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機械は過去を忘れない

 己の皮膚を突き破る鋼線と、皮下を這いずるコード。それらをじっと眺めながら、彼は静かに微笑んでいた。
「そう、これでいい。こうでなければ、俺はあいつといられない」
 彼は目の前で床に座り込んでいる自分のことなど気にもとめない様子で、機械化(メカナイズド)された己を満足げに眺めている。痛くはないのだろうか、と今更のように自分は思い、がくがくと体を震わせながら泣いた。
「なんで……!」
「壊させはしないよ」
 彼は笑みをやめ、自分を見下ろした。その冷ややかな眼差しは、彼はメカナイズドされたのと同時に何か別のものまでも捨て去ってしまったのだと悟った。
「あれは、壊させない」
「お前、何を馬鹿な……!」
 「機械化人間(メカノイド)」の廃棄は「統一政府」で決定されたことだ。彼がいくら抗ったところで、覆ることはない。それどころか、彼はいまや廃棄対象となってしまった──いや、自ら望んでそう、なった。
「馬鹿でも構わないさ」
 彼は不意に口笛を吹いた。それは彼の好きな、古めかしいロックの一節。
 昨日までの彼と同じ顔、同じ声、同じ旋律。だが、彼はもう人間ではない。彼は、人間を辞めてしまった……。
「スノウ」
 彼が自分の名を呼ぶ。のろのろと顔を上げると、彼は困ったように笑っていた。
「お前は俺の敵になる。次に出会ったときは、きっと」
 ──どちらかがどちらかを殺すことになるね。
 何故、そんなに爽やかな顔で笑えるのか。何故彼は自分を裏切り、そして何故、彼は去ってしまったのか。
 何故、彼は己をメカノイド化したのか。
 わからない。
 だが、
 彼の最後の言葉はきっと真実なのだと。
 それだけは、直感的に理解していた。

 アンチ・メカノイド・アーミイ ──通称アーミイ。生物の限界を超えた身体能力を持つメカノイドの「駆除」に特化したロボット部隊である。その機体に人工知能は全く介在しておらず、操作はすべて遠隔で、ヒトにより行われる。メカノイドの二の舞を踏む訳にはいかないというわけだ、とスノウは皮肉っぽく考えた。
 元はヒトだったメカノイドを、ヒトの手で人工的に進化させたメカノイドを――ヒトはある日一方的に「敵」と定めた。だが、ヒトはメカノイドに敵わない。よって、その駆除の、否、殺戮の任務に当たるのはヒトではあり得なかった。
 ヒトは、メカノイドをヒトではないという理由で、ヒトでないものの手を使って、屠るのだ。なんとくだらないアイロニーだろう。
「スノウ一佐」
 名を呼ばれ、顔を上げる。その緊張に満ちた声は、耳に差し込んだイヤホンから伝わったものだった。
「『フル』と遭遇」
 アーミイと接続して指揮を取っている部下のひとりからの報告に、スノウはぴくりと眉を動かした。
 その部下の指揮下にあるのは、第十七師団。そこに「フル」が、呪われた「フル・メカノイド」がいるのならば、きっと……。
「映像を」
 スノウはあえぐように言った。
「カメラを、こちらに回せ」
「え、」
「早く!」
 部下は戸惑ったように、それでも上官であるスノウには従った。彼のゴーグルに投影された景色の中には、その荒れ果てた場所に似つかわしくない人影がぽつりと佇んでいる。
 それは、少女であった。
 ふたつに結われた長いブロンドが風になびいている。幼い華奢な体は、紺色のワンピースをまとい、ほっそりとした二本の足が頼りなく地面に伸びていた。その背中から、鋼線で形作られた翼が二枚、コンクリートの壁や天井を突き破り、大きく広がっていた。彼女の足元には、破壊されたのであろうアーミイの残骸。
 彼女は淡々とした目つきで周囲を見回していたが、それ以上アーミイが攻撃してこないのを見て取ると、満足げに翼をはためかせた。ふわり、と体が宙に浮く。
「追えるか?」
 スノウの問いに、部下はぎょっとしたようだった。
「『フル』には接触できません! 重大な規律違反です!!」
「わかっている。偵察用のカメラ機があるだろう。気付かれないように追うんだ」
「…………」
 部下は少し躊躇ったあと、黙って従った。
 ある一定の距離を開け、彼らは少女のあとを追う。少女はふわりと一台のトラックの荷台の上に降り立った。そこにはいくつかの荷物が積まれていて、恐らくメカノイドが隠れ棲む地区へと持ち込まれるのだろう。彼らの盗みの現場にパトロール中のアーミイ部隊が遭遇し、「フル」がいるとは気付かず戦闘になった──否、戦闘になるまでもなく一瞬で殲滅されたのだ。
 少女は翼を背中に仕舞い込み、そうしてタイミング良く内側からドアの開いた助手席へと、体を滑り込ませた。誰かが──恐らくはトラックを運転する誰かが、ドアを開けたのだ。スノウは身を乗り出した。
「ドライバーを確認できるか」
「気付かれますよ!」
「構わん! どうせ『フル』には手出しはできない」
「だったらどうして……」
 部下は不思議そうに、それでもカメラ機を操作し、運転席を覗き込ませた。
 スノウの視界に、ひとりの男が飛び込んでくる。
 カメラ機には高性能な集音器もついているらしい。男の鼻歌さえもが、はっきりと──。
「……エ」
 スノウはつぶやいた。
「エイジ」
 つぶやくと同時、男と視線がかち合った。彼の声が男に聞こえたはずもないのに、スノウは思わず大きく身を引く。
 気付かれた──。
『覗きなんて、悪趣味』
 にんまりと笑い、男は運転席の窓を開けた。
『リリもさ、ちゃんと後ろ注意しなきゃ』
『後ろ?』
 エイジの肩越しに、「フル」が顔を覗かせる。その視線に捕らわれることは、死に等しい──カメラ越しでなければ。部下がゴクリと唾を飲む音が聞こえた。
『ほら、偵察機が着いてきてるでしょ。でも、おかしいなあ』
 アーミイは、リリには手を出せないのにね──独り言のようにつぶやいた男が、ああ、と声を上げる。
『そうか、わかった。……久しぶりだね、スノウ』
 男は親しげに微笑む。
「…………!!」
 漏れそうになった悲鳴を、彼は必死で噛み殺した。
 男は笑っている。昔と、そしてあの時と──彼らが訣別した時と同じように。
 しかし、彼はあっさりと言葉を続けた。
『あんまり俺たちに深入りすると、殺しに行くよ?』
 きょとんとした表情の少女の頭を軽く撫で、男は鼻歌を再開する。そうして、彼は左手で銃の形を作り、カメラ機に向けた。そのメカナイズドされた腕が、何かしら蠢き──。
 ぱん、と軽い衝撃音と光が煌めいたあと、スノウのゴーグルは何も写さなくなった。カメラ機は、呆気なく破壊されたのだった。

