instagram

魔王様とわたし。5

 それは、山の中の小さな村に逗留していたときのことだった。
 本来通る予定はなかったのだが、街道が落石があったとかで通行止めになってしまって、解除されるまで泊まっていられる場所を探したらこの村があったというわけだ。──落石くらい魔術でさっさと崩してどければいい話なのだけど、再発防止策をとるまで通行止めは解除されないらしい。まあ、不意打ちで頭上から岩が降ってきてとっさに対応できる人間も少ないだろうから、賢明な判断ではある。
「のんびりした村だなあ」
 村に一件しかない宿の食堂で、のほほんと食後のお茶をすすっているこの男。右目が眼帯で隠れている以外にはたいして目立つ特徴もないが、実は伝説の魔王、アルケナン・オ・アビシアである。……往々にして伝説というのは事実に尾ひれが何十枚とついてできあがっているものだが、彼の場合は背びれと胸びれもどっさりついている。確かに魔力は強大ではあるけれど、その点を除けばちょっと常識に欠けていてちょっと口が悪いだけのごくふつうの男で、今はわたしの旅の連れ。
「まあ、主要な街道からは少し離れているから」
 わたしは欠伸をしながら答えた。通行止めが解除されるまで、あとどれくらいかかるのかはわからないが、何はともあれ今はここにいるしかない。
「言っちゃ悪いけど、特に見るものもなさそうな村だしね。ゆっくり疲れを癒せばいいんじゃないかしら」
「そうだな」
 魔王はこくこくと頷いた。つられて、長い黒髪がゆらゆらと動く。
「またお前が風邪をひいたら大変だし」
 ――以前わたしが風邪を引いた時の彼の慌てっぷりを思い出し、わたしはげんなりと肩を落とした。この魔王、風邪の存在すら知らなかったのだ。どうやら彼は少々過保護なところがあるようで、嫌な気はしないけれど、少し気恥ずかしい。
「まあ……そういうわけだから」
 椅子を引いて立ち上がろうとした、そのとき。宿の扉が開いた。
「…………」
 わたしがそちらを見遣ると、入ってきた人物とちょうど目が合った。白い髭が豊かな老人で、わたしたちから目を逸らさないで真っ直ぐに歩み寄ってくる。
「なんだろ……?」
 魔王――ジゼルは警戒を滲ませた声でつぶやいた。わたしは黙って老人を待つ。
 老人はわたしたちの傍らまで歩み寄ってくると、二人を交互に見た。
「お前さん方、旅の魔導師じゃな」
「……そうだけど?」
 答えたわたしを見つめ、老人は険しい表情で言った。
「実は、折り入って頼みがあるのじゃが……」
「頼み?」
「話だけでも聞いてはくれんか」
「…………」
 わたしはジゼルを見遣った。彼はそ知らぬ顔でお茶を飲んでいる。……好きにしろ、ということか。わたしはため息をついた。
「じゃあ、とりあえず話は聞かせてもらいましょうか」

 その老人――村長が語ったのは、まあ、良くありがちな話だった。大体こういうところで頼まれることといえば、盗賊退治か、野生のモンスターの討伐か。今回は後者だったというわけだ。
「詳細はわからんが、恐ろしく体の大きな化け物でな。村の作物は荒らすわ、納屋は壊されるわ……街道に出るまでの道で襲われた村人もおる」
「そりゃあ困るわね」
「領主殿に征伐を嘆願する手紙を送ってみたはものの、なしのつぶてじゃ。……こんな小さな村のためには動いてくれぬものなのかのう」
 村長は慨嘆し、首を左右に振った。
「下世話な話で悪いけど、報酬はもらえるのかしら?」
「もちろん」
「じゃ、やらせてもらうわ」
 気軽に答えたわたしに、村長は目を見開いた。
「本当か……?!」
「ただし。山の中を探し回っても見つからない可能性もあるわ。悪いけど、それほど長い間ここにいられるわけでもないし……。とりあえず前金でいくらかいただきましょう。残りは成功報酬ってことで」
「わかった」
 村長は大きく頷き、報酬額を提示した。……まあ、小さな村にしては太っ腹な金額だろう。
「くれぐれも気を付けてな」
 モンスターの出没場所を告げ、前金の入った革袋をわたしたちのテーブルの上に置くと、村長は何度か振り返りながら宿を出て行った。
 扉が閉まって間もなく。宿のおかみさんが心配げな顔で近付いてくる。
「お嬢ちゃん、腕はたつのかい? 無理はしちゃいけないよ」
「負けそうだと思ったら、すぐに逃げるわ」
 わたしはにっこりと笑った。――本当は、ジゼルがいる限り負ける可能性などゼロなのだけれど。
「連れの兄ちゃんも一緒に行くのかい?」
 おかみさんがジゼルに尋ねると、彼はへらりと笑った。
「心配要らないって、おばさん」
 手を伸ばし、わたしの頭にぽんぽんと手を載せる。
「こいつのことは、ちゃんとおれが守るから」
 ――こいつはまた恥ずかしいことを……。おかみさんは案の定勘違いしたようで、あら、とか、まあ、とか言いながら厨房へと戻って行った。わたしは顔が赤くなるのを感じながら、頭の上の彼の手を払いのける。
「あんたねえ、そういうことを人前で言うんじゃないのよ!」
「なんだ?」
 ジゼルは平然とわたしを見返した。
「じゃあ、二人っきりの時ならいいのか?」
「そんなわけあるかああああ!!」
 叫んで、お茶を一気飲みする。――お茶は既に冷たくなっていた。

