instagram

機械は寒さに震えない

 いつもと変わらぬ夜が明け、いつもと変わらぬ朝が来た――そのはずだった。
 双子の機械化人間(メカノイド)、ハルとアキはいつも隣り合って眠る。右がハルで、左がアキ。そうすると、彼らのヒトの部分がちょうど外側になる。もし機械の部分を中抜きして除くことができたなら、ちょうどひとりの人間として合わさるような、そんな配置。
 彼らは繋がった身体で生まれ、メカノイド技術を使うことで何とか分離でき、ふたりで生き延びられた。さもなくば、どちらかを犠牲にするより他なかったであろう。
 だから、彼らは――漠然と、しかしそれは確かな信念だった。
 ふたりで生まれて、ふたりで死ぬ。
 ひとりにしないよ。だから、ひとりにしないで。
 それなのに、その朝――ハルは目覚めて、ひとりだった。

「アキ?」
 隣に眠るアキの体を軽く揺さぶる。
「そろそろ起きないと、朝ごはん――」
 今日の食事当番は誰だったか。そんなことをぼんやり思いながらアキを見下ろしたハルは、ぎょっと凍りついた。
 アキは、目を開けたまま硬直していた。青褪めた顔。引き攣った唇。棒のようにかたく動かない四肢。
「……ア、キ?」
 声が掠れる。
「アキ?!」
 ハルはアキを揺さぶる。その身体は、温かい――だがそれはヒトの側の、彼の左側だけだ。右側はひどく冷たい。
 ハルははっと身を伏せその耳をアキの胸元に押し当てた。とくん、とくん、と鼓動の音が響いている。
 ――生きている。それは間違いない。でも、おかしい。何か、恐ろしいことが起こっている。
 ハルはアキの身体を抱え上げて背に負い、、慌てて部屋を飛び出した。意識のないアキはずっしりと重かったが、そんなことは少しも苦ではなかった。
 行き先は決まっている。エイジの部屋だ。彼らに起こるトラブルを解決できるのは、彼より他にない。
 エレベータを待つ余裕もなく、ハルは階段を床から踊り場までをひととびずつで駆け上がり、やがてエイジの部屋の前に辿りついた。
 扉をどんどんと叩く。
「エイジ!」
 ハルは息を切らせてその名を呼んだ。
「エイジ、大変なんだ……アキが、アキが!!」
 程なく、ドアは音もなく開いた。そこに立っていたのはエイジではなく、リリである。白い面に無表情な顔を貼り付け、ハルを見返す。
「アキが、どうかしたの」
 しかしその唇の産んだ声は、決して冷たくなどなかった――やさしい、音であった。少なくとも、リリは彼らを案じてくれている。ハルはそれを耳にして、体中から力が抜けていくのを感じた。背中から取り落としそうになったアキの身体を、リリが軽々と受け止める。
「リリ……、」
 ハルは零れ出す涙を拭おうともせずに唇を戦慄(わなな)かせた。
「アキを、助けてくれ」
「……ハル?」
「頼む……アキを、助けて」
「ハル? どうした」
 リリの背後に、エイジが現れる。ぐったりと意識のないアキと膝をつき涙を流すハルを見て、エイジは何事かを悟ったようだった。はっと息を呑み、そしてハルを手招く。
 ハルはじりじりと膝を動かし、部屋の中に入った――リリが黙って、アキを抱えたまま扉を閉める。その音が、妙に大きく響いたような気がした。

 アキを奥のベッドに寝かせて、エイジはてきぱきと計測機器のようなものをその体中に取り付けた。ハルはその様を、祈るように両手を組み合わせながら見守る。
 ――今にもふっと目を覚ましてくれるのではないか、ただ寝坊してしまったんだ、そう言ってばつが悪そうに笑ってくれるのではないか。そんな、淡い期待を胸に抱きながら。
 しかし、アキは目を覚ますことはなく――決して短くはない時間の経った後、エイジはアキを覗き込んでいた身体を起こし、深く溜息をついた。ハルは震える声で名を呼ぶ。
