instagram

四天王の巻 第二章

  一

 秋雨の降る夜。自宅に籠っていた紫苑に、久方ぶりの来客が訪れた。──藤原伴雅である。
 伴雅を迎えに出たのは、女房姿の女であった。伏せ目がち瞼の下から、うっすらと赤みがかった瞳が覗いている。──いわゆる式神なのだろう、と伴雅は思った。
「ご案内致します」
 女はするすると廊下を渡っていく。その足裏は、床を踏んでいない。伴雅は黙って女の後に従った。庭は、白く雨にけぶっている。
「ようこそいらっしゃいました」
 部屋に通されてからしばらく後に姿を見せたこの屋敷のあるじは、特に変わりないように見受けられた。長い艶やかな黒髪、切れ長の目の奥は紫電──白いゆったりとした衣を身につけ、藤色の袴に包まれた足を緩く組んで座る。
「突然申し訳ない」
「いえ。こちらこそ大事な時にご足労をお掛けして──」
「そのことなのだがな、紫苑どの」
 伴雅が膝でにじりよった。その表情は緊張のためか、ややひきつっている。
「実は、しばらく前から父が伏せっている」
「……摂政どのが?」
 紫苑の片眉が跳ね上がった。伴雅からもたされた情報を、彼は知らなかった。変わらず宮中に参内している燐が何も言っていなかったということは、藤原家がその事実を隠しているか、もしくは実際よりも軽くみられるように説明しているということだろう。
「父は先日関白の位を拝命致したが、実はそれも病状が思わしくないため──」
 万一のことがあったとき、(まつりごと)に与える影響を極力押さえねばならぬ──伴雅は額に汗をにじませていた。
「成る程。して、関白どのの病とは?」
「…………」
 伴雅は言葉を探すように、視線を宙にさまよわせた。
「……あれは十日ばかり前でしたでしょうか。父のもとに桃が届いたのです」
「桃が?」
「はい」
 伴雅はうなずいた。
「届けぬしがわからぬので怪しきものと、ひとまず半分に割ってみたのですが……」
「何か、出てきましたか」
 先回りをした紫苑に、伴雅は再びうなずいた。
「蛇が、父を噛みました」
「蛇、ですか……。その特徴は?」
「大きさは……、さあ、子供の腕ほどでしたか。色は白うございました。噛んだあとはするすると消えてしまいましたが、間違いありません」
「……白い、蛇……」
 紫苑の頭に、ある可能性がちらりと閃く。だが、紫苑はそれを頭の片隅にとどめおいたまま、話を続けた。
「してこの度のお話は? お父上の治療の相談だけ、というには日が経ちすぎていますし」
「……そうですね」
 伴雅は床の上で落ち着きなく身じろいだ。
「ひとつは、父を()ていただきたいということです。おっしゃるとおり遅きに失したかもしれませんが……」
「では、もうひとつは?」
 問う紫苑に、伴雅はひたりと視線を止めた。
「――大将軍の任。受けていただけませぬか」
 紫苑は息を飲んだ。
「……まだ、非公式にすら打診されていないものを」
 かろうじて押し出した声も、ややかすれていた。
「ですからわたくしが参ったのですよ。紫苑どの」
「…………」
 伴雅はこの時、既に従二位にあった。非業の死を遂げた兄の地位を引き継ぎ、立派に勤めあげている。その彼が直接打診するということの重みを、紫苑は十二分に悟った。
「しかし、それは伴雅どの個人のお考えでは? 私を警戒する公達もおりましょう」
「そうも言ってられぬでしょう。紫苑どの」
 伴雅は沈鬱な表情でつぶやいた。
「他の輩がどう思っているかはともかく、現実は現実。このままではひとは滅ぼされてしまうのではないか。私はそんな気がするのです──」
「…………」
 紫苑には、伴雅の危惧を肯定することも、否定することもできない。ただ彼は黙って見つめ返すのみであった。

