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おまえの血は不味すぎる・9(終)

 ――沈黙が気まずい。
 レヴィに連れられて帰宅したわたしは、バッグを床に下ろしてベッドに座った。レヴィは腕組みをして突っ立ったまま、そんなわたしを見ている。
 いろいろと聞きたいことはある。だが、どう切り出していいものかわたしにはよくわからなかった。
 結局、三原先生とレヴィはどういう関係なのか。「混血」というのはどういうものなのか。何故あそこにレヴィが現れたのか。どうしてレヴィは三原先生を追い払ったのか――いや、そんなことより何よりも気になるのは、本当は、……。
「……悪かったな」
 レヴィはぽつりとそう言うと、わたしの隣にどすんと腰を下ろした。そのまま彼は、ぽんぽんとわたしの頭の上で掌を弾ませる。
「……何が」
「さっきの男。おまえについたおれの匂い――吸血鬼の匂いに反応したんだろ? おれがおまえを巻き込んだようなものだ」
「さんざん血吸っておいて、今更何言ってんのよ」
 わたしはため息混じりに呟く。そんなことを気にするくらいなら、最初からひとの血なんて吸わなければいいのだ。
「そう言われても、まったく吸わないわけにもいかないんだよ。こっちも餓死したくはないし」
「同じ人間から繰り返し吸ったから、匂いが付いたんじゃないの」
「…………」
 ふと思いついて言った言葉に、レヴィは動きを止めた。わたしから目を逸らし、口を噤む。
 だが、そう言ったわたし自身もなんだか妙に動揺していた。いやいや、何を動揺することがあるんだろう。わたしは血なんて吸われたくなくて、レヴィが出て行ってくれるならいつでも大歓迎で、まあできればもう少しいてくれれば経済的には助かるしレヴィの作る食事も美味しいからいいんだけど、でも本当はさっさと出て行って欲しいと思っていて、そのはずで……。
「ねえ」
 わたしは俯いて、呟いた。声が少し、震えている。
「なんで、わたしだったの」
 あの時――最初に血を吸った時。どうしてわたしを襲ったの。
「正直、大した理由はなかった。たまたまだ」
 レヴィはぼそりと答えた。
 ――やっぱり、そうか。わたしはなぜかひどく落胆した。何をそんなにがっかりすることがあるのか、自分でもよくわからなかったけれど……自分は何か理由があってレヴィに選ばれたのだと、そんな風に思いたかったのかもしれない。でも、もしそうだとしたらきっと彼はわざわざ血の不味いわたしを選びはしなかっただろうし、やっぱり彼の言う通りたまたまだったに違いない。
「けど――」
 彼は再びわたしの頭に手を載せた。大きな手だった。少し、重かった。
「最初は心配になった。おまえの血が不味すぎたから。相当不健康な生活してるんじゃないかって」
「ええ……?」
 まさか、吸血鬼に本気で心配されていたとは思わなかった。
「だいぶん驚かせちまったし、血ももらったし。まあ恩返しっていうんじゃねえけど、少しは何かおまえに返せたらと思って」
「……殊勝なことを言う割に結構強引に居座ったような気もするんだけど」
「正直な話」
 レヴィはぽんぽんとリズミカルにわたしの頭を叩いている。さすがにちょっと鬱陶しかったが、わたしは止めなかった。止めても素直にやめてくれそうにもないし。
「ちょっと人寂しかったのかもな」
「……へ?」
 意外なセリフを呟いたレヴィに、わたしは思わず声を上げた。
「寂しかった?」
「吸血鬼は基本ひとりで生きるものだ。群れることはない」
「…………」
「おれもそうだ。ずっとひとりで生きてきた。騒ぎにならない程度に時々ひとの血を啜りながら――教えられたとおりの生きる術を使って」
 生きる術……それって、例の投資だとか資産運用だとかのことだろうか。まあ、現実的ではあるんだけど……。
「楽しかったんだ」
 ぽつりとレヴィの言った言葉が何故だか胸に詰まって、わたしは顔があげられなくなった。レヴィの表情が、見られなかった。
「おまえに飯食わせて、美味いって言われて。そりゃまあ、おまえはいろいろと不本意だっただろうけど、そこまで強く拒絶されてる感じもしなかったし」
