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機械は悪夢に魘されない

 その男を、人は天才とも変人とも呼ぶ。それはどちらも正しい。ドクター・アルファ――統一政府の機械化計画(メカナイズドプロジェクト)の現責任者にして、数十年前から提唱され始めた機械化人間(メカノイド)理論に革新をもたらした存在でもある。
 その日も愛弟子であるドクター・イプシロンは呆れた眼差しを向けられながら、彼は研究室中を駆け回っていた。古いスピーカーから流れているのは、旧世界のロックミュージック。無精に伸ばされた赤銅色の髪と髭。申し訳程度に羽織った白衣はあちこちがほつれ、破けている。彼はそんな事など気にもとめず、ペンで壁や床に数式を書き殴っては徐ろに身を起こし、コンピュータに向かってキーボードを叩いているのだった。
「何してるんですか?」
「エイジ、お前も手伝え」
「ドクター・アルファ……」
「そのコードネームは好かないって言ってるだろ。アキラ、だ」
「……アキラ」
 ドクター・イプシロン――エイジはやれやれとため息をつく。
「今度は何を?」
 つい先日まで、アキラは双子のメカノイドの成長経過の分析に熱中していたのだが……あれも大した仕事だった、とエイジは思い返す。数年前、不可能といわれた双子の分離手術にアキラはメカナイズド技術を利用して成功をおさめた。その後の調整にも何のトラブルもなく、あの双子は現在まで順調に育っている。アキラがいなければ、彼らは二人揃って生き延びることなどできなかっただろう。
 メカナイズド技術はヒトの進化のために――エイジはそれを実感する。アキラの純粋な科学者気質は、いつだってその技術の本質を明るく照らし出していた。軍事化、差別問題、人身売買、そんなものとは関係ない――きっと、関係ない。そんな存在を、その可能性すらも、彼は少しも感じさせない。
完全機械化人間(フル・メカノイド)を作る」
 ――あの時、アキラは確かにそう言った。
「フル・メカノイド?」
 エイジは聞き返す。耳慣れない単語だった。
「そう。機械はどこまでヒトに近付けるのか――むしろ、ヒトがヒトである条件は何なのか。ヒトとメカの境界はどこにあるのか」
 アキラは眼鏡の奥の瞳を少年のように煌めかせている。エイジはその光を見るのが好きだった。
「それを、明らかにしてくれるものだと思うんだ」
「……手伝います」
 エイジは微笑む。この研究所には他にも優秀な研究者がいる――自分は最も若いが、そのうちの一人に数えられてもいるのは間違いない――それでもエイジはアキラだけを信じていたし、彼の仕事に限って手伝うのだった。アキラはアキラでエイジ以外の同僚を認めていなかった、否、その存在を把握すらしていなかったかもしれない。それは何も、アキラが孤児となった甥にあたる兄弟たち――エイジとその兄を引き取ったから、というだけでの理由ではなかっただろう。
「おう、頼むぞ」
 エイジはあちこちに書きつけられた計算式を眺め、そしてディスプレイに表示された組みかけのプログラムに目を通す。
「なるほど」
 エイジはつぶやく。
「オート・リプログラミング機能をリプロダクションに応用して……」
「そうそう」
 アキラはくわえていたペンを吐き出し、笑った。
「さすが、理解が早い」
「しかし、『素材』の塩基配列は?」
「ああ、それは俺が設計した」
 アキラはとんでもないことをあっさりとそう言った。
「実在の人物との繋がりがあると何かと面倒だから、最初から人工的な配列に基づいている方がいいだろう? 男性より女性のほうが安定しやすいから、そうしておいた」
 エイジを見てにやりと笑う。
「多分可愛くなるから、何なら嫁にしてもいいぞ」
「馬鹿じゃないですか」
 エイジはため息をつく。アキラは大口を開けて笑った。
「そりゃあ冗談だがな。……可愛がってやってくれよ」
「貴方が自分で可愛がればいいじゃないですか」
 エイジの文句に、アキラは珍しく何も言わなかった。だが、笑みを消して少し目を伏せたその眼差しは、一体何を見ていたのか――エイジは後に、何度もそれを思い返すのだった。

