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都落の巻 第六章

  一

 ──ここは、貴船の社の近くだろうか。藤原正年は先導の馬を追いながらぼんやりと思う。
 白髪の巫女。その存在を知ったのは、家人たちが市井で拾ってきた噂からであった。都の北、山深くに庵を構えるその女の卜いは、恐ろしいほどに良くあたるのだという。幻想的な白い髪とも相まって、この世のものならぬ存在なのでは……などと言うものもいるとか。
 逢いたい。どこにいるのか。正年がそう言うと、家人は首を傾げた。噂にはなっているものの、彼女に実際に逢ったものがいるのか、彼は知らないという。正年は手を尽くして調べ──数日後、彼の屋敷を不思議な男が訪ねてきた。くたびれた水干をまとい、頭を包むぼろ布は目元まですっぽりと覆っている。警戒する家人に向かい、男は言った――「白髪の巫女をお探しなのでしょう? 彼女の居場所をお教えしましょう」と。
 その男は今、歩きにくいはずの山道を、まるで雲の上でも踏むようにふわりふわりと渡っている。馬で追う正年とは、振り向きもしないのに一定の間隔を保っていた。
 正直、気味は悪い。だが、それでもその巫女にすがりたくなるほどの恐れと不安が、今の正年を満たしていた。――あやかしたちとの戦いの行方は。自分たちは勝てるのか。勝つためにはどうすればいいのか。尋ねたいことは次から次に浮かんでくる。その巫女が彼の望む答えを持っているかどうかはわからなくとも、並の役にも立たぬ卜い師どもよりはましだろう。正年はいつの間にかそう信じていた。いや、信じたかった。
「こちらにございます」
 ――男が、足を止めた。正年は慌てて手綱を引く。馬は驚いたように高くいななき、一歩二歩よろめいてから止まった。目の前には小さな庵。頭上には鬱蒼と森が茂り、日の光をほとんど通さない。京の町中より気温はずっと低いだろう、正年はぶるりと体を震わせた。
「お帰りの際はまたお迎えに上がります。それでは、わたくしはこれで――」
 正年が言葉を掛ける間もなく、男はひょいひょいと木の根の間を縫うようにして、姿をくらませてしまった。
「…………」
 正年は庵に向き直り、ごくりと唾を飲みこんだ。――ここに、白髪の巫女がいる。彼女の告げる未来とは、どのようなものなのだろうか……。期待と不安の狭間で、正年はしばらく動けなかった。
 ――まさとしさま。
「…………?!」
 正年はびくりと体を震わせる。その声が一体どこから聞こえたのか、彼にはわからなかった。辺りを見回すが、人影はどこにもない。庵の中から届いた声にしては、あまりにもはっきりとして、まるで耳元で囁かれたような――。
 ――どうぞ、中にお入り下さいませ。
「…………」
 正年は意を決し、一歩を踏み出した。何故自分の名を知っているのか――案内の男に聞いていたのか、そもそもあの男は誰なのか。疑問はいくつも胸を渦巻いていたが、だからといって引き返す訳にはいかなかった。
 強大な妖力を持つあやかしとの戦いでありながら、現存する最強の陰陽師が使えない。そのことだけでも、ひとが圧倒的に不利な状況に立たされるであろうとは誰の目にも明らかだ。それでも、これはひとの戦いだ。敵の血を引く半妖の力を借りる訳には……。
 白木の戸を引き開けると、薄暗い庵の中にぼんやりとした光が差し込んだ。大柄な正年は背を屈め、小作りな入り口を通り抜ける。
「お待ち申し上げておりました」
 凛とした、それでいて官能的なまでに艶やかな声――そして、鼻をつく蠱惑的な香り。正年の体を包んでいた緊張が解け、ぼんやりと頭の芯が痺れていく……。
「藤原正年さま、ですね」
 歩みを進めると、庵の奥に座るひとりの女がぼうっと浮かび上がって見えた。床にまで広がる長い髪は白く、まるで氷柱のように美しく透き通っている。肌は髪と同じように白いが、頬にはかすかに血の色が差していた。女の目は固く閉じられている。――盲目なのだろうか、と正年は思った。
「いかにも。私が正年です」
「どうぞ、お座り下さいませ」
 女の傍らの燭もほとんど揺らめかず、時すらも澱んでいるのではないかと思わせる空間。正年は女の指に指し示されるまま、茣蓙(ござ)の上に腰を下ろした。
「お聞きになりたいことは、既に承知しております」
「ま、まことか」
「はい」
 女の赤い唇が、きゅうと弓なりにつり上がった。正年は尋ねる。
「お前は、本当に未来(さき)を視ることができるのか」
「ゆめを、」
 女は静かに答えた。
「みるのです。誰かを目の前にすると、その方にまつわる白昼夢を視る――この瞼の裏に、鮮やかに描き出されるのです。そしてそれが何故か、未来と重なっている……」
「なんと」
 正年は息を飲む。閉ざされた目には、そのような秘密があったのか。身を乗り出そうとした正年の体がぐらりと揺れた。――頭が、揺れる……。
「巫女どの、どうか私の未来を――」
「正年どのの未来は、すなわちひとの未来。都の未来」
 女は歌うようにつぶやいた。
「視えますか」
「ええ……」
 長い睫毛は、まるで雪が降り積もったように白かった。――だが、今の正年はそれを疑問に思う余裕もない。
「何が視えます?!」
「あれは……何でしょう、紫の、目をした……」
「むらさき……?」
 正年は息を飲む。――そんなものは、この世の中にきっとひとりしかいない。
 女は独りごとのように続けた。
「朱雀が……ああ、青龍も視えます……白虎……玄武。不思議です。あやかしではないのに、あやかしのようなひとが……金髪の……青い目の……。そして、さくらいろの少年……」
「…………」
 正年はじっと聞き入っていた。その視線の先で、女は祈るように両手を胸の前で組み合わせている。
「あれは、水龍……? なぜ、ここに……」
 まるで溢れ出すように、女の紡ぐ言葉は止め処なく続いた。
「おお――これは……神々の『封印』……神々の世界への、扉……彼らは、それを解き……ひとの、力になる……」
「神々の……『封印』……?」
 正年はつぶやく。――あの、半妖にそんな特別な力があるというのか。途方もない話だが、あり得ないとも言い切れないような気がした。かつて噂に聞いたところによると、彼の実父は先の帝であるという。母は火属のあやかしの長、鳳凰族であったとか。さらに彼は都を守護する聖獣の一、朱雀の加護をも受けている。……あり得なくは、ない。
 考え込む正年をよそに、女はふう、と深く長い息をついた。
「……夢が終わりました。お力になれたでしょうか?」
「ええ」
 正年は頷き、懐から紙包みを取り出そうとした――それを、女の細い手が押し留める。
「お気持ちだけで、結構です」
「……しかし」
 二三度の押し問答のあと、正年が折れた。用意していた謝礼を手にしたまま、庵の外に出る。
「終わりましたかな」
 目の前に、例の男がぬっと立っていた。正年はまだどこかゆめうつつのような気分で、乗ってきた馬に跨った。
「お告げはありましたか」
「ああ……」
「それはよござんしたな」
 再び先導して歩き出した男は、肩を揺らして笑った。
「…………」
 正年はそれにも気付かず、ただ女の言葉を思い返すことに努めていた。――御門紫苑。水龍。封印。神々。