「エイジ……?」
「予測して然るべきだったな」
 ぽつり、とエイジが言った。それがハルへの言葉ではないことは明確だ。
「アキは神経系のかなり深いところまでメカナイズドされていた……そこに不具合を来したらどうなるか。考えるまでもなかった」
「エイジ」
 ハルは彼の左腕に――メカナイズドされている、かたい左腕に縋りついた。
「アキは、大丈夫だよね? 目、覚めるよね?」
「…………」
 エイジはちらとハルを見て、そしてすぐに目を逸らした。その挙動に、ハルの不安がどうしようもなく膨らんでいく。
「エイジ……?」
 何故、いつものようにエイジは笑ってくれないのだろう。あの日、メカノイドの廃棄が決まった日、彼らを拾ってくれた時から、エイジはいつだって余裕たっぷりに笑っていた。古めかしいロックの旋律を口笛で吹きながら、あるときはアンチ・メカノイド・アーミイを倒し、輸送物資を強奪し、どんな時だってさほどの動揺も見せずにスマートにこなす、それがエイジという男だった。それなのに、今は。硬い表情で、じっとアキを見下ろしている。
 ふと、エイジが口を開いた。
「リリ」
「なに」
 部屋の隅の椅子に腰掛けていたリリが、顔を上げて返事をした。ハルははっとする。――そうだ。アキがかつて言っていた。リリはメカノイドの女王なのだと。それならば、彼女は彼らメカノイドを助けられるのではないか――せめて、今何が起こっているのかくらいは教えてくれるのではないか。
 しかし、エイジが何か言うよりも先にリリは静かに首を横に振った。
「……それはだめ」
「何が? 何がだめなんだよ」
 ハルはリリの細い腕を引っ掴み揺さぶる。
「リリ、お前何か知ってるのか?! 何か、なあ!」
「ハル」
 彼を引き剥がしたのはエイジであった。
「ちょっと落ち着きな」
「落ち着けるわけ……っ!」
 ハルの声が詰まった。ぽろぽろ、と両目から涙が溢れ出す。ぐっ、と喉が変な音を立て、そしてやがて箍の外れたように嗚咽がとめどなく漏れ始めた。
「………ハル」
 泣きじゃくるハルを抱き寄せ、エイジがその背に手を当てた。あたたかい――あたたかくて、固くない。つまり、それはメカナイズドされていない、彼の右手。
「おれが悪かった――お前たちには警告しておくべきだった」
 警告って、なんのこと――しかし、ハルの唇はわななくだけで少しも役に立とうとはしない。
「落ち着いて聞いてくれ」
 エイジが、まるで誰かに聞かれてはまずいとでも言うように――別にその相手はリリでもないのだろうが――声を低めた。
「メカノイドは、少しずつ壊れていっている」
「……え?」
 ハルは思わず顔を上げる。その涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を、エイジは苦笑を浮かべハンカチでごしごしと拭ってくれた。
「メカナイズドされた部位が、少しずつな。動きが悪くなったりだとか、感覚が鈍くなっただとか……ハルは大丈夫だったのか?」
 驚くと同時に、涙はいったん止まったようだった。ハルは首を横に振る。
「ぼ、ぼくは、今のところ別に……」
「そうか。いや、それならいいんだけど、な……」
「壊れて……って、え?」
 理解が追いつかない。メカナイズドされた部位は強くなって……そう簡単には壊れないはずで。そのはずだった。それなのに。
「それ……どういう……」
「その言葉通りの意味だ、ハル」
 エイジは微笑んでいた。呆れるほどに優しく、穏やかに。
「メカノイドは――壊れていく」
 ハルは絶句した。
「…………」
 エイジは眠るアキの姿を見下ろしながら言った。
「アキは特別メカナイズドされている部分が多かったろう。中枢神経系の一部もメカナイズドされていたからな……そこに異常を来したせいで、意識が保てなくなった。今のところ、生命維持には支障はないようだが……」
