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機械は涙を流さない

 吐き出した白い息が、闇に滲んでは消えていく。リュウは冷たい壁に背中を押しつけてじっと佇んでいた。追手の気配は、ない。
 ――なんで今更、バレたんだ。
 リュウはぎりぎりと奥歯を噛み締める。
 ――ずっと、うまく隠し通してきたのに。人間のふりをして、うまく……。
 いや、違う。リュウは首を横に振った。
 ――俺は、人間だ。「機械化人間(メカノイド)」であろうがなかろうが、関係ない。俺は人間だ。人間として生まれて人間として生きる、そのはずだった。それなのに何故、俺はその人間に敵として追い回されなければならないのだ。
 誰かがアーミイに俺を売ったのだ。それは間違いない。メカノイドの情報は高く売れる。何しろ政府はメカノイドを撲滅しようと必死なのだから――だが、そう簡単に殺されてはやらない。どれだけ追い詰められても、抗って、抗って、一人でも多く道連れにして……。
「くそっ」
 小さく吐き捨てる。くしゃりと前髪を掴むと、それは汗でじとりと湿っていた。
 俺は俺を売った奴が誰なのかを知っている。そいつのことを考えると、リュウの胸は灼けるように傷んだ。そいつを、俺はどうしたい? 殴りたいのか、怒鳴りたいのか、泣きたいのか、何故売った、と問い詰めたいのか――それとも殺したいのか。だが、そうしたところで今更どうなる?
 遠くで何かが爆ぜるような音がした。リュウははっと息を呑み、そうして建物の奥へと走り出そうとして――ひたりと足を止めた。眼前には闇が広がっている。あぎとを開け、彼を飲み込もうとしている闇だ。底なしの、そこになんの救いもない、孤独な……。
 俺はどこまで逃げればいい? どこまで――いつまで? 己の吐き出す疑問符に、押し潰されそうになる。このままどこまでも、いつまでも独りで逃げ続ける、そんな生き方に意味はあるのだろうか。
 ふと、目をあげる。彼の耳は、爆音の他に小さな物音を捕らえていた。――なんだ? これは……楽器? 歌? いや、口笛か……?
 リュウははっと上を見上げた。ぱらぱらと舞い落ちてくる、コンクリートの破片。天井に細かな亀裂が入って、そして次の瞬間――。
「!!」
 咄嗟に腕を頭上で交差し、頭を守る。どん、と鈍い地響きのような音とともに、リュウの眼前で天井が落下した。
「ごっ……ごほっ、げほっ」
 舞い散る粉塵を払い、リュウは咳き込んだ。これは、間違いなく人為的な事象だ――リュウは目を細めて天井の穴を見上げる。先程から聞こえている口笛の音が、一際大きくなったようだった。
 警戒し、身構えるリュウの目の前に、音もなく人影が舞い降りる。小さな人物と、その両側に伸びた細長い二つの軌跡。黄金で描かれたそれは、そいつの髪だった。
「来て」
 小さな唇から発せられた、短い言葉。目の前の少女を見下ろし、リュウは絶句した。――誰だ、こいつは。こちらを攻撃する意図は見受けられないから、アーミイの一味ではなさそうだし、高い天井から飛び降りてきた彼女がただの人間ではあり得ない……おそらくは、メカノイド。口笛は変わらず鳴り響き続けているところをみると、もう一人誰かが近くにいるのだろう。
 しかし、何故メカノイドがここに? まさか、こいつらもアーミイに追われて……だとしたら、俺の味方ってわけか? リュウは必死に考える。
 少女は伏せていた目を上げた。無機質な琥珀色の眼差しが、彼を射る。
「来て」
 同じ言葉。――リュウはこくり、と頷いた。もう、どうだっていい。俺がひとりではなくなるのなら、それでいい。
 リュウが頷いたのを確認すると、少女は天井の穴に向けて飛び上がった。紺のワンピースの裾が翻り、リュウはとっさに目を伏せる。少女がリュウの視線など気にしていないのは明らかだったが、子供の下着を覗く趣味はリュウにはない。
「来て」
