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魔王様とわたし。2

「……なあ、何でこんなことになってるんだ」
 風に混じる呆れを含んだ低い声。わたしは振り向くことなく言い切った。
「なりゆきよ」
「なりゆき……って」
 たまたま立ち寄った村がたまたま盗賊団の被害に悩んでいて、魔導師然とした旅人であるわたしたちが、たまたま討伐を依頼された。なりゆき以外の何ものでもない。
「盗賊はひとの財産を力づくで奪いとる輩なのよ。だったら力づくで奪い返したって問題ないわ」
「奪い返すだけ、か? 全部あの村人たちに返す気、あるのか」
 彼の鋭い質問にもわたしは慌てない。
「ちょっとくらいくすねるのは可」
「いや不可だろそりゃあ……」
「ジゼル」
 わたしはしぶしぶ振り向いた。というのも彼の大きな手ががっちりとわたしの肩をつかんでいて、離してくれそうにはなかったからだ。このまま盗賊団のアジトを目前にして言い争うのも馬鹿らしい。
「あなたはあのお城に閉じこもっていたから知らないでしょうけど、人間社会っていうのはそういうものなの。労働には対価が必要なのよ」
「お前、村からも代金取るんだろ。前金受け取ってたの、見たぞ」
「う……」
「だいたい何でおれが盗賊退治なんざ……」
 長い黒髪を掻きながら、彼──ジゼルはぼやいた。長身で、黒づくめの格好はなかなかに立派なのだが、目つきはどこぞのちんぴら風。
「仕方ないじゃない。生きるにはお金がいるし、盗賊退治って割がいいんだから」
自慢ではないが、わたしはそうやって生きてきたのだ。過酷な境遇から生き延びるためにおのずと強くなったわたしは、その力を利用して糊口をしのいできたのである。時に賞金首を追い、時に盗賊団を一網打尽にして、そうやって稼いだお金から──。
「あなたの今までの食費やら宿代やらが出てるのよ? ジゼル」
「うっ……」
 ジゼルは小さくうめいた。わたしはため息をつく。
「無一文魔王」
 ジゼルはかっと頬を赤く染めた。
「わ、悪かったな! しょうがねえだろう、金なんてあの城にはなかったんだから……」
 そう、ジゼルの正体は何を隠そうあの伝説の魔王なのだ。アルケナン・オ・アビシア──子供でも知っているその伝承は、彼本人が語った事実とはだいぶ違っているのだけれど……まあ、いろいろあって、今はわたしの旅の連れとなっている。
 この魔王、つい先日まで何でも床や壁から湧いてくる魔法のお城に引きこもっていたせいで、世間知らずなことこの上ない。だが、わたしは彼のそういうところが嫌ではない。何となく、ほっとするのだ。幼い頃から世間の荒波に揉まれてきたわたしにとって、世俗に疎い彼は新鮮で、微笑ましい。
「それはそうと」
 わたしは話を切り上げ、前を向いた。
「ジゼル──もう後には引けないわよ」
「え?」
「なぜなら……わたしが、いきなり魔法で殴りこむから」
 彼がとっさに反応できないうちに、わたしは呪文を唱える。
「…………」
 大爆発を起こしたアジトを前に、ジゼルは目を点にしていた。

