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四天王の巻 第一章

  一

「どういうことだ!」
 辺りを震わせた壬の怒声に、その場にいたほとんどのものたちが体をすくめた。さまざまな種のあやかしが集っているこの場でも、やはり水龍である彼は際立って目立つ。動揺を見せなかったのは、ただひとり──漆黒をまとう黒鷹族の御子、夜雲であった。
「何をそんなにお怒りなのだ? 壬どの」
 淡い微笑すらその口元に浮かべている。壬はぎりりと音がたつほど奥歯を咬んだ。
「城を陥とすのは良い。だが、何も周りの村のものまでひとり残らず殺さなくとも良かっただろうが……!」
 武装した男たちならともかく、戦の気配を感じて逃れようとしていたものまで老若男女を問わず皆殺しにする。これまで何度となく繰り返された、一方的な虐殺──壬はそれにひどく嫌悪をおぼえていた。
 夜雲は小さく笑った。
「それはまた面妖なことをおっしゃる。最初に我らを根絶やしにしようとしたのは、あくまであちら側。我らはその真似をしただけのこと。それに──」
 彼の闇色の瞳が、ぬらりと光った。
「生き残りを赦せば、いずれそれがまた我らに牙を剥く。……まるで、貴方のようにね」
 壬は舌打ちをし、部屋を囲う記帳を荒々しく引き上げて外に出る。背後で夜雲がにんまりと笑む気配を感じ、壬は怒りをこらえようと深い呼吸を繰り返した。
 
 壬らがあやかしの軍に合流してひとつき──秋の長雨の合間に、彼らは既に坂東を手中におさめている。壬、癸の兄弟は戦闘には参加していないが、留守を守る役目は引き受けた。彼らふたりがいさえすれば、軍は背後を気にする必要がなくなる。
 軍に参加しているのは、かつてひとに攻められてちりぢりになっていたあやかし、総勢数百人だった。それを統括しているのが夜雲ということになる。白蛇族の棲む陸奥に本拠をおき、坂東から徐々に南下。やがて都に攻め上るつもりであることくらいは壬らにもわかったのだが、詳細は未だ彼らには明かされぬままであった。まだ、彼らは仲間とは認められていない。彼らもそのつもりはない。そういうことだ。
「あいつら、本気でひとを根絶やしにするつもりか……!」
 壬は声を圧し殺して叫んだ。赤子のひとりすら赦さない夜雲と、それに異を唱えないあやかしたち。いくら壬が反対しても、まるで効果がなかった。蓄積された憎悪が火を噴いて、すべてを巻き込み燃え盛っている。鎮火するのは並大抵のことではない。
 このままでは、いずれ都から討伐隊が派遣されてくるだろう。そこに紫苑がいるかどうかはわからないが、いずれにせよ壬にとっては避けたい状況に陥ってしまう。──お前は私の家族だ、と。そう言った紫苑の言葉を、壬は忘れはしない。だが、だからと言ってあやかしたちに相対して戦うことができるかというと、それはまた別なのだ。あやかしが坂東以北をのぞむなら、その独立のために尽力することにやぶさかではない。住まうものを追い落とすのも、まあ致し方がないとしよう。だが、夜雲らの望みはそれを遥かに越えている──。
「兄さん」
 聞き慣れた声に思考を破られ、壬ははっと顔をあげた。眼前には憂いを湛える弟の瞳がある。
「会議は終わったの?」
「途中で出てきた。胸糞悪いったらありゃしねえ」
「……また、やったんだね」
 癸の声音は悲しみに沈んでいた。壬は頷く。
「あいつらに誇りってもんはねえのかよ。やられたからやり返す、しかも今度は遺恨のないよう根絶やしに──なんて、たちの悪い追い剥ぎの発想だぜ」
「うん。……でも」
 不意に、癸は壬の瞳を覗き込んだ。
「兄さんも……ことによるとあちら側にいたんじゃないの? 紫苑さんたちに出会わなかったら」
「…………」
 壬が絶句したのを見て、癸は表情を消し小声でささやいた。
「話があるんだ──あとで部屋に来て」
「……あ、ああ」
゛うわずる声で返事をした壬を後に、癸は歩み去っていった。