「…………」
 それはあなたがお金をくれたから――とは言えなかった。さすがに情けなすぎる。
「勝手なのはわかってはいたんだが」
 レヴィは空いている方の手で強めに自分の髪を掻いた。
「なんとなく、このまま居られたらいいなあ、なんてな――」
 吸血鬼と人間。相容れないとはわかっていたのに、智紗とは何となく馴染んでしまった。馴染めてしまった。だから、願ってしまったのだと――。
「…………」
 わたしは黙って床を見つめていた。言いたいことは本当は山ほどあるのに、何を言っていいのか言葉が浮かばなかったのだ。
「智紗?」
 沈黙に耐えかねたのか、レヴィがわたしの名を呼ぶ。
「……怒ってるのか?」
「別に、怒ってるわけじゃない」
「怒ってるじゃねえか」
「怒ってないって言ってるでしょ!」
 わたしは勢いよく顔を上げた。レヴィがわたしの顔を見て驚いたように目を見開く。
「……泣いてるのか?」
「泣いてない!」
「いやいやおまえ、」
「そんなことはどうでもいいの!」
 わたしはたじろくレヴィを遮り、ぐいと目元を拭う。――断じて涙を拭ったわけではない。多分。

「わたし――このままじゃ駄目だと思ってた」

 レヴィが何かを言いかけるように唇を開け、やがて何も言わないままに閉じる。口を挟まない方がいいと判断してくれたのかもしれない。妙なところで空気の読める吸血鬼である。
「あなたのご飯は美味しいし、あなたのくれる家賃は助かるし。でも、あなたは所詮わたしの血が欲しいだけの吸血鬼で、いつまでここにいるかもわからない。あなたに頼るわけにはいかない。……そう思ったってことは、既にちょっと頼りかけてたってことなのよ」
「…………」
「そもそも、あなたと出会わなくたって、このままでいいはずなかった……」
 仕事を辞めて、貯金を切り崩しながらなんとかバイトで食いつないで。こんな生活をずっと続けていいはずがなかったし、いつか遠くない将来に破綻することは目に見えていた。それでも、その事実からわたしはずっと目を背けていたのだ。吸血鬼から血が不味すぎるといわれるようになるくらい、栄養不足やら何やらで体にガタが来始めていて、それってつまりはいろいろと無理が祟っていたということなのだろうけど、それを全部わたしは見て見ぬふりしていたのだ。
「でも」
 わたしはじっとレヴィを見つめた。
「あなたのおかげで、これじゃいけないと思えた――」
 無論、レヴィにはそのつもりはなかったのだろうけど。非現実的な吸血鬼である彼の存在が、皮肉にもわたしに現実を突きつけたのだ。
「頑張って勉強して、資格を取って、ちゃんと転職しようって決めたの」
 ちゃんと自分のお金でちゃんとしたもの――美味しい、栄養のあるものを食べて、しっかり生きていけるように。
「まあ、そんなに簡単なことじゃないのはわかってるけど、でも頑張ってみようって」
 ――頑張らなきゃいけないって、そう思えた。
 レヴィは驚いたように呟く。
「おれはそんなつもりだったわけじゃなかったんだが……」
「そりゃそうでしょうね」
 わたしは肩をすくめる。
「あんたにとっちゃ、わたしは餌だもの」
 改めて口に出すと、やっぱり癪だ。――だが、
「餌……餌かあ」
 レヴィは困ったように指先で頬を掻いた。
「なんか、おまえはそういうんじゃないんだなあ……」
「何がよ」
「おまえが、いいんだ」
「……は?」
 レヴィは真顔で変なことを言い始めた。
「おまえの血が吸いたい。他のやつらじゃなくて」
「…………」
 いや、それは喜べることじゃない。わたしは困惑してレヴィをまじまじと見つめた。
「えっと……?」
「おまえの血が誰か他の吸血鬼に吸われるのも、なんか癪だ。血を吸うときって結構密着するだろ。もう、それが腹立つ」
「…………」
 このひとは――いや、この吸血鬼はいったい何を言っているんだろうか? いや、自分が何を言っているのか……どういう意味のセリフを口にしているのか、ちゃんと理解しているんだろうか? していないとしたら、相当腹が立つのだが。
