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第二幕 天使の羽化 – 第二章

  1

 久々の仕事だったが、護は難なくやり遂げた。屋敷の警備の人間も、誰も異変に気付いていない。彼が殺したのは、王族の一人で現在の王の従兄弟に当たる人物だ。対外強硬派として知られ、彼が領主である地域では領民に対する人権蹂躙も目立つ。
「彪さんの親戚とは思えないですね」
 護はぼんやりと呟いた。
 彼がその立場なら、きっと良い領主になることだろう。公平で平和な統治をして、その地域は大いに発展することだろう。
 ――違う。
 護は思い直す。
 ――この男は王族としては普通……彪さんが特別なんだ。
 横暴な王族たちの中で唯一といってもいいほど、彼は純粋な心の持ち主だった。母親の影響だろうか……そんなことを思うが、確かめようもない。
 白昼の凶行現場は標的の屋敷の一室で、彼はそこでいつも午睡をする習慣だと聞いていた。そのあたりのことを調べるのは窃の役割で、それゆえ彼は護のサポーターと呼ばれる。実は――もう一つ、彼には別の役割があるのだが。
 護は窓から外を見回した。人影はない。
 二階のバルコニーから身を乗り出すやいなや、あっという間に護の姿は消えていた。

 その日の午後半日、護は王宮に戻らなくてよいことになっていた。
 久々に喫茶店で飲んだコーヒーは、少し安物の味がする。時折彪が手ずからいれてもくれるのだが、それは少し薄すぎて護の好みではなかった。――おいしいですよ、と言って飲むのだけれど。
 そう言うと彪はとても嬉しそうで、一体何がそんなに彼を喜ばせるのだろうと思う。
 彼といるときの彪はいつも笑っている。他の者によると、彪は誰といても少し寂しそうで、よく目を赤く腫らしていたという話なのだが……そんな彪は想像がつかない。利発で人懐こく、少々甘えんぼうではるが、基本的には王子らしく躾も行き届いていて、時折わがままを言うのもおそるおそるといった様子だ。たいしたわがままでもないのに、それを聞き届けてやると彪は大喜びする。彪が護のぶんのケーキを半分食べてしまっても、そんなことはたいしたことではないのに。
 護は少し微笑み――しかしその笑みはすっと消えた。
 暖かい小春日和の日差しのせいか、護はどこか落ち着かなかった。二ヶ月ほど離れていただけの街並みなのに、何となく前とは違って見える。何がどう違っているのかも分からないのだが……。
 何だろう――僕はここで何をしているんだろう。
 ふと妙な不安に襲われる。肌身離さず身につけている愛用の拳銃にそっと指先で触れ、その冷たさに安心した。
 ――僕は、火影護だ。
 声には出さず呟く。
 ――「暗殺者」だ。
 嗅ぎ慣れた血の匂い、染み付いた闇。そういったものが自分を形作っているのだと、彼は知っている。
 ――彪さんは、僕とは正反対だ。
 護はそう思う。他人が傷つくことよりも自分が傷つくことを選ぶ人。誰かのしあわせを自分のしあわせにできる人。どうやったらあんな綺麗な生き物ができあがるのかと思う。母を早くに失い、また王子という特殊な身分であるがゆえに、いろいろと辛いめにも遭ってきただろうに。
 ――彼を殺したいなんて考える人は、きっといないだろう。
 護はかすかに微笑んだ。きっと自分が彼を殺すこともない。「仕事」が終われば彼に再び会うことはない。それが、ベスト……。

 ――誰にとって? 誰にとってのベスト?

 護は足を止めた。何かがきらりと煌いて、彼の目を射たのである。
 そこは、街角の小さな宝飾店だった。
「そういえば」
 彪の誕生日は春だ。新しい生命の萌え出ずるとき――彼らしい、と思う。
 自分の誕生日は晩秋で、それはそれで自分らしい。――生命の枯れていくときだから。
「何か買ってあげた方がいいでしょうか。たぶん、その方が家庭教師としては自然ですよね」
 護はまるで言い訳のように呟きながら、店に近寄った。
「…………」
 ショウウィンドウに映った自分と不意に眼が合い、護は顔を強張らせる。見たこともない自分の表情――それは一瞬で消えてしまう。だが、あの眼は……。
「…………」
 いつもの冷ややかな眼差しに戻り、眼を伏せる。見なかったことにしてしまおう。そうしなければならない。
 ――あんな眼は……自分のものではない。

