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第一幕 奇跡の革命 – 第一章

  1

 後世の歴史家は、その五年間を「奇跡の革命」と呼ぶ。
 それは封建制度――その代表が王制だった――の支配していた時代の終結であり、民主政治の基盤を作ったという意味で新しい時代の幕開けであった。
 その革命が「奇跡」と呼ばれるにはいくつかの理由がある。
 一つには、それが即位当時弱冠十三歳であった王の下でやり遂げられたこと。更に、その王は即位と同時に五年後の退位を約束し、事実それを履行したこと。前王暗殺事件の黒幕であるという噂の反王制派組織の構成員を幾人か抜擢し、彼らに「革命評議会」を組織させて、それを王の直属機関として自由に改革をさせたこと。……その他、挙げ始めればきりがない。
 奇跡の王は民衆に天使王と呼ばれて圧倒的な支持を集め、十八歳で退位し歴史からその名を消すまでの間に、この国の近代化の基礎を築いた。
 清柳院王朝、最後の王。名は清柳院(せいりゅういん)(あや)
 しかし、彼が何故「奇跡」を起こそうとしたのか――それは意外と知られていない。
 絶対君主として君臨することを望まず、自らの地位に固執せず、自分以外の国民のしあわせの為だけに尽くそうとするかのようだった彼は、一体何を願っていたのか……。

 ――かつて、それを彼に尋ねた男がいた。

「僕の望みは、たった一つ」
 そのとき、彪は微笑んで答えた。尋ねたのは羽渡(はわたり)雪彦(ゆきひこ)
 革命評議会のメンバーの一人で、二十三歳という若輩ながら――とはいえ王よりは十歳も年上だった――革命の中心的役割を果たした男である。
 雪彦はじっと彪を見つめている。その眼には猜疑すらあったかもしれない。
 それはまだ革命が始まって間もない頃だった。この王も所詮は今までの王たちと同じで、いずれ自己の権力に固執するようになるのではないだろうか。そう疑っていた。
 彪はそんな彼の視線には頓着しないように、開け放された窓の側へと歩み寄った。細い金髪が風に吹き乱される。
 高台にある王宮からは、首都央夏が一望できた。青い瞳を静かに細め、彪は言葉を続ける。
「僕は、ある人をしあわせにしたいだけなんだ」
「ある人……?」
 雪彦は眉を顰めた。彼の言う「ある人」が誰のことなのか、見当がつかなかった。彪の両親は既にない。母は幼くして病死し、父王は――今、彼の側には常に秘書の氷雁(ひかり)(ゆずる)という女性がいるが、彼女を指しているとも思えない。
「誰のことです?」
 彪はその問いを聞いているのかいないのか、視線を窓の向こうに向けたまま呟いた。
「大切な人なんだ。僕にしあわせというものを教えてくれた人――」
 彼は泣いているのかもしれない。雪彦は不意にそう思った。
 少年らしい華奢な骨格が、ひどく寂しげに見える。
「もし、僕が彼を幸せにできなかったら……」
 彪は振り向いた。泣いてはいない。だが、哀しげな透き通るような微笑みが、雪彦の胸を打つ。
 ――そして、彪は意外な言葉を口にした。
「彼をしあわせにできなかったら、僕はその人に殺されるだろう……」
「?!」
 雪彦は息を呑んだ。茶化したような軽い言い方だったが冗談には思えない、そんな雰囲気だった。
「ど、どういうことですか?」
 殺される、だって――? それはまさに、彼の父王と同じ末路ではないか。それとも、それはただの比喩なのか? 何かを暗示して、そういう言い方をしているのか? 雪彦は混乱した。
「どうして貴方が殺されるんですか? 一体どういう……」
「『約束』、したから」
 彪はそう答え、雪彦を見つめた。それ以上の質問を許さない、厳しい眼だった。若干十三歳の少年とは思えないその目つきに、雪彦は気を呑まれる。
「僕はこの革命に命を賭けているんだ。言葉通りの意味で」
「…………」
「だから――僕を信じて欲しい」

