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魔王様とわたし。10

 大きな街に立ち寄るのは、久しぶりのことだった。活気にあふれた街並みに、疲れていたはずの足取りも軽くなる。
「今日はここで一泊しましょうか」
「おう」
 斜め後ろにいる旅の連れを振り返ると、彼はすぐに頷いてみせた。――いつもながら、きっと何も考えていないに違いない。
 彼の右目は眼帯に隠れていて、あらわな左目の方もあまり目付きはよくない。上背も高く、なかなかの威圧感である。だが、誰も彼の正体には気付くことはできないだろう。
 彼の名は、アルケナン・オ・アビシア――この大陸に眠る最後の伝説。金色の片目を持つ、最強の魔王。
 何故そんな存在がこんなところにいるのか。その理由は話せば長くなるので割愛させて欲しいのだが、何はともあれ彼は今やわたしの旅の連れ――いや、何も考えずにわたしの背後にくっついているだけともいう。
「賑やかだなあ」
 明るい彼の声にうなずきながら、日の高いうちにまずは宿を探そうと辺りを見回した――その時。
「あっ?!」
 わたしの足に何かがどん、とぶつかった。慌てて歩みを止め、視線を落とす。
「あ……」
 尻もちをついて、わたしを見上げている小さな子供。大きな褐色の瞳には、涙が溜まっている。
「ご、ごめんね? 大丈夫?」
 わたしが手を伸ばして助け起こすと、子供は立ち上がって、その小さな肩を震わせた。
「どうした?」
 連れが肩越しに顔をのぞかせる。
「怪我でもしたか?」
「そ、そうは見えないけど……」
 わたしは腰を屈めて子供の顔をのぞき込んだ。
「どうしたの? どこか痛い?」
「う」
 涙が、赤い頬を伝わり落ちる。
「うう、っ……!」
「え?!」
「あー。フレデリカが泣かしたー」
「なっ……?! うるさいわよボンクラ魔王!」
「んだと?!」
「うわああああああん!!」
 不毛なわたしたちのやりとりを遮ったのは、けたたましいまでの泣き声だった。
「おかあさあああああん!! おとうさああああああああん!!」
「…………」
 息を飲むわたしたちの目の前で、子供はわんわんと泣いている。通り過ぎる人たちの視線が痛い。
「迷子?」
 つぶやくわたしの側を通り過ぎ、ジゼルがひょいと子供を抱え上げた。
「よーしよし、そんなに泣くな」
 ジゼルがなだめるように揺すると、子供は目を見開いて泣き声を飲み込んだようだった。ジゼルの切れ長の瞳が、いつになく和らいでいる。
「お母さんとはぐれたの?」
 覗き込んでわたしが尋ねると、子供はこくんとうなずいた。――やはり、迷子らしい。まだ五歳くらいに見えるその子を、さすがに放っておくことはできない。
「……わかったわ」
 わたしは子供に笑ってみせる。
「一緒に探しましょう?」
「えっ?」
「そうだな」
 ジゼルは子供を抱え直し、肩車をした。
「お前はここからよーく見てろ。お母さんかお父さんを見つけたら、ちゃんとおれに教えるんだぞ?」
「う……うん」
 子供はおそるおそるジゼルの頭にその小さな両手を置いた。
「ねえ、名前なんていうの?」
 わたしの問いに、子供は小さく答えた。
「クレフ……」
「男の子か」
 なぜか、ジゼルは嬉しそうに笑う。わたしはやれやれと肩をすくめた。
「まずはこの街の役所に行きましょ。誘拐と間違われたら面倒だしね」
「なるほど」
 ジゼルは相変わらずなんにも考えていない顔で、ふんふんと軽くうなずいている。クレフは先ほどまでの泣き顔をどこへやったのか、ジゼルの肩の上で嬉しそうに足をばたつかせていた。
 クレフにとっては、ジゼルが何者であるかなんてどうだっていいんだろう。まさか自分を肩車しているのが魔王だなどと、思いもしないに違いない。
「おにいちゃん、高いー!」
「だろ? おまえも大きくなれよ」
 不思議と、ジゼルはクレフと早速仲良くなったらしい。――もしかすると、精神年齢が近いのかもしれない。
 きゃっきゃっと喜ぶクレフを見上げると、思わず笑みが浮かんだ。