  2

 長い間吹いていた冷たい風もやがて去り、庭に花が咲き零れる季節となった。
 彪の一番好きな季節は春だ。自分の誕生日があるということもその理由の一つだし、花が好きだからということもある。
 どちらにせよ、今年は特別だった――護がいるのだから。
 彼の十三回目の誕生日。宮中での儀式を終え、彪ははほっと部屋で一息ついた。彼自身は形骸的なお祝い行事など嬉しくも何ともない。誰も自分の誕生日など、本気で嬉しいと思っているわけではないのだ。母親が死んでしまったは後ずっと……、誰一人本気で祝ってくれる人はいない。
 いや、むしろ自分の誕生日は父親にとって忌々しい日であるはずだ。妻が体調を崩すきっかけになったのは、彪を出産したことだったのだから。しきたりで決まっているために行事は執り行われるが、そこで彪は王の笑顔を見たことはない。自然周りの者も王の機嫌を慮り、彪に対して心からの祝いの言葉を投げかけてくれることはなかった。――皆、彪の気持ちなどよりも、王が自分をどのように評価するかの方がずっと大事なのだ。
 でも、今年は違う。護が祝ってくれる。
 ――気持ちだけですけど、プレゼントを用意しました。あまり期待し過ぎない程度に楽しみにしていて下さいね。
 笑顔で約束してくれた護の顔が浮かぶと、自然に顔が緩んだ。護は身分にも出世にも興味を示したことはない。王に媚を売る様子すらまったく見せず、それがかえって王に安心感を与えているようだった。――「暗殺者」としての護の意図は、実はそこにあるのかもしれない。
 しかし、彪はそんなこととはつゆ知らなかった。
 護は彪の理想だった。あんな大人になりたいと思う。いつも温和な物腰で、冷静さを欠くことは決してない。感情に流されず、それでいて人の気持ちの機微には敏感で……何より、彼はとても優しい。
 護が父親だったなら――いや、さすがに年齢的にそれは失礼だろうが、せめて兄だったなら。親戚に護のような人がいたなら。彪の今までの人生も、まったく変わったものになっていただろう。父親をはじめとする他人の顔色をうかがいながら、おどおどと生きる必要などなかったはずだ。護が守ってくれるのだから。逆に下心を持って近付いてくる人間のことも、きっと護は見抜いてしまう。彪は子供らしく、誰かの庇護のもとで安穏としていられただろう……。
 