 アキラの作製したフル・メカノイドには「リリ」という名が付けられた。アキラに請われて、エイジが名付けたのだった。
「可愛らしい名前だな」
 アキラは濃く煮詰まったようなコーヒーを口にしながら笑う。エイジは目を逸らし、その部屋に置かれた人工子宮の中――まるで大きな水槽のようなそれにたゆたう人影を眺めた。アキラの構成した塩基配列に従い、組み上げられていく生命。胎児は、自らの遺伝情報に基づいてメカナイズドされていく――否、それは正確な意味では機械化(メカナイズド)ではない。彼女は始めからメカノイドとして生まれるのだ。人工皮膚で覆われた小さな手足、人工筋肉で形作られた心臓は控えめではあるが力強く鼓動し、そしてそれらを支配するのは人工神経――だがそれらは全て彼女自身からの情報によって配置され接続されている。今までのメカノイドのように既にある生命を機械で置換するのとは違う、最初から機械化(メカナイズド)を運命づけられた生命――。
 本当に、こんなことは許されるのか?
 ざわり、とエイジの肌の下で何かがざわめく。不穏な予感。科学者としてではない、人間としての違和感。それは形にならないまま、彼の無意識を這い回るのだった。このプロジェクトが極秘なものであるということも、その原因かもしれない。アキラとエイジ、二人しかこのプロジェクトには携わっていない。俺たち二人がいれば十分だろ、とアキラは笑う。それはその通りだ、そしてその認識はエイジにとっては誇らしく、喜ばしいものだった。しかし……。
「彼女の人格は」
 エイジはそれを振り切るように、声を押し出した。
「どのように形成されるのでしょう」
「さあな」
 アキラはその点にはあまり興味がないようだった。
「まあ、人間の赤ん坊だって生まれてからが勝負だろう。こいつだって同じことだ」
 新生児の形で生み出すことはしない。ある程度成長させた段階で人工子宮から出すことになるだろう、とアキラは言う。
 フル・メカノイドは――リリは順調に育った。胎児から新生児へ、そして幼児へ――成長のスピードはやはり人間とは違う、とエイジは思った。それもきっと人為的にアキラがコントロールしているのだろう。リリの観察記録はいつしか膨大なものとなっていた。だが、きっと自分がこの記録を元にフル・メカノイドを作ることはない。それは、エイジにとっては予感ではなく確信であった。これは、自分の手に余る。アキラだから――メカノイド技術の先駆者であり一人者であるからこそ可能なのだ。そして、彼だからこそ許される――本当に許されるのだろうか? これはいわば禁呪で、本来、人が手を出せる領域ではないのではないか……。
「お前がパパ代わりになってやれよ」
 アキラは冗談めかして言う。エイジは顔をしかめた。
「俺にパパはまだ早いですよ」
「もう二十歳にはなったんじゃねえのか」
「まだですよ、あと二年はあります」
「じゃあ早すぎるってことはない」
「父親なら貴方でしょう。だったら俺は従兄弟ですね」
 エイジの軽口に、しかし珍しくアキラは笑わなかった。
「いや、俺は駄目だ」
「…………?」
 その思いの外強い口調に、エイジは訝しげにアキラを見た。アキラは椅子の上で背を丸め、俯いている。その顔色を伺うことはできない。
「悪いな、エイジ」
「え…………」
 アキラが顔を上げる。期待と諦めと悲しみと喜びと、それら全てが入り混じったような奇妙なその表情に、エイジは息を飲む。どういうことですか――貴方は一体何のつもりでフル・メカノイドを作っているのですか――その、言葉が出ない。
 あの時、問い詰めるべきだったのか。そうしていれば、何かが変わっていたのか。それとも変わることはなかったのか。
 エイジには今も、わからない。

