BLUE SKY
一緒に行こう。
俺たちの未来へ。
……一緒に。
「しまった!」
男の大声が耳に響いた。轢は瞬きを繰り返す。――彼の腕の中に、ずっしりと熱い何か。
「Azure!」
それはAzureの体だった。轢の肩に彼の金髪が埋まる。
「きし……る……」
「Azure……」
轢はぞっと彼の背中を見つめた。彼の羽織っていたコートが、真っ赤に染まっている。
心臓の近くだ。もう移植はできない……手術に使えない。そんな男たちの台詞を、轢は聞くともなしに聞いていた。
「あ……Azure」
Azureはゆっくりと顔を上げ、轢を見つめた。そして、微笑む。
「……大丈夫?」
「Azure……」
轢はがくがくと頷いた。顎が震えて、歯が噛み合わない。
「僕は、ダメかもしれない」
痛そうに眉を顰め、それでも口元は穏やかな円弧を描いていた。
――なんで、笑ってるんだ。轢は歯を食いしばる。
「なんで……なんで……」
問いとも何ともつかない轢のつぶやきに、それでもAzureは答えた。視線を軽く彼から外して、
「轢は、特別だから……」
――轢に、「代わり」はいないから。
「ち……、」
轢は呻いた。
「違うだろ……!」
「え?」
Azureが聞き返す。
「お前だって……お前にだって『代わり』はいねえだろ……?」
力が抜けていくのか、Azureの体が徐々に重さを増していく。轢はずるずると座り込み、しかし彼の体を離すことはなかった。
「お前だって……特別だろ……?」
泣いた。どうしようもないほど悲しくて、轢はぼろぼろと泣いた。
「泣かないで……」
Azureの手が轢の頭を撫でる。
「僕は……いいんだ、これで……」
「何が、いいんだよ」
上手く言葉にならない。
「なんで……こんなの、一緒に行こうって……約束……したのにっ……!」
「ごめんね……」
轢はAzureの薄い肩を抱える。そうしている間にも、Azureからは少しずつ熱が零れていた。
「轢……」
Azureが、彼の名を呼ぶ。
「僕がいなくなっても……轢は、行ってね。ぶどう園」
「ひとりで行けって……いうのかよ……」
「ううん」
Azureは首を横に振った。轢の見慣れた、茶目っ気を含んだ表情で見上げてくる。――だが、その唇からは一筋血が垂れていた。
「あのね」
まるで秘密を打ち明けるような口調で、
「あそこには、『青い空』があるんでしょう?」
そう尋ねる。轢が曖昧に頷くと、Azureは嬉しそうに笑った。
「僕の名前はね……」
――「青い空」って意味だよ。
「だから……」
Azureの眼が涙に滲む。
「だから……」
轢は声もない。ただ黙って、Azureの失われていく体温に慄いていた。
――ゆらゆらと彷徨っていた青い瞳が、焦点を失う。
「……僕は『代わり』として生まれたけど」
薄い唇が血で濡れていた。
「でも、そうじゃないって」
――轢がそう言ったから……。
「誰かの『代わり』じゃない轢がそう言うから、きっとその通りで」
――轢は特別だから……。
「だから……轢のための『代わり』になら、なってもいいんだ……」
――見も知らぬ男のために死ぬよりは、ずっといい。
満足げな笑み。それが青ざめていくのは、血がどんどん零れ出していくからだろうか。どうしたらそれを止められるのか、轢にはわからない。どれだけ自分が祈っても、やはり聞き届けられることはないのだ。足元から凍りついていくような、冷たく暗い絶望感が轢を包む。
――それでも、
「……Azure」
轢の唇が、ようやく言葉を生んだ。このままでは間に合わない……Azureに届かなくなってしまう。
「ごめん……」
頭が割れそうなほど痛む。
「ごめんな……」
お前を守れなくて、
お前のその瞳を守れなくて、
「ずっと、友だちでいたかった……」
「……うん」
Azureはまるで轢を泣き止ませようとするかのように、何度も彼の肩をたたいた。
「お前と一緒に……」
――「青い空」を見たかった。
「お前の瞳と同じ色の、青い空のある場所へ」
――お前を連れて行ってやりたかった。
「……行くよ」
Azureはそう言って手を伸ばした。血に濡れた手が、轢の胸元に触れる。
「僕はずっと……ここに」
轢の思い出の中に。記憶の中に。
誰の「代わり」でもない、Azureというひとりの人間の生きた証として、生き続ける。
「必ず、見に行ってね」
Azureは囁くように轢に告げた。
「『青い空』が、」
轢を待っているから。
僕は、轢を……待っているから。
「Azure……」
轢は言葉を飲み込んだ。ぱたり、と――Azureの手が、地面に落ちる。
――その「青い空」は、二度と光を宿さない。