 わたしがしたことは、まずその化け物とやらに襲われた村人たちに話を聞きに行くことだった。良く聞いてみたらそれはちょっと熊っぽいような、とかいうこともあり得るし、実際に似たようなことをわたしは以前経験している。それに、もしそれが本当にモンスターだったとしても、どういったものかを知っておくのは決して無用なことではない。アンデッド系のモンスターなら聖水などを用意しておいた方がことはスムーズに進むし、逆にもし昼間に襲われたのならアンデッドではないだろう。その化け物が現れそうな場所も、絞り込めそうなら絞り込んでおきたい。
 ――といいつつ、結局たいした情報は得られなかったのだけど。
 わかったことは、その化け物は熊などではなくモンスターらしいということ。夜昼構わず現れていることから、アンデッドではなさそうだということ。出没場所は村の中と、村と街道の間の中間地点。たぶん、村の近くに巣か、巣のようなものがあるのだろう。
 そして、もうひとつ。
「『魔王の落とし子』、ねえ……」
 わたしについて一緒に聞き込みに回っていたジゼルは、苦笑を浮かべてそうつぶやいた。「魔王の落とし子」。村人たちは、どうやらそのモンスターをそう呼んでいるらしい。まさか本物の魔王が今この村にいるとは、誰も思ってもいないのに違いない。
「しかし、魔王ってのはどういうイメージなんだ?」
 宿にとってあるわたしの部屋で、ジゼルは椅子を前後逆にしてまたがり、背もたれに腕と顎を乗せた。わたしはベッドに腰掛け、マントを外す。
「さあねえ。地方によって伝承はまちまちだから」
 わたしはできるだけさらりと言った。――その当人を目の前に、なかなか言いにくい話題ではある。だが、ジゼルは興味津々で問い掛けてきた。
「たとえば?」
「火を吹く巨大な黒いドラゴンの姿をしているって言っているところもあるし、実体のない闇のような存在ってところもあるわね」
「この世のものとも思えぬ超絶美青年! とか、そういう伝承はないのかよ」
「あるわけないでしょ」
 ぷっ、と噴き出したわたしを見て、ジゼルは優しく微笑んだ。
「お、笑ったな」
「え?」
「おれが何にも気にしてないのに、お前が気にしてどうするよ」
「ん」
 わたしは困って目を瞬いた。――この魔王、妙なところで鋭い。
「別に、何も気にしてなんか……」
「そうか? ならいいけどさ」
 ジゼルは大きく伸びをして立ち上がった。
「明日、行くか?」
「……そうね」
 窓の外は既に夕焼け空である。わざわざ夜の戦闘を選ぶほど、わたしは馬鹿ではない。
「さっさと見つかればいいな」
 ジゼルは明るい笑みを残し、わたしの部屋を出て行った。残ったわたしは、そのまま背中からベッドに倒れ込む。天井の明かりがまぶしくて、腕で眼を覆った。
「ほんと、変な魔王……」