 冷えたコーヒーを流し込む。じんわりと滲んだ冷や汗は、その程度で引いてはくれなかった。自販機の前、ベンチシートに並んで腰を下ろしたスノウと部下──それはハイト、と名乗った──は、互いの青い顔を見合わせ、どちらともなく深く息をついた。
 先に口を開いたのはハイトだった。
「なんですか、あれは……」
「『フル』のことなら君も知っているだろう。生体を改造して作られた他のメカノイドとは違って、あれは──」
「そっちじゃありません」
 ハイトはぴしゃりと遮った。
「誤魔化さないでください、一佐」
「…………」
 スノウはコーヒーをさらに一口飲んだ。無糖のそれが、いつもにまして苦く感じられる。ハイトの真っ直ぐな眼差しが、自分の横顔に突き刺さるのを感じていた。
「私が聞きたいのは、あのトラックを運転していたメカノイドの方です」
「…………」
「一佐は、彼を『エイジ』と呼びましたよね。私も、彼の顔には見覚えがありました。あれは」
 スノウは右手で顔を覆った。続く言葉の予想がつく。そうして、彼はそれを何よりも聞きたくないと願っている──。
「あれは、『ドクター・イプシロン』ですよね? メカノイド廃棄が決定されるきっかけになった、あの──」
「ハイト」
 スノウは部下の名前を呼び、彼の言葉を遮った。
「今日はもう、そのへんにしてくれないか」
 声がかすれる。
「彼は私の……家族、だったんだ。だが……彼はもはや永遠に、喪われた……」
「……なぜ、」
「さあ」
 スノウは言葉を濁す。
「私にはわからない」
 ──殺しに行くよ。
 そう言って笑った彼の顔が、そして彼の口ずさむ鼻歌が。スノウの脳裏に焼き付いて離れなかった。

 ──エイジは彼らの根城のビルの上、足を組んで横たわっていた。いつもの鼻歌を歌いながら、目を細めて闇を見上げる。
「お前はきっと気付かない」
 彼はつぶやく。
「お前は俺が理解できない」
 昔からそうだ、スノウ。
「だから、お前は」
 俺を殺せない。
「だったら」
 エイジは左腕を空に突き上げた。皮下を這うコード、関節部に埋め込まれたボルト。メカナイズドされた、彼の身体。
「殺すのは、俺の方だ」
 ──兄さん。
 エイジは笑う。
「もう二度と、現れるな」
 記憶の中の顔を――彼に良く似た兄の泣き顔を、丹念に闇で塗り潰す。もう、決して浮かび上がってくることのないように。