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魔王様とわたし。12

 たまたま通りがかった小さな村、少し休憩したらすぐに通り抜けて、次の街に向かおうとしたのだけれど……。
「あれ、何?」
 わたしがぽつりとつぶやくと、旅の連れはわたしに目線を合わせようとするように腰をかがめた。――そんなに身長差あるかしら。いや、わたしは決してそんなに小さくはない方だから、きっとこいつが無駄にでかいのだ。そういうことにしておく。
 わたしが指差したのは、村外れの空き地、そこに描かれた奇妙な幾何学模様だった。円やら複雑な線やらが組み合わさったそれは、まるで……。
「魔法陣?」
「うーん」
 連れは首をひねった。ちなみに私は旅の魔術師で、彼はその連れである。その正体はというと、話せば長いのだが……まあ、一言でいうと「魔王」である。別に、彼の所業があくどいからついたあだ名、とかいうわけではない。彼を示すのにそれ以外の適した表現はあり得ないのだ。
「もしかすると、あれは……」
「あれは?」
「…………」
 魔王――ジゼルは押し黙ると、突然つかつかとその「魔法陣」らしきものに向かって歩き出した。普段は致命的な方向音痴でわたしの背中をぼーっとついてくるだけのくせに、こういう時だけ勝手に歩いていくのだから……つまり、彼はわたしが自分を追ってくるだろうと思っているということなのだけど。
「ジゼル、ちょっと待って――」
「おい、出てこい」
 ジゼルは低くつぶやいた。小さな声だったけれど、それは辺りの空気を震わせるのに十分だった。わたしですら、少し背筋が冷たくなったほど。
 ジゼルが見つめる先の茂みががさりと揺れ、少年が転げるように飛び出してきた。その細い両腕には似つかわしくない、分厚くて古めかしい本を抱えている。ぼさぼさのオレンジ色の髪、瞳は長い前髪に隠されて見えない。だぼっとした服から突き出すひょろっとした手足はまだあどけなく、多分まだ十歳くらいだろう。ジゼルが声を掛けたのは、この子供にだろうか……。
「お前、これは何のつもりだ?」
 ブーツのつま先でその、魔法陣? を指し示し、ジゼルは問う。彼がこんな風に、わたし以外の誰かに積極的に関わろうとするのは珍しいことだ。しかも、ちょっと――いや、かなり不機嫌。
「どうしたのよ、ジゼル。あの子、半端なく怯えてるわよ? あんた、目つき悪いんだから自覚しなさいって」
「おい、聞いてんのか?」
 ジゼルはわたしを無視し、少年を睨みつける。
「その本は、どこで――」
 わたしは咄嗟にジゼルに向かって魔術を放った。当たり前のように防がれた衝撃波は、経路を変えて地面に描かれた魔法陣を吹き飛ばした。
「ああっ?!」
 少年が泣きそうな声を出す。泣いているかもしれない。ジゼルはちらりとわたしを見遣った。
「いきなりなんだよお前……泣かしたじゃないか」
「え、わたしが悪いの? あんたがおとなしく吹き飛ばされておけば」
「んなわけあるか」
 ジゼルは眉をしかめて言うと、改めて少年に向き直った。背中を丸めて地面に這いつくばったその姿は……どこからどう見ても、泣いていた。
「……泣かせたぞ」
「どう考えても共犯でしょ、この場合」
 わたしはため息をつき、少年に歩み寄った。
「悪かったわ――とりあえず、話を聞かせてくれない?」
 顔を上げた少年の瞳に、先程より濃い怯えの色が過ったのは――見なかったことにした。

 空き地の隅にある古ぼけたベンチに腰を下ろし、少年はぽつりぽつりと話し始めた。名は、ネモ・アレンスキーというらしい。
「あれは、召喚の魔法陣だな」
 ジゼルに尋ねられ、ネモは意外そうに目を見開いて頷いた。
「おじさんも魔術師なの? おば――お姉さんもだけど」
