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おまえの血は不味すぎる・2

 ベーコンエッグ、スライスされたトマトに、バターのたっぷりと塗られたトースト。インスタントではない、ドリップのコーヒー。
「朝から豪勢ね……」
 ルームウェアの袖で欠伸を押さえながら、わたしはのろのろとテーブルにつく。その朝食を作成した張本人はというと、ワンルームの部屋のカーテンを開けて朝の光を室内に取り入れていた。これも貧血改善の一環なのだろうか。
 すらりとした後姿を眺めながら、わたしはふと思う。
「ねえ、レヴィ」
「なんだ」
 振り返ったのは、訳も分からないうちに住み着いた居候――というにはお金もらい過ぎてるし、家事もしてもらっているけど――である。見た目はなかなかに整っている若い男だが、その実態はひとの生き血を啜る吸血鬼、ヴァンパイアなのだ。人間ですらない。
 人生はじめての同棲生活が人外とだなんて……まあ、レヴィは一日のうちほとんどの時間を黒猫の姿で過ごしているのだけど。
「吸血鬼って、日光に弱いんじゃないの?」
「いや、別に?」
 レヴィはあっさりとそう言った。
「ええ、でも」
「血を啜ったり動物に姿を変えたりするところを目撃されると厄介だから、夜に行動することが多いだけだ」
「あ、そう……」
 わたしは何となくがっかりする。
「じゃあ、にんにくはダメ?」
「別に、多少は問題ない。まあ、敢えてにんにくを食った直後の人間の血を吸いたいとは思わんがな」
「血が不味いの?」
「いや、息が臭い」
「…………」
 普通のことを言われた。
「じゃ、じゃあ」
 わたしは通勤中に調べた吸血鬼の知識をあれこれぶつけてみる。
「十字架は?」
「十字架という形態には特に意味はない。教会を避けているだけだ」
「聖水とかだめだから?」
「いや、普通誰でもいきなり水を掛けられたら避けるし逃げるだろ」
「…………」
「教会にはたまに妙に勘のいいのがいるからな。近寄らないに越したことはない。正体を暴かれると厄介だ」
「やっぱり、銀の銃弾で撃たれたり、心臓に杭を打ちこまれたりすると死ぬの?」
「逆に何で死なないと思うんだ。それされたらお前も死ぬだろ」
「ええ……」
 何それ、夢がない。
「不老不死ではないってこと?」
「生物に不老不死のものなどいない。寿命には差があるがな」
「せいぶつ……うん、まあそうかな……?」
 ひとの生き血を啜って黒猫に姿を変えるような吸血鬼を、地球上の生物の一員みたいに言うのもなんだか違和感があるんだけど。
「そういえば」
 とわたしは話を変えた。
「今日、うちの病院で献血イベントあるみたいよ。来たら?」
 レヴィはうんざりした顔をした。
「行ってどうするんだ。献血直後の、貧血気味の人間から血を奪うのか。外道過ぎるだろ」
「いや、夜道でいきなりわたしを襲ったのも十分外道じゃないかなーって……」
 いろいろと処理された輸血パックはお口に合わないらしいけど、献血されたての新鮮な血液ならそんなこともないだろうし、ちょっとくらいもらってもいいんじゃないかと思う。
 だがレヴィは断固として首を横に振った。
「医療目的で使う献血は大事なものだ。そんなものを奪うことなどできない」
「だからなんで変なところで常識的……」
「だが、献血の基準は参考にさせてもらっているぞ。一度に吸う血液は四百ミリリットルまで。体重は五十キロ以上……」
「くっ」
 確かにわたしの体重は五十キロ以上あるだろう。最近体重計には載っていないけど、間違いない。
「身長から考えたら、そんなに太ってはないはず……!」
 レヴィは怪訝そうな顔をした。
「何をぶつぶつ言っている。当たり前だ、お前の身長で五十キロを切ってどうする。さらに血が不味くなるぞ」
 そう――この吸血鬼レヴィがうちに居候しているのは、わたしの貧血と「不味い血」を改善させ、美味くなったわたしの血を吸うためなのだ。わざわざ朝食を作ってくれるのもそのため。
 レヴィは満足げに顎を撫でた。
「手塩にかけて血を育てるというのもなかなか乙なものだな」
「育てられてるこっちはたまったものじゃないけどね」
「……と言いつつ毎食美味そうに完食しているようだが」
 レヴィの作る食事が美味過ぎるのがよくないのだ。食材費もあっち持ちだから気楽だし……。
 ふとわたしは気になった。
「次に吸うのは一か月後って言ってたけど、それまであんたは何も食べなくてもいいの?」
