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四天王の巻 第六章

  一

 御門邸にふらりと現れた朔は、いつも通り白虎の化身である猫をその肩に載せていた。出迎えた桔梗が喉元に指をやると、ふつうの猫のようには喉を鳴らさないかわり、ぺろりと桃色の舌が覗く。
「紫苑さんは?」
「奥にいますよ。──たった今、昴さんと透流さんが帰られたところなんです」
 答えながら先導して歩む彼女に、朔はさらに問いを重ねた。
「昴さんたちは何のご用で?」
「昴さんは玄武の巫女ですから。出雲のあたりで気の乱れを感じたと……。朔くんも、それを見に行っていたのでしょう?」
 桔梗は振り向きざまに微笑んでみせる。朔はきまり悪げに頭をかいた。
「やはり、わかりましたか」
「ええ、わかります」
 再び桔梗は朔に背を向けた。
「今日はそのお話なのでは?」
「ええ、それもひとつです」
「他にもあるのですか」
 桔梗は足を止め、肩越しに朔を見る。その瞳に浮かぶ不審を見てとり、朔はことさらに笑顔をみせた。
「そちらはいい知らせですから、安心してください」
「安心……」
 つぶやいたその声には、明らかな苦笑がにじんでいる。
「それはなかなかに難しい注文ですね」
 桔梗もうすうす感じていた。今回の騒動は、紫苑を巻き込まずにはいないだろうということ──そしてきっと、紫苑はまたつらい想いをするのだろうということも。そのときの自分に一体何ができるかはわからないけれど、せめてずっと彼の側に寄り添っていよう。彼を抱きしめていよう。ひとりで涙を流すことのないように、ずっと――ふたりでいよう。桔梗は強く強く想った。
 奥座敷にいた紫苑は、朔の姿を見るやいなや口を開いた。まるで彼の用件が何なのか、既に知っているようだった。
「関白どのが息を吹きかえしたようだ……伴雅どのから連絡があった。それから蘇芳からも」
 と言って、苦笑を浮かべる。
「白い猫に助けられたと……やけに素直に告げてきた」
「白い猫……」
 つぶやいた桔梗が、はっと朔を見つめる。その肩の上で、白猫は黄金色の瞳をらん、と輝かせた。
 ──いかにも、それは我だ。術を掛けた輩が我が眷族、白蛇のものであったのでな。
「やはり、白蛇が……」
「紫苑さんが手を引いたのは大正解だったようです」
 白猫に代わり、朔が口を開く。
「時雅どのの心の臓には、紫苑さんが近付くとその動きを止めてしまうような、たちの悪い術が掛けてあったそうですから」
「…………」
 しばし瞑目していた紫苑は、やがて合点がいったのだろう、深いため息をついて目を開けた。
「なるほどな。私を時雅殺害の下手人に仕立てあげる……か。ひとの戦力を削ぐには悪くない手段だ」
