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魔王様とわたし。4

「な……なんじゃこりゃ……」
「さ、さあ……」
 広場では楽隊が賑やかなメロディを奏で、色鮮やかな魔術の灯りが木々を彩る――わたしと旅の連れがその日訪れたその街は、やけに華やかな空気に染まっていた。
「何かのお祭りなのかしら」
 首を傾げるわたしと、きょろきょろと辺りを見回す旅の連れ。その横をいそいそと浮かれた様子の人たちが通り過ぎていく。
「とりあえず宿を探しましょう。この人の多さじゃあんまり部屋が空いてないかもしれないし、急がないと」
「おう」
 わかっているのかいないのか。連れはわたしの横で暢気に伸びをしていた。

 伝説の魔王と旅をするようになってもう随分が経つが、彼は一度もどこに行きたいとか、何がしたいとかを言ったことがない。「あちこちぶらぶらできればそれでいい」のだそうだが、それにしたって適当にもほどがあると思う。そもそも自分が今大陸のどの辺りにいるのかすら、きっと彼はわかっていないに違いない。地図を読むのも、宿を決めるのも、出発の日取りも――全部わたしに任せきりで、彼はただのほほんとわたしの隣にいるだけだ。
 この街での宿を探している間も、やはりそうだった。空いている宿を探して焦るわたしの横でひとり、賑やかな街の雰囲気を楽しんでいる。案の定宿はどこもいっぱいだったから、何とか二部屋が取れたのは奇跡に近かった。
 宿帳に名前を書き込みながら、わたしは宿の主人に尋ねた。
「何かお祭りでもやってるんですか?」
「おや、知らないのかい?」
 人の良さそうな主人は眼鏡の奥の小さな目を少し見開いたが、それでもちゃんと説明してくれた。
「今日はスマスリクの前夜祭なのさ」
「スマスリク?」
 聞き慣れない名前に眉を寄せる。主人はパイプを一口吸い込むと、ほうっと煙の輪を吐いた。
「スマスリクは、この街に神が降り立った記念日でな――」
 神。その言葉を聞いた瞬間、わたしの背筋は凍りついた。確かに伝承では、大陸の各地に降臨した神々が魔王を封印したといわれている。でも、真実(ほんとう)は……。
 得意顔で昔語りを続ける主人から目を逸らし、わたしはこっそりと横に立つ男を見上げた。長い黒髪、黒いマント、右目を覆い隠す黒い眼帯。彼は平然とした顔で主人の話を聞いている。
「…………」
 わたしは小さくため息をついた。彼は――ジゼルは、人間たちによって魔王にされた。魔王は神々に封印されたのではない。人間たちによって追いやられたのだ。身を守るために、彼は独りきりで城に閉じこもるしかなかった……。
「おい」
「な、何?」
 突然ジゼルに話し掛けられ、わたしは飛び上がった。
「部屋に荷物置いたら、街に出ようぜ」
「え?」
 いつの間にか主人の話は終わっていたらしく、彼の姿は既にない。目の前のカウンターには部屋の鍵がふたつ置かれていた。そのうちのひとつを取り上げたジゼルは、鍵が通されている金属のリングを人差し指にはめ、くるくると回した。
「せっかくだからここの祭り、見て行こう。いいだろ?」
「い、いいけど……」
 自分を迫害した者の生誕祭など、参加したいものだろうか。思わず口ごもるわたしに、ジゼルはいつも通りに笑ってみせる。
「じゃ、決まりな!」
「う、うん」
 ――何となく気乗りがしないまま、わたしはジゼルとともに華やぐ街へと出掛けたのだが。
「これはすごいわね……」
 大通りの両端には所狭しと店が立ち並び、威勢のいい掛け声を上げながら客を呼び込んでいる。だが、立ち寄ることなどできそうになかった。何しろ人が多過ぎるのだ。わたしはこんなに人で溢れかえった道を見たことがない。何となく若い男女の二人連れが多いような気もするが、何故だろう。
 長身のジゼルはともかく、背の低いわたしはかなしいことに群集に完全に埋もれてしまう。気を抜いたらはぐれてしまいそうだった。
 人の波に押し流されかけたわたしは、思わず大声を上げる。
「ジゼル!」
「ん?」
 振り返った彼は慌てて人をかきわけ、わたしの方に歩み寄って来た。
「大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ……もう、宿に戻りましょ」
「何でだよ。せっかくじゃないか」
 再び離されそうになったわたしの手首を、ジゼルが掴んで引き寄せた。
「あ……」
「ほら。ここ持っててやるから」
 そのまま、ジゼルは広場に向かって歩き出そうとする。だが、わたしはその場に踏み止まり首を横に振った。ジゼルが振り返り、眉を寄せる。
「行かないのか?」
「わたし、ひとごみって好きじゃないの。宿で食事しない?」
「いや、俺は」
 不服そうな顔の彼を見ているうちに、わたしはいらいらしてきた。――そもそもこれは自分の敵だったものの生誕祭なのだ。それなのに何故、彼はこんなにのほほんと参加しているのだろう。そんなことだから、自分よりもずっと弱い人間なんかに迫害されてしまったのではないか。そんなことだから……。
 わたしはジゼルの手を振り払った。
「わたし、先に帰る」
「フレデリカ?!」
 さっと身を翻し、群衆の中に紛れ込む。ジゼルがわたしを呼ぶ声が聞こえたが、わたしは振り向きもせずに宿に向かって歩いて行った。
 ――彼が掴んだ手首がじんじんと熱くて、別に痛くもないのに泣きたくなった。