「だから、おまえに本気で愛想つかされて追い出されるまで――いや、無理矢理居座るとは言わねえからさ」
「最初から無理矢理だったと思うけどなー……」
 わたしのぼやきを、レヴィはきれいさっぱり無視した。この距離で聞こえていないはずはないと思うのだけど……。
 レヴィはわたしの手を恭しく取り、言った。
「おれは、このままおまえと一緒にいたいんだ」
「……なんで?」
 わたしは間の抜けた返事を返した。
 だって、わからない。人寂しいだけならわたしでなくてもいいはずだし、血を吸いたいなら対象となる人間はそれこそ無数にいる。たまたまわたしの血を吸って、たまたまわたしのところに転がり込んで、たまたまそこが居心地が良かったから、なんて。なんか、嫌だ。そんなのじゃ、納得できない。
「なんでって……」
 レヴィは聞き返されたことが不思議だというようにぱちぱちと瞬きをした。
「そりゃおまえ」
 レヴィが両手でわたしの頬を包む。
「おれがおまえを気に入っちまったからに決まってるだろうが」
 おまえの血が不味すぎても、美味くても。
「そんなことはどうだっていいと思えるくらいにはな」
 おまえと過ごす日々があんまり楽しいから、終わらせたくないと願ってしまった――ただそれだけなのだ、と。
「…………」
 おかしい。
 いつものように首から血を吸うならレヴィはもっと身を屈めるべきで、このままだと全然位置が違う。そもそももっと牙を剥き出しにして迫って来るはずだし、なんかこれって、……これって。
 いつもわたしの皮膚を容赦なく食い破るはずのその牙も、このときばかりはおとなしくしていた。
「……唾液は血液と違って痛がられないからいいな。しかも結構美味い」
 数十秒後、わけのわからんことを言い放ったレヴィを、わたしは渾身の力を込めて殴り倒したのだった。……残念ながら、たいして効いてはいなかったようだけど。

 わたしがバイト先で三原先生と再会したのは、例の夜から数日後だった。なんとなくわたしも避けていたし、もしかしたら三原先生もわざと来店しなかったのかもしれないが、単純にただ仕事が忙しかっただけかも――いや、多分そうだろう。そこまでわたしは自意識過剰にはなれない。
 閉店間際のひとけのないカフェ店内に、三原先生はふらっと現れた。いつもの白衣姿である。
「このまえはごめんね」
 ブラックコーヒーをオーダーした三原先生は、カウンター内にいるわたしに向かってそう言った。心底悪いと思っているには軽い口調で、だからといって全く謝る気がないというわけでもなさそうだった。
「いえ……こちらこそ、なんか」
 何と言っていいかわからず口ごもるわたしに、三原先生は笑みを浮かべてみせた。
「きみは、あの吸血鬼に好かれちゃってるみたいだね」
 ――あれだけ必死になられたらねえ、おれも諦めざるを得ないよ、と三原先生は茶化すように言った。
「…………」
 わたしは何と言っていいものやら、言葉に迷ってしまう。そんなわたしに、三原先生は軽い調子で言った。
「まあ、いいんじゃないかな? うちの両親もそれなりに結構幸せそうだったしさ」
「……先生のご両親って」
「うん。父親が人間で、母親が純血の吸血鬼」
「……お母様は出て行かれたとか」
「よく覚えていたね」
 三原先生は肩をすくめる。
「まあ、でもそれって人間同士でもあることでしょ。うまくいかなくなって別れることは、さ」
「…………」
「少なくとも、うちの父親は母親のことを恨んだり憎んだりはしていなかったし、多分母親もそうだと思う」
「三原先生は、これから……」
 どうやって生きていくんですか。その問いは口には出せなかった。何だか、すごく失礼なことを聞いているような気がして。
 でも、三原先生には伝わってしまっていたようだった。苦笑を浮かべつつ、コーヒーをひとくち飲む。
「別に、何も変わらないよ。おれは『人間』だから」
「…………」
「一応、『人間』として育ててもらったし、ねえ」
 ――やっぱり多少は血に対する興味は強いし、これからも時には血を口にしてみたい衝動にかられるかもしれないけど。
「おれは『人間』として、この社会の中で生きていくよ――」
