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都落の巻 第七章

  一

 数日後、燐は伴雅の屋敷を訪ねた。日向の協力を得て解読した文書──結局、紫苑に関する部分は削ってしまった。これ以上注目されるのは嫌だという、紫苑の意志を反映してのことである。
「ご苦労をお掛けしましたな」
 伴雅は燐から書の束を受け取り、ぱらぱらと捲った。燐は緊張した面持ちで彼の表情を見守っている。
 忙しく紙面を追っていた彼の視線が、やがて燐に向いた。
「橘どのは、『白髪の巫女』の噂をご存知ですか」
「は……」
 燐は曖昧に答える。──紫苑があやかしかもしれぬと疑っていたなどとは、まさか言えるはずもない。
「噂にはなっておりますが、実際に姿を見たものはほとんどいないとか」
「その巫女に」
 伴雅は、深く息をついた。
「正年が会いに行ったようです。そして──」
 不意に、燐は胸騒ぎを感じた。伴雅の言葉は、続く……。
「『封印』とやらに関するお告げを聞いて、帰ってきた」
「…………」
 燐はごくりと喉を鳴らす。
「橘どのにお読みいただいたものと、かなり似通った内容です。──最初は私も半信半疑だったのだが、これは信じないわけにもいきませんね……」
「正年どのは、他に何と?」
 伴雅は眉を寄せる。
「彼は、ここにある以外のことも聞いてきていました。……御門どののことと、水龍のこと。あと……さくら色の子供だとか、黄金(こがね)色がどうとか」
「…………」
 燐の額に汗がにじんだ。予感は、当たって欲しくないものほど的中する。
「それで……?」
「何でもそれは四聖獣が守護する四人で、彼らが『封印』を解いて神の力をどうとか──いや、途方もない法螺(ほら)話としか聞こえないような話で」
「──まったくです」
 燐はかろうじて平静を保ち、頷いてみせた。
「そんな不確かなもの、頼るには値せぬかと」
「しかし」
 伴雅は書を軽く振る。乾いた音がした。
「これがある」
「…………」
「しかも御門どのが朱雀の加護を受けておられるのも、その傍らに水龍があるのも事実。あながち空言(そらごと)ではないのかもしれません。一度朝議に謀った方が良いやもしれませぬな」
 その言葉に、燐は食い下がる。
「しかしその巫女とやら、若い女でありながら髪が白いとか。怪しゅうはございませんか」
「ふむ……」
「確かに生まれながらに色のない人間もおりますが、もしかすると──」
「いや、私も初め橘どのと同じことを疑った。しかし、もしその巫女があやかしの手のものだとして」
 伴雅は真剣な瞳で燐をじっと見つめた。
「何のためにこのようなことを我らに告げたのか……?」
「わかりませぬが……何か、罠があるのかも」
「その可能性は否定できませぬな。だからこそ、一度皆で話し合う価値があるのではないでしょうか。我らの一存で葬ってしまうには、これはいささか大きな話です」
「…………」
 ――伴雅の言うのは正論だ。燐はそれ以上反論の言葉を持たなかった。
 