 頭上から響く、同じ言葉。まるで他の言葉を知らないかのようだ――リュウは慌てて後を追った。彼のメカナイズドされた足が地面を蹴り、あっという間に彼の身体は上の階へと舞い上がる。
 そこには先程の少女ともうひとり、男がいた。
「あ、来た来た」
 口笛をやめ、笑みを浮かべる青年。年はリュウと同じくらいだろうか。背丈はリュウよりも少し高く、黒髪に青みがかった瞳。先程の金髪の少女は、無表情にその男に寄り添っている。
「あ、あんたら、いったい」
「話は後にしよう」
 男はリュウの疑問を遮った。
「悪いけど、時間がなくて――ええと、俺はエイジ。こいつはリリ。あんたの名前は?」
「……リュウだ」
「リュウ」
 男は――エイジは確かめるように彼の名を呼び、言った。
「じゃ、行こうか」
「…………」
 事態が呑み込めないリュウをよそに、リリという名の少女はこくり、とうなずいた。
「い、行くっていったって」
 ここはアーミィが包囲しているのだ。対機械化部隊(アンチ・メカノイド・アーミイ)――メカノイドの天敵。いったいどうやってここから出るというのか。
 エイジは笑った。
「そりゃあ、入ってきたんだから出ることだってできるでしょ。ね?」
「けど……」
「エイジ」
 リリの小さな、しかし凛とした声が辺りに響いた。
「時間がない」
「……うん」
 エイジは少し考えるように眉を寄せたが、それも一瞬のことだった。
「仕方ない、爆弾で壁を盛大に爆破して――反対側の壁から飛び出そう。大雑把な計画だけど、仕方ないよね?」
 エイジは背中に背負っていたワンショルダーのバッグの中から小型の丸い機械を――恐らくは先程彼の言っていた爆弾とやらを、取り出した。手の中でもてあそびながら、リュウを見遣る。
「いい? 俺はこれを左手に投げるから、そうしたら一目散に右に走って」
「……わかった」
「ありがとう」
 エイジは何故かリュウに礼を言うと、その爆弾を大きく振りかぶった。袖からちらりと見えた彼の腕は、やはりメカナイズドされていて――。
「行くぞ!」
 その手から爆弾が矢のように放たれた瞬間、リュウは右手に走り出していた。それは、時速数十キロ以上の速度だっただろう。リュウの褐色の髪が、激しく風に流される。先頭を走るのはリリ、そしてリュウ、その後ろから響く足音はエイジ。遠く、爆音が響く。エイジの投げた爆弾だろう。
 三人の行く手に壁が近づく。このままでは数秒後には激突する――リュウが速度を緩めようとしたとき、リリは目の前に小さな手をかざした。
「そのまま走れ!」
 背中から響くエイジの言葉と、それをかき消すような轟音。リリは壁を吹き飛ばし、そして自分の身体ごと外へと飛び出した。リュウは一瞬怯んだが、今更躊躇っていても仕方がない。続いて宙へと身を躍らせた。
 足場を失った体は、もちろん重力に従って落下する――リュウの腕を、エイジの手が掴んだ。その彼はというと、反対側の腕でリリの細い腰にしがみついている。
「え……?」
 リュウは目を瞬いた。リリの背中には鋼のワイヤーでできた翼が広がっている。まるで空を滑るように、三人はビルの壁から離れていった。
「…………」
 リュウはおそるおそる背後を振り返る。あそこを取り囲んでいたはずの、恐ろしいアーミイ。エイジの放った爆音につられたのか、ビルを離れていく彼らに気付いた様子はない。
「た」
 リュウはぽつりとつぶやく。
「助かった……」
 リリはやがて人気のない空き地に降り立った。彼らはエイジがそこに置いていた車に乗り込むと、一目散に街を離れたのだった。

 カーステレオから流れるのは、もう何世紀も前に流行していたといわれる、ギターやドラムの音がやかましいロックだった。エイジは上機嫌に口笛でそのメロディを刻みながら、ハンドルを握っている。
「…………」
 リリは助手席に座って、微動だにしない。
 後部座席のリュウは、落ち着かない様子でおそるおそる口を開いた。
「あの、さ」
「ん?」
 エイジが口笛をやめ、バックミラー越しにリュウを見る。
「助かった。ありがとう」