 結局、夕食どきになってもジゼルは宿に戻って来なかった。わたしは仕方なくひとりで食堂に降り、食事を摂った。独りで食事をするのは、ジゼルに出会って以来初めてのこと。以前は独りが当たり前だったのに、何だか慣れない感じがする。
「お客さん、今夜はいいワインが入ってるよ」
 何たってスマスリクだから――そう薦める宿の主人の声に、わたしは頷いた。
「いただくわ」
 ジゼルも、どこかで誰かと飲んでいるのかもしれない。その可能性は十分にある。ふたりで食事をしている時でさえ、わたしがちょっと席を外している間に彼は良く女の人に声を掛けられているし……普段は連れがいると断っているようだけど、今夜は……。
 カウンターに座ってグラスを傾ける。確かに美味しいワインだった。
「そういえばお客さん、連れの方がいませんでしたか?」
「連れ……ねえ」
 主人に尋ねられ、わたしはつぶやく。
「どうなんだろ」
「…………」
 何となく察したのか、主人はそれ以上尋ねてこなかった。わたしはそれをいいことに、またワインを口に含んだ。体にアルコールが回ってきたのか、体がぽかぽかと温かい。
 連れ――確かに、ジゼルは旅の連れだ。でも、彼はいつまでわたしにくっついて旅をしているつもりなのだろう。わたしは今はこうしてあちこちを旅しているが、いずれはどこか気に入った土地に落ち着くつもりだ。その時、ジゼルはどうするのだろう。わたしと別れて、旅を続けるのだろうか。
 無一文の、地図も読めない、計画も立てられない、魔力だけは十分過ぎるほどに十分な、伝説の魔王。彼は一体、何を考えて旅をしているのだろう……。
「お客さん? ……お客さん?」
 わたしを呼ぶ主人の声が、徐々に遠ざかっていく。わたしは体を包む心地良い感覚に身を任せ、そのままふわふわと――ふわふわと――。

