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EPILOGUE

 正午を告げる鐘が響く。轢はかがめていた体を起こし、大きく伸びをした。足元の籠にはぶどうが山盛りになっている。
「轢」
 呼ばれて振り向くと、そこにはマオの義兄、シェンがいた。優しく微笑んで轢を手招きする。
「休憩にしよう。おいで」
「はい。……あ、すみません、俺ちょっと寄って行きたいところがあるんですけど」
 シェンはうなずく。
「……彼のところだね。わかった、先に行っている」
「すぐ行きます!」
 轢は小高い丘を駆け上っていった。その頂上には、小さな杭が刺さっている。いつも轢の首元にあった十字架のペンダントが掛けられて、風にゆらゆらと揺れていた。
 轢は微笑み、優しく語りかけた。
「今日もいい天気だな……Azure」
 答えるのは、風。
 農作業には、ようやく慣れた。彼を迎え入れてくれた家族はとても暖かく、居心地がいい。きっと轢が再び笑えるようになったのは、彼らのおかげだろう。親友を亡くした。ただそれしか伝えられなかった轢を気遣い、慰め、励まし――すべてが轢の傷を優しく清めてくれた。
 しゃがみこみ、轢は杭を優しく撫でた。――まるで、Azureの髪を撫でたときのように。
「ここはいい場所だろ。シェンさんがくれたんだ。……『青空』も、近い」
 しかし、Azureの遺体はここにはない。あの後、茫然としていた轢が我に返ったときには、既にAzureを追ってきた男たちも、Azureの体も、どこにもなかった。すべては最初からなかったかのように……。
 ――違う。
 轢は首を横に振る。
 ――俺は確かに覚えている。青い目をした、儚い友情と希望を……。

 ――本当は、この青い空の下に埋めてやりたかった。

「また、来るからな」
 轢は立ち上がると、墓に背を向けた。まるで彼を見送るかのように、風に吹かれた十字架が杭とぶつかって音を立てる。
 ――あの墓は、俺の家族のものだ。幼い頃に亡くした俺の家族と、そして、ほんの少しの間だったけれど、家族のように過ごしたAzureの……。

 シェンは裏庭で轢を待っていた。
「もういいのか」
 轢はうなずく。
「はい。……今日もいい天気だなって」
 風が吹き抜けていく。若草の上を、さざなみのように。
「ああ、そうだね。いい風が吹いている」
 シェンの言葉に、轢は微笑んだ。
 薄曇りの空から、不意に日が差し込んできた。轢は眼を軽く手で庇いながら、空を見上げる。降り注ぐ光がまるで天国から降りてきた階段(きざはし)のように、彼らを照らし出していた。
「ああ……」
 思わず洩れた、感嘆の声。
 ――綺麗だ。
 隣に並んだシェンも、つられたように振り仰ぐ。
「こんな空の色は、まだあの街では見られないのか」
「……見られません」
 轢は独り言のように呟いた。
「俺は――あいつに会うまで、見たことがなかった……」
 
 灰色の雲の向こうにあった、青い空の存在を教えてくれた君に。
 もう二度と会うことのない君に。
 この青い空を、

「見せたい……」

 最後の鐘の音が、響き渡って消えた。