 礼を言うリュウに、エイジはどういたしましてと笑った。
「あんたら、メカノイドなんだな。おれ、自分以外のと会うの、初めてだ」
「まあ、散り散りになったからねえ」
 エイジはへらへらと笑っている。
 機械化計画(メカナイズド・プロジェクト)。人類の手による、人類のための、人類自身の進化を目指した、その名の通り人間と機械を融合させ、より優れた身体機能を得ようという試み。その計画は約十年前、ある事件をきっかけに頓挫したのだが、その瞬間にメカノイドは人間ではない――むしろ人間の敵であると決定された。
 それ以来、彼らは迫害され続けている。処分という名の殺戮が、超法規的に許可されているのだ。
 メカノイドたちは機械化されている分、基本的に人間よりもずっと頑丈で、身体能力にも長けている。普通の人間が通常の武器を手に束になっても、敵う相手ではない。それでもアーミイのような破壊力の強い武器を搭載した精鋭部隊に追い回されれば、勝ち目はない――事実、潜伏先を発見されたメカノイドはアーミイによって次々に殺害されている。今、世界にどれほどのメカノイドが残っているのか。リュウのように、人間の中でひっそりと生きているものが未だいるのか、どうか。リュウにはわからない。
「俺たちは、とある場所に集まって、ひっそりと暮らしているんだよ」
 エイジは穏やかにそう言った。
「もちろん、メカノイドだけで――ね。二十人くらいかなあ」
「……そんな場所があったんだな」
 リュウは座席の背に体を預け、半ば目を閉じる。――早く、俺もその存在を知っていれば。そうすれば、こんな想いを知らずに済んだかもしれないのに……。
「けど、どうして俺の居場所を?」
 頭に浮かんだ思考を追い払い、リュウは疑問を口にした。
「久しぶりにアーミイが動いたから」
 エイジはあっさりと答えた。
「メカノイドが見つかったんだな、ってわかったわけ」
「…………」
 ――じゃあ、どうやってそのアーミイの動きを知ったんだ。リュウはそう思ったが、それは口には出さなかった。初対面なのに、あまり不躾にあれこれ聞くのも躊躇われる。――リリのこともだ。あんな、背中から翼を生やす力なんて……同じメカノイドでも彼にはあり得ない能力だし、そんな力の話など聞いたこともない。
 いつの間にか、車はハイウェイに上っていた。車の中を、尖ったメロディだけが満たしていく。
「あ、俺この曲好き」
 エイジが突然つぶやいた。どれも同じようなギターとベースのように聞こえるのだが。リュウはわずかに苦笑する。
「エイジは、古いロックが好きなんだな」
「そう」
 エイジは軽くうなずき、そして口笛を再開した。
 リュウは慣れない異国の歌詞を聞くでもなく聞きながら、目を閉じる。脳裏に浮かぶのは――あの街で暮らしていたころの何気ない、それでいてかけがえのない日々。皮下にボルトやコードの埋まっている腕や足を隠しながら、それでもリュウは働き、食べ、眠り、生きていた。職場や近隣の人びととも仲良くしていたし、決して多くはなかったが友人もいた。それから、恋人も……。
「…………」
 恋人。
 リュウは腕を上げ、両目を覆った。小さな嗚咽が漏れる。この音は、きっと鳴り響くロックの音がかき消してくれる――少なくとも、エイジはそんなふりをしてくれるだろう。
 いっそ、全部機械になってしまえたら。くだらない涙も、傷む心も、全てメカナイズドされてしまえば……そうすれば、楽になれるだろうか。
 馬鹿げている。リュウは浅い息を吐きながら、目を閉じた。できるだけ気持ちを落ち着けて、そうしてぐっと唇を結ぶ。
 泣くのは、これきりだ。もう俺は泣かない。俺は生きる。生きて、生き延びて、いつか全部忘れてやるのだ。そんな馬鹿な女もいたっけなと、笑い飛ばせるようになるまで、生きていく。

 リュウは気付かなかった。リリが、小さくつぶやいたことを――。
「……あれが、なみだ」
 エイジの口笛とロックのメロディは全てをひた隠し、ハイウェイの上を進んでゆく……。