  × × ×

 役所に寄ったわたしたちは、とりあえず街中央の公園にいるように言われた。わたしたちがあちこち動いて行き違ってしまっては困るし、人が一番集まるのはその公園だから、ということだった。確かに、クレフの親も彼を探し回っているだろう。わたしたちの側は動かないほうがいい。
 公園にはアイスの屋台が出ていて、わたしたちはベンチに並んでアイスを食べることにした。クレフはストロベリー、ジゼルはチョコレート、そしてわたしはバニラのアイスクリーム。子供らしくなくお金のことを気にするクレフに、ジゼルは気にするな、と笑い飛ばしていた。まあその通りなのだけど、実際のところジゼルは全くお金を持っていないので、財布を出すのはといえばわたしなのだった。緊急事態に備えて――例えばクレフみたくジゼルが迷子になるとか――少しは持っておいたほうがいいと言っているのに、彼は全く聞こうとしない。その頑なな様子は、何だかお金を持っていたくないようにも見えるのだった。
 三人分のお金を払ったわたしに、クレフはぴょこんと頭を下げた。
「ありがとう、おねえちゃん」
「どういたしまして」
 親がきっちり躾けているのだろう。クレフは良い子だった。きっと心配しているに違いないし、早く両親の元に帰してあげたい、そう思う。
「そのピンクの、ストロベリー味か?」
 ジゼルが興味津々にクレフのアイスに顔を寄せる。クレフはうん、とうなずいた。
「……おにいちゃん、ひとくち食べる?」
「おう、じゃあおれのチョコやる」
「…………」
 これじゃあ、どっちが大人なんだか。苦笑混じりにため息をついたわたしに、ジゼルはチョコレートのアイスを突き出した。
「フレデリカも食えよ」
「え? いや、わたしは……」
 別に、と言いかけたわたしを遮って、ジゼルは続けた。
「おれ、バニラも食いたいし。なー、クレフ?」
「う、うん」
「小さい子に言わせてるんじゃないわよ……」
 わたしは差し出された二本のアイスを一口ずつかじり、そしてわたしのアイスをふたりに渡した。
「……おにいちゃんたちって」
 クレフがわたしたちを交互に見て、小さく首を傾げた。
「きょうだい……じゃないよね?」
 似てないもん、と続ける。
「じゃあ、おかあさんとおとうさんなの?」
「へ?」
 目を丸くして聞き返したわたしに、クレフは考え考えしながら言う。
「ええっと……なんていうんだっけ」
 ううん、とひとしきり悩んだ後、思い出したのか、あっと目を輝かせた。
「そうだ、『ふうふ』!!」
「ぶっ?!」
 わたしは思わずアイスに鼻を突っ込んだ。ジゼルがそんなわたしを見てうわ、と声を上げる。
「大丈夫か、フレデリカ」
 ジゼルは無遠慮に手でぐいぐいとわたしの顔を拭い、そして指についたクリームをぺろりと舐め――。
「クレフ!!」
 遠くから、少年の名を呼ぶ声がした。クレフがぱっとベンチから立ち上がる。
「おかあさん! おとうさーん!!」
 アイスをジゼルに押し付けるように渡し、振り向きもせずに小さな背中が駆けて行った。まさに、一目散だった。
 わたしはほっと息をつく。
「親、見つかったみたいだな」
 ジゼルはクレフに渡されたピンク色のアイスをぱくり、と食べた。
「おまえも食べるか?」
「…………」
 わたしはじっとアイスを見つめた。もう、随分溶けている。――クレフ、わたしたちはただの旅の連れよ。心の中でつぶやいた。
「……もらっておくわ」
「うん」
 こちらに向かって歩いてくる、クレフとその両親。我々の姿を認めた途端、ぺこぺこと頭を下げ始めた彼らに気付き、わたしは慌ててアイスを呑みこんだ。クレフはというと、父親らしきひとに抱きあげられ、嬉しそうに笑っている。
「見つかって、良かったわね」
「……そうだな」
 ふと、ジゼルを見上げた。片眼は眼帯に覆われて見えない。だが、露わな方の黒い瞳は――夕焼けの色を映し、あたたかく滲んでいた。