  2

 羽渡雪彦は平民だった。
 貴族や士族などの特権階級出身ではないから、「革命」が起こって身分制度が廃止されなければ、将来は親の職業を継ぐと決まっていた。
 両親が豪商だった彼は金銭的には恵まれており、名門の国立央夏大学にも通えたし、その法学部で非常に優秀な成績も収めた。そんな彼が、自分の未来は自分で決めたい、ただ親の職業を継ぐのではなく好きな職を選びたい、そう思うようになったのも決して無理からぬことだっただろう。事実、央夏大学出身の平民の多くは、彼と同じように王制打倒のための地下組織に加入していた。彼もまたその一員だったのである。その組織の中でも雪彦は頭角を表し、結果王の目にとまって革命評議会員に任命されるまでになった――。

 第一会議室。その広い評議会議場で、羽渡は議長の横に座っている王に眼を向けた。その横には秘書の譲がいる。
 僕は殺されるだろう――その言葉を聞いてから一週間ほど後のことだった。
 弱冠十三歳。少年というよりは少女のような風貌を持つ王。同僚の評議会員は、まるで天使のようだなどと呟いていた。
 評議会議長、真野(まの)(かなえ)が口を開いた。
「まず、隣国、(とう)に送った和平交渉使節から来た報告について話をしましょう」
 議会場がざわめく。
 評議会員は全部で四十名足らず。平民出身の者が多いが、中には貴族子弟もいる。身分に関わらず、それぞれが叶の掲げる革命の理想に共感して組織に参加した者たちだ。
 王はその理想を「イデア」と呼び、今後進める革命の基本方針としているのである。
「董は何と?」
「おおもとのところでは異論はないそうだ」
 叶の言葉に安堵のため息が洩れる。
「数年にも渡る戦争で、国が疲弊しているのは我々も先方も同じということでしょう」
 王は穏やかに微笑んだ。
「それで、条約締結に向けた交渉は進んでいるのですか?」
 王の問いに叶は眉根を寄せた。
「それは――何とも言いがたいところですね」
 こちら側が武装解除する代わり先方に不可侵を約束させるという条約案を提案したのだが、董側は難色を示している。
「武装解除に対して疑念を持っているようです。本当にそんなことをするのかどうかと」
「無理もないですね」
 雪彦が呟くと、何人かの議員が同時に頷いた。
「現在軍備の縮小は進行中ですが、董側からそれを確認することは不可能に近い。信じろと言ってもつい先日まで戦火を交えていたわけですから……」
「では、こうしたらどうでしょうか」
 不意に王が口を開いた。一同は一斉に注目する。王は半ば目をつぶるようにしながら、次々と言葉を紡ぎ出した。
「まず、こちらが本当に軍を国境から撤収する。どうせ今は停戦状態でしょう? それに乗じて董が攻め込んでくれば、周辺諸国が黙ってはいません。それに、董は我々以外の国とも小競り合いをしていますし、大々的に我々に攻め込む国力は残っていないはずです」
 王は滑らかに自分の案を述べていった。
「軍の撤収によって董の疑念は僅かでも揺らぐはずです。さらに董以外の国――董や我々と隣接する国全てに、現在董と話し合っているのと同様の条約を提案しましょう。案には、相手国が他の国から攻撃された場合には、当国が仲介にたつという条件も盛り込みます。こうして近隣諸国の全てと友好条約を結ぶ」
 叶が頷いた。王の言葉を引きとるように、叶は語り出す。
「さらに経済協力も互いに約束することにしましょう。関税率の引き下げとか、企業進出に利益を図るとか……」
「ええ、それはいい」
 王はにっこりと笑う。そんな表情はとても子供っぽい。
 経済部門を専門とする議員が口を挟んだ。
「我々の国土は狭いですが、多くの資源があります。さらに教育水準も比較的高い。軍事予算を削減して、その分を他の所に回せば、今よりもさらに産業は発展するでしょうし」
「そう……、誰にとっても悪い話ではない」
「近年、近隣で小競り合い程度とはいえ戦争が多発しています。皆、どこか中立の仲介国を求めているのではないでしょうか」
 おそらくは、この提案をされた国同士が連携を取って話し合うだろう。もし一国が乗ってくれば、他の国も応じる可能性が高くなる。結果として董も……。
 二国間で話し合うより、利害の絡み合う多国間で網の目のように条約を張り巡らせた方が得策だ。それは確かに基本的な策略である。しかし、王の頭には利害関係があるのではない。彼の想うのは、ただ目指すべき理想だけ。そのためにはどんな突飛な案でも思いつけるという、柔軟な発想力が彼にはある。雪彦は王の思考に感服した。
「具体化については、外交部門の議員で話し合ってくれますね?」
「はい」
 雪彦の向かいに座っていた数人が頷いた。
「それでは次の議題へ……」
 叶がそう言うと、譲が幾つかの資料を議員たちに配布する。
 会議はその後数時間に渡って続き、それが終わった後、雪彦は叶に話があると持ちかけた。どうしても、あの彪の言葉が気になったのだ。叶は頷き、「第四応接室で待っている」と答えた。第四応接室は王宮内でニ番目に小さな応接室で、それは王から評議会議長である叶に与えられている。
 約束を取り付けた後、雪彦は自分の専門、立法分野の部会が開かれる第八会議室へと向かった。