 ただでさえ半妖である紫苑を忌み嫌うものは多いのだ。きっかけさえあれば、鬱屈してきた不満はすぐ爆発するだろう。
「おそらく、それだけではありません」
 朔は真っ直ぐに紫苑を見つめた。
「あやかしたち……特に白蛇と黒鷹は、出雲の『封印』に目をつけているようなのです」
「では」
 紫苑ははっと顔をあげた。
「昴どのの感じた気配とは……」
「おそらくは白蛇族の姫巫女、真雪でしょう」
 朔の話す出雲での出来事を、紫苑はうなずきを返しながら聞いた。
「しかし、『封印』を解くためには四神獣に選ばれたものたちが必要なのだろう?」
「ええ、でもその誰もが貴方に縁の深いものたちですから。彼らがまず貴方を味方に引き入れたいと思うのも、無理はない……」
「紫苑をひとの群れから無理やりにでも追い出したかった……そういうことですか」
 桔梗は口元だけにやんわりとした笑みを浮かべた。澄んだ瞳には凄みのある光が宿っている。
「……結局、夜雲らは何を望んでいるんだ?」
 紫苑は自問するようにつぶやいた。
「『封印』を解いたところで、怨霊があやつらに従うわけもないだろうに」
「朔君、何か心当たりはないのですか?」
 桔梗に問われ、朔は腕組みをして首を傾げた。幼さを残した顔立ちが、しかめつらしく眉間に皺を寄せる。
「……『封印』に封じられているのは怨霊でもありますが、あれは元々この世界から神を追うために施されたもの」
「ふむ」
 紫苑は軽く顎を撫でた。
「朱雀だったか、玄武だったか……あやかしは神々の子孫なのだと言っていたな。もし神が再び現れたなら、ひととあやかし、どちらの味方をするか」
「でも、神はこの世界には戻らない――見捨てたって」
 桔梗の言葉に、白猫が鳴いた。
 ──我ら神獣は、神の遺した番人。まだ、この世界と神とは切れておらぬということだ。
「……神々にひとを討ち滅ぼさせる、と?」
 紫苑は呆れたようにつぶやく。それは途方もなく非現実的な物語のように思えた。──だが、我々四聖獣に選ばれたものたちがそれを望んだなら……? 四聖獣は神々の遣い。神の力は紫苑らの選択によって、その矛先を変えるのかもしれない。
「紫苑さん」
 朔の言葉に、紫苑は彼を見る。燐に似た琥珀の瞳が、紫苑をじっと見つめていた。
「彼らの目的が『封印』なら、これからもきっと貴方を狙ってくるでしょう。どうぞ、お気をつけて」
「…………」
 紫苑は床に視線を落とした。──もしこの地に神が降臨するようなことがあれば、一体世界の現状を見てどのように感じるだろうか。かつて神々を追い落とすために、手を結んだはずのひととあやかし……その両者が争いあう姿は、神の目にはきっとひどく醜く、浅ましいものと映るに違いない。
「神になど頼らず、何とかしたいものだがな」
 つぶやいた紫苑に桔梗が寄り添う。その温もりに、紫苑はほっと力を抜いた。

