instagram

魔王様とわたし。13

 街に入るやいなや、号外、号外、と叫ぶ新聞売りの声に遭遇した。世間知らずな旅の連れは、ちょいちょい、とわたしの腕をひく。
「なんだ、あれ」
「新聞よ。街ごとの魔術師協会がやり取りしているニュースを、紙に書いて刷って売るの」
 ちなみに、わたしも一応協会に籍はおいている。頻繁に顔を出しているわけではないし、もちろんそこでの出世など望んではいないのだけど、いろいろと便利なことがあるからだ。たとえば魔術師向けの、ちょっとした仕事の斡旋をしてくれたりとか。
 連れは好奇心に満ちた表情で、新聞売りの方角を眺めた。
「たとえば、何が書いてあるんだ?」
「どこそこでこんな事故があった、とか、どことどこの国が揉めそうだ、とか、どこそこで珍しい動物の赤ちゃんが生まれた、とか」
「最後のはちょっと違うんじゃないか」
「本当に載ってるんだもの!」
 疑わしそうに左目で――右目は眼帯で隠しているから――じとっとわたしを見つめる連れに、わたしは言い返した。
「わかった、じゃあ一部買ってみましょ。あれは号外、って言ってるからなにか大きな臨時ニュースがあったんだと思うけど……」
「おう」
 軽い調子で連れは答え、私についてきた。――彼は財布を持たない主義らしいので、お金を支払うのは常に私である。一見ヒモ男のように見えるだろう。事実、その通りである。
 連れの名はジゼル。その正体は、この世界における魔王である。冗談ではない。確かに、わたしは魔王の城で彼に出逢い、世界に連れ出した。以来、わたしたちは一緒に旅をしている。世界を何も知らない、それでいて世界を愛してやまない、この魔王とともに。
「はい」
 わたしは紙面もよく見ずに売り子にお金を支払い、一部を受け取った。人だかりから離れ、はらりとそれを広げる。
「何が書いてあるんだ?」
 覗き込むジゼル。わたしはさっと見出しを視線で撫で――そして、息を止めた。

『狂夢の魔術師アランゾ・イルフェリート、獄中死』

 その名と、似顔絵。
 その顔を、わたしは知っている。覚えている。
 忘れられるはずがない。
 当たり前だ。
 こいつは――わたしの――。

「フレデリカ? どうした、フレデ――」
 誰かが遠くでわたしの名前を呼んでいる。わたしは動けない。瞬きも、息を吸うことすらできなくなって、……。

『選びたまえ』
 記憶が、蘇る。深く閉ざしたはずの蓋が、持ち上がる。そこから溢れ出すのは暗い澱み。深い闇。
『こいつらに喰われるか、それともきみがこいつらを滅ぼすか。わたしはどちらでも構わない』
 全身が、氷水に浸かったように寒い。
『大したものだ、良くここを見つけ出したものだ。その類まれな能力と気力に免じて、きみは殺さないであげよう』
 紙面に描かれた似顔絵が――長くウェーブのかかったブロンド、宝玉のような翠の瞳。まるで壁画に描かれた神様か天使のようなその美麗な顔が、ぐにゃりと歪む。
『わたしを殺す? 無理だ。きみには、無理だよ――』

「フレデリカ!!」
 わたしを揺さぶる強い力。
「しっかりしろ!」
「ジゼル」
 ぽつり、と言葉が漏れた。目の前にある一対の黒と黄金。それをぼんやりと見ながら、わたしは告げた。
「ごめん……ちょっと、ひとりにして」

  × × ×

 アランゾ・イルフェリート。
 その名は、今でも人々の中で忌み嫌われている。元はとある大国の宮廷魔術師、しかもその長だったらしい。天才的な魔術の才能に恵まれ、またその完璧な美貌の効果もあってか、幼い頃から高い名声を得ていた彼だが、実はその内には密かなる狂気が巣食っていた。
 彼は――田舎の小さな集落から村人を根こそぎさらっては、こっそり魔術の、しかも禁呪とされている類の実験を繰り返していたのだ。たとえば猛獣やらアンデッドやらと人を合成してキメラ化するだとか、そういった、正気の沙汰ではないような人体実験を。
 そういった禁呪は、かつて魔王との戦いの時代に使用されたという記録がある。より強い魔術戦士を作ろうとしたようだが、結果は精神も肉体も崩壊した、おぞましい化け物を生み出しただけに終わった。あまりに非人道的だとそれ以上の研究は固く禁じられ、封印されたはずの、魔術である。
 わたしの故郷も、彼に襲われた村のうちのひとつだ。わたしだけは、少し離れた町の魔術師協会にひとり出向いていて無事だったのだが――わたしの家族も、近所の人も、彼の犠牲になった。
 あの時のことは、あまり詳しくは思い出したくない。必死で家族の行方を追い、見つけ出した時には、もう……。
 
