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機械は夜空に微睡まない

 深夜、屋内には闇が満ちている。
 ユーイチはごそごそと起き出し、そうっと部屋を抜け出した。同じ部屋に眠る友人を起こさないよう、物音は立てない。明かりをつけなくても右目の暗視モニターを使えば、二段ベッドの梯子も降りられるし、家具などの障害物も楽に避けられるのだった。
 ドアを閉め、ユーイチは非常階段を上る。一歩で十数段を上れるのだから、屋上までたどり着くのもあっという間だった。かつてはヘリポートとして使われていたらしいが、今はただ風が強く吹き荒ぶだけの場所である。
「…………」
 ユーイチは柵もない屋上の端に歩み寄り、足下を見下ろした。地上は遠く、吸い込まれそうな感覚に陥る。ビルの隙間を縫うハイウェイが、きらきらと糸のように輝いていた。
 ――ここから落ちたら、さすがに死ぬだろうか。おれの機械化(メカナイズド)された脚も、耐えられはしないだろう。
「…………」
 夜景に翳した自分の右腕を見つめるともなく見つめる。皮下を這うコードと関節部分から突き出したボルト。自分がまだ普通の人間だった頃のことを、彼はおぼろげに覚えている。幼かった頃の彼を抱き上げてくれた、優しい腕。頭を撫でる穏やかな指先。彼の名を愛しげに呼ぶ声の響き。多分、あれは……。
「会いたいなあ」
 ユーイチはぽつりとつぶやいた。――けど、もう会えないんだよなあ。後半は、口にしなかった。敢えて声に出すのは、辛過ぎる。
 風が、一際強く吹いた。彼の短い褐色の髪が激しく煽られる。ユーイチは思わず目を閉じ、そして――開いた。
「あ」
 彼の眼前、宙にふわりと浮いている、少女の華奢な体。その背中からはその容貌には似つかわしくない無骨な鈍色のワイヤーが翼を象って、夜空に広がっている。先ほどまでは確かにいなかったのに、彼女は突然現れたのだった。
 鮮やかな黄金色の瞳が、ユーイチを捉える。
「何してるの」
 短く尋ねられ、ユーイチは言葉に詰まった。
「お、おれは……」
 少女のことは知っている。リリ、という名の、少しばかり普通ではない少女だ。――普通? メカノイドそのものが普通ではないと、人間ではないとされているのに、それでもなお自分を普通だと思っているのか。おれに、誰かを普通じゃないなんていう権利があるっていうのか。
 ユーイチは戸惑いながら、リリを見返した。
「眠れなくて」
「そう」
「あのさ」
 ユーイチはリリを手招いた。
「こっち来いよ。そっちは危ないだろ」
「あぶない?」
 リリは首を傾げた。ユーイチは言い募る。余計なお世話なのかもしれないが、見ていて気が気ではないのだ。
「いいから、来いって」
「そっちへ行けばいいの?」
 リリは素直にユーイチの隣に降り立った。広がっていたワイヤーが、するすると彼女の背中に吸い込まれていく。ユーイチは思わずその光景を凝視した。
 リリは普段、エイジにぴったりくっついている。エイジはこのメカノイドたちが暮らすテリトリーのリーダー的役割を果たしているメカノイドだ。ふたりは時折、近くのハイウェイを通る輸送トラックから物資を盗んできたり、アーミイ――対機械化部隊――のメカノイド狩を阻止しに向かい、仲間を連れ帰って来たりしている。一方のユーイチたち二十人ほどのメカノイドたちはエイジに指導されながら、この廃棄されたコンビナートの整備を行い、快適な環境へと近付ける努力をしているのだった。
 多分、エイジとリリは何かが別格なのだ。特製のメカノイドなのかもしれない。ユーイチはそう思っているし、他の者たちもそれは同じだろう。愛想の良い口笛好きのエイジ、無表情ながら凄まじい能力を秘めたリリ。二人が何であっても構わない、大切な仲間であることに変わりはない。
「…………」