「どうやったら」
 ハルはエイジの言葉を遮った。
「アキを助けられるの」
「…………」
 エイジは何かを言い掛け、そして口を閉ざした。ハルは顔を上げ、真っ直ぐにエイジを見つめる。
「どうしたら、アキは目を覚ますの」
「……それは、」
 エイジは苦しげに言葉を絞り出した。
「わからない」
「……わから、ない?」
「どうにかする方法を探して……メカノイドを救う方法を探して、アーミイたちの施設を片っ端から探し回ったんだ。残されたメカナイズド技術のデータを復元して、何とかしようとして……けど」
 エイジはかぶりを振る。
「今のところ、手掛かりはない」
 わかったのは、メカナイズドに使用された人工筋肉や人工神経等の人工臓器が、徐々に壊死(ネクローシス)を来しているということ。壊死した機械は周囲のメカナイズドされていない正常組織にまで累を及ぼし――やがて。
 ハルは呆然と呟いた。
「……じゃあ」
「そう。このままじゃ、遠からずおれたちは全員死ぬ」
「…………」
 それを聞いたハルは、ゆるゆると視線を落としてじっとアキを見下ろした。
「……全員……?」
 己の右手で――メカナイズドされていない方の右手で、ハルはアキの頬にそっと触れた。あたたかい。互いの温度が、やわで脆い皮膚を通して混じり合う。
 全員か、とハルは思った。それなら、仕方ないのかもしれない。本当なら、政府がぼくらの破棄を決定した、あの時にぼくらは死ぬはずだったんだ。一度は覚悟をした。いや、そもそも彼ら双子はメカナイズド技術がなければ二人で生き延びることもできなかった。――だとすれば……仕方がないのかもしれない。
 少なくとも、ぼくはアキをひとりにしない。アキだけを、死なせはしない。
 エイジも? と尋ねると、彼は小さく肯いた。――やはり、彼も死の運命からは逃れられないのか。
「……リリは?」
 何の気なしにその名を出したハルだったが、リリは珍しくその無表情の上に戸惑いを浮かべて俯いた。月灯のような淡い光を湛えた双眸が、ちらちらと揺れる。
 エイジが少しわざとらしく笑ってみせた。
「……リリは、ちょっと特殊だからな」
「リリは生き延びられるの?」
 ハルは微笑んだ。リリはメカノイドの女王。その意味する正確なところは、自分にはよくわからないままだったのだけど――アキなら、知っていたのだろうか。今となってはわからない。どちらにせよ、彼女は「特別」だ。それは間違いない。
 リリがもし生き延びることができるのなら、それが羨ましくない、といえば嘘になる。自分だって生きたい。それでも。
「皆いなくなるなら、かえって寂しいかもしれないね」
「さび、しい」
 リリはぽつりと呟いた。
「……そうね」
 うん、とひとつ頷いて。
「きっと、そう。寂しい……」
 そう言う少女の横顔を、エイジは少し驚いたように見つめていた。

 リリはメカノイドの女王だ。ヒトのその一部を機械で置き換えるようにして作成されたメカノイドとは違い、初めから人工の遺伝情報に従い人工子宮内で人工臓器を組み上げて作成された、世界唯一のフル・メカノイド。その実は、生みの親を殺す為に作られた、悲しい人形。
 彼女が女王と呼ばれるには所以がある――彼女は何らかの方法で、メカノイドらを率いて意のままに従わせる信号を発することができる。現実にそれがどのような方法によるものなのかはエイジにはわからない。リリは己で把握しているのか、エイジも尋ねたことはない。メカノイドを操れるということは、エイジすらも従わせられるということなのだから――それこそが、エイジは自分をメカナイズドした理由でもある。
