機械は人に……
「アポトーシス・プログラム」は発動した。
リリの発したパルスは地上全てを呑みこみ、人工臓器すべてに「死」を誘導した――。
「エイジ」
リリは呟く。エイジは、ん、と聞き返す。
「本当にここに来て良かったの」
天高く聳え立つ鉄塔の、その頂上。リリは鋼の翼を広げてその先端に降り立ち、そしてパルスを放ったのだった。その傍らには、エイジの姿がある。
沈みゆく陽は、遠い。
「俺が頼んだことだろう?」
「……どうやって降りるの」
「さあ?」
「わたしは……これから死ぬのに」
リリはぽつりと言った。
「――ああ、そうだな」
足を外に投げ出して腰掛けているエイジの、その腿の上に横たわりながら、リリは目を伏せる。
「……気付いていた?」
「初めから」
リリが、「アポトーシス・プログラム」のことを口にした時から。そのプログラムを発動させるということは、すなわちリリ自身――人工臓器によって作られている彼女自身の死を意味するということ。彼女が壊死を免れているからと言って、アポトーシスを免れられるとは限らないし、それに――そもそもリリが生き残れば、結局のところメカノイドの問題は解決しない。それを理解できないようなリリではない、とエイジは知っていた。
――知っていて、止めなかった。彼女の提案を聞いたとき、それしかない、と思った。彼とリリ以外を救うには、それしかないのだと……。
「エイジ」
急激に力を失い、ぐったりと倒れ伏したリリの身体を抱え、エイジはその淡い色の髪を撫でる。もうアポトーシスが始まったのか、とエイジは思った。
「どうやって――降り――?」
「うるせえぞ」
エイジは呟く。
「リリ」
リリがうっすらと目を開けて、エイジを見上げた。
「寂しくないか」
「…………」
リリが僅かに目を見開く。
「かなしく、ないか」
「…………」
リリは微笑み、こくりと肯いて、そして再び目を閉じる――きっと、もう開けることはないのだろう。
「……そうか」
エイジはゆっくり、ゆっくり、その髪を撫でる。
リリの身体が、少しずつ形を失っていく。縮みつつも風に浚われ、消えてゆく。ただその場に残るのは、彼女の着ていた衣服だけ。
――最初から、エイジには降りる気などなかった。
俺は、ここでこいつと死ぬのだ。
こいつを独りで逝かせるわけにいくか。
機械を作ったのは、人間だ。
口笛を吹く。
メカナイズドの解除された左腕には、力が入らない。感覚はあるが、文字通り「骨抜き」になってしまったような違和感。なるほどこうなるわけか、とエイジは思った。
みんな、「人間」の側に上手く戻れるだろうか――ミライにリーダーを任せてきたが、役目をきっちりやり遂げられるだろうか。まあ、あいつならきっと大丈夫だろう。「政府」の動きが怪しければ、すぐに俺に連絡しろと言ってある。とりあえず、先程「政府」からの迎えが来たという連絡があったから、ひと安心だ。アキは、目を覚ますだろうか。ハルはずっと待ち続けるのだろう。アキの側で、アキの目覚めを――ずっと。
風が強い。
エイジは独り、落日を眺める。
――気が付くと、涙が溢れていた。何年振りだろうか。アキラを亡くした時以来かもしれない。
「リリ」
その名を呟く。
「さびしい。……かなしい――」
もう少し。もう少し、あいつらの行く末を見届けて。お前の愛したあいつらの、未来を祈って。そうしたら、俺は。
一晩が過ぎ、やがて朝焼けが辺りを照らし出した頃。
ふと、エイジはあたりに響くプロペラ音に気付いた。顔を強張らせて振り向く――と、視線の先にあったのは。
「迎えに来たぞ、エイジ!」
プロペラ機の窓から身を乗り出し、スノウが怒鳴る。
「俺は、お前を殺させないからな――」
「な、なんで」
何故、この場所がわかったのか。――はっと息を呑んで、エイジは右手に握りしめていたリリの衣服に目を落とした。
「まさか」
「そうだ! 彼女の――彼女の信号だ!」
スノウが叫ぶ。
「エイジ」
するすると降りてくるワイヤーロープ。
「皆、お前を待ってる!!」
スノウは手を伸ばす。
「来い!!」
エイジは立ち尽くした。
「エイジ!!」
――みんなが死ぬのは、いや。エイジが死ぬのは、絶対に、いや。
彼女がその存在のすべてを掛けて願った、ただひとつのこと。
ひとを愛した機械の、ただひとつの祈り。
「…………」
エイジは目を閉じ、そして一歩、虚空に踏み出した。
ふわりと宙に舞い上がる紺のワンピース。それは朝焼けにかき消されてゆく夜空に輪郭を失い、溶け消えて。
彼の右手は――しっかりと、ロープを掴んでいた。