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Prayer for Killer

 溢れ出す赤と零れんばかりの白。彼女はそのふたつの花束を腕に抱き、ゆっくりと歩みをすすめていく。彼女の傍らに黙然と佇んでいるのは、灰色にくすんだ墓標の群――彼女が黒い服を纏っているためか、まるでそれらは葬送を見送る参列者のようだった。
 墓地は広い。だが彼女は迷うこともなく真っ直ぐに前を見すえていた。入り口からどんどんと奥へ進み、密に立ち並んでいた墓標も疎らになってきたところまで来てようやく足を止める。辺りを見回す目は憂いを湛えた闇の色だった。
 彼女の視線がとらえたのは、墓地の片隅――そこは他の場所とは違って、一種異様な雰囲気をたたえていた。墓標の影はなく、子供の身長ほどの高さの杭が地面に無数に突き立っている。――まるで吸血鬼を封じ込めているようだ、と彼女は思った。
 墓標とは違って、杭の表面には何も記されていない。それでも彼女は目的の場所まで真っ直ぐに歩いて行った。二本、寄り添うように並んだ杭。
 真一文字に弾き結ばれていた彼女の唇が、ようやくほころんだ。
「ここに来るのは何年ぶりかしらね……。お久しぶり――父さん、母さん」
 彼女はひとつの杭の前に赤い花束を、もうひとつには白い花束を手向けた。
 
 赤は父の色。そして、母は白の似合うひとだった。
 
 体を起こした彼女は、振り向くこともなくつぶやいた。
「弟ほどじゃないけれど、私もある程度たしなみがあるんですよ――羽渡さん。素人の尾行ぐらいはすぐに気付きます」
「……すみません。尾行するつもりじゃなかったんですけど」
 姿をみせたのは、彼女と同じくらいの年齢の男だった。
「あなたが王宮を出られたから、一体どこに行かれるのか気になって……」
 羽渡、と呼ばれた男は不審そうに辺りを見回す。
「それにしても、ここは一体何なんですか? お墓……?」
 彼女はふ、と笑った。
「ええ、墓地です」
「でも」
「埋葬されているのは――私の祖先たち。そして」
 花束は風に煽られ、はらはらと揺れている。
「その杭は」
 彼女の指差した先には、まだ真新しい杭が立っていた。
「私の弟のお墓になるはずだった場所……」
「…………」
 男は口を噤んだ。たぶん――彼にはわかったのだろう。一体ここに眠っているのがどういった者たちなのか。何故彼らには墓標が与えられないのか。そのすべてを、了解したことだろう。
 長い沈黙の後、男はぽつりとつぶやいた。
「僕も……」
 彼女は振り返る。
「手を合わせても良いですか」
「……え」
「そこ、貴方のご両親のお墓なのでしょう?」
「…………」
「僕もお祈りして良いですか」
「……ええ」
 彼女――氷雁譲は、微笑んだ。
 
 
 羽渡雪彦がその一族について知ったのは、もう数年ほど前のことになる。血塗られた一族――暗殺を生業とする者――歴史の必要悪――だがそれはどれも彼らの真実の姿とは程遠かった。
 一族の現当主とは、二度ほど会話を交わしたことがある。物腰の柔らかい、だがどこか重い空気をまとっていたあの男。鮮やかな赤い瞳と鋭利な美貌が印象的だった。
「弟さんの、容態は……?」
「安定はしています。でも、まだ意識は……」
 譲は目を伏せる。
「そうですか……」
 雪彦は目の前に並ぶふたつの杭をぼんやりと見上げた。先代の暗殺者の墓と、それに寄り添うように並んでいる墓。そして、少し離れて主のいない墓――今は、まだ。
 雪彦の思考に気付いたのか、譲は小さくつぶやいた。
「本当は――あの子は、護はもう、生きていてはいけないのでは……」
「え?」
 雪彦は驚いて振り向く。彼女は沈鬱な表情で目を伏せていた。その黒い服はまるで――まるで弟のための喪服のようで。雪彦はぶるりと体を震わせた。
「あの子は数え切れないほどたくさんのひとを殺してきました。いくら彪さんが許すと言っても、本当は許されないことでしょう。あの子には一生をかけても償えないほどの重い罪ですから……」
「…………」
「それでも、私はあの子の姉です。この世に同時に生まれてきた双子。もし彼がいなければ、今の彼の場所には私がいた」
 譲は目を上げた。一瞬その瞳が赤く染まっているように見えて――だがそれは夕陽が映りこんでいるだけだった。雪彦はほっと息をつく。
「時々疑問に思うんです――もし私が彼だったら、私は彼と同じように決断できただろうか。自分が死んでもいいから、誰かを殺したくないと願えただろうか。自分で自分を取り戻すことができただろうか。暗殺者としての自分を捨て、人間に戻ることができただろうか……」
 雪彦は声を失い、譲はそんな彼を見て弱々しく微笑んだ。
「わかりませんよね。自分ならそんな状況でどうしただろうかなんて。でも……」
 譲は一歩踏み出し、真新しい杭に手を触れた。まるで誰かの頭をなでるように、そっと手を動かす。
「あの子はあの場で、その決断をした……」
「…………」
「私には判らない……あの子は、本当は最初から人間でありたいと願っていたのかもしれない。暗殺者であるように仕向けていたのは、私たちの一族の歴史と、そして――」
「この国の歴史、そのもの……」
 譲の言葉を、雪彦が引き取った。彼女は静かに頷く。
 雪彦は彼女の隣に立ち、そして優しい目で彼女の触れている杭を見つめた。
「譲さん。僕はずっと法務大臣を勤めてきました。その僕にも――彼は裁けない」