 翌朝は、よく晴れていた。わたしとジゼルは、早速村と街道の間にある森へと分け入って行く。
「なんか、妙ね」
 わたしはふと気が付いて、足を止めた。
「何がだ?」
 側でジゼルも立ち止まる。
「さっきから鳥の鳴き声がしないのよ」
「……それもそうだな」
 ジゼルは村を出た時から眼帯を外している。彼が魔王である証のその金色の右目は、鋭く輝いていた。
「もしかしたら、この近くに……」
 そう、つぶやいたとき。低い咆哮が辺りの空気を震わせた。
「こっちだ!」
 いちはやく方角を察知したジゼルが駆け出し、わたしはその後に続く。
「近いぞ!」
 ――そして突然、森が拓けた。土の上に、真っ黒な巨体がうずくまっている。先ほどの咆哮はこれがあげたものか。
「……これは」
 わたしは息を呑む。これは、モンスターではない。ドラゴンだ。大陸の辺境に住まうといわれる伝説のドラゴンが、何故こんな人里近い場所に……? わたしとて、本物のドラゴンを見るのは初めてのこと。神々の使いと言われるドラゴンに、魔術が通じるだろうか。緊張に、鼓動が速くなる。
「…………」
 ジゼルが無言で一歩、踏み出した。
「ちょっ、ジゼル……!」
「大丈夫だ」
 ジゼルは振り返り、微笑む。
「ちょっと待っててくれ」
「…………」
 わたしがうなずくと、ジゼルはすたすたとドラゴンの元へと歩み寄って行った。
「…………」
 わたしには聞こえなかったけれど、どうやらジゼルはドラゴンに何か話し掛けているらしい。……ドラゴンって、人の言葉がわかるのかしら。
 やがて、ドラゴンは首をもたげた。ひとつ咆哮を上げると、翼を広げる。
「…………っ」
 巨大な翼が羽ばたくと、ものすごい突風がわたしを襲った。目を閉じ、うずくまって耐えようとする――だが、すぐに風は止んだ。
「…………?」
 目を開いてみるとそこにはジゼルがいて、たぶん何かの魔術でわたしを守ってくれているらしかった。
「ドラゴンは」
 小さな、しかしはっきりとした声で、ジゼルは言う。
「ゴルダ・アイたちが残していった番人。おれと城を守るため、そして人間たちがこの大陸を出て自分達を追って来ないようにするため――大陸の辺境に配したんだ」
 びっくりして顔をあげるわたしに、ジゼルは困ったような笑みを浮かべてみせた。風は、既に止んでいる。
「城がなくなって、おれもどっか行っちまったもんだから、何匹かで大陸のあちこちを探していたらしい」
「……そ、そう……」
 空を振り仰ぐと、あの巨体がまるで点のように見えた。辺境に――元いた場所に、帰って行くのだろうか。
「ドラゴンたちは意識の共有ができる。おれのことは心配要らないって伝えたから、もう大丈夫だろう」
 ジゼルを見ると、彼もまた空を見上げていた。わたしの視線に気付き、ふ、と笑う。
「これで依頼は達成だな」
「そうね」
 わたしは頷き、そのまま彼の腕にぎゅっと抱きついた。
「ん? どうした、フレデリカ」
 反対の手で、彼はわしゃわしゃとわたしの髪を撫でる。――もう、本当にこの魔王は。言葉が出なくて、ただしがみつく。
「『魔王の落とし子』……あながち間違ってなかったな」
 ジゼルはぽつりとつぶやいた。

 村に戻ったわたしたちは、英雄として出迎えられた。何だか気分じゃなくて、わたしはジゼルを村人たちの方へ押しやり、ひとり宿の部屋に戻って布団をかぶる。ジゼルは感謝されるべきだ。絶対に。
 ――何が、ドラゴンは神々の使いだ。ドラゴンのことは崇めるくせに、それが守っているジゼルのことは魔王として迫害していたなんて……矛盾している。そういえばここの村人は本物のドラゴンを知らないで化け物扱いしていたけれど、それと何となく構図は似ているような気がした。
「ああもう、嫌になるわ……」
 たぶん、ジゼルは口々に礼を言う村人たちに笑顔で相対しているのだろう。金色の瞳を押し隠して、魔王と呼ばれた過去を水に流して。彼は今、人間として生きている。わたしがそれを望んで、そして――彼自身が、それを選んだから。
「フレデリカー? 起きてるかー?」
 ノックの音がして、ジゼルの声が届いた。わたしは跳ね起きる。
「今開けるわ」
 ドアを開けてやると、ジゼルは両腕にいろいろなものを山のように抱えていた。果物や酒、野菜まで……?
「これ、村の皆にもらったんだ」
 ジゼルは困ったような、嬉しいような、何ともいえない顔をしていた。わたしはくすりと笑う。
「果物や野菜は宿の厨房に届ければいいわ。きっと調理してくれると思うし、余った分は他の人に使ってもらえばいい」
「おう、そうだな」
「で、このお酒だけど」
 いわゆる地酒、というやつだろうか。わたしは彼の腕からボトルを引っこ抜き、ジゼルを見上げた。
「今夜、一緒に飲もうか」
 酔い潰れたって大丈夫、ジゼルが側にいてくれるから。――彼が、守ってくれるから。
「おれ、実は酒初めてなんだよなー」
 彼はぽりぽりと頭を掻く。……そういえば、彼が酒を飲んでいるところを見たことがない。いつだってお子様よろしく、ジュースやらお茶やらを飲んでいた。
「まあいいじゃない、何事も経験、経験」
「……それもそうだな」

 そう言って笑った彼の酒癖はそれはもうひどいものだったのだけれど、そのときのわたしは知らなかった。――知っていたら、飲ませたりなんかしなかったのに。
 そして翌朝、前夜のすべてを綺麗さっぱり忘れ去っていた彼を、わたしが殴り飛ばしたことは言うまでもない。