 春の暖かさに眠気を誘われ、彪があくびをしたちょうどそのとき、部屋にノックが響いた。
「彪さん、今いいですか?」
「ふぁ、うん。いいよ」
 あくびの途中だったせいで少し変な声が出てしまった。彪は驚いてソファに座りなおす。扉が開くと、甘い芳香が漂ってきて彪を驚かせた。
「な、何?」
 何か白いものを両手にいっぱい抱えて、護が苦笑して立っていた。
「少し多すぎましたよね。花屋の店員さんが張り切ってくれて……」
 彪はあ、と声を上げた。彼が以前一番好きだといった、白い花だった。それをこんなに……。
「花瓶、ありますか?」
「うん」
 慌てて差し出すと、護はそっとそれを白陶磁器の花瓶の中に入れた。指先でちょいちょいと整える。
「何だか品がないなあ。大きすぎますよね、この花束」
「……でも僕、嬉しいよ。ありがとう」
 何よりも、彼が自分の好きだといった花を覚えていてくれたことが嬉しい。
「それから……はい」
 護は胸ポケットから取り出した、白い小箱を差し出した。
「こちらがメインのプレゼントです。形に残るものの方が良いでしょう? 花は枯れてしまいますからね」
 彪は箱を受け取り、護を見上げた。
「これ、僕に?」
「そうですよ」
 彪は受け取り、ピンクのリボンをほどいた。箱を開ける。
「あ……」
 純金のブローチで、天使を象ってあった。さりげなくあしらわれた小粒のサファイアの青が深く、見るものを魅了する。
「気に入っていただけるといいんですけど……」
「気に入ったよ、勿論!」
 彪は顔を上げた。目があうと、護は微笑んでみせた。
「よかった。この青色が貴方の眼に似ているな、と思って」
 長い指先が、サファイアを指す。
「すごく嬉しいよ。ありがとう」
 護の指がブローチを襟に止めてくれる。燦然と輝くそれに、彪はみとれた。
 王宮にはもっと高価なものが溢れている。それらはいつか、次期王である彪のものになるのかもしれない。だが、彪にとってそんなものは何の価値もなかった。その財は王家が人民を苦しめてきた、その証なのだから。人々の血と、汗と、涙が沁み込んでいる。
 だが、このプレゼントは違う。護が彪のためだけに、選んで買ってきてくれたもの。誕生日を祝おうとしてくれる、その気持ちだけで十分なのに、それを形として残してくれるなんて。
 笑顔が溢れる。
「彪さん……?」
 触れがたい光に阻まれているような気がして、護は差し伸べかけた手を降ろした。春の日差しに煌くブロンドの髪は純金作りのようで、潤んで輝く瞳もまるでサファイヤだ。
 ――こんなに綺麗な生き物が、この世界で生きていけるのだろうか。
 眉を軽く寄せ、護は彪から視線を外す。なぜか、胸がざわめいていた。不吉な予感がする……本当はもう、自分はこの王子の側にいない方が良いのかもしれない。
 彪はそんな彼の不穏には気付かず、時計を見やり提案した。
「お茶にしようよ!」
「ええ」
 ポットを温めて茶の葉を用意する護の後姿を見つめ、彪は言う。
「護の誕生日はいつ?」
「秋ですよ。まだ随分先です」
「あのね……、お願いがあるんだけど」
「何ですか?」
「その頃までここに居て欲しいな。僕、護の誕生日のお祝いをしたいから」
 護が振り向いて、彪は言葉を切った。彼はとても不思議そうな顔で彪を見ている。――誕生日など祝われたことがない。護は困惑したが、やがて微笑んだ。――その頃まで自分がここにとどまっているかは、本当はわからないのだけれど……。
「誕生日って、どうして祝うんでしょうね」
 護がぽつりとそう言って、彪は驚いた。そんなことは当たり前だと思っていた。たとえ形骸的なものであっても、それが誕生日であれば祝うのが当然なのだと。けれど――答えなきゃ。彪はそのとき、何故か強くそう思った。
「生まれてきたことは、しあわせだからだよ」
 実は、あまり自信がない。
「彪さんは、しあわせですか?」
 護は真摯な表情でそう尋ねる。彪は少し迷った。
 母親が死んで悲しかったこと、それ以来冷たくなった父親のこと……。母親が若くして亡くなってしまったのは、無理に自分を産んだことが原因なのだと、既に彪は知っていた。
 ――それでも……。
「うん。しあわせだよ」
 彪はそう答えて微笑んだ。
「つらいことも悲しいことも、いろいろあるけど……。でも生きていさえすればいろんな人に出会えるし、それがきっかけになって、また楽しいことも増えていくから」
 護に会った後の自分のように。少しずつではあっても、何もかもが変わっていくから。
「それに」
 彪は口を切り、真面目な表情になった。
「僕たちが生まれてきたのって奇跡なんだよ」
「え?」
「昔母様が教えてくれたんだ。ひとは皆、たくさんの命の中から選ばれて生まれてくるんだって」
 彪の華奢な手が護の指を握る。
「だから……生まれてこなかった沢山の兄弟の為にも、生まれて来られたことをしあわせだって、感謝しなくちゃいけない」
「…………」
 護は曖昧に頷いて微笑んだ。
 ――僕の、生まれてこなかった沢山の兄弟たち。
 不意に譲の顔が頭に浮かぶ。
 ――僕の、生まれてきた双子の姉さん。
 彼女は今しあわせなのだろうか。「暗殺者」を父に持ち、同じく「暗殺者」となった弟の手で母親を殺されても、それでも、生まれてきたことをしあわせだと思っているのだろうか。
「少なくとも、僕は護が生まれてきてくれてしあわせだよ」
 彪の言葉に、護はぴくりと肩を震わせた。
 ――そんなわけがないではないか。浮かびかけた自嘲の笑みを、無理に引っ込める。
「何故です?」
 できるだけいつもと同じような表情で尋ねると、彪は当たり前のように言った。
「僕は護と出会えて、しあわせだからだよ」
「…………」
 答えようの見つからなかった護は、彪の手を少しだけ力を込めて握る。
 ――いつか、そう思わなくなる日が来ますよ。
 口には出さず、そう告げた。