 なかなかに賢い子供である。
「お兄さんも魔術師みたいなもんだ」
 妙なところで正直なジゼルはそう言って、ネモを見下ろした。
「で? 何を召喚しようとした。あれじゃあ不完全だから呼び出せてもそいつのしたアクビくらいだろうがな」
 あくびなら呼び出せるんだ。感心するわたしを他所にネモは暗い表情で俯いていたが、やがてぽつり、とつぶやいた。
「――魔王を」
 あ。
「魔王を呼び出そうと思ったんだ。それで、悪い奴らをやっつけてもらおうって……」
 わたしはジゼルをちらりと見る。
 ――成功してんじゃないの、あの魔法陣。
 わたしの心の声を聞いたかどうか。ジゼルはちらりと目を合わせると、やれやれとばかりに深いため息をついた。
「悪い奴らって?」
「ぼくをいじめる奴らだよ。殴ったり蹴ったりするんだ。家に父さんがいないから……誰もやり返してくれないって知っていて」
「お母さんには?」
 わたしが尋ねると、少年は首を横に振った。
「言えないよ。妹の世話で忙しいんだ。……でもぼく、ふと気付いて」
 ――このままだと、妹もいじめられるようになるのかもしれない。
「そうなる前にどうにかしなくちゃって……だから……」
「どうするつもりだったんだ?」
 ジゼルが口を挟んだ。
「魔王を呼び出せて、しかもそれがお前の言うことを聞いてくれたとして……何を願うつもりだった?」
「あいつらをいっぺんボコボコにして、もうぼくたちに手を出せないように……」
「魔王がいなくなったら確実に倍返しされるな。で? 魔王をずっと用心棒として雇っておくのか? 高くつくだろうな魔王だから」
 あんたのことじゃないの、というつっこみはかろうじて我慢した。
「それは……」
 ネモは唇を噛んで震えている。ジゼルが怖いのだろう、かわいそうに。
「どうせなら、その分厚い本でぶん殴ってやれば? かどっこ使えば立派な凶器よ」
「おまえなー……」
 ジゼルは酸っぱいような顔でわたしを見下ろす。わたしは真剣である。
「だって、いるかいないかもわかんないすっとこ魔王に期待しても仕方ないじゃない? やっぱり頼れるのは己の腕よ。腕が無理なら武器を使えばいい」
「さり気なく悪口言うのやめろよな」
「もしくは――そうね」
 わたしはネモを観察する。
「そいつらの家の畑に塩まくとか」
「そんなことしたら殺されちゃうよ!!」
「塩はやり過ぎか。じゃあね――」
 わたしがつらつらとあげたネモのための復讐方法四十七選を聞きながら、ふたりの顔色は徐々にひどいものになっていった。ネモは頭をかきむしり、悲痛な声をあげる。
「ぼ、ぼくはなんてものを呼び寄せてしまったんだ……!!」
「わかったかぼうず、魔王なんかより世の中にはもっと怖いものがいるんだぞ」
「うん、わかった」
「ちょっと! 何を友情育んでんのよ。まだ何にも解決してないわよ」
「……もういい」
 ネモはふらりと立ち上がった。
「魔王に頼ろうとしたぼくが悪かったんだ。わかったよ。自分でどうにかする……」
「どうにかってのは」
 その小さな背中に、わたしは声を投げ掛けた。
「我慢することじゃないのよ? ネモ」
「…………」
「おい」
 不意にジゼルが立ち上がり、ネモの手から本をとった。ぺらぺらとめくって、やはり、とつぶやく。
「これ、魔術書だな。随分古いものだが――誰のものだ?」
「お父さんの。お父さんは、妹が生まれてすぐに、事故で……」
 涙ぐむネモの頭をやや乱暴に撫で、ジゼルは笑った。
「お前に幾つか魔術を教えてやる。多分、お前には素養があるから」
「へ?」
 何の気なしに魔術書を覗き込んだわたしは、驚いて声を上げた。この本、インクそのものに魔術が掛かっている。魔術師以外には全く別の、くだらない内容にしか見えないだろう。料理のレシピ本とか。けれど、本当のその中身は……。