  3

 叶は第四応接室のソファに凭れると、天井に描かれた絵をぼんやりと見つめた。さすがに少し疲れたのだろう。自意識の制御を離れた思考はとりとめない方向へ走り出す。
 ――イデアリスト。もしくは理想主義者。
 評議会議員はそう呼ばれることがあった。むしろ、叶は進んでそう名乗っている。
 一ヶ月前に叶が初めて彪と会った時、彪は父親を亡くしたばかりとは思えないほど毅然としていた。先王の暗殺事件には叶は関わっていなかったが、組織の幹部たちの一部が暗殺者を雇ったということは聞いていた。その後、叶の率いる一派は組織から分かれた。彪が評議会議員に抜擢したのは叶をはじめとする分派である。そもそも、暗殺などという方法は叶の望むところではなかった。しかし、結果としては巧くいったと言えるのだろう。それが余計に苦々しい。
 その暗殺者がどこの誰でどんな方法で王宮に忍び込んだのか、どうやって殺したのか、彼は何も知らない。むしろ知りたくなかった。自分自身が関わっていなかったとはいえ、元は自分の所属していた組織が彼の父親を殺したのだ――そんな想いのせいか、どこか後ろめたげな様子をしていた叶の手を彪は取り、そっと握った。
「陛下……?」
 叶は呟く。
 小さな手はとても暖かくて柔らかく、叶が力をこめて握り返すのをためらうほどだった。
「僕は理想を追いたい」
 それが、彪が叶に最初に言った言葉。
「僕もイデアリストでありたいんだ」
 叶の顔を覗き込む彪の瞳は、この世のどんな宝石よりも青く煌いていた。透明な、それでいて深い青。
 しかしこれは――悲しみを知る色だ。叶はそう思った。王子としてただ甘やかされて育ったのではない、人一倍辛い、悲しい体験をくぐり抜けてきたのに違いない。幼き頃の母の死。父の死。――他にも、まだ何か……?
「理想を掲げることすら許されないなら、僕が生きている意味なんて、ない」
 王のその言葉がひどく重く響いて、叶は深く頭を垂れた。
 ――この人となら、何かができる。世界を変えられる。「革命」が、起こせる。
 そしてその直感は、やはり間違ってはいなかった。叶はそう思う。
 思考はやがて現実へと回帰し、今後の改革の行方へとうつった。やはり評議会議員はいつまでもイデアリストであること。これが重要だ。評議会議員が新たな特権階級とはならないように、叶は国民から選挙で選んだ監査機関を設けようと考えている。そのための法整備は雪彦が主となって進めていた。
 ――いや、まず憲法だ。憲法調査会も同時並行で会合を重ねている。雪彦には負担だろうが、彼の法曹知識と立法手腕は年齢には関係なく秀逸だ。
 五年後をめどに完全な共和制に移行するにせよ、今から五年間は立憲君主制でやっていくのが一番だろうと叶は考えていた。今年中に憲法は発布したい。それが今後の改革の拠り所となるだろう――。
「叶さん」
 応接室の扉が開いて、雪彦が姿を見せた。
「すみません、お待たせしました」
「いや……」
 叶は首を横に振って立ちあがった。
 自分より十歳以上年下の雪彦と、叶は一番うまが合う。不思議なことだと思うが、似たもの同士なのかもしれないとも時折感じた。