 わたしは家族を、隣のおばちゃんを、裏のおねえちゃんを、みんなを、この手に掛けた。

 正気を失ったみんなが、異形と化したみんなが、わたしに襲い掛かってくる。それはもう、悪夢そのものだった。泣き喚きながら戦うわたしを、アランゾはただにやにやと笑いながら見ていた。わたしの絶望は、さぞかし彼を楽しませたことだろう。
 だが――すべてが終わった時、アランゾはどこにもいなかった。返り血に塗れたわたしを遺し、彼は姿を消した。
 もちろん、わたしは街に戻り警備隊に訴えたけれど、誰も相手にしてくれなかった。それはそうだろう、相手は高名な魔術師で、わたしはといえばただの幼い小娘だ。何の証拠も、わたしは持ち合わせていなかった。数日後に戻った時には、アジトは跡形もなく消えていたし……そこにあった、数十の死体と一緒に、証拠は隠滅されてしまっていたのだった。きっとそれまでに彼の犠牲となってきた人々と同じように、わたしの村の全ては闇に葬られてしまった。
 ――わたしには、弔うことすら許されなかったのだ。
 家族も故郷も失ったわたしが旅に出て、その一年後だっただろうか。アランゾは助手に使っていた魔術師の告発であっけなく失脚し、そうして囚われた。彼が恐ろしい実験に手を染めていたことも明らかになり、人々は彼を呪った。
 彼は投獄され、幽閉された。死刑にならなかったのはどういう理由かは分からない。もしかすると、彼は王室や魔術師教会の弱みだか醜聞だかを握っていて、取引をしたのかもしれない。ただの憶測だが、あながち外れてもいないように思う。
 その男が、獄中で死んだ。死因はわからないが、あっけないものだ。
 ようやく死んだのか、という気持ちと、この手で殺すことができなかった、という悔しさと。
 実は、ジゼルに頼んで獄中の彼を殺してもらおうかと思ったこともあった。けれど、できなかった。ジゼルにそんなこと、頼めるはずがない。
 多分、ジゼルはわたしが頼めばあいつを殺してくれただろう。うぬぼれではなく、きっとそうだと思う。でも、できなかった。
 彼を魔王として利用することはしたくなかった。
 それなのに、わたしは今更――後悔している。
 家族の、故郷の人々の、アランゾの犠牲になった人々の、無念を晴らせなかったこと。わたしのこの手で、仇をとれなかったこと。
 こんなにも、後悔している。