 気が付くと、わたしはやわらかいベッドの上に寝かされていた。
「――――?!」
 慌てて飛び起きようとするが、体に力が入らずにもがくだけに終わる。安宿の悪いスプリングがぎしぎしときしんだ。
「起きたか?」
 低い男の声――だが、それは聞き慣れた声だった。わたしはほっと息をつく。
「なんだ、ジゼルか……」
「なんだ、じゃねえよ」
 仰向けになったわたしの顔の上に、ジゼルがずいと首をつき出してくる。長い髪が頬に落ちてきて、くすぐったかった。
「帰ってみたらお前は食堂のカウンターでぐうぐう寝てやがる。女の子ってのは身の安全に気を付けなきゃならんのじゃなかったのか」
 以前何かの拍子にわたしが言ったことを覚えていたらしく、ジゼルは不機嫌な顔でわたしを見下ろしていた。
「ちょうど俺が帰ってきたから良かったものの……お前、俺が担ぎ上げてもちっとも起きなかったぞ。そんなに眠くなるほど酒を飲むな」
「…………」
 わたしはぷいと顔を逸らした。
「おい。何とか言えよ」
「……何よ」
 わたしはぽつりとつぶやく。
「ずっと帰って来なかったくせに」
「いや、宿の場所を忘れちまってさ」
「はあ?!」
 思わずジゼルを見上げると、彼はばつが悪そうに頬を掻いていた。
「お前を探そうにもあのひとごみだろ? 諦めて宿に帰ろうと思ったら……宿の場所も名前もすっかり忘れちまって」
「あんたはあほかっ?!」
 もがきつつ起き上がり、ジゼルの頭をぽかりと叩く。
「宿の場所と名前くらい、しっかり覚えときなさいよ!」
「お前と一緒にいれば、覚えておく必要もないだろ?」
 悪びれずに笑う彼は、本当に脳天気だ。わたしははあ、とため息をつく。
「そんなことじゃ、ひとりで生きていけないわよ……」
「大丈夫だって」
 ジゼルはわたしの隣に腰掛けた。ぎしりとベッドが軋む。
「はぐれても、ちゃんと探してやるから」
「……いや、そういうことじゃなくってね」
「そうそう」
 わたしの話を聞こうともせずに、ジゼルはごそごそとポケットを探り始める。
「スマスリクって、プレゼントを贈り合う日なんだろ?」
「そうなの?」
「宿の主人が言ってたじゃねえか。聞いてなかったのか?」
 ジゼルは取り出したそれを、わたしに差し出した。
「だからよ。ほら」
「?」
 掌の上に置かれたそれ――銀色に塗られた土台に青いガラス玉のはまった、安っぽいおもちゃの指輪。
「金がなくって困ってたらさ、屋台のおばちゃんが一個くれた」
「あ、そ……」
 これからはジゼルにも少しくらい金を持たせた方がいいだろうか……いや、問題はそこではなくて。
「なんで、指輪なの?」
「身につけるものが良かったんだ。一応、俺の魔法を掛けてある。離れても目印になるように――今度は、すぐに探せるようにな」
 得意げなジゼルの顔を見ていると何だかおかしくなって、わたしは小さく噴き出した。
「何がおかしいんだよ」
「ごめんごめん……ありがと」
 わたしはそれを指に通してみるが――大き過ぎる。親指にだってぶかぶかだ。
「あれ?」
 首をひねるジゼルに、わたしは言った。
「ねえ。今夜はスマスリクの前夜祭なのよね?」
「ああ」
「じゃあ、お祭りは明日が本番よね。……明日、もう一度街に出ましょ。それで今度はちゃんとプレゼントを買うの。もちろん貴方の分も」
「でも俺、金ないし……」
「一緒に稼いだ金もあるじゃない。ほら、盗賊を退治した時のとか」
「ああ、くすねたやつな」
「くすねたんじゃないの。取り返したの」
「元々お前の金だったわけじゃないだろうが!」
 その言葉をわたしは無視して、指輪をころころと掌の上で転がした。横からジゼルが尋ねてくる。
「それ、どうするんだ?」
「どうしようかしら?」
「捨てとけよ。魔法は解除するから」
 長い指が指輪をつまみあげ、ジゼルは何かを口の中でつぶやいて、ぽいとくずかごに放り込んだ。――少し、もったいない気もする。
「明日買うやつにも、目印の魔法を掛けるの?」
「そりゃあ、な」
「貴方のはどうしたらいいかしら。わたし、そんな魔法使えないわ」
「大丈夫だ」
 ジゼルは大きく頷いた。
「お前は俺を探さなくってもいい。絶対、俺がお前を探すから」
「……そう」
 わたしはごろりとベッドに横になった。天井の明かりが、まぶしい。
「ごめんね。さっきは勝手に帰っちゃって」
「ひとごみが嫌いだったんだろ? 仕方ねえよ」
「…………」
 わたしの顔の横に、ちょうど彼が手をついて座っている。わたしはそうっとその上に頬を載せた。冷たくて、火照った肌には気持ちがいい。――そうだ、このまま……。
「フレデリカ?」
「…………」
 目を閉じて、眠ったふりをする。
「……なんだ、また寝たのか?」
 案の定、ジゼルはあっさりと騙された。本当にお人好しな魔王だ。けれど――いや、だからこそ、わたしは彼と旅をしているのだろう。
 ――いいわよ、ジゼル。貴方がこの旅に飽きるまで、わたしはちゃんと付き合ってあげる。旅をやめるのは、その後でいい。
「しょうがねえなあ……お前、ここ俺の部屋だぞ」
 何かがわたしの髪に触れる。ジゼルの手だろうか。優しくて、心地良かった。そしてまた、ふわふわした心地――そうか、さっき体がふわふわしたのは、きっとジゼルがわたしをここまで運んできてくれたからだ。そしてまた、ふわふわ、ふわふわ、わたしは運ばれていく。
「おやすみ、フレデリカ」
 その言葉を夢うつつに聞きながら、わたしは深い眠りに落ちていった。

 翌日。わたしたちは約束どおりプレゼントを交換し合った。わたしにはジゼルの魔法の掛かった指輪。ジゼルには彼の希望で、わたしのとお揃いの魔法の掛かっていない指輪。
 ――実はその次に立ち寄った街で「スマスリクでプレゼントを交換する風習は恋人達のものだ」と聞かされることになるのだが、その時のわたしたちは知らなかった。……少なくとも、わたしは。