  × × ×

「お礼なんていいって言ったのに」
 どうしても、と言って聞かなかったクレフの両親に渡された金一封。わたしは手の中でもてあそんでいたそれを、ジゼルにひょいと渡した。
「なんだ?」
 ベッドに腰掛けていた彼は、とっさにそれを受け取り怪訝な顔をした。
「それ、持っておいたら? 何かあった時に無一文じゃ困るわよ」
「いらない」
 ジゼルは首を横に振り、その小さな布袋を脇に置いた。
「なんで」
「んー……」
 ジゼルは答える気もなさそうに、大きく伸びをする。
「迷子になったらどうするのよ。困るでしょ」
 言うわたしに、ジゼルは小さく笑った。
「ちゃんと捜してやるって言っただろ?」
 長い指先で、わたしの手に填まった指輪を示す。ジゼルの魔力の籠った指輪。これを辿れば、ジゼルにはちゃんとわたしの居場所が分かるのだという。
「そりゃあ、そうだけど……」
「なあ、フレデリカ」
「何?」
 ジゼルは強引に話題を変えようとしているようだ。警戒しながら、聞き返す。
 案の定――彼は平然とした顔で、とんでもないことを言った。
「おまえ、子供作らないか?」
「……はあ?」
 ――何を言っているんだ、この非常識魔王は。
 眉を寄せるわたしとは対照的に、ジゼルは上機嫌だった。
「あんな小さな子供と一緒にいるの初めてだった。おれ、実は子供好きかもしれない」
「……あんたね」
 わたしはめまいをこらえながら、かろうじて言葉を絞り出した。
「子供……が、その、どうやって生まれてくるのか……それくらい、知ってるのよね……?」
「当たり前だ。おれにだって親くらいいたんだぜ?」
 ジゼルの表情をちり、と掠めた痛み。わたしはそれに気が付かなかったふりをした。
 ジゼルのどちらかの親は、今はもうこの大陸にはいない種族だ。そしてその種族を追ったのは、ジゼルのもう片方の親と同じ――そしてわたしと同じ、人間。父親と母親のうちどちらが人間だったのか、とか、そもそも両親はどうやって知り合ったのか、とか、結局ふたりはどうなったのか、とか……言い出せばきりがないくらい疑問はあるけれど、それは簡単に触れてはいけない部分だった。
「あんたねえ」
 わたしは少し大袈裟なくらいに呆れ顔を作る。
「じゃあ、どうやったらわたしがひとりでほいほい子供を作れるっていうのよ?!」
 しかしこの男、年頃の娘に何ということを言わせるんだろうか。
 だが、ジゼルは憎たらしいくらいにあっけらかんとしていた。
「誰がひとりでって言った?」
「……は?」
 ――今度こそ。わたしの頭の中は真っ白になった。
「そ、それって……」
 ジゼルの目が――今はもう露わな金色の目と、闇色の目。一対のそれらが、間近に迫ってくる。それが、
「――なーんてな」
 ふと、逸れた。わたしは知らず知らずのうちに止めていた息を、ゆっくりと吐き出す。
「冗談だよ冗談。悪かったな」
 大きな手が、くしゃりとわたしの髪を撫でて離れていった。
「まあ――おれにだって、子守くらいは手伝えるだろ」
 遠くを見つめる瞳。苦笑にも似た形の唇。どこか、寂しげな表情。
「ジゼル?」
 もしかして――いや、きっと彼は……。
「…………」
 ジゼルの指先が、己の金色の眼を隠すように瞼を抑えた。
 彼は、諦めているのだ。子供を――いや、家族そのものを。己には手に入らないものだと、手にしてはいけないものなのだと。
 この大陸で彼だけが持つ、ゴルダ・アイの――「魔王」の血。それを次代に遺すつもりは、彼にはない。自らの代で絶えるものなのだと、絶やさなければならないと、そう思っているのだろうか。
「バカねえ」
 わたしはふ、と小さく笑ってジゼルの肩に額を載せた。
「こーんな大きな子供がいるんだもの、もう手いっぱいよ」
「……それ、おれのことか?」
「他に誰が?」
 ジゼルはむっとしたように唇を尖らせ、やがて小さく噴き出した。
「おまえは面白いな、フレデリカ」
「あなたに言われたくはないけれど」
 言うわたしに、ジゼルは首を左右に振った。
「いや……本当におまえは面白い」
 そして、彼は小さく――本当に小さな声で、続けた。
「手放せねえよ」
「…………」
 わたしは弾かれたように顔を上げそうになって、慌ててこらえた。今のは、聞かなかったふりをしなくては。
 ジゼルのために。そして、わたしのためにも。
 これからも、これまでと同じように旅を続けるために。
「…………」
 部屋に落ちた沈黙。わたしの指先と、ジゼルのそれがわずかに触れ合う。ぬくもりすら伝わらない、その感触でわたしは十分だと思った。だって、ジゼルはここにいるから。その大きな気配に、わたしは何よりも安心しているから。
 ――手放せないのは、わたしだって同じなのに。ずるいわたしは、口にしない。だけど、もしかしたら……ジゼルはとっくに見通しているのかも知れない。
 本当に子供なのは――本当に守られているのは、どちらなのだろう? その問いの答えに、わたしは気付かないふりをし続ける。