 わたしはひとりきり、宿の部屋にこもっていた。
 今は、ジゼルの顔を見たくなかった。ジゼルに、というよりも、誰にも会いたくなかった。
 ベッドの上で膝を抱え、俯く。
 わたしは、ばかだ。
 今更後悔したって、どうしようもない。アランゾにはもう、永遠に手が届かない。罪を償わせることも、罰を与えることもできない。
 ――悠長に旅なんかしているからだ、と誰かが囁く。魔王と連れ立って、浮わついた旅なんかをしているから。
 わたしは裏切ったんだ。みんなの無念を裏切って、自分だけがいい思いをしていた。
 本当は忘れかけていたんじゃないのか。あんなに恨んでいたのに、憎んでいたのに、悲しんでいたのに、過ぎゆく時の中で少しずつ忘れそうになっていたんじゃないのか。
 わたしのせいだ。わたしの……わたしのせいで、みんながいなくなったんだ。
 みんな、わたしが殺したんだ。
 わたしが、ころしたんだ――。
「ううっ……」
 いつの間にか、わたしはぼろぼろと泣いていた。
「ごめん、なさ……」
 あの記憶を過去のものとしていた、知らず知らずのうちに忘れようとしていた自分が、許せない。自分だけがこんなふうにのうのうと生きて――。
「フレデリカ」
 優しくわたしの名前を呼ぶその声から、わたしは顔を背けた。――どうして。
「ひとりで泣くなよ、フレデリカ」
 どうしてここに彼がいるんだろう。部屋の鍵は掛けていたはずなのに。まあ、その気になれば彼を阻むことのできる扉も鍵も壁も、存在しないのだろうけど。
「ひどい顔してるぞ」
 大きな熱い掌が、わたしの頬を左右から包む。振り払おうとするが、彼は離してくれなかった。
「わたし……ひとりにして、って言った」
「同意した覚えはない」
 ジゼルはあっさりとそう言うと、わたしの体をひょい、と抱き上げ、自分の膝の上に置いた。
「…………」
 わたしは深く俯いた。わたしを抱えるジゼルの腕がひどく心地よくて、それがまた、わたしの心に爪を突き立てる。
「あいつが、前に言っていたおまえの仇だったんだな」
 ジゼルはつぶやく。そういえば、わたしは彼にアランゾの名前は教えていなかった。自分の過去を簡単に告げたとき、そういう外道な魔術師がいた、と語っただけである。生きているか死んでいるかも、彼には伝えていなかったように思う。
「のうのうと生きてやがったのか。知らなかった」
「…………」
 その声音には、はっきりとした嫌悪と憎悪が滲んでいた。
「ぶっ殺してやりたかったよな、きっと」
 わたしはうなずいた。
「だよなあ」
 ジゼルは優しくわたしの頭を撫でている。その穏やかな調子のまま、彼はぽつりと言った。
「おれに、頼もうとは思わなかったのか」
「……思ったことは、あった」
 わたしは正直に答えた。
「何度も思った。最初はそのために、あなたを探していたと言ってもいいくらいだったの。まあ、あいつが掴まって幽閉されてからは――それでも、生きていることが許せないと思ったときもあった」
「じゃあ、なんで……」
 躊躇いがちに尋ねるジゼルを見上げ、わたしは首を左右に振る。
「あなたに、そんなことさせたくなかったの」
「……え?」
「あなたは、魔王じゃない。あなたをそんなふうに利用するために、わたしはあなたを世界に連れだしたんじゃない。そんな、殺し屋か暗殺者みたいなことしたら、そんな風になってしまったら、あなたはこの世界にいられなくなる。ただでさえ、あなたの立場は不安定なのに」
 涙があふれる。さっきとは違う、涙だった。
「あなたにそんなことさせたらだめだって思った……今も思ってる。頼まなくて良かったって。それなのに」
 それなのに、こんなにも後悔しているのだ。矛盾している。わかっている。でも、どうしようもない。どうしようもなく、辛い――。
「フレデリカ」
 ジゼルの両腕が、息がとまるほどきつく、わたしを包んだ。
「ありがとう」
「……え」
 意外な言葉に、わたしは目を見開く。その拍子にこぼれた涙を、ジゼルが優しくぬぐってくれた。
「おまえが生きていてくれて――旅をしてくれて――おれを探してくれて――おれを連れだしてくれて――こうやって一緒に旅をしてくれて――」
 ジゼルはあたたかい。その温もりに、わたしは寄り添いたくなる。全てを預けてしまいたくなる。
 だめなのに。また、辛くなるだけなのに……。
「おれを守ってくれて、ありがとう。本当は、おれがおまえを守ってやらないといけないのにな」
「わたしが、あなたを……?」
 いつ、わたしがジゼルを守ったというのだろう。不思議そうに見上げるわたしに、ジゼルは微笑んだ。
「そのつもりはないんだろうけどな。おれは、いつだっておまえに守られてきたんだ」
「…………」
「だから」
 ジゼルは顔を歪め、悔しそうに呻いた。
「こんなに泣いてるおまえに、何もできない自分が――ものすごく悔しい」
「……ジゼル」
「だから、せめて」
 ジゼルはぎゅっとわたしを抱きしめた。思わず、わたしは息を止める。
「ひとりで泣くな」
「…………」
 ――ああ、やっぱりだめだ。
 わたしはジゼルの背に腕を回した。涙が止まらない。
 ひとりにして、なんて嘘だ。
 わたしはもう、ひとりは嫌だ。
 あの日家族を、故郷を失った時から、わたしはずっとひとりだった――ジゼルに出会うまで、ずっと。
 ひとりでも平気だと思っていた。ひとり旅にも慣れたつもりだった。
 でも、もう戻れない。戻りたくない。
 わたしは、この魔王から離れられない――。