 ユーイチとリリは、黙って佇んでいた。ユーイチは彼女に何と言葉をかけていいのか、わからなかった。リリはというと、間近にユーイチがいることなど忘れてしまったかのように、ぼんやりと夜景を眺めているようだった。
 かつては工業都市だったこの地区は、メカノイドの製造、開発にも一役買っていたらしい。ここが破棄されるに至ったひとつの理由は、メカノイドを廃棄するための戦闘で激しく破壊されたことらしい。――ここで、同胞が死んだんだ。ユーイチは唇を噛みしめる。何故、メカノイドは破棄されなければならなかったのか。何故、今もメカノイドはこんなふうに隔離された場所に隠れなければならないのか。――何故、自分はあの懐かしい過去の記憶と引き離されてしまったのか。何故。
「おれも」
 ユーイチはつぶやいた。その言葉はまるで無意識に、するりとこぼれ落ちたのだった。
「おれも、リリみたいに空を飛べたらいいのに……」
「どうして?」
「え?」
 聞かれていると思っていなかったユーイチは、驚いてリリを見下ろした。リリの薄い琥珀色の瞳に、自分のぽかんとした、間抜けな顔が映っている。
「どうしてって」
 ユーイチはしどろもどろになりながら、答えを探した。
「どこにでも行けるし……行きたいところに、飛んで行けるだろ? 鳥みたいに、自由になれる……気が、して」
「…………」
 リリは薄く唇を開けた。粒の揃った白い歯が、ちらりと覗く。そして、彼女は謳うように言った。
「……行くところなんてどこにも無いわ」
「え?」
「行きたいところなんて、ない。私はどこにも行かない」
「……リリ?」
「私には何も無い。私の中に詰まっているのはくだらない機械ばっかりだもの」
「そんなこと!」
 ユーイチは思わず声を上げた。
「そんなことないって! リリのこと、みんなすげえって思ってるんだよ。おれたちにはできないことができるし、エイジだっておまえを頼りにしてるし、それに……それに」
「…………」
「この間ここに来た、リュウだっけ? あいつも、リリに助けられたんだって言ってた。危うくアーミイに殺られるところだったって」
「あれは、エイジが」
「エイジは、ひとりでできることはひとりでやるタイプだろ。リリを連れて行くのは、助けになって欲しいからだと思う」
「…………」
 リリはユーイチをじっと見つめた。そして――少し、ほんのわずか、微笑んだようだった。
「やさしいのね」
「え……」
「ありがとう」
 リリは背中に翼を吐き出し、再びふわりと空に浮いた。鼻歌を口ずさみながら、くるりくるりと舞う。
 それはまるで、鋼鉄の翼を背負う天使のようで。
 彼女の口ずさむメロディはエイジの好む、古いロック。
 ユーイチはそんな彼女を呆然と見上げながら、やがてふ、と笑った。
「そういえば、おまえも寝つけなかったのか?」
 小さな問い掛けは、少女には届かない。

「自由、」
 鼻歌の合間に、リリはつぶやく。
「自由って何」
 ――鳥みたいに、自由に飛んでいける気がして……。
「わからない」
 リリは首を振る。
「わからない……」
 エイジは、何。
 わたしは、何。
 わからない。
 わたしは何もわからない。何も無いから、何もわからないのだろう。
「わたしはどこに行けばいい」
 脳裏に響く口笛の音にのせて、リリは舞う。その背中ではためく、折れることのない鈍色の翼。――リリはまだ、その向かう先を知らないのだった。

 その頃、エイジは自室でコンピュータの画面を睨んでいた。そこに映るのは――。
「…………」
 波形、のようなもの。平坦な部分と、波紋を描く部分が不規則に並んでいる。専門家がいれば指摘したかもしれない。それは、ひとの脳波に酷似しているが、決してひとのものではありえないもと。
 エイジはそれを目で追い、別のコンピュータに記録していく。タッチパネルの上を忙しく滑る指先。
 静寂に包まれた部屋。そこに、口笛は響かない。