「話とは?」
「……実は、ですね」
 雪彦は軽く眉を寄せながら、先日の王との会話を叶に話した。その内容に、叶の表情も険しくなる。
 今、王を失えば改革は頓挫してしまう。まだ幼いとはいえ独特のカリスマ性を持つ王は、今や改革になくてはならない人物なのだ。
「冗談……だったらいいんですけどね」
 呟く雪彦に、叶は否定的な見解を示した。
「彼がそんなことを冗談で言うだろうか?」
「いえ。それで、あの……俺が気になったのは」
 雪彦はつま先で軽く床を打った。
「先王を殺した暗殺者のことなんですが……」
「……ああ」
 叶は苦々しげに頷いた。やはり、彼も自分と同じことを考えていたか。
「我々と分かれた組織の人間たちが、その暗殺者に再び依頼して王を狙うということはないでしょうか?」
「組織とは私が手を打ったつもりだが。それに、その暗殺者が王の『大切な人』なのか? そんな馬鹿な」
 雪彦は深くうな垂れた。
「……そうですよね」
「だが、その暗殺者が誰なのかは私も知らない。依頼人にすら名は明かされないのだというし、本当にそんな存在がいるのか、今回のことがなければ信じられないところだ」
 この国で殺人を生業にする家系が脈々と続いているなど――知らなかった。知りたくなかった。
「それなら、どうやって依頼するんでしょうか」
「詳しくは知らないが、仲介人が間に立つそうだ。意外に組織だっているのかもしれんな」
「…………」
 長い沈黙を挟み、叶は一つため息をついた。
「もし王の言うことが本当なら……、危機は五年後ということになる。今から頭を悩ませても仕方あるまい」
「確かにそうですが……」
 雪彦は頭を左右に軽く振った。叶はそんな彼の様子に苦笑する。
「分かるよ」
「え?」
 雪彦は顔を上げた。叶は彼の視線から、自分のそれを外す。
「死なれたくないんだろう? 彼に」
「…………」
「王であってもなくても。あの清柳院彪という少年に、生きていて欲しいと思う。できれば」
 雪彦が続きをぽつりと呟いた。
「しあわせでいて欲しい、と」
「……ああ」
「でも、僕には彼がよく分かりません」
 雪彦は抱えていた書類の束をぱらぱらとめくりながら言った。視線はそれを追っていないから、特に意味のない行動なのだろう。
「彼のしあわせもよく分からない。今はずっと、しあわせでなさそうに見えます」
「…………」
「でも」
 困ったような表情で言葉を捜し、雪彦は逡巡したようだった。
「でも、何だ?」
 叶に促され、口を開く。
「彼が、『殺される』と語った時は……とても……」
「とても?」
「……しあわせそうだったんですよ」
「…………」
 今度は叶が黙る番だった。雪彦が細く長く息をつく。
「すみません、妙なことを言いました」
「いや……とりあえず、その暗殺者についての情報は集めるよう努力する。王を失いたくはない」
「ええ」
 叶は椅子から立ちあがり、部屋の中を歩き回った。カツ、カツ、と靴音が響く。
「……そうだな」
 その声はとても小さくて、雪彦には聞こえていない。
「彼のしあわせが、分からない……」
 その想いはこの後ずっと、二人の胸に付き纏うこととなる。