  × × ×

 しばらくの間ただじっと寄り添っていてくれたジゼルが、やがてぽつりと言った。
「今度、お前の故郷のあった場所に寄ってみないか」
「え?」
 顔を上げたわたしを、ジゼルは優しく見下ろしている。
「今はまだ辛いなら、心の準備ができてからでいい。おれ、見てみたいんだ。おまえが生まれ育ったところ」
「……いいわよ」
 わたしは微笑んだ。きっと、うまく笑えていたと思う。
「ゆっくりそっちに向かってみましょうか。……わたしも」
 ぽつりとつぶやく。
「いつまでも逃げ回っている訳にはいかないものね」
 過去の記憶、過去の自分。そろそろ、わたしも決着をつけなければならないのだろう。きっと、これはいい機会だ。
「…………」
 くしゃり、と髪をかき混ぜるジゼルの指。
「そういえば」
 わたしはふと気がついた。
「あなた、初めてじゃない? 自分からどこそこに行きたい、なんて言い出したの」
「あ、ああ……そうかな?」
 何故か顔を赤らめて横を向く魔王。わたしは両手の拳を握りしめてうなずく。
「そうよ! いつもいつもぼんやりわたしの後ろを歩いてるだけだったのに! どこに行きたいとも何をしたいとも言わずにぼけーっとぬぼーっとして!!」
「いやそこまで言わんでも」
「すごいわジゼル! 成長したじゃない!!」
「……えっと」
 褒められているのか貶されているのかどっちなんだ……とぼやきつつ、ジゼルは赤い顔でわたしを見下ろした。
「言っとくけど、おまえの故郷は別に旅のゴールじゃないからな」
「え?」
 きょとんとするわたしに向かい、ジゼルは言う。ますます赤い顔で。
「おれはまだ満足してない。もっともっと、いろんなものがみたい。美味しいものも食べたいし、きれいな景色も見たい。いろんな人と出逢って、たくさんの経験をして――」
 ジゼルの大きな手が、いつの間にかわたしの手を握りしめていた。熱くて、力強くて、それでも優しい手。
「だから、これからも」
 ――ずっと、ずっと。
「おれを導いてくれ」
「…………」
 わたしはぽかんと口を開けた。
「これからも?」
「ああ」
 ジゼルの長い指がわたしの指輪を撫でている。そこに、ぎゅっと熱が集まったような心地がした。
「ずっと?」 
「あ、ああ」
「い……」
 わたしはジゼルの頬をむにと摘み、ぐいと引き伸ばした。
「いれっ」
「いい加減自立しなさいよね?! いつまでも道案内がいないと旅ができないなんて、そんな情けないことじゃ」
「らめら」
 ジゼルは両頬を引き伸ばされたまま、もがもがと言った。ものすごく聞き取りにくいが――もしかすると、敢えて、なのだろうか……?
「おらえは、おれろせかひの、みちひるうぇらから。おらえらいらいろ、らめら」
 間抜けな顔。間抜けな魔王。――でもその金と黒の目はいつだって真剣で、優しくて……。
 わたしは苦笑して、彼の顔から両手を離す。
「わたしを専属の案内人にしようなんて、高くつくわよ?」
「おう。何でも払ってやる」
 ジゼルは赤くなった頬をこすりながら、にやりと笑った。
「あ、でもおれ金持ってないな。仕方ない、体で払うか」
「……ふうん?」
 いつもなら、ここでわたしはジゼルを魔術でふっ飛ばすか、殴り倒すか、蹴飛ばすかしていた。だが今日は違う。
「じゃあ、早速払ってもらおうかしら」
「は? へ? まじで?」
 言い出した方のジゼルがあたふたし始める。――やっぱり馬鹿だ、こいつ。
 わたしは素知らぬ顔で、申し渡した。
「あなたの腕は、朝までわたしの枕ね。言っておくけど、ぴくりとも動いちゃ駄目よ」
「え」
 わたしはジゼルをベッドに横たわらせ、その隣に寝転んだ。ジゼルの体温が、泣き疲れたわたしをじわりと温めてくれる。
「な、なまごろし……」
 悲痛につぶやくジゼルはきれいさっぱりと無視して。わたしは彼の腕を枕に、ゆるゆると眠りに落ちていった。

 過去を忘れるんじゃない、なかったことにするわけでもない。
 痛みを抱えて、乗り越えて、それでもわたしは生きていく。わたしの生まれた、わたしの生きる、この世界を。胸を張って、歩いていく。
 
 ――みんな、今度魔王様を連れて帰るからね。
 非常識で方向音痴で甘えん坊で時々弱気で、そんな、わたしの魔王様を。

 魔王様とわたしの旅は続く。これからもずっと、ずっと。