  3

 彪の周りでは長閑な春が過ぎていき、やがて夏になったが国の情勢はそういうわけでもなかった。
 各地で民選議会を求める国民運動が起こり、時には近衛兵や軍と衝突した。
 民衆は「自由」を求めた。政治に、言論に、思想に。
 戦争反対の運動が巻き起こった。愛するものを失いたくないという思いのため。かけがえのないものを失いたくないという思いのため。徴兵拒否をする成人男子も急増し、逮捕された後にも兵役に就くことを断固拒否する若者もいた。
 それらの運動に対して、彪の父親である王は徹底的に弾圧を指示。幾人かの死人まで出した後、表立った動きは消えた。運動そのものが沈静化したかのように見えたが、そうではなかった。ただ表面に現れない地下運動となっただけだ。
 目覚めた自由への希求はとどまるところを知らない。
 そしてそのうねりが。運動の高まりが。
 護の「仕事」の時期を早める――。

 季節が秋に変わる少し前、窃が再び護を訪れた。「仕事」の具体的な時期を指示するために。
 その時、彼は以前に聞いたことをもう一度護に尋ねた。「王子に『特別』な感情は持っていないだろうな」――と。
「そんなに信用できないんですか?」
 苦笑して言う護に、窃は沈黙して答えなかった。――俺の「望み」を叶えるためには――。窃がずっと心に持ち続けている「望み」。七年前から願い続けていること。誰にも打ち明けてはいない、その「望み」がひょっとしたら……。
「窃さん?」
 この、目の前にいる青年は何も知らない。いや、興味も無いのだろうが――。
「何もない」
 護は気のない様子でひょい、と肩をすくめた。

 時々、護は彪を見ながら思う――この世から自分が消えてしまえばいいのに、と。
 何故自分は生きているのだろう。人を殺してまで、何のために……それでも彼には死ぬだけの理由すらない。今を変えるための理由が、目的が、何一つないのだった。
「う……ん」
 彪は小さくみじろぎし、ぼんやりと眼を開ける。昨晩から風邪を引いていた彪は、医師の診察を受けたあと眠るように言われていた。頬はいつもよりも紅潮しているから、まだ熱が下がりきっていないのだろう。
「起こしてしまいましたか。すみません」
「護は大丈夫? ここにいて、風邪うつらないかな」
「大丈夫ですよ」
 体だけは頑丈だ。それはかつて受けた苛酷な訓練のせいだろうか。幼いころから風邪ひとつ引いた覚えがない。もしくは引いたところで、今の彪が受けているような手厚い看護など望むべくもなかった。
 一度起きたせいで目が冴えてしまったのか、彪は天井に向かって目を瞬いている。やがて、いいことを思いついたように頬を緩めた。ベッドに横たわったまま、護に視線を向ける。
「僕、子守唄歌って欲しいな」
 意外な言葉に、護は眼を大きく開けた。
「こもりうた?」
 聞きなれない言葉だ。
「知らない? 護もお母様に、歌ってもらったことない?」
「母は……えっと、いなかったので……」
「……そうなんだ」
 彪はひどく悲しそうな顔で眼を伏せる。護は慌てて付け加えた。
「平気でしたよ、僕は。最初から知らなければ、あまり寂しくもないんです」
「そう……かな」
 彪はつぶやく。寂しいということに気付かないほど、寂しいことはないように思うが。
「教えてくれますか? ……喉が痛くなければ、ですけど」
 彪がこれ以上気を遣わなくて済むようにと、護はそう頼んだ。
「うん」
 微笑んだ彪は頷いて、澄んだ声で歌い始めた。
「…………」
 護はただじっと、耳を傾ける。聞き覚えの全くない歌。それでもどこか懐かしい……。
 拍子をとるように護は彪の肩を軽く叩いた。
「綺麗だ……」
 その言葉は聞こえていただろうか。
 声が徐々に小さくなり、彪は再び眠りの世界に落ちていく。汗ばむ額を、護は冷たい水に浸したハンカチで優しくぬぐった。
 それからしばらくの間――護は彪の歌っていたメロディを小さく口ずさんでいた。