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第一幕 奇跡の革命 – 第四章

  1

「……そろそろか」
 久遠(くどう)砂羅(さら)は、体を横たえていた場所から身を起こした。赤銅色の髪が肩から零れ落ちる。
 もうすぐ、標的が自室で一人になるはずである。そこに押し入り、殺す。凶器は銃。いつもやっていることで、そう難しいことではない。
 標的の社会的地位を思えば警戒も厳重だろうが、彼女のような暗殺を生業としている者にとって、素人がいくら警護しようとそう問題にはならない。いざとなれば全て排除――殺せばよいのだから。
「そういえば」
 彼女は癖になっている独り言で、ぼそぼそと呟いた。
「この国の同業者が……先王を殺したと聞いたな」
 一年前になるか――そのときは随分慎重にことを運んだらしい。依頼人の要望もあったらしいが、依頼を受けてから実行に移すまでに一年もかけるなんて奇妙だなと思ったのを覚えている。
「もしかしたら、他の理由もあったのかも」
 といって何か思い当たるわけでもない。そもそも真剣に考えてさえいない。
「どうだっていいことだものね」
 砂羅は囁くように銃に話し掛け、微笑んだ。――ひどく優しい笑顔だった。

 標的の部屋の窓が見える木の上。張り出した枝がちょうどバルコニーに向かって枝垂れており、彼女になら十分に飛び移ることができる距離だった。砂羅はただじっと、息を殺している。先ほどから下を何度も衛兵たちが行き交っていた。普通の者なら気配を気取られかねない距離だが、彼女がそうではない理由は、彼女が「暗殺者」だからに他ならない。
 眼を見開き、窓を見つめる。夕闇が辺りを侵食し始めているが、彼女には何の問題もない。
 ――もうすぐ!
 息を詰めた瞬間、部屋の扉が開くのが見え、標的の金髪が……
「それはちょっと、まずいんですよね」
「――?!」
 驚愕に顔を染めて、彼女は背後を振り向いた。
「いけませんよ、縄張り荒らしは」
 穏やかに微笑む男のその手には小口径の銃が握られ、ぴたりと彼女の額に押し付けられている。
「あ、あんたは……」
「自己紹介はいりませんね」
 気配を読むことに長けた砂羅が、全くこの男には気付かなかった。そのことだけで、彼の素性を知るには十分な事実である。
 何よりも、「印」が彼の眼にはくっきりと浮かび上がっている。ちょうど彼女の髪が赤いように、彼の眼もまた赤――。
「……火影(ほかげ)家の、当主か」
 砂羅は呆然と呟いた。

  2

 砂羅が体勢を立て直して飛び掛かる寸前に、護の足が動いた。
「――――!!」
 砂羅は悲鳴も上げられず吹っ飛ばされる。
 地面に叩きつけられた体はひどく痛んだが、受身をとれたためか骨は折れていていないようだ。砂羅はひとまず城壁をよじ登り、裏の山手の斜面に転がり落ちた。
 体を起こして走り出そうとした途端、
「あまり手間をかけさせないでください」
 ――声がして、気がつくと目の前に彼がいた。
 髪も服も真っ黒。ただ、眼だけが赤い。ルビーのような――いや、血のような色。冷ややかな雰囲気と穏やかな笑顔、そして端正すぎる造形――何となく人間離れして見えた。彼の身体能力を見せつけられた後だからかもしれない。
(ひそか)さんに聞いて驚きましたよ」
 彼はぴたりと銃口を砂羅に向けたまま、一歩一歩近づいてくる。
「汀の暗殺者がこの国に入り込むなんて、前代未聞です」
「確かに縄張り荒らしは認めるけれど……」
 と言って砂羅は咳き込んだ。さきほど蹴りを叩き込まれた鳩尾がひどく痛む。
「だからといってどうして妨害したの? その方が問じゃない?」
「まあね。そうかもしれません」
 彼は首をすくめた。屈託のない笑みを浮かべ、
「でも、ここで貴方が死んでしまえば本当のことなんて分かりませんよね。貴方は標的を殺せなかった挙句に僕とトラブルになって殺された……つまり貴方のミス、ということになる。既に、そういう手はずになっています」
「…………っ」
 砂羅は身を震わせた。
 ――自分は、ここで、殺される。
 いつかこんな日が来ると思っていた。だから、怖くはない。怖くはないが、どうしても不可解な感が拭えない。
「結局、どうして貴方は妨害したの? 理由は?」
「…………」
 彼は表情をふ、と柔らかなものに変えた。
 何故だろう――砂羅はその表情を見ていられなくて眼をそらした。見てはいけないものを見てしまったような気がする。隙のない「暗殺者」であるはずの彼の、無防備な場所がちらりと垣間見えたような。
「『約束』が、……契約が途中なんですよ。五年間の期限で、まだ一年目なんです」
「…………」
「貴方の標的を殺すのは……僕です」
「変なこだわり」
 砂羅の唇から乾いた笑いが漏れた。
 ――そういうことか。
 不意に呑み込めて腹の底からこみ上げたのは、どうしようもないなこの男は、という思いだった。できの悪い弟に言い聞かせるような口調で、砂羅は言う。
「馬鹿ね、貴方」
「…………」
「どういうことです?」
 彼は怪訝そうな表情で砂羅を見つめた。砂羅は口元に笑みを含んだまま、
「貴方……噂は聞いているわ。今の王が王子だった頃、家庭教師をやっていたんですってね? 央夏大学の出身って学歴を利用して、王宮内部に入り込んでおくために」
「よくご存知で」
 護は軽く肩をすくめた。
「ふふ……、私にもね、いるのよ。サポーターが」
 依頼人との橋渡しをしたり、情報を収集したりと、「仕事」に付随する事務的なことの全てを代行する者。久遠家を支える、組織の一員。
「私たちは殺すだけ、だものね」
「……そうですね」
「でも、貴方は本当にそうかしら?」
「…………」
 彼の眼差しがその先を促す。砂羅は口を開いた。一語一語、はっきりと。

