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機械は疑問を抱かない

 彼の口にする言葉はいつも疑問符で満ちていた。いつしか彼はハテナと呼ばれるようになった。それでも彼は、やめなかった。
「ねえ、なんで今日は僕を連れてきたの」
「んー?」
 バンの後部座席から身を乗り出し、彼は問う。運転席には彼よりもひと回りほど年上に見える男。助手席には彼と同じくらいか、少し幼いくらいの少女。
 彼らは三人とも、「機械化人間(メカノイド)」と呼ばれる存在だ。人間の、人間の手による進化を目指し、組織の可塑性が高い子供のうちに肉体の一部を機械と融合した――メカナイズドされた者たち。人の肉体強度を飛躍的に向上させる安定的で安全な技術とされていたが、ある時全ては禁じられてしまった――技術だけではない、メカノイドが存在することさえも禁じられた。理由はわからない。少なくとも、公にはされていない。メカノイドたちは訳もわからぬままに「廃棄処分」と決定され、狩られる対象となった……。
 運転席に座っている男の名を、エイジという。特に目立つところのない、二十歳は過ぎているであろう男。メカノイドの割には年齢が高い。カーステレオから流れる旧時代のロックに合わせて口笛を吹いている。
 エイジはバックミラーでちらりと彼の方を見やった。
「暇そうにしてたでしょ?」
「え? ……うん、まあ」
 彼は頷く。今日は掃除当番でもなければ炊事当番でもない。そういう日、彼は彼を満たす疑問符を少しでも打ち消すべく、「図書館(ライブラリ)」端末へと向かう。ありとあらゆる「(データベース)」にアクセスできる知識の泉――だが疑問符がひとつ消えると、三つは新しい疑問符が現れる。増える一方だ。それを聞いたある双子のメカノイドは、同じ顔で笑った。ハルの笑顔は珍しくもないけれど、アキはめったに笑わない。「ハテナは生まれるところには生まれ続けるけど、生まれないところにはひとつも浮かばないんだね」「……才能、だから」ハルとアキ。彼はふたりを交互に見て、そして尋ねた。「どっちが兄貴?」ハルだよ、とアキがつぶやくように答えた。それはどうやって決まったの、と次のハテナが生まれたが、それは彼の口から出てくることはなかった。
「リリはいつもエイジと一緒にいるね?」
 助手席にいた少女はゆるくふたつに結わえた長いブロンドを揺らし、彼を見た。その淡い瞳が彼を捉え、瞬く。あ、こいつも瞬きをするんだ、と彼は当たり前のことを思った。
「いつも、じゃない」
 リリは言う。
「ひとりでいる時も多い」
「四六時中べったりはおかしいだろう」
 エイジは苦笑する。なんとなく、リリはそれを望んでいるみたいだけど、と彼は思った。だが、口にはしない。
「でも、外に出る時は一緒なんじゃない?」
 外に出る時――つまり、彼らメカノイドの隠れ家である、この廃棄されたプラントから出る時。それはすなわち、ハイウェイを通る輸送トラックから荷物を強奪する時か、あるいは……。
「リリは強いけど、ひとりで行かせる訳にはいかないし。車の運転は今のところ俺しかできないしね」
 エイジは目を細める。
「どうしてリリはそんなに強いの?」
 彼は尋ねる。リリは明らかに彼らのような他のメカノイドとは違っていた。その力の強さも、メカナイズドされた身体部分の多さも、人工皮膚の下に隠された数々のオプションも――何より彼が驚いたのが、彼女の背中からはワイヤー製の翼が飛び出してきて、空が飛べるようになっていること。リリは普段大人しくしているからあまり目立つことはないが、彼女がもし本気でその気になったなら、全てを――この世の全てを破壊できるのではないか。彼はふとそんなふうに思った。エイジはその、ストッパーなのではないか……。
「別に、強くない」
 リリはぽつりと答えた。その横顔を、エイジは横目で見遣る。それは少し意外なくらい、落ち着き払った眼差しだった。
「私は、ただ与えられただけ。与えられたものを、使っているだけ」
「与えられた? 誰に?」
 リリは答えなかった。
 彼は身を引き、座席シートに身体を埋める。エレキギターの唸る、古風な――彼にとってはそうとしか言いようのない――サウンド。
「さあ、着くよ」
 エイジは口笛をやめ、うっすらと微笑する。今日はこの辺りのポイントで、輸送トラックを襲うつもりらしい。彼らの衣食が盗品から賄われていることは、彼もよく知っている。嫌悪感はない。仕方がない、と思っている。社会から爪弾きにされたメカノイドが生きる為には、仕方がない。この世界は今、メカノイドが生きることすら罪だと決めつけているのだから、もはや彼らの犯す窃盗や強盗の罪など些細な問題に過ぎないだろう。
 彼はぽつりとつぶやいた。
「罪って何なのかな?」