 ある日の深夜、エイジはアキラの研究室に呼び出された。用件もわからずエイジは普段着のまま、予め渡されていた合鍵のカードと登録されている虹彩認証を用い、開いたドアの中へと足を踏み入れる。
「アキラ?」
 ――そうして目にした光景を、エイジは死ぬまで忘れることはないだろう。
「おい、リリ」
 アキラの白衣は、真っ赤だった。白衣だけではない、その服も、口元も、床も……。
「あれが、エイジだ。よく覚えておけ」
「エイジ、」
 振り返る少女――エイジは息を呑む。フル・メカノイド。長い金髪、一糸まとわぬ白い肢体。
「エイジ、悪いけど後でこいつに服、着せてやって」
 アキラは微笑む。――その腹部を、少女の左腕に貫かれたまま。
 エイジは呻く。
「な……何……」
 目の前の光景が、理解できない。両足が凍りついたように棒立ちになって、エイジはただ意味のない声を漏らすだけだった。
「俺がメカナイズドした、最初の被験者、な……」
 アキラはあえぐように呟いた。
「失敗したんだよ……俺は、メカナイズドを失敗して、その子死なせちまった。女の子だった――名前は知らない……いや、忘れた、のかな……」
 その事故は隠蔽され、記録から末梢された。それ以来、彼に失敗はない。メカナイズド技術はめまぐるしく進歩し、メカノイドは増えた。増え続けた。
 だが、忘れられなかった。
 自分が犠牲にした生命を、それなのにのうのうと生き延びた自分を。彼は自分が許せなかった。だから、いつかその日が来たら――。
 アキラを支えているその少女は、透き通った瞳で血塗れの彼を見下ろしている。アキラは蒼白な顔でつぶやいた。
「だから、俺は……いつか、こうなるべきだ……そう、決めていた……」
「ば――」
 馬鹿な、という言葉は唇のすぐ奥で消えた。アキラは息も絶え絶えなのに、笑っている。馬鹿げていることなんて承知だ、とでも言いたげだった。
「俺は、こいつに殺されるために――罪を、償うために今まで生きながらえてきた。この日を、ずっと待っていた」
「…………」
「お前という後継者も育ったことだしな……スノウも軍に入隊したそうじゃないか。もう、俺の役割は終わりだろ?」
 アキラの顔から、すうっと血の気が引いた。
「悪い、な……」
「…………っ」
 エイジはアキラに駆け寄る。
「あんた、……あんた勝手過ぎるだろ……!」
 生まれたばかりのこのフル・メカノイドはその意味も知らず、恐らくは生みの親に請われるがままに彼を殺した。この後彼女がどういった運命を辿るのか――人を殺したメカノイドが、どうなってしまうのか。
「だから、頼んだろ」
 アキラは半ば目を閉じていた。その紫がかった色の手足は細かく痙攣している。
「可愛がってやってくれよ、な」
 それが、アキラの――ドクター・アルファの最期の言葉だった。彼の身体が、少女の腕から滑り落ちる。どさり、と鈍い音を立て、床に転がった。エイジはきっ、と少女を睨んだ。
「お前、何てことを……!!」
 少女の華奢な肩を掴み、揺すりながら、エイジは怒鳴る。彼女は、きょとんと首を傾げた。
「何故、泣いているの? エイジ」
「…………」
 エイジは虚を突かれ、息を呑む。その灯火のような黄金の眼差しは、どこまでも真っ直ぐだった。
「わたしは、彼に頼まれたことを実行しただけ」
 少女は言う。
「彼は、貴方に従えと言った。だから、わたしは貴方に従う」
 ひどいめまいと耳鳴りに襲われ、エイジは思わず机に手をついた。
 ――もし、俺がこいつに死ねといえば――こいつは死ぬのだろうか。そうすれば、全部なかったことになるだろうか。全部、全部、なかったことに……。
 エイジはふと、机の上に置かれた紙に気がついた。アキラの筆跡――見慣れてはいるが決して読みやすいとは言えない、汚い字。拾い上げて読むともなく読む。
『リリは、女王だ。だから――』
 文字を追っていた彼の目が、大きく見開かれた。
 ――そこまでして、あんたは。
 エイジの視界が涙に滲む。
 あんたは、かつての失敗にどれほど傷ついたのだろう。罪の意識に苛まれながら、それでも彼はメカノイド技術のために生きた。幼い頃からその頭脳で頭角を現したエイジを少年時代から継承者として育てながらも、彼はずっと死に場所を探していたのか。たった一度、一人だけ、それでもやはり失われたのはかけがえのない命に変わりはないと、そう考えるアキラだからこそ、他者の追随を許さない研究者であり続けられたのだろう。
「エイジ?」
 エイジははっと少女を見下ろした。彼女はまるで親を慕う雛鳥のように、じっと彼を見つめている。
 ――俺は、彼女を、……。
「…………!」
 エイジは目まぐるしく思考を働かせた。アキラ――ドクター・アルファの死は隠せない。しかもこの死体の様子である。検証すれば、すぐにメカノイドが関与していると知れるだろう。となれば……彼女は拘束され、破壊される。間違いない。フル・メカノイドなどという技術はそもそも認められていないし、そもそも全ては極秘裏に進められていたことだ。メカノイドの歴史から彼女は、リリは消される。
 ――だが、ドクター・アルファはそれを望まなかった。なんて勝手な、独りよがりな――それでも、あんたらしい。

 リリは、女王なのだ。フル・メカノイドにしてメカノイドの女王。
 彼女は特殊な信号を発することで、メカノイドたちを操ることができる。
 それこそが、ドクター・アルファの仕込んだ切り札。