 案の定大騒ぎになったアジトの中にこっそりと忍び込み、わたしは呪文を連発した。その度に壁が崩れたり、地面が陥没したり、そうやって確実に戦力を削っていく。いつも通りの戦法だ。わたしにならって物影に身をひそめたジゼルは、ため息混じりにつぶやいた。
「なんか、お前の方が悪党っぽいぞ」
「だったらどうする?」
 突然振り向いたわたしに、ジゼルは目を瞬かせた。狭いところに隠れているせいで、鼻先が触れそうなほど近い。
「案外、盗賊なんかよりわたしの方が悪いやつかもしれないし」
「え?」
「だって、城を探して旅をしていた頃のわたしなんて知らないでしょ? こう見えて結構な悪党かもしれないわよ」
「ちょ……、フレデリカ」
 もちろん、そんなのは全部冗談だ。けれど、わたしは何故か口走っていた。
「もしかしたら、わたしが貴方を騙しているのかもしれないじゃない」
「…………」
 ジゼルは口をつぐんでわたしをじっと見つめた。その目――ひとつずつの黒と金の輝きが、わたしを飲み込む。ああ、そういえば今日は黄金の片眼を隠させるのを忘れていたな、とわたしはぼんやり思った。
 どうして彼は何も言わないのだろう。何も聞かないのだろう。わたしは呪文を唱えるのも忘れて、彼を見つめ返す。――その瞬間に、隙が生まれた。
「おい!」
 不意にジゼルの声が遠ざかり、わたしの体は太い腕に抱え込まれた。首筋に、ひんやりとした感触が当たる。
「おっと。動くなよ、兄ちゃん。下手に動いたら、この女の喉首を掻っ切るぜ」
 駆け寄ろうとしていたジゼルが、息を飲んで足を止めた。背中から捕えられたわたしは数歩の距離を挟み、彼と向き合う形になる。
「全く、どんなふてえ野郎が殴り込んできたのかと思えば……こんなちっこい女と優男だったとはな」
 野太い声の持ち主は、振り向くまでもない。盗賊の一味だ。こいつの気配に気付けなかったのは、わたしのミス。わたしは自分の不甲斐なさに舌打ちをしたくなった。
「兄ちゃん、あんたの命まで取るとは言わねえ。金目の物とこの女を置いて、さっさと逃げちまいな」
「彼女をどうするつもりだ?」
「殺しゃしねえよ。あんたが逃げてくれさえすれば、な」
 盗賊の言っているのは本当だろう。確かに彼はわたしを殺しはしないかもしれない。だが、死んだ方がましだと思うような目に合わされることは容易に想像がつく。このまま盗賊の言うことを鵜呑みにしてジゼルがこの場を離れてしまったら、まさに万事休すだ。
 けれど、ジゼルには盗賊の言う本当の意味はきっとわからない。世間を、人間を知らないジゼルには、きっとわからない。だから、ジゼルは「わたしを救うために」ここを立ち去る可能性が高い。とすれば、わたしは自力でこの窮地から抜け出さなければならないというわけだ。今まで幾つもの死線をくぐっては来たけれど、喉元に剣を突きつけられているのは初めてだった。これでは呪文も唱えられないし、剣も抜けない。とりあえず、向こうはわたしをただの小娘だと思っているようだから、ジゼルが姿を消して油断した時が仕掛け時だろうか……。
「ひとつ、いいか」
 わたしが覚悟を決めた頃、ジゼルが静かに口を開いた。
「フレデリカにひとこと言いたい」
「女に別れを告げるつもりか? 早くしろ」
 わたしを捕える男が、腕に力を込めなおす。わたしは小さく呻いた。汗ばんだ肌が密着して、気持ちが悪い。――それにしても、ジゼルは一体何を……。
「お前が悪い人間かどうか、そんなことはおれにとっちゃあどうでもいいことだ」
 淡々とした低い声。ただ喋っているだけなのに空気が凍てついたような、そんな威厳が辺りを支配する。
「ただ、お前はおれに手を差し出した。おれを外に連れ出した。お前がおれを守ると言った。一介の人間に過ぎないお前が。おれを。魔王を。守ると」
 盗賊は、口を挟まない。挟めないのだろう。ジゼルの放つ、圧倒的な存在感におされて。
 
「そしておれは、決めた。お前と――生きる」

「がっ?!」
 突然、耳元でくぐもった悲鳴があがった。体に回されていた腕が離れ、代わりに首の皮膚に触れていた剣が浅く食い込む。
「――――っ!」
 だが、痛みを感じることはなかった。まるで瞬間移動でもしたかのように近付いたジゼルの手が、盗賊の剣を取り上げる。
「おい、大丈夫か」
「……う、ん」
 顔を覗き込んでくるジゼルの視線を避け、わたしは背後を振り返った。
「あ……」
 ひとめでわかった。男は、絶命している。
「おれが、やった」
 ジゼルが小さくつぶやいた。
「これでも魔王なんでな」
「…………」
 呪文を唱えることもなく、剣を振るうこともなく――彼は一瞬にして、ひとりの人間を死に追いやった。普段わたしと軽口をたたきあっているときの彼とは違う、伝承に謳われた魔王としての顔。
「フレデリカ」
 彼の声がわたしの名を呼び、わたしは黙って振り返った。彼の手がわたしに伸び、髪をくしゃりと撫でていく。
「お前はおれを騙さないよ」
「……どうして、そう言えるの?」
「おれ、無一文なんだぜ? 騙すほどの利用価値、あるか?」
 肩をすくめる彼に、わたしは苦笑する。どうやら無一文と言ったのを根に持っているようだ。
「あなたの持つ魔力なら、喉から手が出るほど欲しい国がたくさんあるでしょうね。戦力として」
「……ったく、素直じゃねえな」
 焦れたように言って、ジゼルはぐいとわたしを引き寄せた。その黒いマントの中にすっぽりと覆われ、わたしは思わず声をあげる。
「な……!」
「おれはお前に着いていくって決めたんだよ。おれを騙すならそれでもいい、その時はその時だ。おれだって魔王だからな、簡単に騙されるつもりはないぜ」
 ジゼルは落ち着いた声で、わたしの耳元に囁いた。
「けど――お前がおれを騙すとは思えない。これはおれの勘だけどな」
「勘なんて……」
「お前、しつこいぞ」
 ジゼルは舌打ちをして、わたしの顎を掴みあげた。黒と金の光とわたしの視線が、正面からぶつかる。
「お前の過去に何があったのかは知らんし、知りたいとも思わん。さっきも言ったが、お前が悪人かどうかもおれにとってはどうでもいい」
「…………」
「ただ、お前がいたから……おれは外に出てみようと思ったんだ。こうまで言ってるやつのこと、もうちょっと信頼してもいいんじゃねえか?」
「……貴方のこと?」
「他に誰がいるよ?」
 ジゼルが間近で笑う。いつも斜に構えたような眼差しも、笑うと穏やかになって……金色の片眼が綺麗だなあなんて、わたしはぼんやりと思う。
 