 独り言のようなそれに、エイジは振り返ることなくすらすらと答えた。
「人が、神から権利を奪うこと。もしくは奪った権利そのもののこと」
「え?」
 バンが止まった。リリがわずかに振り返る。
「来る? それとも、ここにいる?」
「行くよ」
 彼は即答する。
「…………」
 エイジは貼り付けたような笑みを浮かべたまま、バンから降りた。

 まるで絡まった糸をそのままぶちまけたようだ。かつてはこの付近の工場都市としての発展を支えていたのであろうハイウェイも、今はただ集約化されて点々と残っているメガロシティを繋ぐだけの役割となってしまった。空輸に向かない貨物を陸路で運ぶためだけにそれなりの整備が欠かさず行われているだけの、まるで荒野を虚しく飾るアクセサリ。
 昼間でもハイウェイのこの路線は車通りが少ない。立体交差した道路から十数メートル下を走る路面を見下ろし、彼はぽつりとつぶやいた。
「なんで、欲しいものを積んだトラックが今日、ここを通るってわかるの?」
「運送屋のサーバに不法アクセスしてる。どのトラックにどんな荷物が乗っててどこを通るのか、全部オンラインのデータベースに管理されてるから」
「ふうん……」
 エイジは彼の疑問に答え、そして口笛を吹いた。さっきまでバンを満たしていたロックの旋律だった。
 そして、それが止む。
「いつか、俺の代わりが要るとしたら――俺は、君だと思う」
「え?」
「行こう」
 彼の疑問を遮り、リリが言った。遅れて、彼の耳がエンジン音を捉える。エイジはくしゃりと彼の髪を撫で、そして跳んだ。彼は慌てて後に続く。メカナイズドされた彼の脚は、少しも軋むことなく降りた先の地面を踏みしめた。
 一瞬の制圧だった。リリは軽々とそのトラックを確保する。喚きながら逃げ出したドライバーを二人は無視した。
「オッケー。リリ、持ち上げて」
「はへ?」
 唖然とする彼の目の前で、リリは軽々とトラックを持ち上げる。
「この方が早い。上に停めたバンに繋いで牽引して帰れるから」
 エイジはなんでもないことのように言った。リリの細腕は、まるで手品のように彼女の百倍はあろうかという重量を持ち上げている。いくらメカノイドだからと言っても――こんなことが、可能なのか……人間に、できるのか?
 彼女は、人間なのか?
「ほら、行くよ」
 エイジは呆然とする彼の首根っこを掴んでハイウェイの橋脚を十メートルほど垂直に駆け上り、そうして勢いをつけたまま、ほい、と空に彼を放った。彼は宙でくるくると回転し、停まっているバンのすぐ側に着地する。すぐにエイジが後を追って来た。彼の方はどこかに手をついてそこを支点に身体を跳ね上げたのだろう。そして、リリはというと。
「ねえ」
 彼は呆然としたまま、エイジに尋ねた。彼の目の前には、ワイヤー製の翼を広げたリリの姿。片腕でトラックを捧げ持ったまま、ふわりと空を漂っている。その姿は人間というよりも、むしろ――
「リリは――」
 人間なの?
「…………」
 その質問を耳にしたエイジは、うっすらとした笑みを口元に浮かべた。
「それを決めるのは誰だろうね」
「…………」
「それじゃあ、俺たちは人間? 多分、政府の奴らもアーミイもそうは思っちゃいないだろうな」
「それは……」
 彼は目を伏せる。その通りだ。そうでなければ、メカノイドは見つけ出し次第殲滅せよなんて、そんな法律を作ることなんてできない。
 もうとっくに人間とは扱われていないのに、彼は自分を、自分たちを、人間だと思っていた――思い込んでいた。その上で、自分の想像を超えた力を持つリリを、こいつは人間なのだろうか、などと訝っていたのだ。ひどい茶番だ。
「どうしたの」
 リリのしんとした声が、彼の上に舞った。
「どこか、痛いの」
 彼は恐る恐る顔を上げる。リリはいつの間にか翼を消していた。トラックは彼女の背後に降ろされている。こうしてみると、彼女はただの華奢な少女に過ぎない。背を丸めている彼を、気遣わしげに見つめている。
「……いや、別に」
 彼は無理やりに笑みを浮かべた。リリは無表情なまま、それでも真っ直ぐに彼を見ている。その眼差しを、彼は少しの間見つめ返していた。
「俺はね、」
 と、エイジが口を開いた。彼はゆるりと視線を動かす。その先で、エイジはバンにもたれて笑みを浮かべていた。エイジはいつだって笑っている。そうしていなければいけない理由があるかのように。
「人間を作っているのは、ハテナだと思っている」
 人間だけが、疑問符を持てる。
「動物は意味を問わない。食べることの意味、寝ることの意味、笑うことの意味、泣くことの意味、怒ることの意味――生きることの意味」
 人間だけが。
「機械だって同じだ。何故動くのか、何故計算するのか、何の目的で作られたのか、誰に作られたのか、そんなことを疑問に思ったりはしない。彼らが問えるのはあくまで製作者に用意された、解のある問いのみ――そんなものはハテナじゃない。ただの情報入力だ」