「それで、本当にうまくいくのか……?」
 エイジはつぶやく。額には汗がびっしりと浮いていた。
「本当に、お前は女王としての力を持っているのか……?」
 何よりも――本当に、それだけの価値がお前にあるのか。
 少女は白い裸体を晒したまま、じっとエイジを見つめている。その赤い唇が、静かに開いた。
「どちらでもいいの、エイジ」
「なんのことだ」
「どちらでもいい、と彼は言った」
 ちらりと足元の死体を見下ろし、彼女は言う。
「気に入らなければ、エイジ以外の人間を壊してもいい――この世界を壊して、メカノイドだけの、新たな世界を作り上げてもいいって」
 エイジは絶句した。少女はなんでもないことのように――まるで明日の天気を占っているかのように、歌うような口調で続けた。
「わたしはどちらでもいい。でも、あの人の願いは叶えなきゃいけない。そうでしょう?」
 彼女は目を伏せた。
「彼は、わたしに生きろと言った。だから、わたしは何としてでも生きなければいけない」
「…………」
 いつの間にか息を止めていたらしい。エイジは慌てて息を吐き、浅く吸う。――あんたは、メカノイドに何を見ていた。ヒトに、何を見ていた。その答えは、永遠に帰って来ない。
「わかった」
 エイジはつぶやく。
「俺がお前を生かしてやる」
 ――いつか、お前を壊す方法が見つかるまで。
「だから――俺に、任せろ」
「…………」
 その時、血に塗れた少女は――リリは、初めてふわりと微笑んだのだった。

 ドクター・アルファの死は、速やかに統一政府にメカノイドの破棄を決定させた。リリがフル・メカノイドかどうかは既に関係がなかった、否、一見関係がないように見えた。もしかすると、ドクター・アルファはメカノイドの限界を悟っていたのかもしれない。進み始めた技術は止まれない。しかし、作られたメカノイドたちは少しずつヒトの枠組みから外れ始めていた。今はまだ幼い少年少女たちばかりであるが、やがて彼らは成長する。その時、便利な道具に成り下がるのか、或いは新たなヒトとして――新人類として君臨しようとするか。ドクター・アルファの死がなくとも、いずれはどちらかの道を選ぶしかなかったのかもしれない。
「あの時お前にメカノイドを操ることを許していたら――ヒトは皆、駆逐されていたのかもしれないな」
 エイジは部屋にぼうっと立つリリを見遣り、口元を歪めた。
 ――メカノイドはヒトに非ず、全て殲滅せよ。その決定とほぼ同時に、エイジは自らをメカナイズドした。リリを女王にするわけにはいかない。彼女を二度とヒトの血で染めたくはない。それは、彼の意地だった。兄の涙も、彼の心を変えるには至らなかった。師の死は、それほどまでに鮮烈だった。本当はあの時俺も彼女に殺されていたのではないかと――自分の死と、錯覚しそうになるほどに。
 錯覚? 本当に錯覚なのだろうか? エイジは――ドクター・イプシロンとしてのエイジは、確かにあの時、このフル・メカノイドという存在によって殺されたのではないか。ドクター・アルファは、ドクター・イプシロンを道連れに死んだのだ。
 現状は、エイジの中途半端な意志が産んだものだ。この先どうなるのか、彼にはわからない。メカノイドたちを保護して、それでどうなるわけでもない。未来はみえない。
 ヒトとメカノイドはもう共存できない。それでも、どちらも滅ぼしたくはない――滅ぼさせはしない。
「それなら」
 エイジはメカナイズドされた左腕を、右手の指でゆっくりとなぞる。
「今は、こうするしかない……」
 フル・メカノイドであるリリを使って政府を、アーミィを牽制しながら、メカノイドを保護する。全面対決は、何としてでも避けなければいけない。アーミィ側も、そのことは悟っている。膠着状態のまま、じりじりと時は動き続けている。
 もし、メカノイドを人間に戻せたなら――エイジは夢想する。それが可能なら、この現状を打破できるのではないか。しかし、リリはそれができない。彼女には戻るべき姿がない……それなら、きっと意味がない。
「エイジ」
 リリに名を呼ばれ、エイジは顔を上げる。
「顔色が悪い。寝た方がいい」
「うん、そうかもね」
 エイジは笑った。手を伸ばし、リリの顔に触れる。
「……おやすみ、リリ」
 眠ることのない少女は、その手に己の手を重ねた。
「おやすみなさい、エイジ。また明日」
 変わらない明日。変われない明日。それでいて今日と同じ日が来るわけではないのだと、エイジは既に知っている。
 リリとエイジはダブルサイズのベッドに横になり、手枷で互いを繋いだ。それはリリを逃さないためなのか、それともエイジを逃さないためなのか。彼にはもう、良くわからない。
 リリは、エイジの横でじっと目を開けている。
 エイジは眠る。目覚めない明日を夢見て。

 その夜、エイジは夢を見た。真っ白な少女の腕に腹を貫かれて赤く染まる、鮮やかな夢だった。
 痛くもなく、怖くもなく、ただひたすらに懐かしい――それは優しい夢だった。