ジゼル」
 わたしは相方の肩にぽん、と手を置いた。
「あんたも大変ね」
 しみじみとつぶやく。わたしを見返す金と黒の瞳は、疲れたように薄く眇められていた。
「こいつら、問答無用でぶっとばしたらまずいかな?」
「…………」
 わたしは深く深くため息をつき、そして口を開いた。
「いいえ。それしかないと思う」
 ジゼルはため息をつきながら、ぱちんと指を鳴らした。
「ぎいやああああああああああ」
 彼らの悲鳴が空間を引き裂く。地面を割って迸り出た水流が、彼らを押し流すと同時に燃え盛る炎をかき消した。

 放火された宿が火災保険に入っていたことを祈りつつ、わたしたちは夜が明けるまで街道を歩き続けた。
「……しかし何だったんだ、あいつら」
 ジゼルはぽつりとつぶやく。わたしの旅の相方である彼、実は昨夜の集団が復活させるだの何だと言っていた、伝説の魔王そのひとなのである。 別に、わたしが復活させたというわけではない。わたしが彼を捜していたのは事実なのだけれど、彼の方はといえばただ、自分の城に閉じこもっていただけで、まあちょっとした事情があって、彼は城を出てわたしと一緒に旅をするようになったのだ。
「……以前に聞いたことがあるわ」
 わたしは目をこすりながら言った。たぶん、目の下にはばっちり隈ができていることだと思う。
「魔王を崇拝してやまない、邪教集団があるってね」
「じゃきょう……?」
「別にね、神を崇めようが魔王を崇めようが、そんなことはどうだっていいと思うのよ、わたしは」
 わたしは彼の顔を見ず、まだ薄暗い地平線をじっと見つめた。
「ただ――その崇め奉る相手に、一体何を望むのかが問題だわ」
「…………」
「だいっきらいなあいつを殺して下さいって願うのは、祈りじゃなくて呪いでしょ? その願いが神に捧げられたものであっても、魔王に向けられたものであっても、同じことよ」
「うん」
 ジゼルはうなずいた。
「おまえの言っていることはもっともだ」
「でしょ?」
 ジゼルを見上げる。だが、思ったよりも彼の表情はずっとかたかった。
「……フレデリカ」
 ジゼルはぽつりと言った。
「さっきのやつら。魔王を復活させて、世界を征服するんだって言ってたな」
「……そうね」
「…………」
 暗い顔で黙り込んだ彼の背中を、わたしは思い切り殴りつけた。
「いってえ!!」
「言っとくけど」
 びしりと人差指を突き付け、わたしは仁王立ちをして彼を睨みつけた。
「あなたが世界を征服しようとしたって、わたしは全力で止めるからね!」
「は……?」
「あなたの足りない頭じゃ、そういうの向いてないもの」
「た、足りないだと?!」
「地図ひとつ読めないへっぽこ魔王が、どうやって世界をおさめるのかしら?」
「……う」
 言葉につまったジゼルに、わたしは笑いかけた。
「あんまり気にしないことね。さっきのやつら、あなたが魔王だとは気付いてないし」
「そういや、そうだったな」
「できるだけ早く離れて撒いちゃわないと……あいつら、他人を平気で巻き込むからたちが悪いわ」
「ああ」
 ジゼルはうなずいた。
「しばらくは警戒が必要かもな」

 その後、三日間でわたしたちは十回以上やつらと遭遇し、そのたびにわたしかジゼルがぶっ飛ばした。飛ばしまくった。

「あー! もー!」
 ある日の昼食時。わたしたちの入ったレストランがまたもや彼らに襲撃された。
「あんたら、いい加減にしなさいよ?!」
 椅子を蹴立てて立ち上がり、わたしは腕をまくる。ぶっ飛ばす準備は万端――だったのだが。
「ちょ、ちょっと待って!」
 最初の襲撃時にもいた女が声を上げた。
「どうして話も聞いてくれないの?!」
「聞く余地なんてないからよ!」
 わたしはきっぱりと言い切る。
「あなた、魔王様を捜していたのでしょ?! どうしてやめてしまったの?!」
「そんなの、わたしの勝手でしょうが。それに……」
 わたしは女を真っ直ぐに睨みつけた。
「確かに、わたしは魔王という存在に興味があったわ。だけどそれは、世界征服だとか何だとか、そんなことのためじゃない」
「じゃ、じゃあ、一体何のために……」
「それはあんたたちには関係のない、私的な理由よ」
 彼女を遮り、わたしは言った。そう、わたしの場合は彼らとは違う。ただ、魔王という存在に興味をひかれただけ。世界にたったひとつの、孤高の存在。会ってみたかった。その至高の孤独に、触れてみたかった。それだけだ。――それが今や旅の連れなのだから、人生というのはよくわからなくて、面白い。
 わたしは声を張り上げた。
「世界征服も結構、止めはしないわ。だけどね、やるなら自分たちの力で、自分たちの責任でやりなさいよ。魔王だか神様だか知らないけど、そんなものの力に縋ろうなんて都合が良すぎる。馬鹿げてるっていうの!!」
「…………」
 女は唇をかみしめ、そしてふと傍らに立つジゼルに視線をやった。わたしもつられてジゼルに視線をやる。
 彼は――わたしが思ったより、静かな表情をしていた。わたしが彼を見ているのに気付くと、少しだけ笑ってわたしのあたまをくしゃりとなでる。心配いらない、安心しろと――そう言っているように見えた。自分は傷ついてなどいないのだと。平気だと。眼差しが、そう語っていた。
「あなたは、満たされたのね」
 ぽつりと、女が言った。
「わたしたちのように、魔王様におすがりする必要がないのだわ。だって、あなたにはそのひとが――」
「わああああああああ!!」
 彼女を遮るように、わたしは魔術をぶっ放した。
「お、おいフレデリカ」
「行くわよジゼル!!」
 まずい。顔が、赤い。
 あんなわけのわからない女に心の奥底を見抜かれたことが、どうしようもなく恥ずかしかった。

 あれからというもの、魔王復活を目論む者たちはわたしのところに現れなくなった。ありがたい話ではあるが、魔王崇拝教が潰えたという話も聞かないから、きっとどこかで活動は続けているのだろう。ただ、彼らはわたしを諦めただけだ。
「ほんっと、あほな話だよな」
 ジゼルはあたたかなお茶を飲みながら、わたしに向かって笑った。
「魔王を復活させて言うこと聞いてもらおうなんて、甘いっての」
「それもそうね」
「それに――」
 ジゼルはふと、真顔になった。
「おれは神様じゃないし、あいつらの思うような魔王様でもないから、他人の願い事を叶えてやる余裕なんてねえよ」
「…………」
「おれは、おれの願いを叶えるので精いっぱいだ」
「あなたの願い?」
「おう」
 たぶん、わたしは何か聞きたそうにしていたのだろう。ジゼルは口元をにやりと歪めた。
「ナイショ」
「あ、そう……」
「安心しろ」
 ジゼルは身を乗り出し、わたしの目をじっと見つめた。すっと通った鼻筋が、異常に近い。
「世界なんか、要らない。おまえと旅を続けられれば、それでいい」
「…………!!」
 冗談めかした口調だったけれど彼の目は妙に真剣で、わたしは言葉を失った。思わず、照れ隠しの魔術を唱えるのも忘れるくらいに。

 そうだ。世界になど、興味はない。ただこの旅路が続けば、それで――それだけで。