instagram

チルチルサクラ

友達だったのか、と問われれば分からないと答えるしかない。だが違うとも言い切れない。彼と護の関係は何とも奇妙で、どうにも表現し難い。そして……それが確かなものとなる前に彼らの未来は断ち切られてしまったのだった──。
初めに声を掛けてきたのは彼だった。それは間違いない。何しろ護は大学に入るまで、いや入ってからもほとんどと言っていいほど人付き合いをしなかったからだ。無愛想というわけではないし、むしろ人当たりはいい方だから「知り合い」は多い。だが──護は誰か特定の者と行動をともにしようとはしなかった。つかず離れずの表面的な関係。護は常にそれを維持していたし、大学生活でもそれを貫くつもりだった。
──ひとが嫌い、というわけではない。ただ、どうでもいいだけだった。

桜の咲く前に行われた入学前ガイダンス。窓際の最後列でぼうっとしていた護に、陽気な声が掛けられた。
「ここ、いいかな?」
「…………」
護はちらりと相手を確認する。金茶色の髪と緑がかった瞳を持つその青年は、護の顔をのぞき込んでニコニコと微笑んでいた。この国では平民たちの髪は黒で、王族に近いほど金髪に近付いていく。この男の髪の色合いから見て、そこそこ上流の家の出身なのだと分かった。
「……どうぞ」
護は柔らかな声で答える。青年は隣に腰を下ろし、人懐こい笑みを見せた。
「俺は<ruby>榊原<rp>(</rp><rt>さかきばら</rt><rp>)</rp></ruby><ruby>充<rp>(</rp><rt>みつる</rt><rp>)</rp></ruby>。君は?」
「……火影護」
護は言葉少なに答えた。──こういうタイプに張り付かれるのは厄介だ。護は直感的にそう感じていた。──それに、
(榊原……か)
護はその姓を知っている。彼だけではなく、多くの国民が知っているだろう。榊原家は王家である清柳院の分家筋に当たり、広い領土を持つ大貴族「だった」。しかし今は違う。十年ほど前、当時の当主であった榊原<ruby>業<rp>(</rp><rt>ごう</rt><rp>)</rp></ruby>が領民に重税を課し続け、搾取したために暴動が起き──誰もそれに対して対処ができないうちにそれは収束した。
──当主の死、という結末を以て。
明らかにそれは殺人だったが、誰も犯人を追求しなかった。むしろその死は歓迎され、真相は闇に葬られた。実のところ、犯人は何の痕跡も残していなかったのである。
だが、護は知っていた。榊原業を殺したのは誰なのかを。
「…………」
護の沈黙をどう意味に受け取ったのか、充は軽い調子で言った。
「僕は業の末っ子なんだ。父が死んだのは五歳の時だったから、何も覚えてない」
「そうですか」
護は淡々とした様子で頷く。充が誰の子供だとしても彼には関係がない。しかし、彼らの周りにいた新入生たちはちらちらと充に視線を送っていた。充は慣れたことだ、というように動じない。むしろ無反応だった護が気にかかるようだった。
「何か?」 護が不思議そうに見返すと、充はかすかに動揺の色を浮かべた。その視線は彼の瞳に釘付けになっている。
(こちらこそ、慣れているんですよ)
護は胸中で苦笑を浮かべた。
赤い光彩を放つ瞳の色。ルビーのようだと言う者もいたが、護にとっては血の色だった。――血塗られた歴史を持つ一族を継ぐ者としての証。
「……似てる……」
充の呟きに護は眉を顰める。
「え?」
「あ、いや。何でもない」
充は首を横に振ると、護の瞳から目をそらした。 だがその様子には落ち着きがなく、何かに彼が動揺しているということを表していた。
(似てる? 誰が、誰に?)
護は訝しげに充の横顔を見つめていたが、やがて興味を失ったように視線を逸らす。膝の上で握り締められた充の拳が軽く震えていたことには、護は気付かなかった。