「貴方、私にあの標的を殺されたくなかったんだわ」

「…………」
 彼は沈黙した。砂羅は声を上げて笑った。
「そうよ……そういうことなのよ、貴方は王が今死ぬのは嫌だと思ったのよ」
「……何を、」
「殺人人形が馬鹿なって? ……でもね」
 砂羅は笑った。
「貴方だって知っているんでしょう? 『暗殺者』の代替わりがどうやって起こるのか……」
「…………」
「私だって知ってるわ。こんなの、どこの国でも同じよね」
 彼女の顔から笑みが消える。
「私の先代は母親で……、私を後継者にはしたくないって、私が十歳を過ぎた頃に言い出したの。そのせいで殺されたわ。ううん」
 砂羅は泣き出しそうな表情になった。
「私が……殺したの。その、銃で」
 彼の足元に転がっていた銃に、砂羅はゆっくりと指を伸ばした。彼は容赦なく彼女の銃を遠くへと蹴り飛ばす。
 砂羅は諦めたように手を下ろした。
「『暗殺者』が人を殺しながらも生き長らえられることを許されるための『決まり』……、それに違反したら即座に粛清される。そういうこと」
「……僕の父親、先代もそうでしたよ。それがどうかしましたか?」
 彼は冷ややかに問うた。砂羅は再び笑みを取り戻す。
「そう……。貴方はまだ違反していないのよね」
「ええ。無論ですよ」
「本当に?」
「…………」
 彼は訝しげな表情で砂羅を見つめた。
「窃さん……と言ったかしら。貴方のサポーター。彼、いまこの辺りにはいないみたいだから……」
 砂羅は草むらに倒れていた身を起こした。
「…………」
 銃を構えなおす彼に向かい、砂羅は微笑む。
「殺す前に、聞いて」
「どうぞ?」
「私、貴方が好きだわ」
「……は?」
 護は眉を寄せて聞き返した。砂羅は明るく笑う。
「貴方、本当に馬鹿だもの。貴方に殺されるならいい。私のあのいけ好かないサポーター、いえ監視人に殺されるよりましよ。貴方は私にできなかったことをやっているもの。無意識かもしれないけれど、きっといつか気付くはず」
 彼は少し苛立った口調で詰問した。
「何が言いたいんです?」
「貴方と私は似たような境遇で育ったのよね。『暗殺者』だもの。多分とても似ているはず」
「……そうかもしれませんね」
「だから、分かるの。貴方が分かっていない、貴方のこと」
「つまり?」
「教えてあげない」
 悪戯っぽく微笑み、軽くウィンク。彼はそれを無表情に見守った。
「でも、ヒントならあげるわ。だから――悩むといい」
 砂羅は一歩踏み出した。彼女は、彼に呪いを掛ける。
「貴方は……」
 彼の指が引き金にかかった。

「貴方は、彼を、殺せない」

 砂羅の頭は弾け、辺りに血が降り注いだ。

  3

 翌朝になって、報告が叶の元にもたらされた。
 汀の国から密入国していた暗殺者、久遠砂羅は死体で発見された。額を銃弾一発で打ち抜かれていたという。彼女の死体が発見されたのは国境警備施設の近くで、まるで早く見つかるようにとでも言いたげなほど分かりやすい場所にあったということだ。
「『彼』……か」
 叶はまだその名を知らない。だが、何となく予想はついた。
「縄張り荒らしは容認できない……そういうことか」
 ほう、とため息をつく。
「この話は……陛下の耳にも入るだろうな」
 そのとき彼が何を思うのか……。叶は秀人を呼び、厳重にしていた警備体制を少々緩めるよう指示を出した。