 レヴィは頷いた。
「四百たっぷり吸ったから、その程度は持つ」
「そういうもの……」
 不味い不味いといいつつ、しっかり吸ってるんじゃないか。
「それに、貧血はそう素早くは改善されない。体内の鉄不足が原因になっている場合、鉄剤でも飲めば早いが、食事で改善しようとしても吸収率には限界があるからな。半年くらいは掛かると思った方がいい」
「え、そんなに……?」
「造血に必要なのは鉄だけじゃないぞ、ビタミンB12、葉酸……」
「詳しいね」
「自分の食べるもののことだ、当然だろう」
 レヴィは当然のように言う。……そういうものなのかな。
「サプリで効率よく取る方法もあるが、どうせなら食事で摂るほうがいいだろう?」
「うん、それはまあ」
「安心しろ」
 レヴィはにっと犬歯を見せて笑った。
「美味い食事の喜びなら、おれもようく知っているからな――」
 楽しみだなあ智紗、と微笑む彼に、わたしはひきつった笑いを返すことしかできなかった――だってそれ、わたしの血なんだもの。

 わたしの職場は、とある総合病院内のカフェだ。今日は院内で献血イベントがある――とはいえ、カフェの方の忙しさはたいしていつもと変わらない。
 昼休憩から戻るとき、ふと献血バスの近くを通った。――いや、レヴィに四百ミリリットル吸われたばっかりだからわたしに献血はできないけど。それに、彼曰く貧血らしいし。
 バスの前に置かれた看板には、「特にB型とO型が足りません!」と書いてあった。わたしはB型なので、なんとなく心苦しい。
「献血、興味があるの?」
「あ、いえ……」
 背後から声を掛けられて、わたしは振り返る。そこに立っていたのは、以前わたしに輸血の副作用を教えてくれた外科の先生だった。わたし今店のエプロンを外しているのだけど、わかるのだろうか。それとも、ただ単に声を掛けただけだろうか。
「おれAB型なんだよね」
 聞きもしないのにその先生――三原先生は教えてくれた。あ、なんかそれっぽい。彼の連れの先生が、それをそのまま口に出す。
「あー先生確かにABっぽいですわ」
「あ、そう?」
「おれは何型だと思う?」
 連れの先生――多分、三原先生より少し年下だろう彼は、そう言ってわたしに笑いかけた。ネームプレートには岡村と書いてある。いや、わかるわけないじゃん。
「え、えと、A、かな?」
 適当に答えてみる。どうやら当たっていたらしく、岡村先生は満足そうだった。
「きみは?」
「あ、Bです」
「そっかーじゃあちょうど足りてない血だ」
 三原先生はそう言って笑った。
「とはいえ、休憩中でしょ? 献血する時間はないよね」
「えっ」
 わたしは驚いて三原先生を見つめる。――わたしが誰か、気付いていた?
「三原先生、この人知り合いっすか?」
「えー岡村もあそこのカフェ行ったことあるでしょ、そこの店員さんだよ」
「ええっ」
 岡村先生は手にしていた缶コーヒーを取り落しそうになるくらい驚いていた。
「まじかーあそこおばちゃん多めだと思ってたからあんまりちゃんと見てなかったー」
「いやそれ失礼過ぎない?」
「今度からちゃんとチェックしよ!」
「……そういえばさあ」
 盛り上がる岡村先生をよそに、三原先生がぽつりと言った。
「蚊はO型を好むとかいう噂を聞いたことあるんだけど、どうなんだろうね? 味とか違うのかな」
「どうなんすかねえ」
 岡村先生が首を捻る。
「そういえば、献血車見掛けるといっつもO型って足りてないですよね」
 O型の人って献血しないのかな? などとなかなかにひどいことを冗談めかして言いつつ笑っている。
「おまえね」
 三原先生がため息交じりに言った。
「そりゃそうでしょ――交通外傷だとか急な大出血で血液型不明のまま輸血しないといけない場合、まず使われるのはO型なんだから」
「あ、そっか」
「そうなんですか」
 思わずわたしは聞き返してしまう。三原先生は頷いた。
「そう。簡単に言うと、血液型のAとかBとかっていうのは赤血球の表面にある抗原のこと。どちらも持っていないのがO型っていうわけ。自分の持っていない抗原のタイプが体に入ると拒絶反応が起こるから――ほら、前に話したじゃん」
「は、はい」
 やっぱりわたしのこと覚えていてくれたんだ、とわたしはなんだかうれしくなる。
「あくまで理論的にはだけど、A型の人はAとOが、B型の人はBとO、AB型の人はA型B型どっちでもOK、もちろんO型もいける。O型はOしか駄目だから、ちょっと損だね」