  二

 降り続く雨が都をしとどに濡らしている頃、出雲のくには穏やかな光に照らし出されていた。山深く、住まうもののない集落の跡。破壊と再生の混在する空間は、いっそ現実離れした楽園のようにさえ見えた。ひとも、あやかしもいない。醜い争いは、ここにはない。
 ちょうどそのすべてを見渡せる小高い丘の上から、じっと邑を見下ろす人影があった。細い、小柄な女である。頭からすっぽりと薄物をかぶっているが、日の光に透けるその髪の色はまばゆいばかりに真っ白──地上を睨()めるその瞳は、薄緑。髪と同じ色の肌の上に、まるで銀糸で縫いとりを施したかのような文様が刻み込まれている。
「真雪さま」
 彼女の背後には、数名のあやかしが控えている。うちのひとりが、彼女の名を呼んだ。真雪──白蛇族の姫巫女。彼女は静かに口を開いた。
「ここが、玄武の(さと)ですね」
 ひとりごとのようなつぶやきを受けるかのように、あやかしは礼をした。
「例の場所は探索しておりますれば、今しばらく──」
「その必要はありませんよ」
 澄んだ声。だがそれは真雪のものではない。彼女はそらを振り仰ぎ、柳眉を寄せた。
「何者?!」
 色めき立つ衆を袖のひとふりで抑え、真雪は一歩踏み出した。視線の先には、白銀の巨大な獣。
「白虎……?」
 真雪のつぶやきに呼応するように、その神獣は空中で低く唸った。その背中には、幼い童。先ほどの声は彼のものであろう。桜色の髪があざやかな、あどけない顔をした少年である。ただ、琥珀の瞳だけは鋭く輝いていた。
「貴方は?」
「僕のことはいいんです。問題は」
 真雪の言葉を遮り、少年は口を開いた。
「貴方がたがお探しのもの──いえ、場所というべきでしょうか」
「…………」
 真雪はその翡翠の瞳を薄く眇めた。
「貴方は、一体何をご存知なのです?」
 少年は微笑を口元に含んで、答えない。真雪はまた一歩、少年の浮かぶ方へと足を進めた。
「我々の邪魔をするつもりですか……?」
 髪を覆っていた薄物が舞い落ち、白い髪がゆらりと立ち上る。戦闘態勢に入る真雪を見て、背後の衆も思い思いの構えを取った。少年はというと、慌てる様子もなく彼らをただ眺めている。
「邪魔をするも何も、教えてあげようと言っているんですよ。話は最後まで聞いて下さい」
「何ですって?」
 真雪は苛立ったようにつぶやきながら、ひとまず殺気を収めた。――もとより、神獣の一である白虎にこの無勢で勝てるとは思っていない。
「貴方の探しているのは、『封印』でしょう? かつて、ひととあやかしが力を合わせて神々を『封印』した場所――」
「…………」
 少年は真雪の返答を待つことなく言葉を続けた。
「貴方たちでは、それを解くことはできません」
「……なるほど」
 真雪は頷いた。
「先日『封印』が緩んで怨霊が溢れ出した――そのときその場にいたのは四聖獣と、それに選ばれた者たち。水龍の御子、玄武の巫女、貴方、そして」
 白い肌の中で鮮やかに色づく唇が、急な円弧を描いて笑った。
「御門紫苑」
「…………」
 少年は笑みを消し、真雪を見つめた。
「何故、貴方がたが『封印』を気にするのです? どうせ扱えもしないのに」
「さあ、それはどうでしょうね」
 真雪は落ちた薄物を再びかぶりなおした。少年にくるりと背を向け、ひとりごちる。
「どちらにせよ――鍵を握るのは、あの男のようですね」
「本気で、ひとを滅ぼすつもりですか」
 ぴたりと立ち止まった彼女は、その場で振り向き微笑んだ。
「そんなこと、死びとが気にすることではありませんよ」
「…………!」
 少年の――朔の表情が凍りついた。真雪はそれを見て満足げな笑みを浮かべ、歩み去る。
「どこまで知ってるんだ……?」
 朔のつぶやきを散らそうとするかのように、白虎は低い唸り声を漏らした。
 
 
  三
 
 その日、燐は縁に座って雨にけぶる庭を見つめていた。ふと気が付くと、背後からぺたぺたと足音が近付いている。
「先生」
 その声に、燐は首だけを回して振り返った。佇む日向は誰かを探すように、きょろきょろとしていた。
「そういえば、朔くんの姿が見当たりませんけど……」
「ああ」
 燐はうなずく。
「ちょっと出掛けてるんだ。数日したら戻るよ」
「子供なのに遠くまで行くんですねえ」
 日向は笑い、燐の隣に腰掛けた。燐は苦笑を浮かべて頷く。
「まあ、あの子はちょっと特別だから……」
 妻、さくらの胎内で死した我が子。その魂を白虎が拾い、ひと型に封じ込めたのが朔だ。ひとでもなく、あやかしでもなく、そもそも生命ですらない――。白虎が一体何のために朔を蘇らせたのか、燐には未だにわからなかった。それでも、朔が自分の子供であることにはかわりがない。大切な、さくらの忘れ形見だ。たとえそれがかりそめの生命であったとしても、どうかしあわせであって欲しいと思う……。
「先生?」
 気が付くと、日向が心配そうに彼の顔をじっと覗きこんでいた。その真っ直ぐな視線に、燐は何故か妙に戸惑う。
「何か、朔に用事があったのかい?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
 日向は笑って髪を掻いた。
「やっぱりひとりいなくなると全然違いますね。何だか屋敷が静かで。……早く帰ってきて欲しいなあ」
「…………」
 燐は口をつぐむ。――紫苑の屋敷からは、壬と癸、ふたりが姿を消した。残された者たちは、やはり寂しく感じているだろうか。それでも紫苑には桔梗がいて、その逆も然りである。彼らは、決してひとりきりにはならない。
 この屋敷にも、まだ昴や透流、加乃が暮らしている。しかし、加乃はいずれ藤原家に嫁ぐことになるだろう。昴や透流も、いつまでここにいるだろうか……いつかはふたりで所帯を持ちたいなどと言い出すかもしれない。そうすると、燐は朔とふたりきりになる。だが、その朔も――。
「さて、そろそろ食事の支度しますね」
「日向」
 立ち上がった彼女の手をとらえ、燐はじっと見上げた。
「勝手にいなくなるんじゃないよ」
「え?」
 日向は驚いたように目を瞬かせる。燐は言葉を重ねた。
「君は、僕の生徒だろう?」
「……はい」
 日向は明るく微笑んだ。
「先生さえ許してくださるのなら、おれはここにいたいです」
「……うん」
 燐は彼女の手を握りしめたまま、ほっと息をつく。今はこの手を、離したくなかった。