 正年の去った後の庵。女はふ、と目を開いた。瞼の下に隠されていたのは、薄緑の瞳。
「ふふ」
 赤い唇が不吉な笑みを刻む。
「これでまたひとつ――私たちは駒を進めたわ」
 頭を覆っていた薄布を払い落とすと、その下から鋭く尖った耳が形を現した。――彼女の目も、髪も、耳も、すべてがあやかしの(しるし)
「さあ、どう出る? 御門紫苑――」
 女が――真雪が囁くと同時、庵の中の灯は一瞬のうちに消え去った。
 
 
  二
 
「白髪の巫女……か」
 閨の中、腹ばいになった紫苑がぽつりと呟いた言葉を、耳敏い桔梗は聞き逃さなかった。
「何ですか? それ」
「燐が言っていたんだ。何でも未来が予知できる巫女なんだと――都で噂になっているらしい」
「未来を予知する? まさか」
 紫苑の腕を枕にして寝そべっていた桔梗は、半身を起こして彼を見下ろす。紫苑は小さく笑った。
「未来の予知など、難しいものではないさ」
「難しくない……?」
 首を傾げる桔梗に、紫苑は頷く。
「よし、じゃあやってみせようか」
「はい」
 半信半疑で身を乗り出す桔梗に、紫苑は真面目くさって尋ねた。
「桔梗。今は寒いか?」
「え?」
 桔梗は一瞬きょとんとしたが、すぐに頷いた。冬の夜は冷える。いくら紫苑の体温が傍らにあるとはいえ、決して暖かくはなかった。
「もうすぐお前の体は温まる。いいな、これが予言だ」
「はあ……」
 紫苑はくすりと笑うと、桔梗の腕を引いた。
「えっ?」
 慌てる桔梗には構わず、横倒しにした彼女の体を覆った。確かに桔梗の体は冷えている。紫苑はその指先と掌と――体全体を使って、桔梗を優しく押し包む。
「し、紫苑っ……?!」
 とがった耳の先をぺろりと舐めると、桔梗は上ずった声で悲鳴を上げた。紫苑は構わず頬を寄せる――。
「熱い、な」
「え……?」
「お前の体。熱くなっている」
「そ、それは紫苑が――」
 真っ赤な顔で反論しようとした桔梗が、ふと声を途切れさせた。
「……あ。そうか」
「わかったか?」
 紫苑の言葉に、桔梗は頷いた。
「その巫女が一体何を予知したかは知らない。だが、たとえば明日怪我をするだろうとか、一週間後に不幸が起きるだろうとか――そういうことなら、予知は簡単だ」
「巫女が……もしくはその仲間が、予知した通りの未来を作り上げれば良いのですね」
「ああ、そういうことだ。……これは比較的ありふれた手法だぞ」
 実現可能な未来だけを「予知」として与え、それを自らの手で達成する。何も難しいことではない。
「でも、何のためにそんなことを……。謝礼目当てでしょうか?」
「巫女は、若い女だそうだ」
 桔梗は意外そうに目を見開く。
「え? おばあちゃんではないのですか?」
「違う」
「じゃあ、白い髪って……」
「…………」
 紫苑は桔梗の髪をひとすくい手に取り、唇を寄せた。細い銀糸は、月の光をそのまま梳き固めたようにきらきらと煌いている。
「若白髪……なら良いのだがな」
「…………」
 ――桔梗の体を温める。そんな名目は、既にふたりの頭の中にはない。紫苑は桔梗の腕に導かれるまま、その胸元に顔を埋めた。
「未来は変えられる。現在(いま)、決まった未来などどこにもない――結局はそういうことだ」
 紫苑の言葉は、まるで自らに言い聞かせているようであった。