 ――まあ、そんなのはよほどの緊急時だけど、と三原先生は言う。
「そうでなければ、ちゃんとクロスマッチして適合するか調べるから」
「クロスマッチ?」
 聞き返したところでわたしははっとした。休憩時間はもう終わりだ、これ以上立ち話をするわけにはいかない。
 三原先生は察したのか、うん、と頷いた。
「引き留めてごめん、また今度」
「おれも行きますからねー」
 三原先生と岡村先生に見送られて、わたしはばたばたと店に戻ったのだった。
 ――それにしても、血液型か……。

 バイトを終えて家に帰ったわたしを待っていたのは、相変わらずの豪華な夕食だった。マグロのステーキにかぼちゃの煮つけ、ほうれん草の胡麻和え、豆腐の味噌汁。
「ところでさ」
 黒猫の姿でのんびりとベッドに寝そべるレヴィに向かって、わたしは尋ねる。
「血液型によって血の味って違うの?」
『……おまえたち日本人は本当にABO式血液型が好きだな』
「ABO式?」
 ぽかんとするわたしの目の前で、猫はううんと伸びをしてみせる。
『あれは血液型分類の一種に過ぎないぞ。まあもっともふるくから用いられているのは間違いないが』
「他にも血液型ってあるの?」
『RHマイナス、聞いたことくらいはあるだろう』
「うん」
『あれのプラスマイナスはRh式血液型だし、MN式というものもあるし、ルセラン式、ルイス式、他にもいろいろとあるぞ』
「そうなの?」
『ようは血球の表面や内部にある抗原物質の有無による分類だからな。抗原の種類は数百あるとも言うから、そのすべての組み合わせが一致する人間などそうはいない』
「そうなんだ」
 わたしはマグロのステーキをかじりながら目を丸くした。それにしても美味しい。
「じゃあ、どうしてABO式ばかりが取り上げられるの?」
『歴史が古いのもあるだろうが、あれは自然抗体ができるからだろうな』
「自然抗体?」
『自分の持っていない抗原に対する抗体のこと――つまり、A型の人間はB型の血を生来攻撃するようにできているってわけだ』
「それが輸血後の拒絶反応にも繋がるってわけ?」
『それもひとつだ。だから血液型不適合輸血は命に関わる』
「へえ……」
『ただし、O型の血はAの抗原もBの抗原も持たないから、ABO式で言うどの血液型にも輸血可能なわけだな、理論上は』
 ちなみに、とレヴィは言った。
『血球を取り除いた後の血漿も輸血で使うことがあるが、そちらは逆だ。血漿中には抗体が含まれている――つまり、O型の血漿にはA型とB型への抗体が、A型のにはB型への抗体、AB型の血漿にはいずれも含まれていない。赤血球輸血とはちょうど逆のことが起こる』
 ……だんだんわからなくなってきた。
「じゃあ、他の血液型は問題にならないの?」
『そんなことはない。血中に他の血液型への抗体が含まれている可能性があるから――不規則抗体と言うんだが――それらは輸血する可能性がある場合は事前に検査しておくはずだぞ』
「へえ、そうなんだ」
『実際に輸血する前には、輸血する予定の血球や血漿と、輸血される予定の人物から採血した血球や血漿を混ぜ合わせて、溶血反応が起こらないかどうかを確認するしな』
「ようけつはんのう?」
『抗体に攻撃されて、血球が壊れるってことだ』
 だったら入れても意味ないだろ、とレヴィは言う。
『その検査をクロスマッチって言うんだ』
「あ」
 ――それ、三原先生が言ってた。
 思わずそうつぶやいたわたしの顔を、黒猫はうさんくさそうに覗き込んできた。
『誰だ、そいつ』
 しまった、と思った。何となく口に出さない方が良かった気がする。
「職場でちょっと喋った人よ」
 黒猫はふいっと顔をそむけたかと思うと、ぱっと人型に戻った。――もう、びっくりする。
 ベッドに腰かけたレヴィはわたしを見下ろして、ふっと笑った。
「おれが美味い血を吸って満足するまで、男を連れ込むのはやめておけよ」
「ちょっと、いくらなんでもゲス過ぎない?!」
 かっと顔を染めて怒るわたしに、レヴィはくすくすと笑った。
「とにかく、おまえの血が不味かったのは血液型のせいじゃないから。ちゃんと美味くなるさ」
「くっ」
 ――こうなったら、一か月後には絶対美味いって言わせてやる!
 何だかまんまと吸血鬼の手中に落ちているような気がしないでもないけれど……結局、今のわたしにはただ吸血鬼に与えられる食事を貪ることくらいしかできないのだった。