 ――アレンスキー? わたしは不意に思い出す。その姓はかつて、伝説の中に出てきた魔王を封じた英雄のうちの一人のものではなかったか。つまりのところ、大陸を去った強大な先住民との混血であるジゼルを迫害した人物、という意味になるのだけれど。
「お前は魔術師になれる」
 ジゼルは気付いているのだろうか――目の前にいる少年の祖先は、彼をかつて苦しめた人物なのだということに。
 きっと気付いているのだろう。このお人好しな魔王は、それでもネモの力になりたいのだ。目の前で涙を流す少年を、彼は見捨てられない。
「時間がない。やるか? やめておくか? 選べ」
「僕が、魔術師に……?」
「とりあえず脅かし程度の術は教えてやるよ。――このお姉さんがな」
「へ?」
 ジゼルは驚くわたしの耳元に口を寄せて囁いた。
「当たり前だろ、おれのはお前たちの魔術とは違うんだから」
「そ、そうね」
 わたしはうなずいた。胸を張り、ネモを見つめる。
「安心して。わたし、ひとりで大勢をあしらう魔術得意よ? だまし討ちとか罠にかけるとか」
「……人選ミスったかなー」
 ぼやくジゼルは無視する。ネモは引きつった顔で頷いた。
「やる。やらせて下さい。お願いします」
「よーし」
 わたしはにやりと笑う。
「それじゃあ早速、始めるわよ!」

 ――数時間後。
「あのな」
 わたしとネモは、何故か並んで正座させられている。
「訓練で山一つ消し飛ばすやつがどこにいる?!」
「消してないわ、ちょっとえぐれただけよ」
「『ちょっと』……?」
「だ、だいぶ……」
「お兄ちゃん、お師匠様をいじめないで!!」
 ネモはすっかりわたしの弟子気分である。
「ぼくの制御が甘かったんだ――今度はもっと、小さく削るよ!!」
「山を削ることは目的じゃないだろ?!」
 ジゼルは魔王のくせに常識的なことを言い、肩を落とした。
「いやまあ、よくがんばったよネモ……そのへんのクソガキなら、もう簡単にあしらえるだろ。けど、怪我はさせるな。おまえが悪者になる」
「わかった。お師匠様も言ってたもの――」
 ネモはにっこりと笑った。こうしてみると、結構愛嬌のある顔をしている。
「『喧嘩の基本は、生かさず殺さず』」
「あああああ健全な青少年が魔女に毒されたああああ」
「誰が魔女よ」
 失礼な魔王を蹴り倒し、わたしはネロを見下ろした。
「けど、あんまり無理しちゃだめよ。あなたの魔術は付け焼き刃だから。才能があったから簡単な術はすぐにものになったけど、基本的には子供だまし程度だと思いなさい」
 確かに、彼には魔術師の才能がある。たった数時間で山の一部がえぐれるほどの威力をみせるとは……これで制御ができるようになって、応用がきくようになれば、彼は本当に魔術師になれるかもしれない。もう少し大きくなれば、街の魔術教室に通ったらどうだ、と伝えておいた。
「さてと、そろそろ……」
 妙なことで時間を潰したが、そろそろここを出なければ夜までに次の街にたどり着けない。荷物を抱え直したわたしたちに、ネモが飛びついた。その頬はひどく紅潮している。
「ねえ、ぼくも連れて行ってよ! 何でもするから……弟子にして!」
「弟子は募集してないの」
 わたしはそっけなく言った。
「それに、子供を連れ歩く趣味はないわ」
「けど、ぼく……魔術師になりたい……」
 ネモは泣いている。
「この村から出たいよ……!」
 ――その小さな姿が、かつての自分と重なった。わたしがひとりきりで故郷を離れたのは、ちょうどこの子と同じくらいの年の頃ではなかったか。
 しかし――いや、だからこそ――。
「おまえは、妹を守りたかったんだろ」