 
  二
  
「やっかいなことになったわね」
 御門邸に集った四人――紫苑と桔梗、そして昴と朔。例の巫女とやらは、四聖獣に守護された彼らの存在を「予言」してみせたという。
「特徴を聞く限り、おそらくそれは白蛇族の真雪という御子でしょうね」
 朔は眉を寄せた。
「ちょっと殴りに行く?」
「いえ、今はもう目的を果たした訳ですから……都にはいないでしょう」
 昴の物騒な提案を、桔梗は静かに退けた。
「どうしてそう言えるの?」
 それに答えたのは、紫苑だった。
「彼女の目的は――おそらく、ひとに『封印』の存在を伝えること。そして、それに私が関わっていると知らせること。私にその強大な『封印』が解けるのだと――それさえあれば、あやかしに勝てるかもしれぬと思わせること……」
「でも、何のために? 『封印』を欲しているのは向こうも同じでしょ?」
「ああ。私は彼らに協力を求められ、それを断った。そして、恐らくは近いうちに――今度はひとの側から、同じような要請があるだろう。『封印』を解けと。それを以って、あやかしを成敗せよと……」
「でも……」
 昴はつぶやいた。
「紫苑さんは、その申し出を受けることはできない」
「私はあやかしの滅亡など、望んではいないからな」
 紫苑は無表情で淡々と言葉を口にする。だが、その手は床の上で固く握りしめられていた。
「その話を断ったらどうなりますか?」
 朔の問いに、紫苑はゆっくりと口を開く。
「元々私の立場は非常に不安定だ――ひとと、あやかしの血を引く半妖なのだから当然のことだがな。今この状態で話を断れば、皆の私への不信は一気に募るかもしれない……」
「もしかして」
 昴が顔を上げた。
「最初から、向こうはそのつもりで……?」
「おそらくは、そうだろう」
「紫苑……」
 桔梗が名を呼ぶ。紫苑は僅かに微笑を浮かべ、頷きを返した。
「私がどちらにも加勢したくないといったところで、ひとの側が私を追い出せば私の行き場はなくなる――もしくは、あやかしに受け入れてもらうしかない……」
「追い出すことはしないんじゃない? 言い方は悪いけれど、貴方を疑うのなら都に閉じ込めておく方が安心じゃない。ちょうど、今みたいに」
「それもそうだが……まあ、その辺りがどう転ぶかはわからんな」
「どちらにせよ」
 朔は厳しい表情でそらを見上げた。その肩には、相変わらずの白い猫。
「ちょっと、厳しいことになりそうですね……」
「私が心配なのは、むしろ昴や朔のことだ」
 紫苑は居住まいを正した。昴はきょとんとしている。
「何で?」
「例の予言にあったじゃないですか。朔くんとか昴さんのこと。――これからは少しでも目撃されたら、かなりまずいことになります。紫苑の式神だとか、言い訳もしにくくなるかも」
 桔梗に言われ、昴はあっと声を上げた。
「そういえば……」
「このまま僕らが父さんのところにいると、まずいかもしれない」
 朔の声は、苦しそうだった。昴は唇を噛む。
「そうね。あんまり燐さんに迷惑掛けちゃ悪いわ……」
「別にうちに来るのは構わんぞ」
 紫苑は言い、昴をちらりと見遣った。
「ついでに透流も、な」
「……ありがとう」
 目元をやや赤く染めて礼を言う昴。桔梗はくすりと笑ったが、ふと朔の表情を見てはっと息を飲んだ。彼の横顔は何かを覚悟するかのように、固く強張っている。――忘れていた。朔は、一度は死した存在。半端に蘇った不自然ないのち。白虎が彼を生かしているのは、きっとそれなりの理由があるのだろう。その理由が、「封印」なのだとしたら……?
「朔くん」
 桔梗の呼びかけに、朔は無理をして形作ったような微笑みを浮かべた。
「もしかしたら、しばらくご厄介になるかもしれませんね。その時はよろしくお願いします」
「…………」
 紫苑はひと差し指を唇にあて、何か考え込んでいる。桔梗はただ、朔に弱々しく微笑み返すことしかできなかった。

  三
  
 次の日、紫苑は久々に参内した。宮中の長い廊下から見える庭にはまだ霜が白く残っていて、日の光に溶けながらきらきらと輝いている。
 話はいつの間にか公達の間に知れているのだろう、いつにも勝って誰もが紫苑を遠巻きにしている。見かねて側に来ようとした燐も、紫苑が視線で留めた。 ――これから起こることに、燐を巻き込みたくはない。それは新しく彼の家族となった加乃のためであり、日向のためでもあった。
 その日の朝議の議題は、果たして藤原伴雅の忍びが持ち帰った文書と、藤原正年が聞いた不可思議な予言――紫苑はあらゆる方向から刺さる視線をものともせず、ただ毅然と顔を上げていた。こんなことで萎縮するわけにはいかない。燐に守るべき家族があるように、紫苑にも守らなければならないものがある。守りたいものがある。そのためなら、彼は何でもする――そう、決めたから。
「御門どの。予言の内容に心当たりは?」
「さあ」
 伴雅に尋ねられた紫苑は、表情ひとつ変えずに首をひねった。
「何のことであるか、私には判りかねますな」
 藤原蓮が心配そうに紫苑を見つめている。そのささやかな気遣いが、今の紫苑には嬉しかった。
「『封印』の場所は出雲だとか。……そういえば」
 正年はぎらりとした目で紫苑に迫る。
「夏頃、出雲にお出でになっていたのでは……?」
「…………」
 紫苑は沈黙した。否定するわけにもいかない。だが、今言うべき言葉も見つからなかった。
「そこで何か、見聞きしたことは?」
「申し訳ありませんが」
 紫苑はのろのろと口を開いた。一同の視線が彼に集中する。
「もし私に『封印』を解くことができたとしても――私は神を呼んでどうこうしようとは思いませぬな。神が我らの味方をするという保証がどこにあります? よしんば我々の味方になってくれたとしても……」
 紫苑はぽつり、と言った。
「私の母親はあやかし」
「……紫苑……」
 燐のちいさなつぶやきが、彼の耳に届く。
「私はひとではない。あやかしでもない。しかし」
 紫苑は目を伏せ、淡々と続けた。
「私はひとでもあり、あやかしでもある」
「…………」
 場は、水を打ったように静まり返った。
「私は――ひとともあやかしとも、戦うつもりはありません……。双方が納得して戦いを止める道を、探すのみです」
 そう言い捨て、紫苑は座していた床から立ち上がる。痛いほどの視線を浴びながら、紫苑はそのどれとも目を合わせることなく、ただ黙ってその場を後にした