 淡々と語るエイジは、まるで研究者か哲学者か、少なくともただの人間では――メカノイドではない。エイジは、何者なの。その疑問符は、形にならなかった。彼はぼうっとエイジを見つめ続ける。
 人間だけが、疑問符を持つ。もし、そうだとするならば――。
 さっきリリは彼に尋ねた。どうかしたのか、と。どこか痛いのか、と。あの疑問符は、きっと彼女のもの。あれは、リリが生み出したハテナなのだ。
 それなら、リリは。
「人間、だ」
 彼はつぶやく。
「僕も、人間だ」
 ほっとする。
「人間、なんだ……」
 いつの間にか、エイジはトラックをバンに繋いでいた。彼らは来た時と同じようにバンに乗り込む。
 カーステレオから流れ出す古いロック。
「エイジはどうしてロックが好きなの?」
「理由はないよ。好きや嫌いに理由はいらないでしょ」
「それはそうだけど……」
 リリは、どうなのだろう。助手席に座る横顔からは何も読み取れない。
「リリは?」
「好き」
 薄紅色の唇が、ほんのわずかに綻んだ。
「エイジを思い出せるから」
「実物がいつもその辺にいるのに、思い出す必要なんてある?」
 エイジは冗談めかして言い、アクセルを思い切り踏み込んだ。急な加速に、体が浮き上がる。彼は前方の運転席に捕まるようにして、口を開いた。
「それって、エイジが好きってことだろ」
「そうなの?」
 リリは意外そうに瞬く。彼は苦笑する。
「それ以外どういう解釈があるっていうんだよ」
「私が、エイジを、……」
「だめだ」
 不意に、エイジの声がその場を打った。冷ややかな、硬い声だった。
「リリ。それ以上はやめなさい」
「……はい」
 素直に答えるリリに彼は驚いたが、それ以上に驚いたのはエイジの豹変だった。いつも笑っているエイジが、今は笑っていない。一体何があったというのか。別に、リリがエイジに好意を持つことくらい何の問題もないだろう。愛だの恋だのという話をしているわけでもない。ただリリにとってエイジが特別な存在だという、それだけのことなのに――。
「なんで、」
「その質問には答えられない」
 言ったあと、エイジはようやく笑みを浮かべた。
「君が俺の代わりをしてくれるようになったなら、説明してあげてもいいけれど」
「その、代わりって何?」
 その疑問符は、口笛に吹き飛ばされて無視された。
「…………」
 彼はちらりとリリを見る。彼女はぼんやりと窓の外を眺めていた。別に、先ほどのエイジの言葉に傷ついたような様子もない。そのことが、むしろ痛々しく見えた。
「なあ」
 彼はエイジに小さく問い掛けた。
「エイジは、リリのこと、好きか?」
「なに、その質問」
 エイジは吹き出して笑う。予想外の反応に、彼は驚いて目を瞬いた。また無視されるか、あるいは怒られるかもしれないと覚悟していたのだが。
「好きだよ」
 エイジはさらりとそう告げた。
「この世界と同じくらいにね」
「…………」
 それがどういう意味なのか、彼にはよくわからなかった。ただ、確実なのは――。
 エイジは、彼に何かをさせようとしている。そのために、今日も彼を連れ出したのだ。
「ミライ」
 エイジが、彼の名を呼ぶ――もう長いこと呼ばれていなかった、彼の名前を。
 彼は顔を上げる。ミラー越しに、エイジが彼を見ている。その瞳は、やはり笑っていなかった。
「君が次のリーダーになるんだよ。あそこにいるメカノイドたちの、ね」
「なんで僕が」
「俺が、それがいいと思うから。ミライに向いてる」
 エイジはあっさりと答える。
「け、けど」
「俺なしでもやれないと、もしもの時困るでしょ?」
「エイジなしで……?」
 それはつまり、彼はどこかに行くつもりなのか……? ミライが問うより先に、エイジは言った。
「まあ、他の人にも手伝ってもらってもいいけど。今このコミュニティに使用しているシステムは、俺以外にも知っておいてもらった方がいい。そろそろ良い頃合いだ」
「…………」
 ミライは、こくりと頷く。確かにそのとおりだ。いつまでも、エイジに全部頼っているわけにはいかない。
「わかった」
「ありがとう」
 エイジはやわらかく微笑んだ。そして、外を向いたままのリリの髪にそっと片手を伸ばして指先でくるくると弄んだ。
 口笛。
 それと絡み合う、脊髄を揺らすようなドラムとベース、神経をかき鳴らすギター。
 エイジがロックを好む理由が、なんとなくわかった気がした。多分、これこそが彼の本質なのだ。へらへらとした笑顔の奥に潜む激情。目的のためには何かを破壊することも厭わない、鋭い意識。そこに、リリがどう関わっているのか――どう関わっていくのか。
 この時初めてミライは、エイジがこわい、と思った。