 ジゼルが一歩踏み出し、ネモの頭に掌を置いた。その声は、厳しいけれど、ひどく優しい。
 ネモはぴくりと肩をひきつらせる。
「そのおまえがいなくなって、どうすんだよ」
「……う……」
 ジゼルはとん、とん、と穏やかに彼の肩を叩いた。
「もう少し、ここにいろ。おとなになって、それでもやはり外の世界に出たければ……その時は、好きにすればいい」
「…………」
 ネモは辛そうに顔を歪めていた。その表情から目を逸らし、わたしは言う。優しくて、残酷な別れの台詞を。
「じゃあね、ネモ。……がんばるのよ」
「…………」
 ネモは黙ってうつむいている。――なんか、かえって悪いことしちゃったかなあ……。何とも言えない罪悪感とともに、わたしは彼に背を向けた。
 ネモは知らなくていい。彼が呼び寄せたのが――そして彼を本気で勇気づけたいと願ったのが、彼の祖先が追い立てた、本物の「魔王」だったなんて。
「い、いつか!」
 ネモの声が響いた。
「追いかけてみせるから! 有名な魔術師になって、それで、絶対に追いついてみせるから!!」
 わたしは振り返らない。
 けれど、ジゼルは――。
「おう」
 のんびりとした声。
「おれはいつまでだって、待っていてやる」
 穏やかに、そう告げた。

 ネモがおとなになる頃、わたしたちはどうしているんだろう。まだ、一緒に旅を続けているのだろうか。ジゼルの正体は暴かれずに済んでいるだろうか。
 その時、わたしは一体どこで何をしているのだろうか。
 
 
 数日が経った頃。ちょっとした噂が耳に飛び込んできた。いわく――「とある村のいじめられっこがある日突然魔術に覚醒して丘を一つ吹っ飛ばしてしまい、魔術の制御を学ぶために街に送り出された」んだとか。
「プランCを選択したのね。話の通じない相手だったってことか」
「結局おまえの入れ知恵か」
 こつん、と拳を頭にあてられる。プランAとBを聞きたいか、と尋ねたら渋い顔で要らないと言われてしまった。
 わたしは宿屋の食堂の冷たいジュースを飲みながら、軽く肩をすくめる。
「大丈夫、いったん力を見せつけてやれば後はどうとでもなる。あの規模の村なら魔術師は重宝されるはずよ? あの子の母親も妹も、大事にされるわ」
「ふうん」
 意外にも、ジゼルはあまり気のない様子で、そう言った。
「あれ、冷たいじゃない。ネモのこと、気にしてたんじゃないの?」
「ああ……あれな」
 ジゼルは頬を掻きながら、軽く視線を反らした。
「どちらかというと、おまえが随分肩入れしているなあと思ったんだが」
「……へ?」
 ぽかんとするわたしに、ジゼルはいやいや、と手を振った。
「何でもない。気にするな」
「…………」
「まあ、いくら召喚されたって、おれはほいほい呼び出されたりしないけど」
 ジゼルは当たり前のことを言って、笑う。
「でも、これはあなたを呼べるんでしょう?」
 指にはめた指輪を示してそう言うと、ジゼルは笑みの質を微妙に変えて、そうだ、と低く囁いた。
「魔王の指輪、かー。高く売れそうね?」
「おまえは鬼か」
 がくりと肩を落としながら、しかしジゼルはちらりと壮絶な流し目をくれた。
「ま、指輪を外したって意味ねえよ? 次は『本体』に魔術を掛ければいいんだから」
「え――」
「そこまではしない、つもりだけどな」
 ジゼルは少し茶化すようにそう言って、わたしの手からジュースのグラスを取り上げた。残りをごくごくと美味しそうに飲み干し、赤い舌でちらりと薄い唇を拭う。
「ごちそうさま」
「…………」
 魔王の手がさりげなくわたしの髪に触れ、こめかみに、頬に触れ、やがて離れる。避けられない、避けようとも思わなかった自分に、そしてあの温もりが離れていくとき、少し残念に思った自分に――わたしはその時、ようやく気付いたのだった。