「もう、お前をひとりにはしねえよ」

 ――すとん、と。その言葉が胸に落ちた。
 馬鹿な魔王。人間たちに追い回されて、魔王にされて。たったひとりで城に閉じこもっていたせいで、お金のことも何にも知らない、世間知らずの馬鹿な魔王。だけど、本当は――優しくてお人好しで、誰よりも強い。たったひとりの、わたしの味方。
 気がつくと、わたしはぽろぽろ泣いていた。
「何だよ、泣くなよ……」
 ジゼルは困ったように頭をかいて、それからわたしの背中をとんとん、と叩いてくれる。
 そうだ。一緒に生きていこうと、そう決めたのだった。だから、彼はここにいる。わたしは、彼とここにいる。
「ジゼル……」
 目をこすって顔をあげると、ジゼルはうろたえたように頬を染めた。
「な、何だ?」
 わたしは彼の両手をぎゅっと……握り締めた。
「早くしないと、また盗賊に見つかるわ」
「…………」
「どうしたの? ジゼル」
 わたしの肩につっぷしたジゼルが、ぷるぷると体を震わせる。
「……わかった。おれが根こそぎぶっつぶしてやるぜ」
「え? ちょっと、ジゼ」
「見てろ」
 やけくそ気味ににやりと笑った彼の笑顔が白く塗り潰され、光に視界が閉ざされる――。

 わたしは後も振り返らずに街道を行く。かなり早足で歩いてはいるが、ジゼルはきちんと着いてきていた。
「なあ、何で村に戻らないんだ? まだ依頼料、前金しかもらってなかっただろ? 残りは取りに行かないのか?」
 暢気なジゼルの台詞に、ぴくりとこめかみが引きつるのを感じる。
「あんた……」
 ことさらにゆっくりと声を押し出した。
「村人から盗賊団に奪われた財産を取り戻して欲しいって言われてたの、覚えてる……?」
「言われたっけ?」
「言われたの!」
 わたしは足を止め、ジゼルに食って掛かった。
「それなのに、あんたがアジトをまるごと全部蒸発させちゃったから……!!」
 そう。ジゼルときたら加減も何もなく、辺りを一面の荒野に変えたのだ。いくら何でもやりすぎというものである。
「お陰でわたしの懐も全然暖まらなかったし! どうしてくれるのよ!」
「命の恩人に向かって随分な言い草だなあ」
「何ですって?!」
 ジゼルはため息混じりにつぶやき、それを聞いたわたしは声を荒げた。
「もう宿代払ってやらないわよ?!」
「ほほう」
 ジゼルがにやりと笑ってわたしに顔を近付けた。
「それじゃあ、お前の部屋に忍び込んで一緒に寝るしかねえな。おれはそれでもいいんだぜ?」
「…………」
「わー、フレデリカが怒ったー!!」
 わたしは呪文を唱え、ジゼルが笑いながら逃げていく背中に思いきり術を放つ。――もちろん、あたりはしない。わたしがどれほど全力でやっても、ジゼルには避けられるに決まっている。そんなことはわたしも彼も、百も承知の上だ。
 ――もしかして、これが照れ隠しだということも彼には気付かれているのだろうか。
「待て、ジゼルー!」
「誰がそんな火の球待ってられるかよ!」
 わたしが追い駆けるとわかっているから、ジゼルはこうして逃げるのだろう。そしてジゼルが去ってしまわないとわかっているから、わたしは彼を追い駆けるのだ。
 
 ――魔王様とわたしの旅は、まだ始まったばかりである。