  二

 ──遥が事故に遭った。その知らせを聞いて壬の脳裏に浮かんだのは、ただひとつのことだった。間違いない、遥は自分たちに関わったせいで目をつけられたのだ。仲間であるはずのあやかしに害されたに違いない。怒りに突き動かされるままに、壬は足を陣の本丸へと向ける。
「み、壬さま?!」
「しばしお待ちを……」
「煩い!!」
 突然現れた壬をあやかしたちが慌ててとどめようとするが、彼の一喝に思わず怯む。壬は青ざめる彼らを後目に、大股に奥へと進んでいった。
 途中、すれ違ったあやかしの肩をとらえ、低く尋ねる。
「夜雲はどこだ」
「や、夜雲さまなら先ほど若いあやかしの遺体を……ひっ」
 壬はそれを最後まで聞かずに突き飛ばし、再び足を進めた。──遺体? 殺したのか、遥を? 目の奥が熱くなって、頭が割れそうに痛んでいた。
 ――ふと横手から気配を感じ、壬は廊に面していた帳を払って部屋の中に足を踏み入れた。
「なんだ、騒がしいと思ったら」
 探していたはずの男の声にも、壬は反応できなかった。
「壬どのではないか。……何か、御用か」
 黒い衣に包まれた肩の向こうに、遥が横たわっていた。まるで眠っているかのような穏やかな表情──ただ肌だけが異常に白く、血の気が完全に失せている。死装束に包まれたその姿を、目に焼き付くほどに見つめる──。
「……う、」
 壬の唇からうめき声が洩れた。
「う、あ、あ……」
 視線が、ようやく夜雲をとらえる。みどりがかった漆黒の瞳に映る自分は、泣いていた。夜雲は静かに笑っている……。
「ああああああああああああああ!!」
 壬は爆発した。拳が唸りをあげ、辺りの空間一面を水の刃が切り裂く。荒れ狂う力の奔流が夜雲に向かい、突き進んだ──。
「ふ」
 夜雲は小さく息を吐き、同時にゆらり、と動いたに過ぎなかった。ただ、それだけ。
「ぐっ?!」
 壬の拳は何か見えない壁に当たったかのように弾かれ、水の刃もまた行き場を失ったかのように床に墜落した。──部屋は無惨な状況になっているが、夜雲は涼しい顔で壬を見ている。
 ──はあ、はあ、はあ……。壬は肩で息をしながら夜雲を睨み付けた。
「夜雲さま?!」
 騒ぎを聞き付けたあやかしたちが慌てて集まってくるのを、夜雲は落ち着き払って迎えた。
「壬どのはこの子と生前懇意にしておられたゆえ、悲しみで取り乱されただけのこと。気にするな」
「…………」
 壬はぎらぎらとたぎるような瞳で夜雲を見つめているが、夜雲はそれをやんわりとした牽制の眼差しで抑える。壬の額からは、汗が吹き出していた。
 辺りから他のものたちの気配が消えたあと、夜雲は再び口を開いた。
「ひとつ覚えておかれるがいい、壬どの。水龍は確かに最強のあやかし──だが、我ら四天王直系の力は別格だ。つまり」
 夜雲の姿が、消えた。──いや、違う。
「がっ……」
 背中に痛みをおぼえ、壬は目を見開いた。そこに映るのは天井──触れられた感覚すらなく、壬は投げ飛ばされ、床に叩きつけられていたのである。
「私は貴殿らより強い、ということ。そして――」
「兄さん?!」
 ぐるぐると回る頭の上から降る夜雲の声と、彼を追ってきたのであろう、癸の声。
「この子供を殺したのは──貴殿らだ」
 壬は体を床に投げ出したまま、目を固く瞑った。──遥。遥……。
「兄さん……」
 弟の腕に抱き起こされながら、壬はつぶやいた。
「はるか……ごめん……」
 ──お前を紫苑に会わせてやりたかったのに。壬の力で破壊された部屋に、既に夜雲の気配はない。癸は部屋の隅に安置された遥の遺体に目をやり、ぎりと奥歯を噛み締めた。

  三

 数日後、新月の夜。夜雲の寝所に、白くぼんやりとした人影がするりと入り込んだ。まとう気配は希薄なものだったが、夜雲はすっと目を開く。
「真雪か」
 低いかすれ声に、人影はくすくすと笑った。
「なんだ、驚かせて差し上げようと思ったのに」
 頭からすっぽりと被っていた白い布を脱ぐと、それと同じ色の髪がさらりとこぼれ出す。真雪であった。
「お前の気を読み違うはずがないだろうが」
 夜雲の浅黒い肌が夜と混じり、真雪の白を覆い隠す。彼女は高い声で笑った。
「そんなに余裕ぶっていると、あの水龍の双子に寝首をかかれてしまいますわよ──」
「そちらこそ、御門紫苑に仕掛けた罠は破られたのだろう?」
「白虎が邪魔をしたのですわ」
 真雪の声に悔しさが滲む。
「何故我ら白蛇の崇めてきた白虎が、あんな半端なもの──死に損ないの、しかも元はといえば半妖の子供を庇うのか……解せません」
「まあ、いい」
 夜雲はつぶやいた。
「次の策を考えればいいだけのことなのだからな」
「あら」
 真雪が声をあげる。
「それならとっくに手を打ちましたわ。心配はご無用」
「……なるほど」
 夜雲は喉の奥で笑った。
「お前は悪知恵の働くおんなだものな」
「貴方のためよ。夜雲」
 真雪はふと真顔になって夜雲を見つめ、囁いた。
「……愛しているわ」
 その言葉はふたつの唇の狭間に飲み込まれ、消えた──。