  二

 あやかしたちの動きは、逐一都に伝えられている。怪異から解放された都を、新たな暗雲──しかも更に大きなものが、覆い尽くしていた。
 朝廷に、いやむしろひとに対して反旗を翻したあやかしたちの軍は、討伐せねばならぬ。それでは一体誰が大将軍の役目を負うべきか。宮中では半月以上も議論が続いている。藤原家が推したのは、当代随一の陰陽師──陰陽博士、御門紫苑である。たしかに、あやかしは妖術を使う。並大抵の術師の力では、兵を刀や弓の届く距離まで近付けることもできはしまい。現実的には最も有効であろうと思われる手である。だが一方、他の貴族らの多くはそれに反対した。陰陽寮のものは都を守ってくれねば困る。武の道のことは(みなもと)(たいら)に任せれば良い、ただし補佐として陰陽師らを同行させるべし──それは御門紫苑以外が是であろう、と。表向きは何とでもいえる。だが、結局彼らは紫苑の寝返りを恐れているのだった。
 本来議論の渦中のひとであるはずの紫苑は、知らぬ顔で自邸に籠っていた。己の意見を述べることもなく、特に呼び出されなければ参内すらしない。紫苑を都に留め置こうするものらの思惑など、彼はとうに見通していた。今に始まったことでもない。
「私が出ていったところで、どうにもならぬ。話がややこしくなるだけだ」
 とは、心配して屋敷を訪れた燐に対する本人の弁である。燐は呆れたように笑った。
「暢気なものだねえ」
「……壬らのことは気になっているのだがな」
 紫苑は表情を陰らせ、つぶやいた。
「だが、今彼らのために私ができることはない──」
「紫苑、」
「夜雲の本当の目的は何なのだろうな」
 燐は少し引っかかりをおぼえたように、片眉を額へと引き上げた。
「目的? ……本当の?」
 紫苑はまっすぐに前を見つめたまま頷いてみせる。
「ああ。いくら何でも、ひとを根絶やしにするなどそう簡単にできることではない。どれほどしらみ潰しに探したところで、必ず生き延びるものがいる。──桔梗や壬、癸が生きていたようにな」
 燐はつらそうに顔をしかめて目を伏せた。──そう、現状はひとの為した業がそのまま己の身に降りかかってきたために起こってきているものだ。だが、宮中のものは誰もそのことに気付いていない……。
「夜雲は黒鷹族。……白蛇族は、どうしているのだろう」
 紫苑はまるで独り言のようにつぶやいている。燐はその横顔を黙って眺めた。──それで、君自身は一体どうするんだい? その問いを、燐は何故か発することができなかった。

  三
  
 同じ時刻、御門邸の別の部屋には桔梗と昴、そして日向がいた。壬らが都を離れたと聞き、そして現在あやかしの軍に参加していると知って桔梗を心配した昴らが、事あるごとに顔を見に来るのである。彼女らの好意を桔梗はありがたく感じながらも、それでも沈んだこころが晴れることはなかった。昴もそれを悟ってはいるが、少しでも桔梗に楽しい時間を過ごさせたいと、ことさら明るい話題を提供する。
「ねえ桔梗、聞いてよ。日向ってば雷が苦手でね、遠くでごろごろ音がすると燐を探して右往左往するのよ。可愛いわよねえ」
「か、可愛くなんてない! それにおれが先生を探していたのは用事があったからで……」
「用事? 雨宿りに胸を借りる用事かしら? いやあねえあの屋敷、新しいのに雨漏り?」
「すばるううううううう!!」
「……ふふ」
 桔梗は唇をほころばせた。
「おふたりが一緒なら、加乃ちゃんもあまり寂しがらずに済みそうですね」
「……ま、私らに癸さんの代わりができるとは思ってないけどさ」
 昴はふと真顔になってつぶやいた。
「それでも、透流もあの子を気に掛けているし……表向きはいつもとかわらないように見えるわよ。蓮くんも本気で妻に娶ることを考えているみたい」
「そうですか。それは良かった」
 微笑む桔梗に、日向は控えめに問い掛けた。
「で……、お前はこのままここにいるのか? 桔梗」
「ええ。紫苑がここにいる限りは」
「――もし」
 日向はさらに問いを重ねる。
「紫苑が大将軍に任じられて、あやかしたちと戦うことになったときは……?」
「…………」
 桔梗は目を伏せた。長い銀糸の睫毛が、かすかに震えている。
「私が表立って紫苑のために何かをすることはできません……ひとの前に姿を現す訳にはいかない。だから、私も一緒に戦うとはいえない。でも……」
「紫苑が、そんなこと望むとは思えないわね」
「はい。それに、紫苑はきっと戦を避ける道を探すと思います。だから、その手伝いをする――私は、あやかしですから」
 桔梗が眼差しをあげた。透き通ったその水晶の色が、大気をまっすぐに貫いていく。
「水龍の、御子ですから」