 少なくとも、ひとを襲ったりはしないさ。三原先生はきっぱりとそう言った。何だかそれを聞いて、わたしもほっとする。
 それにしても――改めて、三原先生はレヴィと少しも似ていない。あまりにも似ていないのが、不思議なくらいだった。
「おれは父親似なんだよ」
 うっかりじろじろ見過ぎて伝わってしまったのか、三原先生は笑ってそう言った。
「で、『あれ』はきっと母親似だね」
「……そうなんですか」
「うん」
 さて、と。仕事に戻らなきゃ。
 三原先生は言って、カウンターから離れた。
「貧血には気を付けて――おしあわせにね」
「…………」
「もし『あれ』のことで困ったら、相談くらいには乗るから」
「あ……ありがとうございます」
 礼を言うわたしに曖昧な笑みを残し、三原先生はぺたぺたとサンダルを鳴らして店を去って行ったのだった。

 その後――別に何が大きく変わったわけでもない。わたしはまだバイトを続けているし、資格の勉強もしている。思うように環境を変えていくには、まだまだ時間が必要なのだ。焦っても仕方ないし、今はもう焦る必要もない。……その理由は、敢えて言うまでもないだろう。
 レヴィは相変わらずうちの家にいる――だんだん態度が大きく、馴れ馴れしくなっているような気がするのは気のせいだろうか。いつの間にか部屋に彼の私物が増えてきたような気がするし……今まではいったいどこに仕舞い込んでいたのだろう? 最近ではあまり黒猫の姿にも変化しなくなった。「猫だと膝に乗れるのが利点なんだがな……」と厚かましいことを言っていたのも聞き捨てならない。今後猫になったって、うっかり膝に乗せて撫でたりするものか。
 ――とはいえ、彼はわたしの食事を作り、そうしてたまにわたしの血を吸う。それもまた変わらないことだ。わたしの体調を見て量やタイミングは加減してくれているらしいけれど、結局彼は吸血鬼で、わたしは彼に血を吸われる存在であることにかわりはない。
 ひとならぬ身のレヴィといつまで一緒にいられるのか、それはわたしにもわからない。彼の気が変わってここを出て行く日が来るかもしれないし、それよりももっと早くわたしが彼に愛想を尽かすかもしれない。でも、それはきっと人間同士でもよくあることだし、何も悪いことじゃない。少なくとも、彼との出逢いがわたしを変えてくれたのは確かなことなのだから。
 だから、わたしは――レヴィとの出会いには感謝しているし、レヴィもそうであってくれたらいいと思っている。
「……血、美味しいの?」
 血を吸われた後のぼうっとした頭で尋ねると、レヴィはわたしの髪を撫でながら、ああ、と答えた。
「美味いぞ」
「……そう」
 そう言われて喜ぶべきなのかなんなのか、わたしにはもうよくわからない。
「おまえたちが血を呑めないなんて勿体ないな。こんなに美味いのに」
「……わたしはあんたが自分の作ってる食事を食べない方が勿体ないと思うけど」
「いいんだよ、あれはおまえのためのものなんだから」
 だったら、わたしの血もレヴィのためのものなんでしょ。そう思ったけれど、口には出せなかった。恥ずかし過ぎて。
 まあ、それはともかく――。
「ほら、しっかり水分とっておけよ」
 差し出される清涼飲料水のペットボトルにはちゃんとストローが刺さっていて、血圧が保たれるように、脳貧血を起こさないようにと横になったわたしの足元にはちゃんとクッションが置かれていて足が高くなるように配慮されていて……なんだか至れり尽くせりで。いや、結局血を吸われていることには変わりないのだけど……。
 ただ、あまりにもレヴィがしあわせそうな顔でわたしを見下ろしているものだから。
「ん?」
 わたしは手を伸ばしておもむろにレヴィの頬をむにと引っ張った。我ながら気だるげな声で、ぽつりと呟く。
「うちの吸血鬼は――――過ぎるわ」
「…………」
 レヴィは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。
 そうして軽く重ねられた唇からは、ほんの少し――鉄さびにも似た、血の匂いがして。
 やっぱりわたしの血は、不味かった。