 確かに彼はひとを殺した。だが、そのすべては依頼殺人――彼はただ、仲介者の受けてくる依頼をこなす人形のような存在だった。
 歴史が彼を、いや彼らを人形に仕立て上げ、ひとを殺させた。
 
 ではその歴史とは一体何だろう?
 
 譲の脳裏に浮かんだ疑問に答えるように、雪彦は言葉を紡いだ。
「歴史とはひとの意思でありながらそれを超えた存在。連続的でありながら時に不連続なもの。方向性があるようでいて、しかしある時突然見失われてしまう。形はないけれど、我々は書物として手に取ることができる」
「まるで、人間のようね」
 譲がぽつりとつぶやいた。雪彦はうなずく。
「そう――まさに歴史とは人間そのものだと思います。……結局、人間を殺させていたのは人間。暗殺者は最初から人間の中に存在していたのですよ」
「…………!!」
 譲は弾かれたように雪彦の顔を見つめた。彼は静かに微笑んでいる。
「貴方たちの一族は人間です。最初から最後まで。ずうっと、人間だ」

 ――護は人間なんだよ。生まれてからずっと、人間であり続けているんだ。
 
 脳裏に響くのは、今はもう王でなくなった少年の声。譲は目を閉じてそれを聞く。
 
 ――だって、護は泣いていたんだから……。
 
「羽渡さん」
「何です?」
「……ありがとう」
 譲はつぶやいた。
 この身に流れる血を呪ったこともあった――人間ではないとされる暗殺者を父に持つばかりか、それと血を分けて生まれてきた自分。確かに瞳の色にその「証」はない。だが、彼女だけがふつうの人間のような顔をして生きていていいのか……。
「いいえ。……すみません、こんなプライヴェートな場所についてきてしまって」
 決まり悪げに頭をかく雪彦に、譲はくすりと笑った。
「構いませんよ。……もう、この場所は必要のないものですから」
 暗殺者によって「しあわせ」を教えられた少年――彼によって道を変えた歴史はもう、暗殺者を必要としない。
「そうですね。あ、これ引っこ抜きましょうか」
 雪彦は新しい杭に手を掛けた。
「……いえ、それは――」
 譲は軽く首を横に振って雪彦をとどめた。
「私たちの一族の墓標として、置いておこうと思います」

 かつて、血と悲しみに彩られた一族がいたのだと。
 己を殺し、他人を殺し、そして最期は己の中の「人間」に殉じて死んでいく――そんな風にしか生きられなかった者たちがいたのだと。
 
 父と母の声を借り、彼らは叫ぶ。
 
 最期の暗殺者――護のしあわせを見届けてあげて。
 そして、
 しあわせになりなさい、譲……!
 
「帰りましょうか」
「……ええ」
 雪彦の背中を追うように、譲は一歩を踏み出した。
 
 大丈夫。
 きっと彼らが守ってくれるから。
 
「貴方は、生きるのよ……!」

 今はまだ届かない言葉を、譲は真っ赤なそらへと投げ上げた――。