その日以来、充は何かと護に話しかけるようになった。護は歓迎するでもなく拒むでもなく、ただ調子を合わせて相槌を打っている。周りから見れば仲の良い友人のように見えたかもしれないし、もしかすると充自身そういうつもりだったかもしれない。護はそれを否定するつもりなどないが、しかし彼には根本的なものが欠けていた。つまり――友人とはどういうものなのか、という概念。知ろうとも思わないし興味もない。
ただ、何故か時々充が見せる奇妙な眼差しは気にかかっていた。まるで怯えているような、それでいて目を逸らさずに何かを確かめようとしているような。だが、護は問い質そうともしない。――どうでもいいことだった。
窃が護の部屋を訪れたのは桜が満開を過ぎた頃で、充と知り合って半月程が経っていた。窃は護の叔父であるが、それ以上に護のサポーターであった。護が「仕事」を──暗殺業を行う、そのサポートをしている。実際に依頼を引き受けてくるのも、日時や場所のお膳立てをするのも、全てが窃の仕事だった。護はただ命じられた通りに実行するだけ。──まさに「殺人人形」だ。
「大学はどうだ?」
窃は淡々と尋ねる。
「別に、何も」
「榊原充──」
「…………」
護はかすかに反応して視線を上げた。窃の表情は、逆光で良く見えない。
「そいつを、殺せ」
「……はい」
護はいつものように軽く頷いた。
「それだけだ」
護の入れた紅茶を、カップに半分以上残して立ち上がる。
「…………」
護は無言で玄関まで見送りに──扉に鍵を掛けるために出向いた。靴を履いた窃が、一瞬振り返る。
「どうやら、そいつは先代が殺し損ねた者のようだ」
「殺し……損ねた?」
護は眉を顰める。暗殺者が誰かを殺し損ねるなど、あり得ない。あってはならないことだ。
「最近分かったことらしいがな」
「標的ではなかったと?」
「ああ」
窃は頷く。
「榊原業の時の――目撃者だったそうだ」
「……なるほど」
護は納得して表情を緩めた。その様子を窃はじっと観察する。だが、彼の望むものは得られなかったようで、僅かに落胆の息を吐き出した。
「細かいことは改めて連絡する。いいな」
「ええ」
護の目の前で音を立てて扉が閉まる。その瞬間、充の運命は決した。
冷たい感触が護の指を侵す。銃身の滑らかな感触が、彼は好きだった。ポケットに片手を突っ込んだまま、人差し指でただ撫でている。
「やあ、綺麗だね」
充はそらを見上げて微笑んだ。その顔の上に、ちらほらと桜が舞い散る。
「……そうですね」
護は静かに頷いた。ここは、火影家の本家の庭だ。護は現在一人暮らしをしているが、ここにも彼の部屋が残されていて、手入れは一族のものが行っているはずだ。
ここは彼が生まれ育った場所――そして彼の心が死んだ場所でもある。
充をここに連れてくるのは簡単なことだった。彼の鞄から学生証を抜き取り、拾ったということにして連絡を入れる。礼を言ってどこに取りに行けばいいかと尋ねる彼に、この屋敷を指定した。充は、護がここに住んでいるのだと思っているだろう。
「それにしても広い屋敷だね。榊原家は、今離散状態だよ。……まあ、隠し財産みたいなものがあったから、生活には不自由していないけれど」
「そうですか」
護は口をつぐんで頭上を眺める。彼らを覆う桜の木は、音もなく辺りを花びらで埋め尽くしていた。
「……護」
充がぽつりと呟いた。
「僕、君にとてもよく似た人を知っているんだ」
「え?」
護は驚いて視線を向けた。その紅い瞳を真っ直ぐに見つめて、充が微笑む。
「その人はね」
――何かを諦めたような表情だった。

「僕の父を殺した人だよ」

「…………」
護は手の中で硝煙を上げる銃を見つめた。
背後で砂利を踏む音がする。
「終わったな」
「ええ」
振り返って微笑んだ。
――知人をその手で葬っても顔色一つ変えない男。窃は口の端を軽くゆがめた。
「……窃さん」
護は既に死体に背を向けている。「これ」の処理は、誰かがやってくれるはずだ。
「父さんは、彼を見逃したそうですよ」
「ほう?」
窃は意外そうに呟いた。
「翳さんが……?」
「その理由が、馬鹿げているんです」
護は困惑したように微笑みながら、言う。
「彼が、僕と同い年だったから――って」
「…………」
窃は息を呑んだ。――翳は……義兄は……。
「どうしてそんな気まぐれを起こしたんでしょうね、あの人」
「……さあな……」
窃はすぐに元のシニカルな表情に戻って首を横に振った。――教えてやらない。目の前の青年には、決して教えてやらない。
――お前の父親は……お前を、
「本当に、何を考えていたんだか」
護は呆れたような表情を作って言葉を続ける。
「どうせ僕が殺してしまうのに」
その声には、およそ感情というものが欠落していた。
窃はそんな彼を見つめながら思う。――お前は、愛されていたのだな……。
不器用な父子は、おそらく同じ運命を辿るのだろう。そして、護を殺すのは――。
「俺、か」
窃は護に聞こえないように呟くと、陰鬱な笑みを浮かべた。

赤い血にまみれた死体。
静かに目を閉じたその青年は、まるで未来を垣間見て満足したかのようにうっすらと微笑みを浮かべている。
ひらり、ひらりと散る桜。
――護はまだ、運命を知らない。