 メカノイドを操ることができるのならば、何らかの形でアキを目覚めさせることもできるのではないか。ハルをベッドに寝かせたアキの側に残し、エイジはリリを別室に呼んでそう尋ねた。
「アキの神経に、刺激のようなものは送れないか? 何とか目覚めさせることは?」
「…………」
 リリはエイジの視線を避けるように目を伏せた。
「女王の信号は……そういうのじゃない、と思う。試したことはないから、わからないけど」
 個別に信号を送れるわけではないのだ、とリリは言った。
「メカノイドに使われている人工組織、そこに一定の振幅を持つ波動を送って共鳴させるの――そうやって、強制的に同期させる、に近い」
「同期?」
「そう。だから、そんなに細かいことは指示できないわ」
「…………」
 エイジは考え込む。
 ――リリの力をメカノイドらの維持に使えないかと思ったこともあったのだが、そううまく思惑通りにはいきそうにない。
「……アキは、死ぬの」
 リリはぽつりと言った。
「あのまま、メカナイズド部分のネクローシスが進めばな」
「…………」
 リリは黙っている。エイジは唇を歪めた。
「知らないわけじゃないだろう? 死んだ人間を、見たことあるだろう?」
 ――お前はあの時、ドクター・アルファを……アキラを殺しただろう。
「…………」
 リリはこくりと頷いた。
「知ってるわ」
 ――だからこそ。
「……さび、しい……」
 リリは再び、その言葉を呟いた。
 ――そうだ。わたしは、さびしい。アキが目覚めないことも、ハルが泣いていることも、エイジが苦しそうなことも……ミライも、リュウも、ユーイチも。皆がわたしを置いて死んでしまう――そのことを想像するだけで、体中さむくて仕方がない。これを――この冷たい塊を胸に押し付けられたような、腹の中に詰め込まれたような、重くて苦しくて、そして凍えるようなさむさ。
 これをさびしいというのだ、とリリは思った。
 ――そしてそのことを思うわたしは、
「かな、しい……」
 リリはハルの涙を思い出し、そっと自分の目を抑えた。涙は出ない。人工涙液はあくまで彼女の人工眼球を潤すだけであって、感情を表す手段として機能するようにはできていない。
 だから、彼女は泣けない。
 それでも、リリは繰り返した。
「さびしい。……かなしい」
 しかし、エイジはそれを聞いていない。部屋のデスクに並べたコンピュータに向かって、もう何度も確かめたはずのデータをもう一度洗い直そうとしていた。
 その彼の背中を見ながら、リリは、すう、と息を吸う。
「エイジ」
「何だ?」
 エイジは振り向かない。リリは構うことなく、言葉を続けた。
「わたしに、ひとつ考えがある」
「考え?」
 エイジは怪訝そうに眉を寄せる。
「リリに?」
 リリは頷いた。
「そう。だけど、ただひとつ、確かめておかなければならないことが」
 リリはエイジを真っ直ぐに見上げて、その言葉を口にする。
「――――」
 それを耳にしたエイジは、大きくその目を見開いたのだった。

 数日後。
 アーミイ所属のスノウ一佐の元に、一通のメールが届いた。件名はない。差出人のアドレスにも見覚えがない。サーバはいくつものダミイが経由されていて、その足跡は丁寧に消されていた。
 読まずに捨てても良かったはずだ。しかし、スノウはそうしなかった。震える手でマウスをクリックする。
 決して長くはない文字が、目に飛び込んできた。
『スノウ。
 こうしてもう一度お前に呼び掛ける資格は、本当はおれにはない。最後まで、お前に迷惑を掛けようとしていること、本当にすまない。それでも、どうしてもおれは望まずにはいられなかった。
 おまえに、最後にもう一度だけ、頼みたいことがある。それは……』
 スノウはそれを何度も読み返し、読み返し――やがて堪え切れなくなったように、ああ、と声をあげて崩れ落ちた。