 譲の入れた紅茶を目の前に、彪は黙ってその湯気を見つめていた。
 叶の思ったとおり、彪はすでに砂羅のことを聞いている。おそらくこの国の暗殺者――すなわち「彼」が殺したのだろうということさえも、彼は知っている。譲が氷雁の家を通して情報を集めてくれたのだった。縁を切ったはずの家ではあるが、彪のためなら仕方がない。譲はそう思っている。
「彪さん……」
 譲のかけた声に、彪は眼を上げた。
「何?」
「その……今回のことは」
「うん……。よその国のことまで僕考えてなかったから……。この国で『暗殺』がなくなればいいって思ったんだけど……」
 ――また、「彼」の手を汚させてしまった。
 彪は目を伏せる。
「僕って馬鹿だね」
 ぽそりと呟かれた言葉に、譲は聞き返した。
「え?」
「馬鹿だよ、僕は」
 言って自嘲の笑みを浮かべる。
「今回あの人が汀の『暗殺者』を殺したのは、もしかして僕を守ってくれたんだろうかって」
 カップに添えられた彪の手が細かく震えている。
「そんなことを思うんだ」
「…………」
「まさか、そんなことあるはずないのに」
 彪はそう言って紅茶を一口啜った。
「…………」
 譲は答える言葉が見つからない。彪は微笑んでカップをソーサーの上に置いた。
「でも、良かった。僕がまだ死ななくて」
「彪さん……」
「殺された人には申し訳ないけど……、僕はまだ死ねないから」
「…………」
 彪は軽く目を閉じる。

 ――そう、まだ僕は死ねない。
 
 あと四年……この国から「暗殺」というものを追い出してしまわない限り。
 「彼」にしあわせをもたらすまで。彪自身のしあわせを取り戻すまで。
「そのための、改革なんだから」
 彪が改革を決意するに至った、その詳しい経緯はほとんど誰も知らない。
 知っているのは彪本人と譲、そして……。
「『あの人』は……分かっているのかな……」
 彪はぼんやりと呟いた。
 あの時……彪と「彼」が「約束」した時。彪の思いは伝わっていたのだろうか……。
「…………」
 答えられない譲に彪は微笑み、涙を隠すように一息で紅茶を飲み干した。

  4

 事後処理のため、顕が汀に特使として派遣された。こちらの予想以上に汀がこの国に対して敵意を抱いていることが分かり、早々に手を打つ必要性が感じられたからである。
 他国に対しての内政干渉は一切していないことを繰り返し説明し、また外交カードとして相手の弱み――無論、暗殺者を送り込んだことだ――をちらつかせ、そうしつつも友好的な条約案を提示する。
 顕とその副使はよくやったと言えるだろう。
 友好条約を結ぶまでにはいたらなかったものの、正式に国交は樹立され、自由貿易に向けての協議も開かれることになった。
 ――この国が改革によって大国の汀と並ぶほどの国力を充実させていたことが、交渉で有利に働いたのは自明なことだった。

 そして月日は過ぎ――国は富み栄えた。
 最初の二年間ほどは評議会議員たちが国を運営していたが、三年目に入ろうとする頃からは国政選挙が行われるようになり、初代首相には叶が選出され、彼がその後二年間にわたって首相を務めた。国務大臣にもかつての評議会議員たちが多く就いたが、決してそれは既得権益化せず、さらに優秀な人材が発掘された際には当然のようにそちらが重用された。
 行政も、また民間の多くの企業も実力主義、成果主義を取り入れるようになったが、国民が荒むことはなかった。弱者を救済する制度が丁寧に張り巡らされたからである。かつて膨大であった軍事予算が削減され、その分教育や福祉など今までないがしろにされがちだった分野に重点的に配分されるようになり、新たな産業が興った。無駄な予算の消化事業は必要なく、使い切られなかった分は次年度に繰り越す。予算案よりも小額で事業を達成した部署には、次年度にはその分大きな額を任せ、そのことによってさらに効率的な行政を実現する。無理な減税は行わず、無論増税もない。税収と歳出のバランスがうまく取れるようになった。
 ――考えてみれば簡単なことだったんじゃないか。
 多くの国民がそう思ったことであろう。
 徹底したシステムの効率化、透明化。行政においても民間においても、それらを徹底的に進めることで国は安定し、発展する。国民は幸せな生活を享受できる。
 とても簡単なことだったのだ。
 それなのにずっと実現しなかったのは、既得権益を放り出せるような為政者――王を筆頭として――が誰もいなかったからである。
 はじめたのは、清柳院彪――「天使王」だった。

 彼自身のやらなければならない仕事は徐々に減っていったが、国家の象徴としてはなお十分すぎるほどの影響力を持っていた。国民の支持も強い。首相となった叶もそれは良く知っていて、今もやはり重要な事項や懸案は必ず王に相談する。彼の柔軟な発想や大胆に転換できる視点を、叶は高く評価していた。
 王も徐々に青年へと成長を遂げていった。それでもやはり天使のような容貌と純粋な瞳は変わらない。瞳だけではなく、心も――彪は何も変わらなかった。
 彼の心を占める「約束」は、まだ続いている。
 毎年誕生日には、白い花束が届けられた。気配すら残さず、突然部屋に出現する花束。二年目からの花束にはカードはなく、それでも彪は大切に部屋に活けていた。

 ――そして、最後の一年を迎えた。